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#3・勝利

 私は、一体どこから間違えてしまったのだろうか。

 あそこで盗賊どもに出会わなければ。

 いや、その前に、一人で洗い物をしに行った所から、もうダメだったのかもしれない。


 どちらにしろ、誘拐され、捕まってしまった今、過去をどう悔やんでも何も変わらないのだが。

 私は今、昼間出会った盗賊たちに拉致されていた。

 気がついたらここにいたのだ。どうせ私の部屋にでも隠れていたのだろう。

 つくづくしつこい輩だ。


「まさかお前がこの国の王女様だったとはな。え?ニーナ様よぉ?」


 リーダーは私に話しかけてきた。殴られた頭はグルグルと包帯が巻かれており、実に滑稽だった。


「ぷっ!」

「あぁ?何がおかしいんだよ!?」

「いや?別に?」


 おっと、思わず吹き出してしまった。

 別にこれくらい、怖くも何ともない。お父様を怒らせた時の方がよっぽど怖いと知っているから。凶器も何も持っていないこいつらは、ただの無能なサルの集まりだ。

 いや、サルでもまだ頭はいい方か。ということは、こいつらはサル以下だな。


 ーーだが、そんな余裕をかましていたからこそ、この先の自分がどうなるのかなんて考えてもいなかった。


「けっ。まぁいい。どうせ明後日にはお前は奴隷市場の仲間入りだからな」

「え……?」


 一瞬、我が耳を疑った。

 売る?私を?奴隷市場に?

 冗談じゃない。

 そんなことをして、この王国で生きていけると思っているのか?


「俺たちじゃわかんねぇ趣味のお偉いさん方がいんだよ。お前らみたいな貴族の娘を拉致って一生奴隷として扱うんだと」


 そういえば、少し耳にしたことがあった。世にいる貴族のなかには、他の貴族の子供を家畜のように扱っている人間がいると。

 私は大丈夫と思っていたが、まさか……。

 先ほどまでの安心感から一転、絶望のどん底に叩き込まれた気分だった。

 このままじゃ帰れない。


 ロイにも、まだ昨日のお礼を言ってない。

 メリーとだって、今度一緒にお出かけするつもりだったのに。

 全部、無しになる。

 それどころか、二度と彼らに会うことだって、なくなってしまう。

 そんなの嫌だ。

 途端に震えが止まらなくなってきた。

 今までの思い出がフラッシュバックする。


「お?なんだ?急に怖がってんのか?

 でもな、何をしようがもう遅えんだよ、バァーカ」


 追い打ちかかけるように盗賊が語りかけてきた。

 しかし、先ほどのようにこいつを罵る余裕なんてどこにもない。

 これからの未来、想像すると、それだけで涙が溢れてきた。

 震えを抑えるように、自らの体を抱く。そして、気づけばあの旅人の名を呼んでいた。

 なぜだかは自分でも分からない。ただ単純に、昼間の時のように華麗に私を助け出して欲しかっただけだ。


 颯爽と現れ、見ず知らずの私のために必死になって闘ってくれた彼。

 服装も出身国もよく分からない、何処と無く不思議な彼。


「ヒツギぃ……助けて……」


 私の願いは、音もなく夜の闇に溶けていった。






 □■□■□■□■□■□






 暗闇の一本道を、俺はただただ走り続けていた。

 道を照らすのは月明かりのみ。人通りもほとんど無い。周りは草木がうっそうとしており、一歩道から外れれば迷ってしまいそうだった。


「ニーナー!どこだー!」


 大声で叫ぶが、返事は全く返って来ない。どこかで意識を失っているか、それともーー。

 いや、今はそんな事を考えている時ではない。もしトラブルに巻き込まれているなら、そこから助け出してやればいいだけの事だ。


「はぁ……はぁ……」


 どれほど走っただろうか。立ち止まって辺りを見回す。と、かなり先の方だが、建物の明かりが見えた。もしかすると何か情報を持っているかもしれない。俺は、ポツンと佇む一軒家へ足を急がせた。


 家に着くと、中から一人の男が出てきた。乏しい頭髪に出っ張った腹。中年男性のお手本みたいな外見だった。


「すいません、この辺でニーナ様って見ませんでした?」


 彼女が国王の娘なら、名前や顔は分かっているだろう。俺はあえて名指しで質問した。


「ニーナ様……?あぁ、あの方なら向こうへ走って行ったよ」

「そうですか。ありがとうございます。お騒がせしました」


 やはり情報は無しか。

 そう諦めかけた時。


「うっ、ひっく………」


 男の後ろ側から泣き声が聞こえた。

 その直後にゴンゴンという何かを叩く音も。

 男は今一人のはずだ。彼の後ろから見える室内は、お世辞にも綺麗とは言えない。奥さんがいるなら、ある程度は片付いているはずだろうに。

 となると、誰の泣き声だ?


