第十一話『余裕でいることを続けろ。プレッシャーから逃げろ』
「...寝れない」
フェリルは寝付けなかった。今もなお、奴隷から一般人に戻れたという事実が信じられなかった。まぁ、貧乏人なのに変わりはないのだが。
たった数日前に出会ったあの不思議な少年。自分より1、2歳ほど年上なだけの少年、静海隼人。
同じ絶望のどん底で出会ったはずなのに、自分とは全く違う―――『本当の意志』を持っていた。
自分は今まで何をしていたのか。虐められないために耳を隠す隠密魔法を覚え―――罰を受けないために従順となり、逆らうことを忘れてしまった。
「いつか...近づけるかな」
どんな逆境でも軽口を叩き、自分に正直な隼人のように―――自分も何か出来るようになるのだろうか。そんなことをフェリルは考えていた。
「やっぱり寝れないや...」
ずっとベッドに寝転がっていても退屈なだけなので、少し話でもしようと隼人のところへ行くことにした。
結構うやむやになっているが、これからどうするかも話し合わなければいけない。隼人はそっち方面では間抜けっぽいところがありそうだが。
「ハヤトさん、いますか?...少しだけお話でも...」
隼人の部屋の扉をノックして返事を待つ。しかし少し待って見ても返事がない。
「寝ちゃったのかな...」
そう思って少し中を覗いてみると、そこに隼人の姿は無かった。
「あれ...どこに行っちゃったんだろう」
その時、フェリルは少し不安になった。昼での冒険者との一件もあるし、何か因縁でもつけられていたら―――
「ん、嬢ちゃん。どうしたんだい?」
―――そう考えていると、でっぷりと太った宿屋の主人が心配そうに声をかけてくる。
「あ、あの...この部屋に泊まっていた人...どこに行ったか知りませんか?」
「んー...あぁ、思い出した。確か神居さんとどこかに行ったよ」
「え...?」
隼人が神居と一緒にどこかに行った―――それだけでフェリルは猛烈に嫌な予感がした。
この『事実』がフェリルの本能の危険信号を発し続けていた。
「ッ...!」
「あ、嬢ちゃん!?どこにいくんだい!?」
フェリルは飛び出さずにいられなかった。何が出来るのかは分からない。それでも、と。
それは―――少女が初めて強く持った『本当の意志』。
それと同時刻。隼人は神居の『魂分割の権利』によって浮いた長椅子を見て、後ずさりをしているところだった。
その後ろには教会の扉がある。神居は扉は閉めても鍵をかけたような動作はしていない。
扉を閉めてまで隠蔽しようとしているのだから、外で騒ぎを起こそうなどとは思っていないだろうと結論付けて隼人は出来るだけ気づかれないように扉との距離を近づけていく。
「『行きなさい』」
だが、そんな簡単にいくわけもなく、神居が浮かせた四つの長椅子をけしかけた。
「ッチ、もうバレた...!」
隼人はすぐさま背を向けて長椅子よりも先に扉を開けようとする。
長椅子のスピードは自転車が急ぎ気味で突っ込んでくるような速度だが、大きさも重量も全然違う。
元々自転車でも正面から突っ込まれたら命の危険がある。長椅子なんか飛んで来たら九割ぐらいで死ぬだろう。もちろん一発だけの場合の話だが。
「クッソ、間に合わねぇ...!」
そして、割と隼人と神居の距離は離れていない。
隼人が扉に手をかけるよりも早く、長椅子が隼人に到達した。
長椅子が教会の床に激突し砕け散った。破片が飛び散り埃が舞う。毎朝掃除しているとはいえ、この教会は昼間多くの人が出入りしているので埃が多い。
「ふむ、あっけなかったですかね?」
あのままぶつかっていれば、良くてあばらが5、6本持っていかれ、悪くて『死』だ。その二択は避けられない。
当たっていればだが。
「(あ、あぶねー...あれまともに喰らったら重傷だって重傷!)」
隼人は咄嗟にすぐそばの浮いていない長椅子の下に隠れていた。
飛び散った破片が腕に刺さって、そこから微量ながら血が流れている。でも万が一物音が出たらと考えると破片を抜くことが出来ない。
「おや、やはり生きていますか」
「ッ!おいおい...冗談って言ってくれよ...」
しかしそんな地味な努力もむなしく、隼人が隠れていた長椅子が浮き上がり、神居に生存がバレる。いや、生存していると思ったから長椅子を浮かせたのかは知らないが。
「そのまま椅子の脚で踏みつぶしてあげましょう」
「んなもんごめんだっつのッ!!」
