契約
「部隊からはぐれた雑魚ミニオンだとばかり思うておったが、存外に物を知っておるようじゃな」
黒い眼帯を外し、露わになった右目はやっぱり、深緑色に輝く宝石だった。《虚海》から生まれ、ダンジョンマスターに力を与えるもの。ダンジョンコアの宝石が、妖しく誘うように光っている。
「それでお主、どうするつもりじゃ?」
「どう、って……」
「わっちには、急ぎ確かめねばならぬ事がある。そのためには、誰かと契約を結ばねばならんのじゃが」
誰かとはつまり、僕のことだろう。他にこの場にあるのは、宙に浮かぶ岩と小型運搬艇だけだ。
「でも、いま会ったばっかりだし、それに僕なんかで──」
「ふたつばかり、先に言っておくことがある」
僕の言葉をさえぎって、銀髪の少女は少し早口で話し始めた。
「契約を行えば、お主はミニオンではなくなり、他のマスターと同列の存在となる。ミニオンを復活させる《蘇生》などの恩恵は失われるのじゃ」
「うん、なるほど……もうひとつは?」
先を促すと、銀髪の少女は肩をすくめて、少し困ったように言葉を続けた。
「わっちと契約したとして、お主に与えられる奇跡の力は微々たるものじゃ。故あってわっちの力は大きく制限されておる。それでも、お主が構わぬと言うのなら……」
彼女は立ち上がって、僕の方へ片手を伸ばした。
その表情は真剣だった。僕は運搬艇を岩の近くぎりぎりまで近づけて、操縦席の扉を開いた。差し出された手を取って、運搬艇へと引っ張り上げる。
助手席に立つ少女と、改めて向かい合う。汎人であるにも関わらず、僕と目線の高さが変わらないのだから、彼女はかなり幼いはずだ。白い肌、細い手足が病弱そうではあるけれど、身体の弱さなら僕も負けてはいない。
「僕の方こそ、君を失望させる自信があるんだけれどな」
「そうかの? であるなら、わっちとお主は似合いであろうよ」
少女はそう言って、自嘲するような笑みを浮かべた。
「僕はトト。君の名前は?」
「ベリルじゃ。お主、契約に関してどれほど知っておるのかの」
「全然かな。そういうものがある、ってことだけしか知らないんだ」
首を振る僕を見て、少女──ベリルはそうか、と頷いた。
「さほど難しい話ではない。お主の血を、わっちの宝石に注げばよいのじゃ」
「血、かあ……」
ナイフなら《収納鞄》に入っている。しかし、血を流さないといけないとなると気が引けて、鞄を探る手が止まってしまう。
「何じゃお主、怖気づいたか?」
「そんなことないよ」
うん、全然そんなことない。大したことじゃあない。
「だったら早うせぬか。注ぐと言っても、一滴二滴で十分じゃ。いつまでもこんな狭い処では敵わん」
ベリルが座っていた岩は、いつの間にか《虚海》に沈んでしまっていた。仕方なく、《収納鞄》から取り出したナイフで指先を傷つけようとしていると、僕の両手の下に、しゃがみ込んだベリルの顔がぬっと現れた。
「ち、近いよ。危ないって!」
「ほれ。ここじゃ、ここ」
右目を示して催促する彼女を無視し、覚悟を決めて刃を入れる。痛みと共に血の滲み始めた指先を、緑色の宝石に近づけた。




