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1章 氷河期

挿絵(By みてみん)


 むしろ痛い。

 寒さが身にしみて寒いというより痛い。

 そう思うことに慣れてから、どのくらいの間視界は白いままだろうか。いや

慣れる前から視界は白いままであったか。

 雪の上を進むことはかなりの体力を使う。出来れば体験したいことではなかったが、それも仕方のないことか。少なくとも、足は限界に近い。雪に埋もれたまま、大した防寒もせず長時間移動を続けているので、当然と言えば当然なのだろうが。

 はるばる極東の地までやって来たのだが、探し求めるものはまだ見つかっていない。その上、ここまで乗ってきたモービルも大破してしまった。

 まさにお先真っ暗。死がすぐそこまで近づいてきていた。

 久しくまともな食事にありつけていないせいか、頭に浮かぶことは食べ物のことばかりだった。

 最後の晩餐ばんさんはカレーがいい、と誰に聞かれてもそう答えた。このままだと最後の晩餐はカレーではなく、骨にこびりついた何の動物かもわからない肉になりそうだ。そうならないよう、この白い雪原を歩いているわけだが・・・

 とにかく、カレーを食べるまで死ぬつもりはない。できればシーフードが入っていれば最高。スパイスの効いたルーに程よく炒められた野菜。あふれる肉汁と魚介の旨味の絶妙なバランス。

 そんな益体やくたいもないことを思い浮かべながら、歩く。時折、無意味に走る。体力が無駄に減るのを感じ走るのはやめて、歩く。

 こんなことにしてくれた神と太陽と自分の愚かさを呪い、カレーを目指して、ひたすら歩く。




「こんな何もないところ、来たって意味あるの?」

 不機嫌さを隠さないサエナの声に、より不機嫌な声が返る。

「意味なんてねえよ。仕事に意味を求めるなよ、それが仕事だ」

「これが仕事?モービルの試運転の間違いじゃないの?ベルも大人になったってことかしら」

 サエナの皮肉に顔をしかめつつ、ベルは答える。

「その通り。実際、これで金がもらえる。飯が食える。これを仕事と言わず、なんと呼ぶ。働かないやつは、大人じゃねえよ」

 自信満々に持論を披露し、満足したのかまだ熱いコーヒーをあおる。

「私に対する皮肉のつもり?私だってちゃんと働いているのだから、大人よね?」

 不機嫌さをいっそう強め、ベルに詰め寄る。

 その様子がおかしかったのか、ベルは鼻で笑って答えた。

「はっ、稼いだ金を使わずに親におまんま食わせてもらってるやつのどこが大人なんだか。げ句、行きもしねえ旅に出るなんぞ言ってやがる」

「旅にはいずれ出るつもりよ。こんなところに居たって、意味もない試運転をし続けるゾンビになるのは、目に見えているもの」

 サエナの心底バカにしたような口調に、ベルは呆れてしまった。

「その意味のない試運転のおかげで飯が食えてるんだ。それに何の文句がある。旅に出たってお前のことだ、食いもん無くなってピーピー泣いて戻って来るに違いない」

 風が強くなってきたが、さすがは旧世紀の外套がいとう。冷気を全く感じさせない最高の防寒性だ。雪も降っておらず、絶好のパトロール日和と言えた。

「言ってなさい。私はあなたが一生見ないでしょう、この世界のありとあらゆるものを、見て、聴いて、触れて、感じて、世界の全てを調べ尽くしてあげるわ」

「はっ、言ってろ」

 おしゃべりに飽きたのか、ベルはどこまでも白い世界に目を落とした。

 サエナもすっかりぬるくなってしまったコーヒーを少し飲み、ぼんやりと雪の地平線を眺めながらベルに言われた言葉を思い返していた。

 サエナの夢は、旅に出ること。

 この白一色になってしまった世界に別れを告げ、彩りあふれる非日常の世界へと旅立つことだけが、この人生に意味を見いだすことのできる唯一の方法だと、サエナは信じている。

 昔は、世界は様々な色にあふれていて、そこらじゅうに人間があふれかえっていた。その話を聞いたとき、心を激しく揺さぶられた。

 街のおじいさんから聞かされた、旧世紀の話はどれもキラキラ輝いていて、少女が夢を見るには十分であった。

 そしてその夢は、少女にいつか旅に出たいと思わせるようになっていた。

 その為の軍資金を集めることが、今の彼女が全身全霊をかけていること。彼女の行動原理であった。

 朝からモービルにまたがり、昼からは家の仕事を手伝い、夜は寝るまで本を読み、生き延びる為の知識をつける。

 全て、いずれ出る旅の為。目的の為ならば手段は選ばないと、ここまで死に物狂いで金を集め、知識を詰め込んできた。

 あとは旅立つ勇気。それさえあればすぐにでも、こんな雪原のような彩りも感じられない生活を飛び出し、刺激と未知にあふれる非日常へと足を踏み入れるつもりだった。

 しかし、自分にはそんな勇気なんてないと、薄っすらと分かっている。このままゾンビの様に思考を放棄し、変わりばえのない日常を過ごし続けることを想像することは簡単だった。

