第12話 VS.Giga Ant
随分と遅くなってしまいました。
小説を少し書き直します。
内容が直接的に変わるわけではございませんが、ご了承ください。
「――大変です。これを見て下さい!」
白衣を着た男が不意に声を発した。
呼び掛けに反応したもう一人の白衣を着た男性が、男の方へと首を回す。
「どうした!? 何かあったのか?」
「見て下さい、水槽内の二酸化炭素濃度が急激に減少しています」
「・・・・・・本当だ。確かに、水槽内の二酸化炭素濃度が0.05パーセントを下回っている」
二人は、驚きに満ちた顔を浮かべていたが、しばらくすると、その顔からは笑顔が浮かび上がる。
「やった、やったぞ! 実験は成功したんだ」
「だが、まだこの後の結果がどうなるか分からない。慎重に24時間体制で観察を続けていこう」
その言葉に、男は頷く。
確かに、まだ実験が完全に成功したと決め付けるのは良くない。実験をこのまま続けるというのは、賛成だった。
しかし、一度点いた喜びの炎はそう簡単に収まってはくれず、男はまだ笑顔のままだ。
「この研究が完成すれば、私達は英雄ですね!」
「そう都合良くいくとも思わないが、お前の言う通り、こいつが完成すれば、多くの命が救える事は確かだ」
男性は男に向かい、ニヤリと笑みを向ける。
「それにしても、やはり凄いですね。まさか、その場に生息しているだけで大気中の毒素を中和し、正常な空気に変える事ができるだなんて・・・・・・」
男は改めて、自らの行っている研究に感心する。
「A.Cが見つかってからもう2年・・・・・・ですか」
「ああ、そうだ。現段階ではまだ、空気中の二酸化炭素濃度を生物が生きられる正常値に戻すのが限界だが、こいつらを更に進化させ、様々な汚染物質をも浄化する事ができるようにする。やがては、こいつらと同様、他の生物にA.Cを注入し、同じ能力を持った生物を誕生させる――それさえも成功すれば、地球上の至る所にこいつらを生息させ、温暖化も食い止めることが可能だ」
男性は、自分の目の前の机に置いてある、小さな水槽を見つめた。
水槽の中には、細かな砂が底に敷かれており、砂の上では、数匹の小さな生物が蠢いている。
男性は水槽に触れると、希望の宿った目で呟いた――
「頑張ってくれよ・・・・・・【救済の蟻】」
☆☆☆
鋭い牙と硬質な皮膚を持ち、その赤い眼光は獲物を瞬時に凍らせる。
それはある時、とある事件をきっかけに突如として現れた。
奴らにとって、ある事件によってすっかり変わってしまった世界はまさに、楽園だったといえるだろう。
奴らは増えた。
繁殖を続け、目の前の現状に何もできなくなった人々を――獲物を、本能に従って喰らい続けた。
――そして今、目の前で、新たなる被害者が捕食されていた。
「ひぃぎゃぁぁああああああああああああ!?」
一人の男性――櫻井――は、右肩を抑え、その場に尻をついて倒れ込むとバタバタともがき出す。
どうやら必死に逃げようとしているらしいが、足元の大量の砂に足を取られて、なかなか動く事ができない。虚しく、砂煙が上がるだけだ――仮に逃げ切れたとしても、右肩からあれだけ出血していれば、どのみちもう助からないだろうが。
櫻井の右腕は、既に存在していなかった。
まるで喰い千切られたの如く、右腕は姿を消している。
いや、実際に喰い千切られていた。それも一口で。
誰がこうなる事を予測できただろうか。
運命の悪戯だというならば、人々は神をさぞかし恨んだ事だろう。
世界の滅亡と共に現れた人喰い生物。
――【人喰い蟻】を。
「・・・・・・ひっ、やめ、助けて――」
【グギャァアアアアア!】
人喰い蟻は、一鳴きすると、砂上を這いずる櫻井の腹に喰らい付く。
「あ・・・・・・ぁがああああああ!」
想像を絶する痛みの荒波が櫻井を襲い、血しぶきが上がる。
『ありゃあ、人喰い蟻のメスだな。それもかなりデケぇ』
特に焦る様子もなく冷静に、ブレインは目の前の人喰い蟻の性別を説明する。
『ま、人喰い蟻の性別なんざ、一目見りゃ知識が無くても一目で分かるだろうよ』
人喰い蟻の性別。
それを見極める事は確かに容易い。人喰い蟻の性別を見分ける最大の特徴は、その大きさだ。
人喰い蟻のオスの体長は、大体が約1メートルから1.2メートル。そして現在、櫻井を襲っている人喰い蟻――ブレインが述べた通りのメス――の体長は、大体が約2メートルから3メートルなのだ。
コンテナから現れた人喰い蟻の大きさは、明らかにオスの大きさを超えている。だが、3メートルなんて軽い話ではない。
