第九話『...やっぱり逃げていいですか』
傷を治してもらった隼人だったが、どうにも神居への不信感がぬぐい切れない。
自分をこの世界に連れてきたキドエルと同じ雰囲気。
「それで、貴方たちのお名前もお伺いしたいのですが」
「あ、えっと...私はフェリルといいます...」
慌てて名乗るフェリル。そして今度は隼人に向かって神居は隼人の方を向いて笑みを浮かべる。
この男に名を名乗ることを本能は拒否していたが、このまま名乗らないわけにもいかず、仕方なく口を開く。
「...静海隼人だ」
「フェリルさんに隼人さんですか。どうやらアルカードには初めて来たようですが、どうかこの町を堪能していってください」
神居は隼人の名を聞くと更に笑みを深めてそんなことを言った。観光者に向けたテンプレートのような言葉。隼人にはそこに全く『意志』を感じなかった。全く別の事を考えているかのように。
しかし、そのテンプレートのような言葉を聞き、隼人の中に決して無視してはならない問題が浮上した。
「...金、無い」
「...はい?」
「あ...」
今までの数日間を盗賊に捕まって、地味に食事を貰ったりしてたため全く危機感を覚えていなかったが、今の隼人は無一文である。
早いところバイトでも探して金を稼がないと本当に死んでしまう。フェリルも今分かったとばかりに冷や汗を出していた。
「ご、ごめんなさい...ハヤトさんの傷を治さないとって...お金のこと忘れてました...」
「いや、お前のせいじゃねぇし...」
どうやらフェリルは何かと隼人に負い目を感じているらしい。そんな涙目のフェリルを隼人がなだめていると、神居が口をはさんでくる。
「ふむ、無一文ですか...隼人さん、フェリルさん、今日は私に任せてもらえませんか?」
「は...?」
隼人とフェリルは内心疑問符だらけだったが、何か出来るわけでもないのでついていくことにするのだった。
その日の夜。隼人は神居がとってくれた宿のベッドに寝転がって、ぼんやりと天井を見上げていた。当然フェリルとは別室だ。
「あいつ、本当に何がしたいんだ...?」
隼人にとってはありがたいことこの上ないが、どうにも神居の意図が分からない。
というか色々と無視していたが神居は言っていた。
『五番目の勇者』と。
「...色々と整理してかないと重要なことを忘れそうだな」
というわけで隼人は現状で考えられる要素をまとめていく。
「まず『異世界から来た七人の勇者が魔王を滅ぼす』...だっけ?細かい言い回しは覚えてないけど。そんでその内の二人は俺とあの神官...」
つまり、最初から感づいてはいたが神居も元の世界からこの世界へやってきた『転生人』ということだ。そして神居もこちらがそうだと見抜いただろう。
「俺としては魔王ってのが気になるんだが、つまりはあれだよな...初日に遭ったトラの怪物のボスってことでいいんだよな...?」
そう言ってはみるものの、『魔王』なんていうのは伝承や神話でいくらでも変わる。ここが本当にテンプレ異世界であっても、固定概念は捨てるべきだろうと考える。
「そんで、『魔王』を倒すために『天使』が『勇者』を呼ぶ...全くもって腹立たしいな...自分らでやれっての」
身もふたもないことを言いながら、『魔法』以外で整理すべきはこれぐらいだろうか、と区切りをつける。
「...こんなにのんびりしてんのも久しぶりな気がする」
今まで少しハイテンションだったり、有無を言わさず捕まったりしたからだろうか。こうやって冷静に考えて、本当に前の世界じゃないんだと、今更認識させられる。
もちろん、今まで怪物だったり盗賊だったり猫耳少女だったり冒険者だったりを見てきて、異世界だということは十分に認知していた。
そうじゃなく、前の世界と同じようにベッドに寝ころんだ時に、急に違いが分かった気がしたのだ。体に染みついた前の世界の『見えない情報』。慣れというものが、これは前と違うという違和感を覚えさせてくる。
「前の世界でも時間進んでんのかな...」
父も母も友人も、何もかもを置いてこんな所に来てしまった。隼人は知っている。こんな自分を心配してくれる人が前の世界に割とたくさんいることを。
「帰りてぇな...」
これが隼人の本音だ。この世界がもし自分の理想郷であったとしても、そう思っただろう。
この世界はテンプレ異世界だ。この世界は厳しく、上と下に明らかな差がある。もしなんとかして成り上がりでもすれば最高の暮らしが出来るのだろう。
だが隼人が望むのはそうではない。何故なら隼人は恐ろしく怠惰だ。そこまでの高望みをする気も資格もない。
それに元の世界に小さな幸せがあることを知っている。あの世界は―――ある意味寛容なのだ。善いことも悪いことも。上も下も。隼人はそれを知っている。
「......」
数十分はそんなことを考えながらぼーっとしていただろうか、このまま寝てしまおうと隼人が目をつぶった時だった。
「隼人さん。お邪魔しますよ」
「...何しに来た」
入ってきたのは、今の所意図がさっぱりな神居だった。
隼人はめんどくさいとばかりに覇気が全く感じられない声音で用件を尋ねた。
「少し聞いてもらいたい話がありましてね...少しお付き合いしていただけませんか?」
「...いいだろう」
隼人には正直嫌な予感しかしなかったが、何をすればいいのか分からない現状で少しでも情報を仕入れておきたかったため了承した。
断って『逃げても』めんどくさいことになりそうだった、というのもあるらしいが。
隼人は神居について歩く。夜の街は昼と違い全く人がいない。
明かりがついている家もあるにはあるが、それはごく一部で、大半はすでに寝ているのだろう。
今の時間帯は元の世界だったら、まだ外に出ている人もいるだろう。電気が無い時代というのはこんなものなのか、と隼人は付いて行ってる間何もやることが無いので考えていた。
「ふふ、新鮮ですか?異世界の夜は」
「...そうだな。つーか本当に何が目的だ」
「聞いてもらいたい話があると言ったでしょう?本当にそれだけです、それ以上でもそれ以下でもありません」
神居はそう言うが、全く表情が変わらない顔を見ていると、それがポーカーフェイスで、やっぱり何か隠しているのでは?という疑問が生まれてくる。
「...やっぱり『逃げて』いいですか」
「ダメです」
そんな不気味な奴の話など本当は聞きたくない隼人の命乞いを神居はばっさりと切り捨てる。
そんなやり取りをしていると、神居は教会の前で止まった。
「ここです、どうぞお入りください」
「......」
隼人は元の世界の教会に一回だけ入ったことがあった。
この教会も前見た教会とあまり変わらず、木の長椅子がずらりと並べられ、奥には大きな天使の像があり、本物の天使が鎮座しているかのようだった。
神居は隼人が入ったのを見ると、教会の扉を閉めた。
「...何の真似だ」
「いえ、ただの戸締りアンド部外者に聞こえないようにするため、ですよ」
「さっさと本題に移れ」
隼人はいつの間にかイライラしていた。おそらく神居の態度が無意識のうちに気に入らないのだろう。
そんな様子の隼人を見て、神居はやれやれと言った感じで『本題』を話し始めるのだった。
「では隼人さん...私が崇拝せし『神』のために『生きる』か...『神』のために『死ぬ』か、選んでください」
「...は?」
それは神居だけでなく、『勇者』としての『在り方』の『本題』でもあった。