「あの、すいません、突然申し訳ないないのですが、お子さんっていらっしゃいますか?」

「いや?居ませんけど?」


 まさか。


「ちょっと失礼します」

「え!?なになに!?」


 無礼を承知で中に踏み込んだ。

 部屋には、大小さまざまな物が乱雑に置かれていた。食べかけの肉や虫喰いの激しい野菜などなど。

 しかし、その中に、一つだけ不可解な部分があった。

 ある一点を隠すかのように相当量の荷物が置かれているのだ。

 しかも、周りの物品にはどっさりと埃が溜まっているのに、この部分だけは全く埃が無かった。

 まるで、ついさっき動かした後のようなーー。


「困るよー。勝手に人の家に上がり込んで。そもそも君は一体何がしたいんだい?」

「この下に何かを隠してませんか?」


 そう聞き終わったのと、男が持ってきたナイフの刃が俺のいた場所を裂いたのは同時だった。

 当たりか。


「しょうがないな。バレちゃったら殺すしかないもんね」


 さも平然と男は言う。


「知らないままだったら昼間のあれは水に流してあげてたのに。残念だね」


 昼間の事件でもいたようである。

 じゃあ、俺が死んだのも見たのか?

 いや、それはないと思う。何せあの時は、誰も俺に見向きもしなかったから。


「まぁ、君を殺せば、彼女もきっと観念するでしょ」

「どういうことだ?」

「王女様ね、ずっと君のこと呼んでたんだよ。まぁ、まさか本当に来るとは思ってなかったけど」


 そうだったのか。

 迫り来る斬撃をかわし、受け流しながら、解決策を考えた。

 入り口にはバリケード。

 ここの他に入り口はない。

 バリケードを破壊するには少し時間がかかりそうだ。

 だが、かといって、こいつを倒さなければ後ろから一突きにされてしまう。また蘇れるという保証はない。

 やはりこの男を倒すべきだ。

 しかし、この男も強敵だ。何度も殺人に手を染めてきたのだろう。動きが手慣れていた。確実に急所だけを狙ってくる。


「もしかして、僕に勝とうとか考えてる?」


 まるで、俺の心を見透かしているかのように、奴は聞いてきた。


「でも、そりゃ無理だよ。だって、今の君、ただよけてるだけで精一杯でしょ?」


 痛いところを突いてくる。

 確かに言う通りだ。今は一対一(マンツーマン)なので、ギリギリ持ちこたえているが、ナイフに加えて他の攻撃が来れば、どちらかには間違いなく当たってしまう。

 だが、それも夢のまた夢だ。一人で複数の動きをするためには、腕が何本もなければ。常識的に考えて、そんな事は到底無理である。

 と、突如男の攻撃が止まった。代わりに、ナイフを顔に近づけ、ブツブツと何かを唱えているようだ。

 そして、最後の言葉を放った瞬間、考えられないような事が起こった。


石槌(ストーンハンマー)


 何もない空中に、一瞬で石の塊が構成されたのだ。それは、やがて重力に身を任せはじめる。そして、そのまま俺の頭上へと降りてきた。

 直径三メートルはあるかという岩。昼間見たあの岩の雨と同じ大きさのものだった。

 岩は家の屋根を簡単に崩し、地に黒い影を作りながら徐々に落ちてきた。

 ダメだ。範囲が広過ぎる。避けられない。

 狭い室内では、十分に動くことができず、岩に巻き込まれてしまった。

 と同時に、下半身から感じたことない痛みが走った。

 恐る恐る顔を傾ける。するとそこには、足があった場所に、岩がすっぽりと収まっていた。

 挟まれた足の状態を確認することはできず、もはやこの場から抜け出すこともできなくなった。

 焦燥感がこみ上げてくる。どうにかしなくては。


 敵の姿は未だ確認できていない。奴もまだ気づいていないはずだ。状況を打開するには、今が絶好のチャンス。必死に抜け出そうともがくも、しかし残念なことに足はピクリとも動いてくれはしなかった。痛みのせいで注意力も散漫になってきている。

