根喰いの隷竜
揺れる《虚海》から姿を見せたのは、二本の角を持つ巨大な爬虫類の頭だった。次いで前脚が現れ、一対の羽根を備えた太い胴体が現れる。灰色の混沌を四つ足で踏みしめ、赤みがかった黒色の鱗に包まれた「竜」が咆哮する。もうひとつの視覚が、注視する僕にその名を知らせてくる。
「下級竜、《根喰いの牙竜》」
「《星喰い》めか……!」
ベリルが僕の横から身を乗り出して、黒色の竜を睨み付ける。
『すぐにそこから離れるんだ。別のダンジョンまで誘導すれば、逃げ切れるかもしれない』
シバ様の忠告は正しいのだろう。けれど僕は首を横に振る。たとえ上手くいっても、それでは別のダンジョンを危険に晒してしまう。
「カロッテ、掴まってて!」
首をもたげ、運搬艇に対して口を大きく開いた《牙竜》の噛み付きを避けるべく、針路を変えつつ加速する。首元から胴体の横へと通り抜け、振り回される尻尾を避けたところで、左手の《秘本》に意識を向ける。
「生成、《鉄壁》、形状変更」
【警告。敵対勢力が一定距離内に存在、および、混沌領域の干渉──】
「──即時顕現!」
警告を最後まで聞いている余裕は無い。《牙竜》の真上に、三本の鉄の杭を作り出す。運搬艇の倍ほどの長さの杭は、すぐに落下を始め、こちらに向き直ろうとしていた《牙竜》へと突き刺さる。怒りんだ含む叫び声が届いて、耳が震えた。
『トト君、お人好しが過ぎるぞ』
「危なくなったらちゃんと逃げます!」
「無謀じゃ、トトよ……」
ベリルが不安げに僕の顔を見る。様子を見ようと旋回させた運搬艇の窓から、苦しげにもがく竜の姿が見えた。胴体に二本、翼に一本の杭が刺さっていて、《牙竜》は《虚海》に半分沈んだ状態で暴れている。
「ほら、効いてるって。これなら、倒せるんじゃない?」
『駄目だ』
僕の言葉をシバ様が否定し、隣の少女もまた首を振る。
「この程度でなんとかなるなら、誰も苦労はしておらぬ。見るがよい」
再び視線を向けたとき、《牙竜》は翼に突き刺さった鉄杭を噛み砕いていた。竜の口に杭が飲み込まれるたびに傷口が輝き、胴体に突き刺さっていた鉄杭も少しずつ抜けていく。
「あれが《星喰い》の再生能力じゃ」
確かに驚異的だ。けれど、だったら口を封じればいいんじゃないか。
「生成、《鉄壁》、形状変更、即時顕現」
もう一度、今度は首の上を狙う。これなら、さすがの《星喰い》でも。
【警告。魔力が不足しています。不足分をマナで代替しますか?】
「……却下」
ベリルの生命線であるマナは無駄遣いできない。そもそも、万全の状態だったのにどうして魔力が足りないのか。《秘本》を開いて確かめる。
【魔力残量 2545 + 14 / マナ残量 9598】
想像以上に減っていた魔力に、言葉を失う。いくら何でも減りすぎじゃないか?
助手席に立つシバ様の幻像が、指折り数えながら言葉を紡いでいく。
『ダンジョンを管理していない状態での《奇跡》行使、即時顕現、それから戦闘中。おそらく、他にも不利な補正がある。その状況では、いくら魔力があっても足りないぞ』
「……ダンジョンがあれば、いいんですね」
もう一度、《秘本》に集中する。魔力が残り二割を切っていても、これならいける筈だ。
「生成、《農場》──」
【警告。敵対勢力が一定距離内に存在しているため、雛形タイプの作成は行えません。】
またもメッセージに邪魔される。そんなに、僕の行動が気に食わないのか。
「だ、だったら!」
右手を《収納鞄》に突っ込んで、《魔力回復薬》を探し出す。アイツの口をどうにかする分だけ回復できれば問題ないんだ。
「前を見るのじゃ、トト!」
ベリルの叫びに、思わず顔を上げる。傷を癒し終えた《牙竜》が、いつの間にか運搬艇の前に陣取っていた。再び横薙ぎに振り払われた竜の尾が、正面からまっすぐ迫ってきている。
《回復薬》を放り出し、右手を制御球に戻したものの、回避は間に合いそうもない。
遅まきながら降下を始めた運搬艇の中で、衝撃に備えて身構える。一瞬遅れて、天井を蹴る音と共に身体がふわりと浮いた。
《牙竜》の尻尾が運搬艇の上を掠めて通り過ぎ、衝撃で機体が回転する。回る視界にちらりと見えたのは、竜の尾にしがみつき、《耕し丸》を突き立てているカロッテの姿だった。