この人喰い蟻は、どう見ても、通常の人喰い蟻のメスの体長を遥かに超えていた。ざっと見ても、殆どコンテナと同じ、5メートル近かった。
「た・・・・・・たすけ・・・・・・おねが――」
残った方の左手で、ハートに桜井は救いの手を伸ばそうとするが、その手を伸ばす先には――
【・・・・・・グルルルルルル】
いつの間にか、獲物に向けて唾液を垂らす、人喰い蟻のオスの姿があった。
「あ・・・・・・」
絶望的な目をした櫻井から、間抜けな声が漏れた。
【グルオァアアアアアアア!】
人食い蟻のオスは、自ら奴のエサとなる手を差し出した櫻井に、遠慮する事なく、牙を立てた。
「ぎゃああああああああああああああ!」
腕が千切られ、引き裂かれ、また血しぶきが飛ぶ。
やがて、どこからやって来たのか、大量の人喰い蟻がワラワラと――櫻井にへと群がりだす。
「やめ・・・・・・お願い助けて! 謝る! 謝りますから! おネがイ・・・・・・ケて、たすけてくりゃさい! イやだ! こんなところで・・・・・・死にたくない! いだい、いだいよぉお! あ、ああああああ――」
抵抗を見せていた櫻井の声も、時間が経つにつれてだんだん小さくなり、ついには聞こえなくなってしまった。
【グルルルルルル】
櫻井を喰べ終えた人喰い蟻たちは、赤黒く染まった口元から唸り声を発しながら、ハートにへと光る眼光を向ける。
『・・・・・へっ、今度はテメェがエサになる番か。短い間だったが、世話になったな』
「勝手に人を殺すな。まだ六十年は生きる」
『具体的な数字を言うんじゃねえよ・・・・・・』
そうこうしている間に、人喰い蟻たちはハートたちを囲い込む。
人喰い蟻達がどこからやって来たのか――なんて言い方をしたが、その答えは考えるまでもなく分かる。
先程、櫻井の所属している組織――【女神の天秤】の連中がヘリコプター――既に飛び去ってしまったが――に乗せて運んで来た、3台のコンテナ。あのコンテナの中に、人喰い蟻を閉じ込めておいたのだ。一台にはメス、残りの荷台にはそれぞれオスを。
おそらく、現場の状況から考えるに、櫻井は既に用済みだったのだろう。だから殺せた。
ならば何故、組織が櫻井に向けて、あんな命令を出したのかは不明だったが、今はそんな事、関係ない。
組織の連中は、動機がどうであれ、どちらにせよこのキャンプ場にいる、生き残り達を全員殺すつもりだ。
【ギ・・・・・・ギャアアァァァ!】
一匹の人喰い蟻が叫び声をあげると同時に、一斉に数十匹にも及ぶ人喰い蟻が、ハートに飛び掛かる。
流石に不利か・・・・・・。
ハートが銃を再び構え直そうとしたその時――
「兄ちゃん、目瞑って伏せろ!」
その言葉に反応したハートは、言われた通り、咄嗟に目を閉じ、その身を砂の上へ伏せた。
ハートが伏せるが早いか、突然、夜の闇は嘘だったかのように、夜空は昼間へと化したかと思えば、同時に大きな爆発音が鳴り響く。
【ピギャアアアァァァ!?】
閃光手榴弾を投げたのだろう。光と音に驚いた人喰い蟻達は、甲高い声で一斉に鳴くと、気を失ったのか、その場にズシリと鈍い音を立てて倒れ込んだ。
「兄ちゃん、大丈夫か!?」
ハートの元へ駆け寄って来たのは、エリックだ。その後ろには、アンガーやダリアに、ここの警備をしていた兵士達が、後に続いていた。皆、それぞれがハンドガンやサブマシンガンなどを手に持ち、武装している。
『おいおい、こりゃまた随分とおせぇ御到着だな。DVDなら、延滞料金がバカにならねぇぜ?』
「堪忍してくれ、兵士達を集めて、皆を避難させるのに手間取っちまったんだ」
そう言いながら、次にエリックは、背後のアンガーとダリアに目で合図を取り合うと、ハートに「櫻井は?」と訊ねる。
「・・・・・・」
ハートはそれに応えず、ある一点の場所に視線を向けた。
その場所には、最早形になるものは何も無かった。唯一残っていた物といえば、その場に残酷な光景があった事を語る、赤の染み込んだ砂地と、細切れになったワイシャツの残骸が落ちているだけだ。
その光景を見て、彼らは何も言わないし、チラリと一度見ただけだ。もしかすれば、兵士達の中に、気分を害した人もいるのかもしれない。しかし、そんな事にわざわざ構っている彼らではない。
彼らは、一度味わっているのだから。仲間や友や罪の無い人達が次々と死んでいく悲しみを。
彼らは、二度とそんな感情を味わいたくなかった。これ以上、犠牲者を出さないため、目の前の砂地に横たわる奴ら――人喰い蟻に銃口を向ける。
「アンガーさん、御指示を!」
兵士の一人が準備が完了した事を告げる。