すぐさま起き上がって、地面を蹴ってその場を飛んで離れるのと、浮き上がった長椅子が急降下してきたのは同時。
わずかな差で長椅子が地面に激突する前に離れ切ることが出来た。
「む...その方向は...」
「へへ、気づいたかよ...『遅い』けどな」
隼人が回避し飛んで行ったのは、ちょうど扉のある方向だ。
すぐさま隼人は扉にタックルするかのようにぶつかりながら急いで扉を開けようとするが―――
「あ、開かねぇ?」
全く持って開かない。ビクともしない。
「確かにあのタイミングじゃ少し『遅かった』ですねぇ。だからこそ既に『準備』してあったのですが」
「ッ!!」
神居は扉を閉めるときに既に魂を扉に入れておいていた。だから鍵を閉めなかったのだ。
「さて、まだまだ椅子はありますからねぇ?どうぞ座っていってください。天の座する神のお傍に着くまでの間...!」
「クソ...反則だわ反則...」
減らず口を叩きながら、今も相変わらず作戦を練っている頭がある。隼人はそれを自覚しながら、いい加減頭を休めるぐらいの休暇が欲しいと嘆く。
隼人が思い描いたのは、この扉自体を破壊する作戦だ。
神居の長椅子は見た通り、結構な破壊力がある。これを寸前で避けて扉を破壊させる。単純だが、今の自分にはこれしかない。この教会の道具を使おうにも魂を入れられれば神居の支配下だ。武器は自動的に封じられる。
「喰らいなさい...!」
神居が再び長椅子を突進させてくる。隼人は紙一重で避けるために四肢に力を入れた。
だが―――
「え...?」
―――隼人は一瞬何が起こったか理解出来なかった。
ただ、隼人は後ろから背中を押されただけなのだ。
では―――誰に?
一瞬が経ち、隼人の脳は後ろを見ずに何が起こったのかようやく理解した。
『扉』がひとりでに動き、自分の背中を押した―――それだけだった。
既に扉は神居の魂が入っている。考えてみれば当然の結末だった。
背中を不意に押されて体勢が崩れた隼人に前方から迫る長椅子を避ける術はもうない―――
「あ、あぶないッ!?」
「はッ...!?」
―――はずだったのだが。隼人はまたも不意に体を引っ張られ、ギリギリ長椅子を回避した。
では―――誰に?
今度は一瞬経たずとも分かった。
「フェリル!?なんでここにいる!?」
それは宿屋にいるはずのフェリルだった。『なんでここにいるのか』と聞かれたフェリルは―――
「か、神居さんと一緒にどこかに行ったって聞いたから...それで...ていうか、何がどうなってるんですか!?」
―――説明するはするが、かなりテンパっている。その証拠に隠密魔法がかかっているはずの耳も尻尾も出てしまっている。
「そ、それはだな...」
「ふむ...意外な助っ人ですね...『マーナガルム』ですか...」
「あ?」
フェリルの疑問に対し、隼人が言い淀んでいると、その様子を見ていた神居がその耳と尻尾を見て呟いた。
「『マーナガルム』...つまりは人狼系の『亜人』ですね。隠密魔法で隠していたようですが...」
「...そうです。私の種族は『マーナガルム』...出来損ないだって言われましたけど...あ、ハヤトさん立てますか?」
フェリルが神居の言葉に同意しながら、隼人が立つのを促す。
「あ、あぁ...」
色々と状況が数秒の間に動いて、内心何が何やらの状態になっている隼人だったが、人の問いに返答できるぐらいは余裕があったようだ。フェリルの手に捕まりながら立ち上がる。
「どうやら私が扉で隼人さんの背中を押している間の、扉が開いている時に入ったようですね...そこまでして入ってくるとは中々の度胸をお持ちのようですが......『震えて』いますよ?大丈夫ですか?」
「ッ...」
見ればフェリルの足がガクガクと震えている。もう少し震えが強かったなら生まれたての小鹿とでも言えただろう程に。
「フェリル?...本当にどうしたんだよ...?」
確かにあんな攻撃を見たら普通怖がるものだが、フェリルの震えは尋常じゃない。必死に隠してはいるが、その眼も明らかに怯えを含んでいる。
「ふふ、隼人さん。無理からぬことなのですよ、彼女が私に対して恐怖心を抱くのは。この世界に『亜人狩り』という風習が存在するのは御存じないようですね?」
「は...?『亜人狩り』って...」
「文字通り、『魔女狩り』の『亜人』バージョンのようなものですよ」
神居がなんでもないように言った言葉に隼人は驚愕する。
