船出の日
桟橋に立って、数日振りの《星天》を見上げる。
そういえば、青い甲冑のダンジョンマスターは何処へ行ったんだろう。ぐるりと見回してみたものの、それらしき青い星を見つけ出すことはできなかった。
ポケットから《先見の片眼鏡》を取り出す。左目に取り付けて魔力を流し込むと、透鏡はすぐに曇ってしまった。
「やっぱり、見えないなあ」
「俺が近くにいる間は無理だろうな。ダンジョンマスターの力は、周囲に与える影響が大きい」
背後からの声に振り返ると、シバ様も腕を組んで《星天》を見上げていた。
「お世話になりました」
「いいってことよ。ボウルはちゃんと持ったな?」
「はい、助かります」
一日に三回、山盛りの野菜を呼び出すことができる《無限の野菜椀》は、もう運搬艇の仮眠室に運び込んである。出てくる野菜の種類はどうやら無作為ではあるものの、それなりに新鮮なのは有り難かった。
「よし、終わったぞ」
工具箱を担いだ親方が、運搬艇の操縦席からのそりと出てきた。片眼鏡をポケットに仕舞って、親方にも頭を下げる。
「きっちり整備しといたからな。これで倍くらいは速度出せるはずだ」
「ありがとうございます」
僕は運搬艇に乗り込んで、機体の最終チェックを始めた。親方たちにあちこち弄繰り回されて、見た目が何だか凶悪になってはいるものの──正面に取りつけられた衝角は、体当たり攻撃でも想定しているんだろうか──確かに、調子は良くなっているようだった。
「親方、この赤いボタンは何ですか?」
「おっと、押すんじゃないぞ。そいつは最後の手段だ」
笑顔で親指を立てる親方には、何でそんなものを取り付けたのか聞けなかった。
「《猛獣牧場》のマスターにはメッセージ送ってある。問題は無いと思うが、道中気をつけろよ」
「はい」
結局、僕は《黄金都市》に戻らないことにした。とはいえ、ずっとここに居候している訳にもいかない。
同じ《氏族》に所属している、他のダンジョンに行ってみようと考えたのは、つい昨日のことだ。
「じゃあ、達者でな」
「シバ様もお元気で」
桟橋にぶつからないように、小型運搬艇をゆっくり浮上させていく。シバ様と親方に手を振って、目的地へと針路を向けた。
片眼鏡が使えるようになったのは、出発してから三日目のことだった。目指していた赤褐色の星はまだ遠く、暇を持て余していた僕は早速、運搬艇の上から《星天》の観測を始めた。
右目と左目を交互に閉じて、今と数日後の未来を見比べる。八方ぐるりと見終えたところで、片眼鏡に魔力を注ぎ足してもう一度《星天》へと目を向ける。
何度かそれを繰り返して、視界の片隅の数字が十日後を超えても、見える景色は変わらなかった。
もしかしたら、という期待は萎んでいき、その分だけ諦めが膨らんでくる。
十日ほど前、あの青い星を見つけたのは間違いなく偶然だった。あんなのはもう二度と期待できない。
「そんなこと、わかってる」
だからこそ、ここで止めたりはしない。偶然に期待できないなら、今の僕にできることを限界までやってみるしかないのだ。
そして、どれくらい経った頃か。理解よりも先に、耳が動いた。
「……あった」
運搬艇の右前方、《星天》と《虚海》の境界すれすれの遠方に、かすかな緑色の輝きがひとつ。右目では見えないその星は、片眼鏡の透鏡を通して見た、十五日先の世界に存在している。
片眼鏡が白く曇らないということは、それは誰にも変えられない、確定した未来だ。
見間違いじゃないことを何度も確かめてから、操縦席に飛び降りた。
制御球に右手を置く前に、深呼吸。
未だ遠く、未だ現れてはいない緑色の星に、僕は運搬艇の進路を向ける。




