道中
その日の晩はいつものように夕食の準備や野営における雑事をこなしつつも、機嫌がとても良い久斗がいた。機嫌がいいのは翌朝に日本にいたころは常にしていた剣術の鍛錬ができるからである。
久斗にとって弓の鍛錬は嫌なことではなく、好きなことの一つであるが、そればかりしているのは苦痛であった。生死が懸かっているためにきちんと取り組むべき課題であると理解はしていたが、しかし「風の旅団」の庇護の下にあるため、あまり意識できないでいた。
もし魔法の修練が出来ていればその意識は違っていたのかも知れない、とターシャは睨んでいたが、現在は魔力の扱いに問題があり、その扱いに慣れるまでエストによって棚上げとなっていた。
それ故に、剣術の鍛錬は旅に出てから同じことの繰り返しである日々に新しい風を吹き入れるものであると期待していたのである。
やがて「風の旅団」の団員達は夜間警戒の人員を残して他のものは就寝していった。その中には、久斗の姿もあった。しかし、マロイから貰った木刀を大事に抱えて、遠足の前の日の子供のように興奮していたので寝付けないでいた。
――明日はまずあれをやって……、そして、あれもやって……。
耳を澄ませば火の爆ぜる音や夜行性の鳥類の声が聞こえる静かな夜の中。少年は翌朝の訓練メニューを考えているうちにいつの間にか寝息を立てていたのであった。
翌朝の目覚めは日の出と共にであった。この季節は日本での春と同じくらいの暖かさがあり所謂「春眠暁を覚えず」の言葉通り眠気をさそうものがあった。だが、この日は鍛錬への思い、期待から目覚めのだるさを何処かに捨ててしまっていたので、爽やかな寝起きであった。
早速久斗は作って貰った木刀を手にテントの外に出る。不寝番の担当であった団員と挨拶を交わしながら、昨夜のうちに決めておいた祖父から習った鍛錬法を順次試していった。
まず、弓の鍛錬でも行っていた体をほぐすための準備運動を始める。これについては弓と刀では使う筋肉が違うため同じものをするわけにはいかなかった。全身の筋肉を無理なくほぐすためのストレッチ自体は祖父から叩き込まれていたのでゆっくりではあるものの念入りに準備運動をしていく。ゆうに十五分はしていたであろうか、そうして体がきちんとほぐれた所で素振りである。
木刀を正眼に構え、ゆっくりと上段に振り上げ、そして勢いよく空想の敵の頭の所まで振り下ろす。これを三十本連続して繰り返して、また正眼の構えに戻す。しばらくして、また先ほどと同じようにして三十本素振りを行い正眼の構えに戻す。というように、正眼の構えから素振り三十本の組み合わせを五本行う。十代に入ったばかりの久斗ではそこまで振ると腕の筋肉は限界になる。そのため腕へのストレッチを入念に行い休憩に入る。
そうして休んでいた久斗に素振りの途中から見学に来ていたターシャが話しかけた。
「精が出るわね。はいこれ」
そういいながらタオルと飲み物を渡す。久斗は感謝の意を述べ、汗を拭いた後に飲み物をゆっくりと飲み干した。
「しかしまぁ、黙々とやっていたわね。何か神聖な儀式のように感じたわ」
「おじいちゃんにはまだまだって言われますよ。素振りの早さや振れ幅は毎回まちまちですし、後半になってくるともう型も崩れすぎていました」
ターシャの言葉に謙遜ではなく本心を返す。しかし、語っている時の顔は笑顔であった。
――悪い点も何もかもが楽しさにつながっているのかもしれないわね。前の世界にいた時から鍛錬は好きだったのかもしれないわね。
ターシャは久斗の言葉に首を振る。
「それでも、久斗君の歳を考えたら充分すぎる鍛錬よ。あたしだってしっかりした素振りが出来るようになったのは三、四年前くらいなんだし……」
ターシャの言葉に思わずといった感じで見詰めてしまう久斗。その眼差しにターシャは少し照れくさそうに言葉を継ぎ足した。
「あたしは他の人と比べて実力が身に着いたのはかなり遅かったわ。お師様はそれでも我慢強くあたしに指導してくれたから、それが今につながっているわ。鍛錬は自分を裏切らないとはよく言ったものよね。だからね、久斗君。君だって充分立派に……」
