第十三話『いや、逃げるが勝ち...俺達の勝利だ』
アルカードの夜は静かだ。
しかし、アルカードを歩いていた一人の女性の耳に、ある少年の大声が聞こえてきた。
それは本当に微かに、それでいて覇気でも含んでいるかのように重くのしかかってくるような感覚を覚えさせてくる。
「今の声......」
その白衣を着た黒髪ロングの女性はこの声を聞いたことはない。
だけど、何故か聞いたことがあるような―――既視感とでも言うのだろうか。全く関わったことなどないはずなのに、そう思った。
『どうかされましたか?』
どこからともなく彼女に対して問う声が聞こえる。
「いや、なんか引っかかることがあったんだけど...ねぇ」
『なんでしょうか?』
「面白そうじゃない?何か分かんないけど」
女性は薄く微笑むと、声がかすかに聞こえた方向を見据えた。
この町で最も大きい建物―――教会を。
「てめぇ...」
「......」
神居はまだ意識があった。多少ダメージは受けているが。
隼人が神居を扉にタックルで叩きつけようとした直前に、扉に入れていた魂を戻した。
叩きつけられた扉は衝撃で開き、神居にダメージが行くのを防いだ。もし扉を完全に閉じたままだったら気絶していただろう。
「ッチ...」
隼人は神居を教会の方へ投げるようにして服の襟首を放した。そのまま隼人は教会の中から飛び出すように出る。
フェリルも隼人と一緒に外に出て、神居を見て不安そうな表情を浮かべている。
「...引き分け、ですかね」
「いや、『逃げるが勝ち』...俺達の『勝利』だ」
「手厳しいですね...」
あくまで『引き分け』だと言い張る神居の主張を一蹴して隼人は背を向けずにゆっくりと神居から距離をとる。
「元々、俺達はてめぇをぶっ飛ばすのがあの時の『目的』じゃなかったからな...どうにか扉を開けさせれば、俺の目論見通りよ」
「ふふ、そうでしたね...完敗なようです...」
隼人の主張を聞いて、あっけなく自分の敗北を認める神居。その姿は神官というよりも武人に近いような気もした。
「別にまだ戦えるんだろ?まだ負けてねぇんじゃねぇのか」
「いえ...ここで騒ぎになれば困るのは私なのです...貴方もそれを感覚的に理解しているから何が何でも脱出したのでは?」
「そうだな。この町の信用を損なってはいけない『ナニカ』がお前にはある。それが後に自分には必要だ、とお前は考えている...」
「えぇ...」
隼人の推測を神居は肯定した。この戦いの後の何とも言えない時間が、まだ闘いが終わっていないのではないかという感覚を全員に分け与える。緊張感を強制する。
「んじゃ、俺達は逃げさせてもらうからな」
「えぇ...ご自由に。ですが...一つだけ」
言うだけ言ってから去ろうとした隼人だったが、神居はそれを引き留めた。フェリルはまだ何かあるのか、と警戒しているが、隼人は警戒はしなかった。
「隼人さん...人間は弱いですねぇ...」
「...どうした、急に」
いきなり脱力しきった様子でそんなことを言い始める神居に、隼人は怪訝そうな顔をするしかない。
「人間はその弱さ故に過ちを起こし...それを繰り返す。そしてそれを止めようとすればするほど、人は自分の弱さを露呈させねばならず、そして人はそれをよしとしないのです...」
「......」
「隼人さん...貴方も『弱い』。そして私も」
「...そうだな」
隼人は肯定する。その主張も、自分の弱さも、神居の弱さも。
「でも...貴方と私は違う。私は弱いですが...奇跡なら人間をどうにかできると、そのために...力を得ようと努力しました」
「......」
「貴方はそうじゃない...隼人さんは『弱さ』と『共存』することを選んだ...違いますか?」
「さぁな」
神居の問いに対して、隼人は適当な返答をする。だが、それが逆にお見通しだったらしく、神居は自虐気味にククッと小さく笑った。
「私は『弱さ』をどうにかしようとした...でも貴方は、そんな『弱さ』にも何かあるだろうと...必死に模索した。それが『逃げる』ということだったんじゃないですか?」
「......」