 砂煙が舞っており、ほとんど前が見えない。今の衝撃で灯りも消えてしまっていた。

 ザリ、ザリと、闇の中に足音だけが響く。どうやら奴は俺を探しているようだった。あれだけの大技だ。自分でさえも制御できてなかったらしい。

 死んでいるとは思っていないのだろうか。

 足音がだんだんと大きくなっていく。少しずつだが確実に近づいてきている。そして、俺のすぐそばまで来ると、ピタリと止まった。

 いる。すぐそばに。

 荒々しい息づかいが聞こえる。姿は見えないが、見下しながら刺すような視線で俺を見ている。

 俺は死に物狂いで気配を消した。ここで見つかれば待っているのは絶対的な『死』。今の状態では、どうぞ殺してくださいと言っているようなものだ。

 痛いほどの静寂が耳を刺す。


 先に沈黙を破ったのは相手の方だった。

 ゆっくりとどこかに歩いていく。

 時間にすればほんの数十秒だったろうが、俺にとっては永劫にも等しい時間だった。


 極度の緊張で脳から大量に分泌されたアドレナリンが、足の痛みを消していく。

 おかげで、足の感覚は全くと言っていいほどなくなっていた。

 なんとか足を引っ張り出した。

 足の骨はビスケットみたいに粉々になっている。もちろん立てるはずもない。俺は這うようにして小屋を出た。

 命からがら逃げられたとはいえ、この場にいるのはマズイ。どこかのや茂みに姿を隠し、夜が明けるのを待とう。

 幸い、周りは背の高い草ばかりだった。中に入ってしまえば、見つかる可能性は低い。

 ゴロン、と転がり、空を見上げた。

 月は見えない。新月だ。代わりに満天の星空が輝いている。こんな小さなことでさえ感動できるようになってしまった俺は、どうかしているようだ。

 しかし、とんでもないことになってしまったようである。バスの中にいたと思えば、着いたのはよく分からない場所。おまけに出会ったのは何処かの国の王女様で、敵も魔術を使う。

 常識はずれだ。まず日本ではない。


 と、ひと段落ついたせいか、猛烈な疲労感と虚脱感に襲われた。今まで生きてきたが、ここまで疲れたことは一度も無い。まるで身体中に重りが着いているかのようだ。さらに、アドレナリンの恩恵も切れ始めているようで、足も痛み始めてきた。

