第十四話『俺にとって逃げるってのは誇りだ』
女性から行くべき場所と思しきところを教えてもらった隼人は、あっさりと言われたことに従った。
本当にこれからどうすればいいかも分からなかったし、どうせ行かなくても後々詰みそうだった、というのが理由である。
不安も当然あったが、行ってみれば女性が言った通り、行商人が『アマリリス』という国に連れて行ってくれるという。
夜の間に出発すれば明日の昼には着くということで、今は馬車の荷台にフェリル共々押し込められている。
「......」
「......」
眼を閉じると鮮明にわかるような気がする、荷台の揺れ。
心地いいようで、気を抜くと酔いそうな揺れに身を任せて二人は眠ろうとするが、目をつぶっても眠れなかった。
今日だけでどれだけのことが起こったのだろうか。盗賊から逃げて、ケガを治してもらったと思ったら、いきなり『勇者』と戦うことになって―――
―――特にフェリルは自分以上に何が何やら分かっていないだろうと隼人は思った。
「ハヤトさん、少しお話しませんか?」
「...いいぞ」
何かしら説明すべきだろうか、と隼人が思っているとフェリルの方から話を切り出してきた。
元々フェリルの方は隼人と話そうと助ける前から思っていたのだが。
「......」
「...いや、何か喋れよ」
まぁ、何を話そうかは考えていなかったようだが。
「あ、あのッ...ハヤトさんは、なんでそんなに『逃げる』ってことに執着するんですか...?」
「なんかいきなり俺の九割を占めるようなことを聞いてきたな」
フェリルがずっと気になっていたこと。隼人にとって『逃げる』とは何なのだろうか、とずっと考えていた。
隼人は唸るように数秒考えた後に口を開く。
「...昔な、俺もお前と同じようなことがあったよ」
「同じ...?」
「家の中っつー『牢獄』に自分から引きこもって、もう誰とも会いたくねーって。丁度10年ぐらい前かね」
「なんでそんなことに...?」
「ま、早い話がいじめられてたんだよ。恥ずかしい話だけどな。そんで引きこもった、もう何にもしたくないって。思考を停止してだらだらと毎日過ごしてたよ」
「......」
フェリルは、これは隼人にとって辛い話しなのではないか、と思った。
しかし、当の隼人は至って平気な顔だ。眠そうな表情を隠そうともしていない。フェリルは今度はそれが気になった。
「...辛くないんですか?」
「ん?まー、その辺は後だろ。まずは話を全部聞きな」
隼人に窘められてフェリルは黙った。黙ったのを見ると隼人は再びゆっくりと話し始める。
「んで、そんなことを1か月続けた時だったかな。ある人に出会っ...いや、出会っては無いな。まぁ、文通みたいなものだよ、知らない人と、メールっつー文通を」
「はぁ...」
メールという言葉はよく分からないフェリルだったが、言いたいことは何となく分かった。
「んで、その人が最初に送り付けてきたのは何だったと思う?」
「え?わ、分かりません...」
「『人生謳歌してますか?』っていきなり送り付けられたんだよ、しかも知らねー人にな。そん時はムカついた、この人は何を言ってるんだって」
「......」
その時、フェリルはなんだか既視感を覚えた。今日の朝型、盗賊のアジトの牢屋の中で同じような感じで隼人に話しかけられたことを思い出していた。
「そんで怒りに任せて返信した。『ふざけんな、お前に何が分かるんだ』って。正直、俺が言った内容はあんまり覚えてないけどな」
「それで...どう返ってきたんですか?」
「うん、まぁ...そしたら......ぶわぁーっとあっち側の不幸話が津波みたいに書き綴られた文が届いたんだよ、たった五分でな。そんで最後に『そういう君は私のことが分かるのかな?』って書いてあった。正直それを見た瞬間、俺の不幸は何だったんだって思ったね。考えるよりも先にそう感じちゃったよ」
