脱出
およそ十メーテ、僕の背丈の十倍ほどの高さから、水中へと放り込まれる。
頭痛に加えて、身体のあちこちが痛みを訴えているけれど、それどころじゃない。急いで水面へと上がろうともがいている最中に、水中に青い光が見えた気がして手が止まった。
水の中を、巨大な「何か」が泳いでいる。《戦艦》の影ではっきりとは見えないけれど、その巨体に埋め込まれた青い宝石──ダンジョンコアの輝きだけは、僕の記憶にはっきりと刻まれた。
水面から顔を出し、息を吸いつつ片手を前に出した。《保管庫》を意識して、一番大きい情報を掴み取る。
「出て、こい」
次の瞬間、目の前に小型運搬艇の扉が現れた。手を伸ばし、全身を引き上げて操縦席へと転がり込む。
濡れそぼって思うように動かない身体で立ち上がると、上の方から何かが崩れるような、大きな音が聞こえてきた。
「何しよった、トト君! こんな、こん──ぬわッ」
窓から顔を出して叫び声の方を見上げる。木の枝や根が《戦艦》の壁面を突き破って飛び出し、上へ下へと伸びていくのが見える。そんな枝の一本に掴まりながら、青い甲冑が片手を振り回していた。
「こんなことして、タダで済むと思っとるん? ダンジョンコアがどうなってもええんかー!」
すいません、あれ、ダミーなんです。とは口に出さずに顔を引っ込める。
制御球に右手を置いて、運搬艇をニンジン畑に向けて発進させる。モーリィの指示を受けたのか、あちこちに居た虫人たちが僕の向かう先に集まり始めていた。
「カロッテ、掴まれ!」
ナビ側の扉を開けて、縄梯子を投げ下ろす。自分の大声が頭に響くけれど、仕方ない。
畑の一角の土が弾けて、中からオレンジ色の偉丈夫が飛び出してくる。片手に抱えられた少女は、銀色の髪も黒いワンピースもすっかり汚れてしまっていた。もう一方の手で《耕し丸》を振り回し、最後にまっすぐ放り投げて虫人たちを牽制してから、カロッテは縄梯子に掴まった。
重さで傾く運搬艇を立て直しつつ、《虚海》に向けて速度を上げた。
◇
ベリルをナビ席へと導いた後、カロッテは後方の休憩室に収まった。随分と窮屈そうだと思いつつ、僕はベリルの無事を確かめる。「能力値」に大きな異常は見当たらないけれど、彼女はあちこち土だらけになっていて、随分と疲れているようだった。
「怪我は無い?」
「この程度、何でもないわ。それよりお主の方が問題じゃろう」
機嫌を損ねたときの声色で、ベリルは土を払い落としていく。後でちゃんと掃除しないといけない。
「うん、ごめん。結構待たせたかな」
モーリィのダンジョンと、その上の青い星から距離をとったおかげで、頭痛や耳鳴りは収まりつつある。
何があったのか、一通りベリルに説明していると、いつの間にか視界の片隅に白い封筒が現れているのに気付いた。
「ちょっと、待ってて」
「どうしたのじゃ?」
「シバ様からの《伝文》だ。いつ届いてたんだろう」
意識を向けて開封し、白い便箋の内容を読み上げる。
「えーと……しばらくメロウの姐さんのところで世話になる。ちょっと返事できねえかもしれんが、心配するな。だってさ」
「あちらはあちらで、立て込んでおるようじゃの」
眉根を寄せ、大きく息を吐いてから、彼女は僕をまっすぐ見た。
「それで、これからどうするつもりじゃ?」
改めて考える。準備を整えて引き返し、僕のダンジョンを取り戻すか。それとも。
「ダンジョンが無いと、ベリルが困るんだよね」
「うむ。その通りではあるが、マナは堅実に貯めておったからの。すぐに枯渇することはなかろうて」
《秘本》を開いて、保持しているマナを確かめる。一日につきダンジョンコアのレベルと同じだけ、蓄積したマナは失われていく。ベリルのレベルが上がらない限り、ダンジョンを運用しなくても二十年は問題ない。
「僕たちが居なくなったら、《星光農園》はどうなるのかな」
「近くにダンジョンコアが無ければ、少しずつ《虚海》に溶けて沈んでいくはずじゃが」
モーリィが近くにいる間は維持されるけれど、彼が立ち去ったらいつかは消えてしまう、ということだろうか。
大事なものは、《収納鞄》と《保管庫》の中にある。水と食料も、とりあえずはなんとかなるだろう。
すっかり荒らされ、《氏族》ヴァルハラの支配下に置かれてしまったニンジン畑を頑張って取り戻すより、どこか遠くで一からやり直した方が、いいんじゃないだろうか。