 もう動けない。俺は、そのまま泥のように眠った。




 次に目を覚ましたのは、腹に鋭い痛みを感じてからだった。

 重い目蓋を上げると、昨夜の男が座っている。

 どうして。

 ここなら姿は見えないはず。

 そこまで考えて、ふと、足の血を思い出した。あの時は這って移動をしていた。絶対に後が残っているだろう。それを追ってここまで来たのか。

 俺はバカだ。なぜあの時跡を消しておかなかったのか。


「やっぱり生きてたんだね」


 男は、深々と刺さったナイフを引き抜きながらこう言った。

 昨日から痛みに晒され続けた体は、とうとう何も感じられなくなってきているようだった。


「ま、ここで死ぬからどっちでもいいんだけどね」


 もう一度ナイフを突き立てる。

 急に寒くなってきた。だが、今は初夏。寒さなど感じることすらない。

 死神が歩み寄ってきている証拠だというのはよく分かった。

 昨日はあんなに頑張ってくれていた細胞たちも、ついに精魂尽き果てたようだ。みるみる血の海ができていった。

 視界が赤くぼやけていく。口からはとめどなく血が流れ出ていた。


「おやすみ。名前も知らない勇者君」


 意識が闇に呑まれたのは、その直後だった。






 □■□■□■□■□■□







「う、うぅ……」


 本日二度目の目覚め。

 まだ東の空に居た太陽も、今ではすっかりフル活動だ。

 焼け付くような炎天下。いくら初夏だとはいえ、侮ってはいけない。

 その時、最も大事なことを思い出した。

 慌てて腹を確認する。

 傷はなかった。それどころか、足の傷さえ完治していた。

 やはり死んではいない。

 夢ではないのか。

 しかし、虚脱感は残ったままだ。頭もガンガンと痛む。なったことはないが、これが二日酔いの感覚なのだろう。

 疲れはむしろ以前よりも酷くなっている気がした。

 が、なぜか足は治っていたので、移動は早くなった。

 とりあえずは、この周辺を重点的に捜索しよう。

 周囲に怪しいものがないか、探し出した。

 この辺りは農地のようで、あの子屋以外に建物はなかった。そして、あの子屋にも既に誰もいなかった。奥の部屋には、ニーナの姿はおろか、あの男たちの姿さえなかった。

 すでにもぬけの殻だったのだ。

 その場には、不可思議な石しかなかった。

 では、一体どこに行ってしまったのか。

 謎が深まるばかりだ。

 俺は、農地の間にあるデコボコした道を歩いていた。

 聞き込みも、人に出会わないのでろくにできないし、埒が明かなかった。

 青い空には入道雲が立ち上っている。横では鳥がグルグルと円を描いていた。

 やはり、暑い。

 幾つもの汗が俺の頬をなぞっていく。

 水なんて持っているはずもない。暑さで頭がやられてしまいそうだ。

 と、目の前から馬車が通りかかった。馬車を引いているのは馬ではないので、馬車ではないはずだが。

 しかし、やけに大きな荷台だ。きっと食料や物資を大量に積んでいるのだろう。

 特別興味があるわけでもなく、素通りしようとすると、偶然、隙間から見覚えのある顔が見えた。

 整った輪郭。美しい茶髪。

 顔はやつれ果て、髪もツヤを無くしているが、でもはっきりと分かる。

 間違いない。ニーナだ。

 どうしてこんなところに。


 すぐに助け出したい衝動に駆られるが、咄嗟に考えた。

 きっと中にはまだ奴らがいる。馬使いもグルかもしれない。俺が飛び込めば、ニーナ(あいつ)も俺も、確実に殺される。

 昨日もこんな感じだった。なら、どうすればこの馬車に乗れるのか。

 考えはすぐに浮かんだ。


「あのー、すいません、どちらに向かうんですか?」

「ん?あぁ、ミリスだよ」

「ミリスですか!偶然ですね、私もそちらに向かおうとしていたんですよ!よければご一緒させてもらってもよろしいですか?」


 地名などはっきり言ってどうでもいい。適当に相槌を打っておけば問題ないだろう。

 とにかく、この馬車に乗れればいいのだ。


「いいよ、乗ってきな。ただ、ちょっと揺れるぜ?」


 潜入成功。

 と同時に、この馬使いが敵でもないことが分かった。ジョーク交じりに気軽に乗せてくれる辺り、どうも悪人とは考えにくい。それに、俺の他にも先客がいることを気づいていなさそうだった。

 ただし、あくまでこれは俺の勘なので、しっかりとした確証は得られていないのだが。


「お邪魔しまーす……」


 中に入ると、二人のマッチョさんが出迎えてくれた。どちらも見たことがない。あの場にはいなかったようだ。

 そして、男たちに挟まれるかのように、ニーナは座っていた。

 最初、ニーナはすぐに俺に気づいた。しかし、周りには筋肉が二人居るので、あまり表情を顔に出していなかった。

 男たちは、俺をじっと見ていたが、何を考えたか無関心に視線を外した。

 できるだけ距離をとってから、周りに武器になりそうなものがないか探す。相手の腰には立派は刃物がぶら下がっている。昨日のような木の棒などでは太刀打ちできない。まして二人はガチムチなマッチョさん。素手でも十分強いだろう。

