#・LAST 未来は
「松葉杖って辛いなー……」
帰ってきたぜ、俺。
アストレア城へ続く道を、俺は杖を使って延々と歩いていた。
と言うのも、病室に戻ってきた直後に医者から「あ、歩けてるね。うんうん。じゃいいよ、帰って。いや、帰れ」と、半ば強引に退院させられたのだ。
ついでに言えば、OKを出されたのもほんの一時間ほど前。まだ数時間しか経っていない。
あの医者、腕は確かだが性格はクズだ。クズの極みだ。
粗大ゴミか生ゴミで出されていても違和感を感じないレベルだと思う。
もうちょっと患者をいたわったりはしないのだろうか。
俺が飯を食えない時は、わざと口を外して粥を食わせてきた。
熱くてたまらなかった。
本来なら善意でやるものだろうが、あの顔はダメだ。嘲笑で顔が歪んでいた。
リハビリの時もそうだ。何度杖を折られたかわからない。
ちなみに、その時も笑顔だった。
病院を出た時だって、「あー、もう来んなよ。仕事増えるから」とか言ってたし……。
いや、悪い人ではない。まだ善い心は残っているはずだ。ほんの少し根性がひねくれてるだけなのだ。
そう信じたい。
入口に辿り着いたが、そこには誰もいなかった。
太陽はさんさんと日差しを振りまいている。慣れない杖でここまで来たせいか、汗もたくさんかいていた。
門をノックするが、やはり返事はない。
昼メシでも食ってるのか?
……仕方ない、日陰で待つか。
この世界には『時間』という概念がほとんどない。
朝は太陽と共に目覚め、夜は月に世界を任せて眠る。
今まで時間に縛られていた俺にとっては、かなり新鮮な体験だった。実際、今もまだ慣れないし、たまに時計が欲しいと思ったりもする。
空では、鳥が大きな円を描きながら飛んでいる。照りつける日差しはいよいよ夏めいており、暑さに身を投じる季節を覚悟した。
ふと、自分の服を見た。俺の制服はここに来てから変わっていない。そのせいか、ところどころ穴が空いていた。袖なんてもうボロボロだ。何度も洗ってはいるものの、ブレザーからは染み付いた血の匂いがする。
こんな制服で登校したらどうだろう。
考えるまでもない。即座に教師に捕まって、警察に身柄渡されて、さようならー、だ。
そう考えると、こっちにある素材でもなんとか量産したいな、と思った。今ではこの制服だけが元の世界を思い出すただ一つの手がかりだ。たとえ同じものでなくとも、失いたくはなかった。
その時、すぐそばでガチャリ、という音。
振り向くと、青いワンピースを纏った少女が立っていた。今の天気を体現するかのように染められたワンピースは、見ていても清々しいほどだ。
「おかえり」
「ただいま」
ドヤ顔で『おかえり』と言われた。腕を胸の前で組み、弁慶よろしく仁王立ちしている。
ふふんと鼻を鳴らす彼女は、今日も元気だ。
やっぱり嬉しいな。
「随分長かったわね。どっかに寄り道でもしたの?」
「こんな体じゃ、歩くことだって重労働なんだよ。……ったく、早く杖無しで歩きたいぜ」
「あんたが無茶し過ぎるからこうなるんでしょ。ちょっとくらい体いたわりなさいよ」
ニーナはキツく言っているが、実際はどう思っているのだろうか。さすがにただの雑用係だったらショックだが……。
敷地に入ってまっすぐ進むと、大きな邸宅が近づいてきた。
改めて見るとやはりデカイ、と思う。
周りにこの建物と比較するものがないせいかもしれないが、それにしたても大きい。俺の家が何個分入るだろうか。
窓なんていくつあるのか分からない。とある夢の国のホテルだって、こんなに大量の窓はないと思う。
そういえば、先ほどからロイの姿が見えないが、どこにいるのだろう。
「今日はロイさん来てないんだな」
俺がそう言うと、ニーナは伏せ目がちに呟いた。
「……検診の日だから、一日帰ってこないわ」
検診。
検診って、あれか、健康診断か。
確かにロイも年だし、体気をつけないと倒れちゃうもんな。
いや、でもそうすると、いつかの洞窟で見せた無双っぷりの説明が着かない。周りを血の海に変えていた人が、なぜ今更になって体調を気にし始めるのか。
普通に考えて戦うのやめるだろ。
ダメだ。考え過ぎて頭が痛い。
「……分からん。教えて?」
ここは素直に聞いた方が早いのだ。
しかし、ニーナはあまり話したがらなかった。いつもはあれだけ笑顔でベラベラと喋り倒すような奴なのに。
そんなに辛いなら言わなくていいーーそう伝えようとした時、ゆっくりと彼女が口を開いた。
「ロイは魔物の魔力を持っててね、巷じゃ『魔人』って呼ばれてるの。性格いいし、みんなから慕われてるけど、やっぱりその辺りはしっかりしておきたいって、半年に一回検診に行ってるのよ」
最初の方のことは知っている。
そりゃ、私も魔人らしいですからね。
だが、検診の話は詳しく聞かなかった。そもそもそんなことがあること自体、初めて聞いた。
そして気のせいだろうか、ロイのことを語るニーナの表情が、心なしか暗く見えた。
「……なんかヤな思い出でもあんのか」
「いや、ちょっと、ね。もしこれでロイが『魔神候補』ってされたら殺されちゃうから……」
は?