「あー、あの。その言葉はとても嬉しいんですが……。別に上手くいかなかったからといってへこたれてる訳じゃないですよ」
「それは分かってるわよ。君の顔を見れば一目瞭然じゃない。それでも言っておきたかったのよ」
ターシャは少し顔を赤らめてそっぽを向いた。久斗はそんな珍しい姿を見てドキリと胸が高鳴った。
「あ、あう……。でもでも、鍛錬はあれだけじゃないですよ?」
久斗は照れ隠しにターシャの度肝を抜く発言をしてしまう。その発言の意味が上手く理解できなかったのかターシャの目が点になっていた。
「え? ええ?! あれが鍛錬じゃないの?!」
その勢いに彼は後ろに下がりながらも答えていた。
「も、もちろんです。あれはどちらかというと下準備といいますか、本当に基礎訓練ですよ」
ただ刀を振るということしかしていないためある意味で正しい久斗の言葉に戸惑うターシャ。では一体本当の鍛錬とは何なのかと目は問い掛けていた。
それ視線に応える形で久斗は休憩を終わらせて本当の鍛錬に入った。しかし、本当の鍛錬といったものの、彼に出来ることはまだまだ門の入り口に入った所のような鍛錬法である。正眼に構え、型をなぞっていくのである。型自体はみっちりと祖父から教えられていたために問題なく殆どの型をなぞることが出来る。そうして十数本の型のうち、初歩ともいえる型を二、三選び、それを反復していく。
「注意しないといけない点は早くしすぎてはいけないことで、かといって遅すぎてもいけません。さらには正中線を崩さずに行うようにしないといけないのです。この正中線を崩さないというのが難しくて、型の所々で変化してしまうと失敗になります」
そう後に語った久斗はこの型の鍛錬を五歳の頃から仕込まれており、苦労することはなかった。ターシャは久斗の一定の速度による演舞に見とれていた。そして、型の鍛錬が終わった所でターシャは拍手を送った。そこに、更にターシャ以外の拍手も二つほど送られてきたのには久斗は勿論、ターシャも驚いていた。
「いやいや、どうにも見事なものですね。君の歳でここまで出来るのは凄いことですよ」
「ひ、さ、と、く~~~ん。すごかったですわぁ、お姉さんも吃驚でしてよ~」
拍手はエストとエレインのものであった。この二人はお互いにきたのではなく、エストが久斗に用事があるため鍛錬場所に行こうとしたところ、エレインがそれを目敏く見つけて勝手に付いて来たのである。
「エストさん、エレインさんおはようございます」
「おはよう、エスト。それと何しに来たのこのショタ娘」
ターシャからのいきなりのご挨拶に鼻白むエレインだったが、すぐに気を取り直したかのように久斗に対して笑顔を向けて話しかける。ご挨拶をしたターシャは無視された形となった。
「おはよう久斗君。さっきの鍛錬本当に凄かったですわ。あのくらいの鍛錬でしたらここの団員でも大概の人はできてしまうでしょうけれど、それを君の歳からですと……。もう、食べちゃいたいくらいですわ。クスクスクス」
最後の台詞は意味が分からなかったが褒められていたことは分かったため、照れながらも何処か誇らしげな久斗。それを見るなり、ターシャは魔法の修練の時と同じようにエレインに突っ掛かっていった。
「ちょっとショタ猫。あんたはもう久斗君にちょっかい掛けるの禁止よ。なによその最後の言葉! 久斗君の教育係として見逃すことは出来ないわ!」
「何ですか、いきなり。教育係と言うのでしたら彼の鍛錬法も考えてあげたらどうなのですか! この役立たずのアホ猫!!」
最後のスラングに目をつり上げるターシャ。
「誰がアホ猫よ! あんたこそ何様よ、いい加減にしないと怒るわよ妖怪ショタ婆!!」
ターシャの売り文句に今度はエレインの目もつりあがる。
「あなたこそ、言うに事を欠いて何が妖怪ショタ婆ですか! 今言ったことを泣いて謝れば彫像化だけで止めてあげましてよ」
「なんですって!!」
「なんですか!!」
いきなり始まったその二人のキャットファイトには目もくれず、エストはのんびりと久斗に挨拶を返して本日の予定を伝えていく。
