#9・戦いの裏で
「ちょっと!いい加減おろしてよ!」
「ダメです。もう少しですから我慢してください」
先の脱出からしばらく経ったが、ロイは未だ森を走っていた。
太陽は傾き始め、森は赤く染まってきている。時折、地を揺らすような轟音が響くと、バサバサと野鳥たちが逃げ惑っていた。
「あんな魔物一人でだって倒せるわよ!」
「そんなこと言って、実際人質に取られていたのはどこの誰ですか」
「あ……あれは不意を突かれたというか……」
流石の彼といえど、大人二人を抱えて走るのは辛い。体質上力が強くとも、ここで本気を出せばニーナ達を傷つけかねない。おまけにここは森の中。足元が悪く、こけてしまえばそれこそ大惨事だ。
と、ロイの後ろから忍び寄る不穏な影。
数体のゴブリンが彼を仕留めにきたようだ。
「追っ手がきたようです。仕方ないですが、少し飛ばしますよ」
「え、ちょ、ちょっと待って、あんたが本気出したらあたし達死んじゃうと思うの。だから、ね?ね?」
「"加速"」
「いいぃぃぃぃやあぁぁぁぁぁ‼︎」
あなたが暴れるからすぐに帰らなくちゃいけないんですよ。ロイは密かに思った。
足に力を込め、地面を思い切り蹴る。
景色が早送りのように流れていく。
途中、ニーナが何か叫んでいるようだったが、風を切る音で耳に入ってこなかった。
それからほんの数十秒で森を抜けた。振り向いても、追ってくる鬼たちはいない。
"加速"のスピードを保ったまま、跳んだ。家屋を楽々と飛び越し、道をショートカットする。
細道を抜け大通りに出ると、坂の先にリッツの家が見えた。
「ほら、着きましたよ。お願いですからいい子で待っていてくださいね」
腕に抱えたニーナを見るがーー返事がない。
顔を覗き込むと、クルクルと目を回していた。
「お嬢様?お嬢様ー。……ふぅ」
少しやり過ぎてしまったようだ。
門前に立っていた警備員に事情を説明し、リッツとニーナを預けた。
警備員は、いきなりの訪問にやや驚いている様子だった。
リッツは相も変わらず抜け殻同然だが、本当に大丈夫だろうか。精神障害で廃人にならなければいいのだが。
ニーナはあれからすぐに目を覚ました。が、そこからが大変だった。やれ洞窟に戻るだの、今度は負ける気がしないだの、まるで怪獣のようにわめき散らした。何とかなだめられないかと思い、「露店で好きなだけおみやげを買ってあげる」という条件で待っていてもらった。まだ少し不満そうだったが、分かってほしい。
と、その時。
ズゥーン……と腹に響くような衝撃。
ハッと思い、急いで大通りに出ると、人々が一点を指してどよめいている。悲鳴を上げる者もいれば、目を見開いて驚いている者もいた。
建物に隠れてその場所は見えなかったが、空にはもくもくと黒煙が上がっているのが分かった。
同時に、ロイはあることを思い出す。
ヒツギと二人で廃坑に行った時、周りには硫黄の臭いが充満していた。つまり、空気中には大量の可燃ガスが漂っていたことになる。
決戦場となった洞窟では、ガスは噴き出ていなかったが、あれだけの激闘だ。一部が漏れ出ている可能性は十分にありえる。
「まさか……」
ヒツギは魔法の恐ろしさを知らない。だとすれば、彼は加減をせずに火魔法を発動させてしまったのではないか。
ロイは、電光石火の如く廃坑へ向かった。
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地獄。
一言で形容するなら、ただそれだけだった。
青々と茂っていた森は一変、モノクロの世界に。
心安らぐ鳥のさえずりも、風で木々の葉がこすれる音も、もう何も聞こえない。
あるのは、燃え盛る溶岩の音のみ。
山があった場所は抉られ、そこらかしこで崩落が始まっている。麓からでもグツグツと煮えたぎる溶岩が見えた。
さながらクレーターのようだ。
