ダンジョンを継ぐもの
そうじゃ、とベリルが手を打ったのは、ウツロの街へと歩き始めてからしばらく経った頃だった。
カロッテの肩の上で銀色の髪を揺らす少女を見上げて、言葉の続きを待つ。
「シバにでも救援を要請したらどうじゃ。あやつなら、なんとか運搬艇の都合もつけられるのではないか?」
「あー、なるほど」
《黄金都市》の辺りからは、高速艇を飛ばしても十数日はかかる距離のはずだし、僕たちの居場所が分かるのかという疑問もあるけれど、《伝文》で送る分には問題ない。
「《七色鉱山》の奪還で忙しそうだったけど、聞いてみるかな」
《保管庫》から《対話の代貨》を取り出して、魔力を流し込む。
【行使者 [Shiva] を呼び出しています。 ──接続しました。】
目の前に幻像が現れる。片手で眉間を抑え、揉み解していたシバ様は、大きく息を吐いてから僕の方を見た。
『聞きたいことがありすぎてな、正直まとまってねえんだが』
とりあえず要件を聞こうか、とシバ様は僕に話を振った。
「ええと、ついさっき運搬艇が壊れて、移動手段が無くなっちゃってですね。なんとかならないものかと……」
低い唸り声に、僕の言葉は尻すぼみになる。狗頭をぼりぼりと掻きながら、シバ様が口を開いた。
『《氏族》アガルタを結成、というか復活させたのは、トト君で間違いないんだな?』
「はい。何というか、話の流れで、つい……」
「ついとは何じゃ、ついとは」
少しばかり機嫌を損ねたベリルは後でフォローするとして。
『だったら話は早い。ついさっき、アガルタに特使を送ろうって話をしてたところだ』
「特使、ですか?」
いったいどうして、と聞こうとした僕を片手で遮って、シバ様は言葉を重ねる。
『お前さんが《氏族》を立ち上げた後、何でか知らんがヴァルハラとは一時休戦になった。それぞれの《氏族》から何人か選んで、アガルタの拠点まで転送することになってな』
「転送というと?」
『ヴァルハラのクランリーダーが、一方通行の《転移門》を開けるらしい。俺の《鉱山》はそいつのせいで占拠されちまったんだが』
それはそれとしてな、と横に置くポーズ。
隣に立っていたカロッテが、何かに気付いたのか背後を振り返る。その視線──目は無いのだけど──が見ている方へと、僕とベリルもつられて顔を向けた。
《虚海》の上に、紫色の小さな渦があった。それは回転しながら少しずつ広がっていく。距離感がはっきりしないものの、およそ数十メーテほどの大きさになった渦の中心から、見覚えのある黒い高速偵察艇が姿を見せ始めた。
「シバ様、何か、出てきたんですけど……」
『説明したいところだが、こっちもやっと《鉱山》を取り戻したところでな。詳細は、そっちに送った連中から直接聞いてくれ』
済まなそうに告げて、シバ様の幻像は消えていった。
◇
いきなり現れた特使たちとの会話もそこそこに、僕たちは猪突猛進號へと乗り込んで、ウツロの街へと帰還した。
戻ってくる緑色の星を見てか、港には大勢の住人たちが集まっていた。
「兄ちゃんたちがここのダンジョンマスターになるってホントか!?」
「かもしれないね」
「亀のお爺ちゃん、また動けるようになるの?」
「どうじゃろうな。それはこれから確かめねば──」
桟橋に降り立った僕とベリルは、子供たちに囲まれて質問攻めにあってしまっていた。
どうにかして先に進もうと悪戦苦闘していると、汎人の少年、ティグの視線が運搬艇の方へと逸れた。
「お化けニンジンも無事だったんだな!」
「すごい、でっかいのが増えた!」
「鬼ババアだ!」「豚だ!」「カブトムシ!」
子供たちは僕たちから離れ、後からやってきたカロッテとナラカ、親方とライナスの方へと集まっていく。
「コラ、お姉様、と呼びな」
「おい誰だ豚っつった餓鬼ァ!?」
「カブトムシ……だと……」
戸惑う彼らに助け舟を出すのは後回しにして、僕はベリルと共に庭園へと足を速めた。
◇
東屋の中で、僕と大亀オニキスは向き合っていた。甲羅の黒い宝石には、傍らに屈み込んだベリルの手が置かれている。
事の顛末を聞き終えて、オニキスは満足そうに、少しだけ頷いたように見えた。
『それでは、私の役目もこれで終わりということですな』
「うむ。お主はゆっくり休むがよい」
エルネのダンジョン《根源庭園》の支配権を、僕が継承する。ダンジョンの維持が不要となれば、オニキスももう少し生きていられるはずだし、どこか別の場所へ行くことだってできるはずだった。
──ふと、頭に浮かんだ疑問を口にする。
「別の誰かと契約を結ぶことは、できなかったんですか?」
例えば、僕とベリルのように。けれど、オニキスはわずかに首を振った。
『再契約の際に、失われるものは多いのです。《竜殺し》を失う可能性を考えると、おいそれとは試せませなんだ』
「……なるほど」
そういうことなら、仕方ないのか。耳をまっすぐに立てて、僕はオニキスに告げる。
「僕の方は、いつでもいいよ」
『では、始めてくだされ』
深呼吸を一回。それだけで、意識が切り替わった。《根源庭園》が、ウツロの街が僕の管理下に移譲される。
予想通り、激しい頭痛に襲われた。いくつものメッセージが何重にも並んで聞こえてくるけれど、その一割も正しく認識できていない。
【蜥蜴人ヒサエがミニオンに加入しました。】【汎人ティグがミニオンに──】
【区画《穿界尖塔》の残存領域の支配権を獲得しました。区画維持に必要なマナは──】
【総合評価が規定値を超えたため、一部の機能が解禁されます。第一に非戦闘区画の──】
次々と追加されていく情報を追い切れず、揺れる身体をベリルが受け止めた。
耳鳴りが酷くて、彼女の声も聞こえない。けれど、ちょっとだけ心配そうな表情を見れば大体わかる。
「大丈夫。いつものだからさ」
安堵と微笑み。それから、左目に少しばかりの涙。それを拭って、ベリルの口が動いた。
「──」
「どういたしまして。こちらこそ、だよ」
君のおかげで、僕は今ここにいる。ただ日々を無為に過ごすのが嫌で飛び出した僕に、緑の星は道を示してくれた。
だから、《星天》へと手を伸ばす。
《星天》と《虚海》に挟まれた《狭間》の世界で、遥かな高みを目指してやろうと、僕はこのとき決めた。