 と、荷物と荷物の間に長めの剣が挟まっていた。

 いきなりだが、剣道なら得意だ。中学まで続けていた。腕はなまっているだろうが、あの時は無類の強さを誇っていた。師範から免許皆伝をもらったくらいだ。

 勝てるかもしれない。一筋の光が見えてきた。


「お三方もミリスに向かっているのですか?」

「……」


 隙を作ろうと話しかけてみたが、全くの無反応。

 無視かよ。


「ところで、その女の子、何処かで見たことあるんですよねー。どこだったっけなぁ……」


 少しムカついたので、挑発してみる。すると、案の定二人の目の色が変わった。

 もう一押し。


「あ、そうだ、この子、王女様ですよね?ニーナ・アストレア様。でも、どうしてこんなところに?」

「小僧、でしゃばるなよ。死にたくなかったらな」


 おっと、脅しか。

 無表情に隠れて分からないが、やはりイライラしているようだ。何も発しなかった口から、初めて言葉が出てきた。もう片方の男も、腰のナイフに手をかけている。

 だが、そんな脅しで折れる俺ではない。


「おっと、すいません。私、何かお気に障ることでも言いました?」

「おい、やれ。目障りだ」


 来た。

 一人の男の言葉が皮切りになり、戦闘が始まってしまった。

 降ろされるナイフをよけ、すぐさま剣を取る。竹刀よりもずっしりと重たいが、使い勝手に支障はない。

 ナイフの当たる位置を予測し、剣で受け止めた。と同時に、空いた腹に蹴りを叩き込んだ。

 男は二、三歩後ろによろめいた。

 初撃を避けられ、おまけに蹴りまでもらった男は、怒り頂点になり、顔を真っ赤にしていた。意外とプライドが高かったようだ。

 流石に三度目の殺し合いだ。そろそろ動きにも慣れてきた。

 襲い来る刃を避け、掴み、受け流す。これだけの動作があれば、まず死ぬことはない。

 しかも、ここは狭い室内だ。周りに当てないように気を使っていたのか、ナイフのスピードはまるでなかった。

 剣を振りかぶり、降ろす。ただそれだけの動きなのに、どんどんと相手は後退していく。

 押して、押して、押す。

 ついに剣が腕に当たった。ザクっという音と共に、包丁の何倍も嫌な感覚が脳に伝わってきた。


 よし、勝てる。


 だが、この時俺は油断していた。いや、忘れていた。

 まさかもう一人も攻撃してくるなんて。

 背中に激痛。ナイフで刺されたと理解するのには数秒かかった。

 迂闊だった。

 思わずたたらを踏む。床に垂れた血が赤い染みを作っていく。背中を触ると、ぬるりとした気持ち悪い手応えがあった。

 一気に劣勢になってしまった。こちらは手負いに対して、相手は依然として無傷。しかも二人だ。

 不幸は重なる。戦いの中で、ボロボロだった馬車が崩れ始めたのだ。

 突然の出来事に対応できず、投げ出された俺は、為す術なく地面に叩きつけられた。


 頭がクラクラする。頭を強く打ったというのもあるが、何よりも出血が酷い。

 この二日間で何回刺されただろうか。

 この二日間で何回死にかけただろうか。

 どちらにせよ、この世界は普通ではない。それだけは分かった。


「ったく、手間かけさせやがって……」


 と、男の一人がこちら側に歩いてきた。咄嗟に剣を探すも、落ちていたのはギリギリ手の届かない場所だった。

 もう体は少しも動かない。剣を取りに行く力はどこにもなかった。


「お前の、負けだ」


 死神がまた俺の袖を引いている。が、もうこの感覚には慣れた。早々に意識を手放し、楽になってしまおう。

 目が覚めれば、もう一度戦えばいい。

 もしも目が覚めなかったとしても、誰も悲しみやしないさ。


「い……な……で」


 聞こえない。誰かの声が耳に入ったが、もうそれはただの雑音でしかなかった。


「待って……たす……て」


 まるで水の中に浮いているような、そんな気分だ。

 静かにしてくれよ。俺は今、眠いんだ。俺を呼び戻すお前は、誰なんだよ。


「お願い。まだ、まだ行かないで」


 ともすればそれは消え入りそうな声だった。


 バクッと、心臓が跳ねる。

 閉じかけていた目蓋が完全に開いた。


「死んでられるかってんだよ……こんなとこで!」


 俺は天に咆えながら立ち上がる。

 何度も血を吐くが、まだ倒れてはならない。

 護るべき人がいるから。

 こんな俺でさえ、想ってくれる人がいるから。


「なんだよお前……」


 男たちは凍りついていた。

 血走った目で敵を見やる。やることは一つ。こいつらを倒すことだけだ。

 剣を拾い上げ、静かに構えた。

 真剣術『百花繚乱の構え』。

 俺は燃える吐息を一つ吐き、固まった男たちを見据えた。


 やれるのか?