アンガーは兵士の言葉に一度頷くと、右手を上から下へと振り落とした。
「・・・・・・全員、撃てぇえ!」
☆☆☆
アンガーの号令と同時に、兵士達は気を失う人喰い蟻に一斉射撃を放つ。
多数の銃声が鳴り響き、放たれた銃弾が砂地に着弾する事によって、砂が大きく宙を舞い、人喰い蟻の姿が舞い上がった砂に包まれる。
「・・・・・・」
アンガーの合図により、兵士達の銃を撃つ手は止まるものの、緊張の糸を緩めはしない。皆、砂煙が消え、視界が晴れるのを待つ。
どれだけ時間が経過したのか、やがて晴れた視界の先――砂地には紫色の血をドクドクと流した人喰い蟻の死骸が転がっていた。
その光景を目にした瞬間、兵士達は安堵の息を漏らすが、それも一時だけだ。
「おい、あのデカい奴はどうした!?」
見れば、人喰い蟻のメスの死骸だけが、どこを探してもいない。兵士達の顔から、不安の色が漏れ始める。
「全員、警戒を怠るな!」
だが、アンガーの新たな命令により、兵士達はハッとすると、すぐに周囲への警戒態勢に入る。
夜の砂漠に、寂しい静寂が訪れる。
次の静寂だけは、前の静寂とは違う。
嫌な静けさだ。
悲痛の叫びと、化け物の叫び。
いずれも耳障りな物で、大きな恐怖を与えたものだが、この静寂は、またその恐怖とは違う――ねっとりと肌に吸い付き、徐々に浸透していくかのような恐怖だ。
『なあ、ハート。人喰い蟻共が他の蟻達と違って、どうして社会性昆虫じゃないか、知ってるか?』
沈黙にお喋りなブレインは耐えかねたのか、ハートに話題を振ってきたが、ハートはおろか、この場にいる全員は、ブレインの発言に聞き返す事はない。しかし、ブレインは返答など最初から期待などしていなかったらしく、勝手に話し始める。
『ま、ぶっちゃけた話。こいつら放っといたら共食いどころか、自分達の卵まで喰っちまうんだわ。こいつらに存在するのは、性欲と食欲だけだからな。巣でも作って、密集した部屋ン中で流血でもしてくれりゃあ、フェロモンの臭いが籠って共食い祭りなんだが、土壇場で成長しやがったからな~こいつ。ンで、蟻共は取り敢えず、雄は雄、雌は雌に分かれて繁殖期の共食い合戦が始まるまで、土の中に潜って幸せに暮らしましたとさ、めでたしめでたし』
喋り終えたブレインは『どうだった?』と、周囲の反応を見る。
兵士達の顔からは、つうと冷たい汗が流れている。
「おい待て・・・・・・土の中だと」
『正確には砂の中だけどな。え、てか今更そこで焦んのかよ。てっきりテメェら全員気付いてんのかと思って――つか気付くだろ普通。それ以外にどうやったらンな場所で姿消せんだよ。最近の光学迷彩スゲェなぁおい』
「ちなみに今、どの辺りにいるか分かるか?」
アンガーは、恐る恐るブレインに訊ねる。
『真下』
「・・・・・・! 全員、たい――」
「うあああああああああああああああ!?」
アンガーが指示を出そうとした瞬間、悲鳴が聞こえた。
その方向に急いで目を向けたが、そこには誰もおらず、代わりにその場に初めからあったのか、一丁のサブマシンガンが静かに砂の上に落ちていた。
ごくりと、アンガーは生唾を飲み込んだ。
やがて――
「た・・・・・・退避ぃい!」
その言葉を言うが早いか、兵士達は一目散に走り出した。
逃げ惑う兵士達の中には、叫び出しながら逃げる者や、聖書の言葉を口にしながら逃げる者、足が縺れ砂の上に転がる者もおり、そういった騒がしく音を立てる人間から順に、突如砂がぼっと音を立てて立ち上ったかと思えば、二つの赤く光る双眼によって引きずり込まれていった。
「おい、兄ちゃん! とっとと逃げないと、兄ちゃんも死んじまうぞ!」
まだその場から一歩も動いていなかったハートに対して、エリックが振り返って叫ぶ。
『へっ、逃げる? こいつが? おいおい、こんなザコにオレサマ達が負けるとでも思ってるのかよ?』
いつも通りの強気な態度を取るブレインと、こんな状況でも冷静な表情を浮かべ、ハンドガンを腰から引き抜くハート。
エリックは、ここである事を思い出した。ハートとブレインがここに来て、アンガーから尋問を受けた時の事だ。
彼らは――ハートはここに来るまでの間、人喰い蟻達を全部、殺しているのだ。その銃と腕で。
彼らなら、もしかしたらやってくれるのかもしれない。
子供にこんな化け物と戦わせるのは不服だったが、不思議と、彼らから漏れるどこか余裕のようなものに、エリックは頼っても良いと感じる。
銃を引き抜いたハートは、ここでゆっくりと一歩、前に踏み出す。
砂地に新たに足を置くと、ゆっくりと砂の中に足が沈み込む。
『ンじゃま、始めようぜ』