唐突に出た言葉に、一瞬思考が停止する。
『魔神候補』ってなんぞ。
「妖族と違って、魔人は魔力が不安定だから、少し間違えるとすぐに暴走しちゃうの。特にロイみたいな大陸でも指折りの強さを持つ人が暴走すれば、すぐさま『魔神』ってみなされて……殺されるわ」
淡々と語られる現実に言葉を失う。
『魔神候補』とはなんなのか。もはやそんなことは頭になかった。
ロイさんが殺される?
なぜ他人の都合で誰かが殺されなくてはならない?
俺たちは望んでこんな体になったわけじゃない。
老人の耳が遠いのと同じ。
赤子がうまく喋れないことと同じ。
人それぞれだ。個性があっていいじゃないか。
それなのに、どうして。
しかも、俺みたいに自分の存在意義を理解できない奴だって少なからずいるはずだ。
利用するだけ利用して、自分たちの状況が危なくなったら切り捨てるのか。
ふざけるな。
そんなこと、許されるわけがない。
「おかしいよね。みんな同じ人間なのに互いを監視しあって、少しでも異端を見つければ全員でそれを排除する。そんなの狂ってるよ」
「ああ。その通りだ。本来ならもっと手厚く接しなきゃいけないのに」
口ではそう言っているが、実際怒りの矛先は自分に向いていた。
別に、何もできないからとか、動くことができないとか、そんなことではない。
俺が単身で突っ込めば、間違いなく返り討ちにされるだろう。
俺が魔人だとバレればなおさらだ。世間が魔人を見る目は一層冷たいものになるに違いない。
だが、俺が怒っているのはそこじゃない。
世の理をわかっていながら、現実を受け入れてしまいそうな自分が腹立たしいのだ。
「世の中で俺たちが避けられているのは、俺たちが魔人だから」なんて思ったら、それこそ本当に歪んだ常識に屈することになってしまう。
それだけは避けたい。なんとしても。
「ヒツギは……ロイのこと嫌いになった?」
不安げにニーナが聞いてきた。
上目がちになり、怯えた小動物のようにこちらを見ている。
「んな訳あるか。さすがにそこまで腐ってねーっての」
そう答えると、今までの表情が嘘のように明るくなった。
やっぱり悩んでたらしい。
こんな顔をされると、うっかり俺も「自分が魔人だ」なんてことを漏らしそうになってしまう。
実を言うと、ニーナには本当のことを伝えていない。
そもそも一国に魔人がいるというだけでも稀なのだ。二人もいるなんてわかったら、それこそ戦争が起こる。
魔人を奪い合うだけの、醜い争い。
くそっ、ここでも俺たちの意見はないだろうな。
「おい。おーい。顔が暗いぞ。どうしたの?」
「あ、いや、なんでもない。それより、ちょっと急ごうぜ?なんか早く帰りたくなっちゃったなー……なんて」
「もう、ホント身勝手なんだから!」
ぷーっとニーナは頬を膨らませた。
ははは、と笑いながらニーナをなだめる。さすがに彼女も冗談だとわかっているようで、すぐに顔をほころばせた。
……バレていなかっただろうか。うまくごまかせただろうか。
俺の顔が少し歪んだことを。
もし、自分が暴走したらどうしようーーなんて考えてしまったことを。
今、平穏な日々が手に入りそうだからこそ、俺はこの日常が壊れるのが怖かった。
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久方ぶりに帰る屋敷は、当たり前だが何も変わっていなかった。
しかし、逆にそれが一番嬉しい。
