ダンジョンの光はいまは遠く
緑鮮やかな庭園の東屋で、片目を眼帯で隠した銀髪の少女が目を閉じて横たわっている。呼吸は浅く、穏やかな表情はただ眠っているように見えた。
少女の傍らで屈み込んでいるのは、同じ色の髪を持ったひとりの老人だった。少女の頭を軽く撫で、その名を小さく呟いて、老人は立ち上がる。
左手を前に差し出すと、その上に浮かぶ一冊の分厚い本がひとりでに開き、ページが捲れていく。やがて、目当ての文章に辿り着いて、老人は少しの間だけ瞑目した。
天頂に輝く緑色の星から、東屋へと光が降り注ぐ。光の中で、少女の姿は少しずつ薄れていく。それと同時に、星の光も弱くなっていった。
銀髪の少女と緑の星が揃って消えたのを見届けて、老人は東屋を出た。右手の杖に光を灯し、今なお戦いが続いている塔の方へと視線を向ける。
竜たちとの戦いは、一方的なものになりつつあった。爆炎と共に外壁の一部が崩れていくのを見て、老人は振り返ることなく、戦場へと戻っていった。
◇
僕はゆっくりと息を吐きながら、左目を閉じ、右目を開いた。目の前には、僕の様子を覗うベリルの姿がある。今と服装は違うけれど、左目で見た少女は彼女本人なのだろう。
「……見えたのじゃな?」
「うん。千年前、君とエルネはこの東屋にいた」
《過去視》。「確定している過去」を見ることができる魔法は、《先見の片眼鏡》と《逆転の懐中時計》の組み合わせで発動する。神経衰弱以外で役立ちそうもなかった魔法だけれど、新しく使えるようになった《性能強化》と他の装飾品も併用して、少しばかり無茶をすれば、千年前だって見通すことができるのだった。
「優しそうなお爺さんだった」
「いやいや、そうでもなかったぞ?」
ニンジン食べろとかセロリ食べろとかいろいろ煩かったしの、とぶつぶつ呟いているベリルはそっとしておいて、僕は東屋から外に出た。
右目を閉じて、左目で千年前を見る。崩れた塔の周囲を飛び回っている《星喰い》の群れの中に、ひときわ大きい個体が存在を主張していた。
「下級竜、じゃないよなあ……」
どう戦ったものか、見当もつかない相手がいる。そいつは今もこの世界のどこかで生きていて、いつか対峙する日が来るんじゃないかという予感がある。
「おーい! トト、客が来てるぞ」
遠くから、ナラカの声が聞こえてきた。《氏族》シャンバラの特使としてやってきた彼女は、《七色鉱山》へと帰還する猪突猛進號には乗らず、ひとりウツロの街に居残っている。
「カナンとかいう商人だが、どうする!」
「すぐ行くから、待っててもらって!」
大声で叫び返して、僕は《片眼鏡》を外した。
《星天》まで届く塔を建てるには、いろいろと足りないものがある。基礎から作り直すのに大量のマナが必要だし、マナを集めるのにずっとひとりでは心もとないから、《氏族》アガルタに加わってくれるダンジョンマスターを探さないといけない。
そして、僕たちが最優先に考えているのは街の復興だ。大量に必要な資材の中には、僕の《秘本》で作成できないものも多い。そんなわけで、山羊人の行商人の来訪は、幸先のいい報せだった。
「ベリル、ちょっと行ってくるね」
「うむ。わっちは、塔の様子を見てくるとするかの」
こちらを見ることなく、ベリルは東屋の反対側から出ていった。揺れる銀髪を見送りながら、しばらくの間、ひとりにしておいた方がいいかもしれない、なんて余計なお世話を思案する。
「トト! まだか!」
振り向くと、しびれを切らして庭園へと入ってくる鬼人の姿があった。思わず、耳がまっすぐに立ってしまった。
◇
星へと至る道は未だ遠く、未来を見通すことはできないけれど、僕たちはもう歩き始めている。