「そんな人が...?」
フェリルは、なんというかにわかには信じられなかった。
そんな人がいることも。そんな人が『人生謳歌してますか?』なんて聞いてくる意味も。
「その後、俺はその人と言い合うことも忘れて聞いたね。『なんでそんなに元気そうに、『余裕』そうな文章送ってくるんだって。俺はどうすればいいのか』って...」
「...返ってきましたか?」
「あぁ、書いてあったよ。『私は『やりたいこと』を『やって』生きてます。『やりたいこと』で生きてるんだ』って」
「ッ...」
その時、フェリルは分かった。隼人の原点、そのルーツを。
「そんで、夢中になったね。その人が言うことに。『趣味でゲーム作ってようが、それを売り出せば生きられる。どんなに好き勝手、仕事とは思えないような事でも生きていける』とか『それほど世界っていうのは、思ったよりも寛容なんだ』とかな」
「......」
「俺は羨ましくなって...なんつーか憧れた。こんな風に生きれる人になってみてーなって...今まで塞ぎこんでたのも忘れてそう思えた。そんで考えた。俺が今『やりたいこと』はなんだって」
「もしや、それが...?」
「あぁ...俺は『逃げたい』と思った。いじめっ子から『逃げる』だけでいい。それだけで俺はきっと救われるんだって、思いついた瞬間に理解した気がしたよ。そんで『やりまくった』。『逃げて』『逃げて』『逃げた』。色々と考えたよ『逃げる』ってことを」
その時、フェリルは分かった。自分を助けてくれた理由のようなもの。それはきっと―――
「そんで究極的に、自分の心に少しでも引っかかりが残るような『逃げ方』...『自分に嘘をつく逃げ方』って奴が、最もやっちゃいけないことだってことは、なんとなく分かった。最近になって、だけどな」
―――きっと、あの時の自分と、昔の隼人が似ていたからなのだと。自分を見てほっとけないと思ったからなのだと。
「色々と考えて...考えて考えて考えて...考え抜いた結果、どうせ『逃げる』なんてしょーもないことするなら、失うものなんて全部ない、完全な『逃げ切り』をしようって結論に至って...いや、これは今話さなくていいか?まぁ、とにかくだな―――」
ただ思っただけなのだ。今、見捨てたらきっと後悔する―――嫌な未来から『逃げ切った』ことにならない、と。
「俺にとって『逃げる』ってのは『誇り』だ。どんだけネガティブでしょーもないことでも、俺にとっては10年も考え続けてきた、俺の『核』だ。俺の『人生』の半分以上だ。だから俺にとってはネガティブなことでもなんでもねー、俺の...いや『俺自身』なんだよ。これが執着する答えだ」
「......」
本当に隼人の言う通りなのだろう。これが答えで―――『隼人自身』でもあるのだ。
隠し事など一切ない、隼人の『本質』100%が今の話なのだろう。
「ま、そんなところだな」
「...ハヤトさん、ありがとうございました」
「別に...こんな恥ずかしい話でよければいくらでも話してやるよ」
「はい...」
話はそれっきりだった。
その後はフェリルも隼人も何も言わない。
話をしていた間もしていない時も馬車は淡々と目的地を目指す。
フェリルにはそれが、自分がこれから歩む『未来』へ近づいてきているような気がしてならない。
フェリルは隼人に憧れた。彼のように自分に自信を持てるのだろうか、と。
でも隼人は今―――その名も知らぬ人にどんな感情を抱いているのだろうか。
もしかして、今もなお憧れを抱いているのだろうか。いや、きっとそうだろう。
隼人は今も『逃げている』。自分が認められない嫌な未来から必死に。それが答えなのではないだろうか。
きっと今も近づこうと、必死に努力しているのだ。
フェリルは目をつぶった。これでやっと眠れそうであった。
一緒に憧れの人に近づこうとする人を知れたから。『一人』でないと知れたから。