「隼人さん、私たちの根っこは同じです。『弱者』から始まった同士なのです。だけど、私たちは相容れません。絶対に」
「...そうだな」
再び肯定した。きっとこれからどんな紆余曲折があろうと、絶対に互いが互いを受け入れたりしないだろうという未来予知にも似た直感。
「また会いましょう。『決着』をつけるために」
「あぁ。『次』は、お互いの『全力』で...な」
相手がチンピラだったら『次』なんて『逃げていた』だろう。だが、隼人もこれだけは『退けない』ことを知っている。
『弱者』が『弱者』から『逃げる』ことだけは―――してはいけないことを。
「隼人さん、フェリルさん。ご武運を祈っておりますよ」
「余計なお世話だ。行くぞフェリル」
「は、はい...」
今までの話を静かに聞いていたフェリルに呼び掛けて、隼人は今度こそ背を向けて走りだす。そしてフェリルもそれについていく。
神居も背を向けて、教会の奥に入っていった。
「...『次』...私も貴方も生きていればいいですが...いや、不吉なことを言うのは止めましょう...」
神居は独り言を呟きながら、教会の奥の天使像に近づき仰ぎ見た。
「...神よ、貴方はとんでもない人を『勇者』として選んでしまったのかもしれませんね...」
神居の呟きを『神』が聞いていたのかどうかは―――誰にもわからないだろう。
「はぁ...はぁ...で、ハヤトさん!」
「あぁ!?なんだ!?」
一応追手が来る可能性も考えて町を走っている隼人たち。
「今からどこに行くのか、考えているんですか!?」
「......」
そういえば考えてなかった、の表情をしながら立ち止まる。
それをフェリルはどことなく知ってた、という感じの無表情で眺めるしかない。
「ねぇ、貴方たち、ここで何してるの?」
その時、二人に女性が話しかけてきた。
服は白衣をだらしなく来ており、その黒のロングヘア―はボサボサで手入れもあまりされていないようだった。
「え?いや別に...」
まさか他人に話しかけられるとは思っていなかった隼人は、少し焦って何でもないように振舞うが、その様子を見て女性は微笑んだ。
「...?」
そんな訳の分からない女性に隼人とフェリルが戸惑っていると、女性は隼人の耳元で―――
「西の出入り口に行きなさい。付近にいる行商人たちに声はかけてあるわ。そこから『アマリリス』という国へ行くといいわ」
「は...?」
自分たちの今の状況を知っていることに彼女に対する疑念と不安が隼人を襲うが、それでいて隼人はそれとは違う感情を抱いた。
「あんたは...?」
「...さぁね、でも手助けしてあげたくなったの。裏も何もないわ。貴方と私は『他人』よ」
「......」
何か懐かしいような、忘れてはいけないような声。抱いた疑念と不安も、隠れてしまうような優しいようで心強いような声。一回も聞いたはずの無い声なのに、確かにそう感じたのだ。
「ハヤトさん...?その人とお知り合いなんですか?」
会話内容が聞こえていないフェリルは不安そうな表情で女性のことを言及してくる。
「...ふふ......」
その様子を見た女性は微笑ましそうに目を細めた後、何も言わずにその場を去った。
「いや...『他人』だよ」
去っていった女性の後姿を見ながら、女性の代わりに隼人が答えた。
フェリルは隼人を不思議そうに眺めるしかできなかった。何故なら隼人の表情が―――とても穏やかに見えたから。
女性はそのまま夜の街を散歩していた。
『何故、あの少年に肩入れしたのですか?』
どこから聞こえるのか分からない声が女性に問うた。
「...彼のこと見たでしょ?あの『五番目の勇者』と話してるところ」
『えぇ』
「分かったのよ、あれで私。彼は『やりたいこと』を『やってる』んだってね」
『......』
不思議な声が喋ったのはそれっきりだった。でも、女性の方は最後に一言だけ、声の主に向かってか独り言かは分からないが、一言言った。
「それに...懐かしい気がしたのよ、あの子」
その言葉は奇しくも、隼人が抱いたのと同じような感情が―――穏やかな気持ちが乗っているような気が声の主にはしたのだった。