「さて、そろそろ時間だ。街に帰るとするか。温かいポタージュが俺を待っている〜♪」

「あなたはホントにポタージュが好きね・・・毎日飲んで飽きないのかしら・・・」

 さっきの不機嫌から一転、上機嫌になったベルと、さらに不機嫌そうなサエナ。

「バーカ、ポタージュは飽きる飽きないの問題じゃねえよ。こう、寒い日には絶対飲まないとダメって決まってるんだよ」

「誰に聞いた知識なの?ジェイドさんあたり?」

 そんなことは初めて知ったので、サエナの知識欲が働く。

「ふふん、オ、レ、さ」

「真面目に聞いて損したわ・・・」

 サエナ達はもと来た道を引き返すよう、ハンドルを豪快にきった。

 そのとき、サエナの視界に白以外の色が目に飛び込んできた。

「ベル!あそこ何か見えなかった?」

「ああん?鹿か何かか?死んでるみたいだな・・・・・取ってくりゃあ旨え肉にありつけるな!出来した、サエナ!」

 そう言って、雪原に浮かぶ黒い何かにモービルを走らせる。他に何もない雪原に、モービルのモーター音がやたらと大きく聞こえる。

 みるみる大きくなるそれは、鹿にしては少し小さいか?それに黒過ぎる気がする。何か良からぬもののような気もするが、ベルはためらうことなくモービルを飛ばす。

 やがてソレが何かはっきりわかる距離まで近づいて、今日の仕事はモービルの試運転ではないと思い出した。

「ねえ、あれって・・・」

「ああ、間違いねえ。人だ・・・」




 温かい。さっきまでの寒さがうそのようだ。

 そうか、これが天国ってやつか。

いつか母さんが言ってたっけ。天国は一日中まぶしいくらいの日の光が降り注ぎ、ずっと暖かいのだと。

 子どもだった俺は、どこにそんなところがあるのか母さんに聞き、困らせてしまった。

 今は分かる。天国とは死人が行く世界なんだと。

 俺は死んだのか。

 目的を果たせず、文字通り無駄死に。

 大層な目標を掲げ、大見得おおみえを切って家を出て、当てもなく彷徨い(さまよい)、そして死んだ。

 だが悔いはない。あるとしたらばカレーを食べていないことだ。

 ああ、カレーが無性に食いたい。余計な未練ができてしまった。天国にはカレーがあるのだろうか。

 死んだ癖に腹は減るらしく、ぐうとおなかが鳴った。

「よければ食べる?」

そう言って差し出されたのは乾パン。旧世紀の食べ物は高級品だが、腹は減っているのでなんでも食べたい。あのボソボソしたのはあまり好きではないが、遠慮なくいただく。

 口の中がパサパサしたところを、これまた差し出されたコーヒーで流しこみ、苦味で少し目が覚める。

 程よくおなかが膨れ、絶え間ない振動に今度は眠気が襲う。

 意識を飛ばしてしまう寸前で、違和感に気付く。

 少し、いやかなり寒い。天国ってのはずっと暖かいんじゃなかったのか?

 数年ぶりに気づかされた母さんのうそに驚きながら、やけに柔らかい、しがみついている謎のものをしっかりと抱き寄せる。

 そのとき、右手になにやら気持ちのいい感触が伝わる。そこだけ特別柔らかく、片手にちょうど収まりつかまりやすい。

「ちょっ!?どこを触ってるの!?」

 声。衝撃。浮遊感。少し間があき、再び衝撃。激痛が全身を襲う。

 あ、これ死んだな。いや、もう死んでるんだっけ?天国でも痛みって感じるものか?痛みも何もない、もっと楽なところを想像していた。

 天国ってあんまりいいもんでもないな。新たな天国の知識を手に入れ、目を開ける。

 そこは、もう見飽きた銀世界であった。雪に埋もれた全身は、落下の衝撃による激痛と身をさすような寒さを訴えていた。

「天国も白以外の色はないんだな。あれか、天国の太陽もおやすみの時間なのか」

「何バカなこと言ってるのかしら?頭を強く打っておかしくなったのかしら?ゴメンなさいね」

 そう言いながらモービルの上から偉そうな声が聞こえる。

「天国はモービルに乗った偉そうな天使がお迎えにきてくださるのか。これも新しい発見だな、天使さん?」

 少女は驚いたような怒ったような顔でこちらをにらみつけている。

「はあ・・・天使じゃないわ・・私はサエナ。あなたは?」

「ん?チアキ・・・だけど」

「そ、チアキ。次やったらぶっ殺すから。早く乗って、日が暮れるわ」

 そう言って手を差し伸べるサエナの手をつかんだとき、まだ生きてるんだと否応無く実感した。

「なあ、ひとつ聞きたいんだか」

「なに?」

チアキは真剣な表情で、サエナは不機嫌な表情で言葉を交わす。

「お前、天使にしては小さ・・・」

「死になさい」

 ゴスッ。

 チアキは意識を手放した。

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