悪足掻き
吹き飛ばされた小型運搬艇の中で、なんとか制御球に右手を乗せて姿勢を立て直す。
隣にいたベリルはあちこちに体をぶつけてうずくまってはいるものの、大きな怪我は無いようだ。僕の方も似たようなもので、問題なのはカロッテの方だった。
運搬艇を旋回させると、カロッテを振り払おうと暴れる《牙竜》の姿が見えてきた。鱗の隙間に突き刺さった《耕し丸》を、ニンジン色の片腕が力任せに引き倒す。鱗が剥がれ、傷口から黒い血が流れ出した。
『大丈夫か、トト君!』
「はい。でも、カロッテが竜に取りついてて」
『だったら、彼が足止めしている間に逃げるんだ。君とダンジョンコアが無事なら再起の目はある』
「じゃ、じゃがそれでは……」
僕の方を見上げたベリルと目が合った。カロッテが単身であの竜を倒す、なんてまず無理だろう。
ダンジョン内で死んだ配下なら《蘇生》で復活させることができるけれど、ここは《虚海》の上だ。いま逃げ出したら、何の補正も受けていないカロッテは間違いなく負けて、ここで消滅する。
苛立ったような竜の咆哮に、慌てて視線を前に戻す。振り回された尾が《虚海》に沈み、再び跳ね上げられた勢いで、カロッテの手が離れてしまう。
遠く高く飛んでいくその姿に気付いて、ベリルは身を乗り出して叫ぶ。
「トトよ、助けねば!」
「わかってる!」
カロッテが飛んでいく先に進路を変えて、出力を上げる。けれど、運搬艇はがたがたと揺れるばかりで加速しない。さっき食らった一撃で、どこか調子を悪くしてしまったらしい。
竜の動きに気をつけながら、もう一度、左手の《秘本》に意識を向ける。残り二割程度の魔力でも、規模を抑えれば問題ないはずだ。落下地点に狙いを定めて、イメージする。
「生成、《土壁》。即時顕現」
《虚海》の上に出現した細長い岩盤に気付いて、カロッテは身体を捻って爪先から倒れ込むように着地した。
カロッテの無事を確かめて、僕は《牙竜》の方に視線を戻す。尻尾の傷に怒りの声を上げてはいるものの、こちらには追撃できるだけの魔力がもう残っていない。
小刻みに揺れる運搬艇へと狙いを定めたのか、竜はゆっくりと向きを変え始めた。これ以上、僕には何もできない。
魔力以外は弱いまま。結局、《秘本》に頼るばかりで、普通の魔法は使えないままだ。制御球にどれだけ魔力を流し込めたとしても、それで運搬艇が速く飛んだりはしない。
「……ごめん、ベリル」
《牙竜》が現れたとき、すぐに逃げていれば良かったのだ。魔力があれば何とかなるなんて、思い上がりもいいところだった。
ベリルは前を向いたまま、ふん、と鼻を鳴らす。
「星喰いの腹の中で、エルネに逢えるやもしれんの」
「はは」
乾いた笑いが漏れて、耳が萎れる。揺れる運搬艇の中で目を瞑ったとき、助手席から唸り声が聞こえてきた。
『まだ諦めるな。俺の寝覚めが悪くなる』
◇
打つ手なんかもう無いんじゃないかと、シバ様に視線を向ける。
『トト君の運搬艇は、《七色鉱山》を出たときのままだな?』
「そうですけど。速度が上がらなくて、このままじゃ追い付かれてお終いです」
『サンゲンの奴が勝手につけた仕掛けがあっただろう』
「……あ」
思い出した。制御球の横に、親方に聞いても「最後の手段だ」としか教えてくれなかった赤いスイッチがある。
『動力機関の出力制限を解除できる。負荷が大きいから長時間は使えんが』
「やってみます」
それで運搬艇が壊れてしまうなら、それまでだろう。隣で会話を聞いていたベリルが、僕の腕を軽く叩く。
「マナにはまだ余裕があるのじゃろう? 壁でも何でも出して、足止めしてやるがよい」
「でも、それじゃあベリルが」
「少しでも残っていればなんとかなる。この状況で使い惜しみは、ナシじゃ」
確かにそうだ。《収納鞄》から別の《魔力回復薬》を取り出すのは諦めて、《牙竜》を狙って集中する。
「生成、《土壁》。即時顕現」
【警告。魔力が不足しています。不足分をマナで代替しますか?】
承認。こちらに迫ってくる竜の目の前に、四角い岩壁が現れる。走り出した勢いのまま、岩壁を避け切れずに頭をぶつけ、忌々しげな声を上げる。
【魔力残量 0 + 14 / マナ残量 7134】
前に向き直り、マナの残量を確かめる。同じように《土壁》を生成できるのは、多くてあと二回か。
シバ様の幻像をすり抜けて、ベリルが助手席の縄梯子を蹴り落とす。似たような状況があったなと考えているうちに、運搬艇がカロッテの上を通り過ぎ、縄梯子が荷重でぴんと張った。
「加速じゃ、トト!」
赤いボタンを叩くように押して、制御球にわずかな魔力を流し込む。動力機関の低音が大きくなり、運搬艇の揺れが激しくなった。
「故障か!?」
「いや、加速は、してるけど──っ」
制動が上手くいかない。針路がふらふらと定まらない中、《牙竜》がひときわ大きな咆哮を上げた。縄梯子を登ってくるカロッテの様子を覗っていたベリルが、背後を見て苦い顔になった。
「奴め、飛んできよるか……」
岩壁を喰ってきっちり再生したのか、どうやら足止めの効果はもう無くなったらしい。もう一度、壁を出して牽制しようにも、制御球から手を放せば運搬艇があらぬ方向に飛んで行ってしまいそうだ。
少しずつ迫ってくる《牙竜》の気配を感る。なんとか隙を見つけて対処しなければ、状況は悪くなっていくばかりだろう。
──視界の端に流れる一筋の光が、そんな僕の思考を中断させた。