 否、やるしかないのだ。


 あっちは戦闘の達人だろう?

 だからなんだ。こっちは剣の達人だぞ?


 自問自答を繰り返し、こころの闇に蓋をした。

 直ぐに走り出す。最初はゆっくりと、徐々にスピードをつけ、最後は全力で。


「う、うわあああああっ!」


 ナイフを持った男は、怖気付いたのか、刃を振りかざした。


「邪魔だ。どけ」


 剣でナイフを叩き落とした。ギィッという鉄のこすれる音と共に、火花が飛んだ。

 力を込めて押し返すと、バランスを崩した男は大きくよろめき、その場に倒れこんだ。

 すかさず前に踏み出す。


「睦月型・藪椿」


 横薙ぎに振られた剣は、綺麗な横一直線を描き、男を豆腐のように両断した。

 俺のものではない血で手が赤く染められていく。噴水のように血を吹き出す、男だった肉塊を一瞥すると、すぐにもう一人に目を向けた。


 もう一度駆ける。

 と、目の前に大きな岩が立ちはだかった。

 昨日俺が散々にやられた、あの技だ。いや、あれよりも数倍デカい。

 俺は地を蹴り、翔んだ。

 男は両手を俺の方に向けながら何かを唱えている。


(ストーン)……」

「如月型……」


 岩の塊が発射されるのと、俺の技が出るのはほぼ同時だった。


砲ッ(キャノン)!」

「沈丁花ッ!」


 ぶつかり合う技同士が轟音を立てていく。

 落とす技と吹き飛ばす技。両者とも一歩も退かなかった。

 あまりの力技に、両者ともに体の毛細血管がプチプチと切れはじめる。それでも、俺は歯をぐっと食いしばり、雄叫びをあげた。


「ガアァァァァァァァッ!!」


 と同時に、剣から伝わる重みがなくなった。

 耳を劈く破壊音。ついにあの岩を壊したのだ。

 その勢いのまま、男を斬る。一瞬、時間の流れが遅くなったように感じた。

 ゆっくりと流れていく時の中、男は何が起こったのか分からないという顔をしていた。


「俺の、負けか」

「とどめだ!如月型・麗月!!」


 落とし斬りで下向きだった剣を逆さにし斬り上げる。倒れかけていた相手を逆向きに吹き飛ばし、俺の剣は無駄な傷をつけぬまま、ただ一点を真っ直ぐ切り裂いていた。

 十メートルほど上がった体は、やがて重力に身を任せ、背を地に叩きつけた。

 何秒経っても起き上がらない。俺はこの時、初めて自分が勝ったことを知った。

 馬使いのおじさんが慌てて飛び出してきた。大丈夫か、何があったんだ、と親身になって聞いてきてくれる。

 しかし、当の俺はというと、しばらく放心状態だった。ポカーンとした表情で固まっていた。

 何せあんな訳のわからない奴らと戦ったのだ。岩が飛んできたり、岩を生み出したりなんて、やっぱり理解の範疇を超えている。

 脳の情報処理が追いついていかなかった。

 そして、動けなかった理由がもう一つ。

 とっさの判断とはいえ、人を殺めてしまった。

 いくら相手が最初に襲ってきたとはいえ、これだけは逃れようのない事実。

 人の未来を奪ったのだ。

 手に残ったあの感触は、二度と忘れることのできない記憶として、脳に染み込んでいくことだろう。


 と、命の危機が去った安堵感のせいか、急に傷口がジクジク痛み出した。

 いてて、と背中に手を回すと、いつの間にかそこには彼女が立っていた。

 顔は涙やら何やらでぐしょぐしょになっていて、やつれた顔がより一層酷く見えた。


「……馬鹿」

「ははは、また助けちゃったな」

「何度も助けてって呼んだのに、全然来てくれなかった」

「すまん。遅れた」

「謝ったって許さないんだから」


 彼女は涙を流しながら、必死に笑顔を作っていた。

 何があったか、なんて、それを聞くのは野暮だ。


「おかえり」

「ただいま」


 視線が交差し合う。

 俺もニーナも、すっきりとした顔だった。


「さ、早く帰りましょ!皆が心配してるわ!」


 ニーナは改まってこちらを向くと、俺の手を引き、歩き出した。

 晴れ渡った、気持ちのいい青空の下だった。


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