「はい、おはようございます久斗君。今日はですね、グラスタ村に着く予定ですから早めに出発することになっています。ですので早々に鍛錬は打ち切って戻ってきてもらいたかったのですが、どうも、指導役のターシャも忘れているようでしたので呼びにきたのですよ。それとですね……」
久斗は自分たちの後ろで行われているキャットファイトにはできる限り見なかったことにしてエストの話を聞いていく。
要点だけで言えば、今日中にグラスタ村に到着する予定となっており、少し早めの出発をして、馬車の速度も普段より上げていくとのこと。馬車の振動については補助魔法で軽減はされているものの、今日の速度の場合は振動もそれなりになるとのことで勉強は一時中断。その代わりに馬車の上で見張りの補助を行うことも告げられた。
エストが話し終わる頃には、後ろで行われていたキャットファイトは相打ちの様相でお互いが髪もぼさぼさ、顔や手には引っかき傷、衣服の乱れも激しかったため勝負がいかに厳しいものであったことが窺われた。女性二人は衣服の乱れをあまり気にしていなかったため、エストも久斗もそちらを極力見ないようにして我関せずの状態であった。
馬車に戻り、朝食も済ませた久斗はエストの言いつけ通りに見張りの任に就くこととなった。ここで久斗自身は補助であり、誰の補助なのかといえば教育係のターシャの補助であった。久斗はこの初めてと言える任務に緊張していたが、ターシャの存在があったため、幾分か気を楽にしていた。
「……というわけで、今日は見張りということなんだけど、まずやり方を押さえておきましょう」
「はい! よろしくお願いします」
「うんうん、じゃあまず目的から……」
気持ちの良い久斗の返事に嬉しそうに目を細めるターシャであったが、それが久斗の後方に向けられた瞬間に苦々しい目つきに取って代わっていた。久斗の後方にいた人物とはメリハリの利いた体に金髪の妙齢の美女であった。その女性の名前はエレインといった。
「あらあら? ターシャさん今の時間ですとまだあなたは見張りではなかったと思いますが? まだ下で休んでいて構わいませんことよ」
その言葉に思わずターシャのほうを見てしまう久斗。そんな久斗の動きに一瞬修羅の表情を見せるもすぐに笑顔に戻したエレインであったが、それに気付かずに少し顔を赤らめながらもエレイン、久斗から目を逸らすターシャ。だがすぐに視線はエレインに戻った。
「あなたには関係がないわ。あたしは教育係なんだから久斗君が一人でもきちんと任務をこなせるように指導しようと思っただけよ。大体それを言うならあんただって今は待機のはずでしょ!!」
ターシャの指摘に全く堪えていないエレインは逆に高笑いを始めた。
「おほほほほ。私は担当を交代して差し上げただけですわ。今の時間の待機ほど詰らないものはありませんのよ。それなら今ここで彼の相手をしていたほうが……」
思わず本音が出てしまったエレインに対して白い目を向けるターシャ。
「あなた、下心出しすぎじゃない。そんなので見張りをされても見つかるものも見つからなくなるわよ」
しかし、そんなターシャの指摘にも全く堪えていないエレイン。
「そのようなことを言って、嫉妬は醜いですわよ。さぁさぁターシャさんはもしもの時のためにも今は休んでおいてくださいな。後は私に任せて頂いて大丈夫ですから」
「誰が嫉妬よ誰が!いい加減なこと言ってないで……」
――本当、この二人って仲がいいなぁ。でも今はこれだと困るなぁ。どうしよう。……うん、もう放っておこう。
再びギャアギャアと騒ぎ出した二人に溜息を吐きながらどうしようかと悩んでいた久斗はすぐに見切りをつけた。そして、見張り担当であったもう一人の団員に声を掛けた。そうしてその団員に見張りのやり方や心得などを教えてもらっていた。ターシャとエレインの二人が落ち着いた頃には既に説明は終わっており、久斗は真剣な顔で見張りに臨んでいたのであった。互いに争っていた二人は教えられなかったことで再度お互いを責め合い、その騒ぎに気付いたエストによって連行されていくのであった。
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