無明に至る
《星光農園》を離れて十日ほど経った頃。休憩室で寝ていた僕は、ベリルに揺り起こされた。寝ぼけた耳で彼女の話を聞いてみると、どうやらカロッテが何かを見つけたらしかった。
梯子を上り、屋根の上でカロッテが指し示す方角に双眼鏡を向ける。
「……運搬艇だ。かなり大きい」
《虚海》の上を滑るように近づいてくるのは、見たことの無い形の運搬艇だった。僕たちの頭上で輝く緑色の星に照らされて、平たい亀のような姿が次第にはっきり見えてくる。
操縦席に戻って、いつでも速度を上げられるように警戒する。ベリルは緊張した面持ちで、そわそわと手を動かしていた。
「一体、何が目的であろう?」
「攻撃するつもりなら、もっと急いで飛んでくるんじゃないかな」
「油断させておいて、後ろからバッサリ、みたいな具合でないことを祈るばかりじゃの」
なんとなく小声で会話をしつつ、じっと様子を窺うこと数分。近づいてきた平たい運搬艇の上に、山羊頭の人影が現れた。
「ダンジョンマスター殿に恩を売れれば、何かいいコトあるかも、なんて思いましてな」
カナンと名乗った山羊人の男は、この辺りのダンジョンを巡る行商人であるらしかった。誘われるまま、僕たちは彼の輸送艇に足を運び、応接用の部屋の中で、最近仕入れたという紅茶を振舞われている。
久しぶりの広い空間にほっと一息ついていると、カナンは立派な角にぶら下がった鈴を鳴らして、僕たちの注目を集めた。
「ご入用のものが在庫にあれば、少しばかりお譲りしますが?」
「うーん、今の所、特に困っては──どうしたの、ベリル」
「もう野菜だけの食事は嫌なのじゃ」
なるほど。《保管庫》にあった《大長虫》の肉は、何日か前に最後の一切れを焼いてしまっていた。惜しむようにそれを口に運んでいたベリルの姿を思い出す。
僕たちの会話を聞いて、カナンは長い顎鬚を撫でつつ口を開いた。
「生憎、保存の効く干し肉しかありませんが」
「わっちは構わんのじゃ。酒があれば言うことは無いが、そこまで図々しくはなれんの」
「え、お酒?」
ベリルの表情はいたって真面目で、冗談を言っている様子は無かった。さすがに酒を嗜むような年には見えないけれど、考えてみれば彼女の年齢をはっきり聞いたことは無かった。
「では、用意させましょう」
カナンが手を鳴らして指示を出すと、片隅に控えていた少年が外に出て行った。
「対価を用意できないのは心苦しいんですけど」
「大丈夫ですよ。ダンジョンをお創りになったら、ぜひ商売させて頂ければ」
そう言って、彼は懐から赤い宝石を取り出した。意識を向ければ、それが何なのか理解できる。
「《心石の欠片》。片割れを持つ相手の位置を知ることができる」
「これのお陰で、お得意様のところまで迷わず飛べるわけです」
居場所が定まったら、頃合を見てお伺いしますよ、とカナンは鈴を鳴らした。
◇
そうして僕たちは、ようやく目指す場所へと辿り着きつつあった。
正面の《星天》に光は見えず、左右を見ても星の数はまばらだった。小型運搬艇の真上にあり続ける緑色の星だけが、仄暗い領域でただひとつ輝いている。
この先なら、邪魔されることなく新しいダンジョンを作れるに違いない。後方の休憩室では、ゲームに飽きたベリルが眠っている。カロッテはといえば、屋根の上で《耕し丸》の素振りをしている。
久々のメッセージが聞こえてきたのは、そんな折だった。
【代行者 [Shiva] から対話要請があります。応答しますか?】
承認。僕の目の前、助手席に狗頭の幻像が現れる。久しぶりに顔を合わせたシバ様は、挨拶も抜きにいきなり問いかけを発した。
『トト君。今、君はどこにいる?』
どこに、と聞かれると難しい。声を聞いてベリルが起き出してくる気配を感じながら、ひとまず現状を話すことにした。
「運搬艇の中です。ええと、ダンジョンが襲撃されたんで、別の場所に移動しようと思って」
『十日以上もずっとか……《星天図》で見える範囲は完全に外れているな』
「すいません。忙しそうだったんで」
『いや、いいんだ。こっちはなんとか目処が立った……いいかい、トト君。《星喰い》には気をつけるんだ』
シバ様の言葉を聞いて、ベリルがぴくりと肩を震わせる。《星喰い》、「竜」、ダンジョンを喰うもの。
「《星喰い》って、その、ヤバい奴ですよね」
『そうだ。普通にダンジョンを管理している分にはそうそう寄っては来ないが、大量にマナを費やしたりすると、奴らの注意を引くことになる。それから……』
何から話したものかとシバ様が言葉を切る。それと同時に、カロッテが屋根の上に《耕し丸》の柄を打ち付ける音が聞こえてきた。そういえば、何かを見つけたときの合図を決めたような気がする。
「どうしたのじゃ、カロッテよ?」
ベリルが呼びかけるものの、屋根の上からの応えは無い。確かめる間もなく、再びシバ様が話し始める。
『ダンジョンコアが無防備であれば、奴らの格好の餌になる。奴らの縄張りに近づいちゃ駄目だ』
「縄張り、ですか」
『ああ。近づけば襲われる。星の無い場所を見つけたら、《星喰い》がいると思った方がいい』
早口で語る幻像から《虚海》へと視線を向ける。カロッテは何を知らせようとしたのか?
運搬艇の正面で、灰色の混沌が波打った。
貨物運搬艇
二対四枚の浮揚翼を持つ、亀のような形状の大型運搬艇。定員四名。
胴体部分のほとんどが交易用の貨物倉庫となっている。




