《秘本》と《車輪》
呼吸を整えて立ち上がり、改めてベリルと向かい合う。いつの間にか、右目はまた眼帯で隠されていた。
「色々と見えるようになったのは分かる。けれど、なんて言ったらいいのか……情報が多すぎて、扱い切れない感じなんだ」
「ふむ」
しばらく考え込んでいた彼女は、やがて諦めたように肩をすくめた。
「ま、なるようにしかならんじゃろ。一つひとつ確かめてみるしかあるまい」
「そうだね」
僕が頷いたのを受けて、ベリルは自分の頭の上を指し示した。
「となれば、まずは《ステータス》かの。わっちの能力が見えるかの?」
そちらに意識を向けると、軽い頭痛と共に「情報」が見えてくる。普通に見えているものとは別に、もうひとつ別の視界があるような感覚に、また少し気分が悪くなる。
「名前、ベリル。種族、コモニア。うん、なんとか見えるみたいだ」
「よかろう。では次じゃな。確か、左手の上に《秘本》、右手の上に《車輪》、じゃったか」
「《秘本》に、《車輪》ね」
両手を前に差し出すと、古めかしい装丁の分厚い本と、ゆっくりと回転する円盤のイメージが浮かび上がった。
右手の円盤をよく見てみると、外周近くにいくつもの数字らしき記号が小さく刻まれていた。
「《車輪》。あらゆる偶然を司り、《奇跡》の結果を決定づける。か」
続いて左手に視線を向ける。分厚い本はひとりでに開いて、中身を僕に見せてくる。
「《秘本》。あらゆる必然を司り、《奇跡》の行使を可能とする。現在使用可能な奇跡は──ッ」
遠慮なしに流れ込んでくる大量の情報が、僕の思考を妨げる。
目を瞑って意識を反らし、情報を遮断する。詰まっていた息を吐き出して、僕は途方に暮れた。
本当に、こんなものを使いこなせるようになるんだろうか。
あれこれと試行錯誤しているうちに、不要な情報を切り捨てるコツが、何となく分かってくる。
それでも時折やってくる頭痛を我慢しながら、《秘本》の情報を整理していく。
「現在使用可能な奇跡は、《生成》、《調整》、《車輪》の三つ、か」
「それだけか? 《氏族》については書かれておらぬか?」
やきもきした様子で、ベリルが横から口を挟んでくる。《氏族》とは確か、ダンジョンマスター同士の同盟のようなものだったか。
奇跡以外の情報を探して本をめくっていくと、それらしい記述を発見した。
「猶予期間中は《氏族》機能を利用できません。だってさ」
「ああ、そうか、そんなものもあったかのう……」
当てが外れたのか、銀髪の少女は悔しそうに俯いてこぶしを握る。
「……マスター」
きっと、僕に聞こえないように小さく呟いたであろう彼女の言葉は、しっかりと耳に届いていた。
僕ではない誰かへの呼びかけを聞いて、僕はもう一度、本へと目を向ける。
「ねえ、猶予期間はすぐに終わらせられるみたいだけれど」
はっと顔を上げたベリルだったものの、すぐに首を横に振った。
「駄目じゃな。猶予期間のうちに、マナを得るためのダンジョンを完成させねば、わっちもお主も長くは持たぬぞ」
「え、そうなの?」
そんなのは初耳だった。ベリルは真剣な表情で言葉を続ける。
「ダンジョンマスターは、ダンジョンを運用して《虚海》からマナを手に入れ、ダンジョンコアに蓄積せねばならん。それが滞ればコアは消滅し、権能が失われるのじゃ」
「ええと、よく分からないけど……とりあえず、先にダンジョンを用意しないといけないってことか」
そういうことじゃな、と彼女は頷いた。




