ふたりの決断
僕が目を覚ましたとき、ベリルはもうベッドから抜け出していた。よく眠れなかったのかもしれない。
埃っぽい部屋を出て廊下を進み、螺旋階段を上っていく。本当はもっと高い塔だっただろう建物は中ほどまでしか残っておらず、ベリルはその天辺に立って街を眺めていた。
僕は彼女の横から、下を見下ろした。緑の星に照らされた廃墟の中で、ちらほらと動く人影がいる。
少し視線を上げれば、円形の庭園と東屋が見える。そしてその先には、庭園よりも広い範囲を占めている巨大な廃墟があった。その広さは、《黄金都市》全体と遜色ないほどだった。
「星へと至る塔の、成れの果てじゃ」
「あれが……」
たった数階層だけ造ったところで《星喰い》に襲われ、さらに大半を欠いた姿から、《星天》まで続く塔を想像する。
エルネというダンジョンマスターと、アガルタという《氏族》の掲げた目標は、話を聞いて考えていたよりも大きかった。
「これからどうするか、二つに一つだと思う」
「ここから立ち去るか、あるいは留まるか、か」
「うん」
それはつまり、ウツロの街を、《根源庭園》引き継ぐかどうか。襲ってくるであろう《星喰い》と戦うかどうか。そして。
「天の先を目指す塔を、このままにしておいていいのかな」
「それはエルネの夢じゃ、トトよ。お主が無理に付き合うべきものではなかろうて」
確かにその通り。だから今のところ、そこまでは考えないでおく。
「これまで、いろんなダンジョンで、いろんな人たちに会ってきた」
明るく輝く《黄金都市》では、下層区の住人が飢えないようにダンジョンマスターが《緑苔》を召喚する装置を用意していた。《七色鉱山》に住む親方たちは、その技術と引き換えに他のダンジョンから食料を得ていた。
それから、《人形》ばかりだった僕の《星光農園》。モーリィの《紺碧戦艦》は、あちこちのダンジョンを襲い、略奪することで糧を得ていた。
そして、エルネが創った《根源庭園》の残滓がここにある。
菜園として利用されている庭園の一角で、カロッテらしき橙色の偉丈夫が、子供たちにちょっかいを出されながら収穫を手伝っているのが見えた。
「この場所を守ってもいいんじゃないかって、ちょっと思った」
「……わっちは」
ぼんやりと街を眺めていたベリルの顔が、僕の方を向いた。
「わっちは、昨日、《星喰い》に襲われたとき。もう終わりにしてもいいかと、思ったのじゃ」
「僕もまあ、諦めてたよ」
「お主には悪いが、どうせ生き延びたとて、わっちには何も残されておらぬ、とな」
僕は黙って、言葉の続きを待つ。今の彼女の瞳には、諦め以外の光が宿っている気がする。
「じゃがの。今はあのとき死なんで良かったと思っておる」
ベリルの視線が、また街に向けられた。
「おかげでここに戻ってくることができた。オニキスにも会えた。もう少し、先を見てみたくなった。だから」
目を細め、口の端をわずかに上げる。腰に手を当て、銀色の髪を揺らし、胸を張って語る。
「まずは、敵討ちといきたいところじゃの」
◇
数日後。応急修理を終えた小型運搬艇に乗って、僕たちはウツロの街を出発した。
再び暗くなっていく廃墟の街を振り返ると、桟橋で手を振る子供たちの姿が見えた。
二時間ほどの飛行の後、運搬艇を《虚海》の上で停止させた。僕たちはそれぞれ、ヒサエから譲り受けた新しい装備を確かめる。
ベリルの手には短い枝のような杖、《光弾枝》がある。僕には使えなかったけれど、《千年の眠り》のペナルティが解消された彼女ならなんとか持つことができた。
運搬艇の上で《耕し丸》を振っているカロッテは、膂力を増強させる《豪力の腕輪》を両腕に装備している。
そして、僕の首には黒い首飾り。《茨の首輪》は、すべての能力を二割低下させる装飾品だけれど、《逆転の懐中時計》と併用すればそこそこ使える部類に入ってくる。《魔力特化》のせいで二割増しの補正がすべて魔力に上乗せされてしまうのも利点だろう。《魔力共有》しているベリルが杖や《植物操作》を十全に扱うためにも、魔力が多いに越したことは無い。
「じゃあ、作戦通りにいくよ」
「うむ」
左手の《秘本》から、雛形を選択する。通常の速さでは準備を終える前に《星喰い》に襲われる可能性がありそうだったので、高速顕現で作成。
【《雛形:農場》、サイズ:1000×1000、生成開始。完了まで3時間。】
眼下の《虚海》に、茶色の大地が広がっていく。これで、自分のダンジョンから離れていることによるペナルティを回避できるはずだ。
運搬艇を着地させて、戦闘を有利に進めるための植物を創り出す。八割程度の魔力を維持しつつ、少しずつ緑を増やしていく。
作業を繰り返し、十分な広さの地面を確保できたところで、僕は隣に立つベリルに声をかけた。
「本当に、いいんだよね」
「構わんとも。反撃の狼煙を上げるのに、うってつけじゃろう?」
にやりと笑って、銀色の髪を揺らして胸を張る。僕は左手を前に出して、《秘本》を開いた。最後にもう一度、条件を満たしていることを確かめてから、耳を伸ばして宣言する。
「結成、《氏族》──」