玄関では、召使いの方々が勢揃いしていた。皆、口々に暖かい言葉をかけてくれる。
なんだか照れくさい。
よくお世話になっている侍女や執事の人たちも、俺の無事を喜んでくれた。そして、花束と一緒に祝いの品として黒いローブをくれた。
「これは?」
「『常闇の衣』というローブよ。身につけていると魔力消費が抑えられるらしいの。一昨日、たまたま市場に出回ってたから、ちょうどいいと思って買っちゃった」
ぽりぽりと後頭部を掻いて控えめに笑いながら、メイドの一人が言った。
ローブは牛革のような手触りで、その名の通り黒く染め上げられている。
身に纏うと、ギザギザな布の端が妖しげに揺れた。
「そうそう、それナイトバットの皮を加工しているから少し獣臭いかもしれないけど、許してね」
試しに匂いを嗅いでみる。
……なるほど、微かに獣のような臭いがした。元の世界では嗅いだことのない不思議な臭いだ。
ナイトバットとはやはり魔物の名だろう。「バット」とつくくらいだから、コウモリのお化けサイズか。
洞窟とかで出くわしたら少しビビりそうだ。
それにしても、『常闇の衣』とはまた随分と中二病な名前だ。これを作った職人さんは、片目や片腕が疼いてしかたないのだろうか。
「ありがとうございます。大事にします」
「うふふ、そうしてくれると嬉しいわ」
とにかく、ここはありがたく受け取っておこう。近いうちに性能テストがてら魔物狩りにでも行きたいな。
それからも、シェフにミニケーキを作ってもらったり、よく書斎の手入れをしている執事の人にオススメの本を教えてもらったりと、とても幸せな時間を過ごした。
本当にありがたい。皆家族のように接してくれる。心があったかいとは、きっとこんな感じなのだろう。
ーー元の世界とは大違いだな。
と、その時だった。
「おやおや、いつの間にか帰っていらっしゃったのですね。ヒツギ様」
振り向くと、いつの間にか白髪の紳士が微笑みながら立っていた。
「ロイさん!」
ロイは、笑顔のままこちらを見守るだけだ。
「体、大丈夫ですか?なんかすごい時間かかるってニーナ……様から聞きましたけど」
とりあえず、召使いという建前は守っておかなければ。危うく「様」をつけ忘れるところだった。横目でニーナがビクッとするのが見えたが、今は触れないでおこう。
「いえ、いつものことですので、今日はすぐ終わりましたよ。それに、担当医の方もあなたが退院したことを知っていたみたいですし……ね」
「え」
まさか。
ロイに目で確認すると、無言で微笑まれた。
あれか、あの鬼医者か。
どうりで俺を早く帰そうとしていた訳だ。これまでのドSプレイはともかく、今朝の不可解な行動も頷ける。
しかし、俺がここに戻ってくる時、ロイの姿は見かけなかった。あの医者が別の病院に行くにしても、検診がそんな短時間で終わるはずがない。
一体どうやって?
「彼女とは古い馴染みなんですよ。簡単な検査ですぐ終わりにしてくれました。でも、おかげで彼女かなり走ったらしいですけどね」
意外だ。意外すぎる。
いつも憮然としていたあの人が息切れしている姿を想像できない。
今度会う機会があれば、改めてお礼を言っておこう。
俺は驚きと同時に感謝を覚えた。
「じゃ、ロイさんも帰ってきたことだし、早速例のアレに取り掛かりますかァ!」
と、今まで後ろにいたシェフがパンパン、と手を叩いて指示を出し始めた。侍女さんや執事の人たちから、果てはニーナまでせかせかとしている。
いったい何が始まるのだろうか?