『魔女狩り』。古代からあったとされる妖術などを使う人を強制的に裁いたり、迫害する風習。
つまり、彼女は迫害対象だ。だが、それと神居とは何の関係もない―――と思った隼人だったが―――
「私がこの町に『亜人狩り』を広めました」
「......そういうことかよ」
―――だが、神居が真実を話した瞬間、妙に納得した。
『亜人狩り』がどういったものなのか詳細は今の隼人には分からない。
だが、それで『神』への『信仰』が強まるのだろう。実際、『魔女狩り』の本質は、魔女がキリスト教の転覆を計っている、などという考えから行われたものだからだ。
そして、結果が得られるのなら、この神官は何でもするだろうと、隼人はこの短時間でそう思うまでに神居の事を知ってしまっていた。
「さて、フェリルさん...貴女は何故、隼人さんを助けようと思ったのですか?」
「何故...ですか」
「私のことを分かっていて、それでもなお何故隼人さんを助けたのです?」
フェリルは一瞬考えた。本当なら今は考える時ではないのかもしれないが、それでも彼女は考えた。
それは―――何か凄く大切なことかもしれないと思ったからで―――
「それは...」
―――隼人をチラッと見れば、隼人がなんだか複雑というか訳が分からなくて混乱しているような表情をしていた。そんな隼人を見ていたら、助けようとした理由なんてすぐに浮かんできて―――
「私は...ハヤトさんに助けてもらいました」
「ほう?」
「奴隷として生きていくことを受け入れてしまっていた私に...こうやって『今』と『未来』をくださいました」
―――本当に感謝の念を込めて、フェリルはゆっくりと言葉をつづっていく。それを神居と隼人は聞いている。さっきまであんなに殺気立っていたのに。
「たった数日の出会いです...まともに話したのなんて今日が初めてです...でも、それだけでハヤトさんは私の憧れになりました...こんな風になりたいと本気で思える初めての人だったんです...」
それは―――フェリルの中に二人とも『本当の意思』を見たから―――これを汚すことは―――『侮辱』することはしてはいけないと知っているから。
「でも...ハヤトさんはおっちょこちょいです。所々間抜けです...見て分かります」
「え、ちょ...いい流れだったのに、それ酷くない?」
「だから...!!」
フェリルは隼人の言葉をもかき消す大声で―――自分の震えをもかき消す鼓舞で―――宣言した。
「私が...ハヤトさんを支えます...!これが私の助けてくれた恩であり―――今、『私にしか』出来ないことです...!」
「......」
「それが...『理由』ですか」
「...はい」
その時、自然とフェリルの震えは止まっていた。
その様子を見た隼人は少しだけ微笑み、フェリルと一緒に並んで神居に対して構えた。
「ハヤトさん...?」
「全く...言ってくれるじゃねぇかフェリル。でも...『助かった』」
「...はい」
隼人は少しだけフェリルに『背中を預け』ながら、元の世界の事を思い出していた。
『お前といるのは疲れねぇし、嫌いじゃない』
そんな嬉しくもないことを言ってくれた友人。
『隼人君は日ごろの行いが悪いから、そうやってトラブルに遭うのよ...』
そんな説教じみたことを言ってくれた友人。
『この世界は意外と寛容だからね...きっと許されるよ。いや許してくれる人が見つかる』
こんな自分に未来をくれた『自分の憧れの人』。
そんな人が元の世界にいてくれたから―――今の自分がいる。それは分かっている。
「...フェリル、『余裕』で行け」
「『余裕』...ですか?」
今の自分は―――フェリルの中でそんな人たちのようになっているのだろうか?
隼人はそのことだけ、本気で気になった。
「あぁ、空元気でもいい。『余裕』でいることを続けろ。『プレッシャー』から『逃げろ』。それが危機の時、一瞬の考える時間を、一欠片の動く体力を残してくれる」
「わ、分かりました...!」
「...アドバイスは終わりましたか?」
そして、ようやく神居が再び動き出す。
「あぁ、終わったよ。来い」
教会の全ての長椅子が浮き―――まるで殺意を持っているかのような圧迫感を放ってくる。
「フェリル...『頼むぞ』」
「はい...『任せて』ください」
それでも、今の二人には―――押し返すまでもない微小なものだったが。