以前の景色を思い出させるものなど、残されていなかった。
「"加速"」
すぐに山を駆け上り、山頂へ走る。
爆発により、山はいっそう険しさを増していたが、そんなこと彼には関係ない。
ロイの頭にあるのはただ一つ、ある若者のことだけだ。
「ヒツギさん……」
ヒツギは魔法を知らなかった。
腕の上達には目を見張るものがあったものの、それでも魔法に触れてまだ日は浅い。コントロールも、あまり上手くできていなかった。
おそらく、今回も何らかのことが原因で魔法が暴発してしまったのだろう。
焦って敵を一掃しようとしたのかもしれない。
慌てるなとあれほど言ったのに……。ロイは心の中でヒツギを叱る。
心の乱れとはすなわち、魔法の乱れ。
よほどの者でない限り、そんな状態で魔法を扱うことはできない。彼はまだその地点まで達していなかったのだ。
と、そろそろ頂上が見えてきた。この距離であれば三秒とかからない。しかしロイは、この時がもっと長く続いてくれ、と祈らずにはいられなかった。
山のてっぺんに、前のめり気味に止まった。
下を見ると、被害の大きさが目に見えてわかった。山の中心が異様に凹んでいる。きっとそこが一番被害の大きかった場所だろう。あの辺りで戦っていたに違いない。
ロイは宙を舞った。その場所めがけて、上空へ。
ふわっと、一瞬浮遊感が訪れる。
しかしつかの間、すぐに落下が始まった。
地面が近づくと、全身を丸めるようにして着地。
ゆっくりと起き上がり、辺りを見回す。
下に降りてから最初に気づいたのは、肉が焦げたような臭いだった。
酷い臭いだ。思わず鼻をつまみたくなる。
頂上にいた時は分からなかったが、よく見れば黒い塊がゴロゴロと転がっているではないか。
鬼の形をしたそれが何なのか、確認などする気はないが。
死骸をかき分けヒツギを探すも、彼はまだ姿を現さなかった。
どんな姿であろうとも、彼は絶対に連れて帰る。
それが、今のロイの思いだった。
その時、ふと、あることに気がついた。今までバラバラに倒れていたゴブリンが、極端に固まっている場所があるのだ。ちょうど、何かを囲むように。
ロイは咄嗟に一歩踏み出した。
と、これまた突然。
空が闇に包まれた。
同時に、信じられないほどの魔力が、ここへ集まってくる。
それはやがて黒い渦となり、何かを象り始めた。
罠でも仕掛けられていたのか、と思い身構えるも、そうではないらしい。
では、一体何がーー
いくら考えても、ロイはまだ現実を受け入れることができていなかった。
こうして魔力が具現化すること自体は、何もおかしな事ではない。
近年の研究によって、魔物は交配だけでなく、自然発生することも確認された。今のように魔力が集まり、一つの生物を生み出すのだ。
しかし、それが起こるのは、ほとんどが迷宮の中ーー特に、ボス級のモンスターである。
だが、ここは迷宮ではない。まして、この感じは、決して魔物などではなかった。
「ヒツギさん?」
ヒツギ。
この山を吹き飛ばした張本人。
ロイは彼の魔力を誰よりも見てきた。
血液型と同じように、魔力にも人それぞれの特徴がある。
彼の魔力は猛々しいが、どこか儚く、簡単に壊れてしまいそうな脆弱さを持っていた。
そして今、その魔力は禍々しくうねり、己が肉体を構築している。姿を蛇のようにしながら、互いに絡みあっていた。
二匹の蛇が合わさり一匹の蛇に。そしてその蛇もまた他の蛇とーーという風になっている。
かなり歪んだ光景だが、なぜが幻想的にも見えた。
人間が作りかえられる。ありえないことだが、そんな姿はさながら新しい生命の誕生とも捉えられた。
「そんな馬鹿な……」
しかし、いや、だからこそ、ロイには理解できない。
ロイは、自分の弟子が音もなく創り変えられていくのを、ただただ見つめていることしかできなかった。