「あの、なんかやることあれば手伝いますよ?今まで寝てただけですし」
「いいのいいの。君は待ってて。じゃないと色々おかしなことになるんだ」
シェフは苦笑しながらそう言った。
ますますわけがわからない。
しかし、今は言われた通りに座っていた方が良さそうだ。
何時間待っただろうか。
世界は真っ赤に染まり、もうすっかり夕暮れだ。
リハビリがてらネコのレプリカを作り終わって一つ息をついていたら、先ほどのシェフが厨房から出てきた。長い帽子を右手に持ち、白いシャツにジーンズ、シミだらけの大きな前掛けという、いかにも料理人というようないでたちである。
「お待たせしました。こちらへ」
彼のいつもとは違う反応に、また驚いた。後に続いて緊張しながら歩く。
長い廊下を歩き、右に曲がり、左に曲がり、しばらくすると、薄暗い場所に出た。
辺りは静寂に満ちている。生き物の気配すら感じられない。
目が闇に慣れてくると、今まで見えなかったものがうすぼんやりと見えてきた。
随分と大きい。体育館くらいはあるだろうか。
目の前には机があった。が、長すぎて向こう側が見えない。暗いせいでもあるが、それにしても大きい。目を凝らすと、何か机の上に置いてあるようだった。
やはり闇で何も分からないが。
「どうぞお掛けください」
シェフは机から椅子を一つ引いた。
おずおずとそれに座る。
なんだか照れくさい。自然と肩身が狭くなってしまう。
「さぁ、始めましょうか」
シェフが二、三度手を叩く。すると、止まっていた時間が動き出すかのように、世界が一斉に彩られていった。
暗闇に隠れていたろうそくに火が灯る。目の前に広がるのは、晩餐。どこか現実離れしているが、しかし幻想ではない。
ただただ、言葉を失うだけだった。
「この間助けてもらったお礼。ちょうどいいと思って、みんなにも手伝ってもらっちゃった。
その……助けてくれて、あ、ありがと」
どこからか現れたニーナは、照れ隠しながらそう言った。相変わらずの上目遣いは勘弁してほしい。反則だ。
「今日はお祝いだから、たくさん食べて……って、なんで泣いてんの⁉︎」
「え……」
ふと目に手をやる。
いつの間にか、ひとすじの涙が溢れていた。
慌てて拭き取るが、なぜかその涙は止まらない。
「お、おかしいな、ははは……」
「……」
止まらない。止まらない。
悲しくなんてない。今、俺は間違いなく幸せなはずだ。なのに、なぜこんなにも涙が出てくるんだ。
とめどなく流れる涙を必死で抑えていると、不意に背中に温かな感覚を感じた。肩越しに振り向くと、無言で俺に腕を回すニーナがいた。突然の行動に思わず飛び上がってしまう。
「ち、ちょっと王女様⁉︎」
「大丈夫。もしまた君が悲しくなったら、こうやって温めてあげるから。だから、心配しないで」
「そうですよ。一人じゃないんです。ここにいるみんなが家族ですから」
俺は、しばらく周りを見渡すことしかできなかった。みんなの顔に蔑みや嫌悪の表情はない。さらに、俺のためにこんな会まで開いてくれた。ほとんど何も知らないはずの俺のために。
おや、また視界がぼやけてきたな。目にゴミでも入ったんだろう。きっと。
「うぐっ……うぅっ……」
その日、俺ははじめて人の優しさを知った。
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「ほーら、ぼさっとしてないでとっとと行くわよ!」
「いや、あんたまた来んのかよ⁉︎」
「トーゼンよ! だって家で待っててもつまんないんだもの」
「はぁ……。ロイさんもなんとか言ってやってくださいよ!」
「ふふふ、元気があることはとてもいいことですよ。来ても全然構いません。ですがお嬢様、あまり危険なことはしないでくださいね?」
「やった! ほら、ロイからOK貰ったわよ? なんか文句ある?」
「ぬぬぬ……」
降り注ぐ日光の下、俺たちは次なる任務へ足を進めていた。もちろん、現実全てを受け入れたわけじゃない。まだ信じられないことはたくさんあるし、信じたくないことだって、この先いくらでも出てくるだろう。
でも、前に進まなくちゃ。いつまでもここに停滞していたら、そのうち脳みそがかびてしまいそうだ。俺を信じ、背中を押してくれる人だっているのに、そんなことをしたら申し訳が立たない。
「じゃ、しゅっぱーつ!」
「先が思いやられる」
「まあまぁそう言わずに。しかも、旅は楽しいほうがいいでしょう?」
焼け付く太陽に見下ろされながら、俺たちはまた歩き出す。
未来をより良いものにするために。




