第一章 そのニの続き
「ちっ、シカトしてんじゃねえよ。だからさっきから言ってんだろ。ちょっと俺らと付き合ってくれよ。マジ遊ぶだけで何もしねえからよ。俺彼女いなくて今サビシ―んだわ」
「ちょっとマサさーん。それ昨日の女にも言ってたやつじゃないっスか」
「ワンパターン。つか必死すぎウケる」
「あぁん? なんか言ったか?」
男が二人。マサと呼ばれた金髪の派手なホスト風の男と、ベースボールキャップを被った小太りのパーカー男。その後ろには茶髪で色黒の女。彼女は興味が無いといった様子で右手に持った携帯電話を操作している。どちらかの男の連れだろうか。見るからにガラの悪い連中。金髪の男がこの場を仕切っているようだ。
じりじりと近づく男たち。逃げるように後ずさりしながら、少女は立ち上がろうとするが、金髪はその肩を掴み、体ごと壁に押し付ける。
反射的に少女の左手が金髪の顔めがけて押しのけるように伸びた。しかし一瞬早く金髪の右手が動き、少女の腕を掴みそれを止める。
「へへっ。ざんねーん」
金髪が細い目をぎらつかせ、にやりと笑う。
「マサさんドSっスねー」
「つか、よく見りゃいいカラダしてんじゃん。可愛いし。なあ?」
「そうスか? 俺はもっとこう貧乳っつか、胸とかいろいろぺったんこの方が好きっスけど」とパーカーの男。
「どーでもいいけど早く遊び行こうよ。いつもみたいに拉致っちゃえば?」
「そうだな。面倒クセエ」
色黒の女性が気だるく発した言葉に頷き、金髪が少女の腕を掴んだままワゴン車の方へ連れて行こうとする。パーカー男が回りこみドアを開け、色黒の女性が先に後部座席に乗り込む。そして金髪が少女を車へ押し込もうとしたそこへ――
「や、やめろ!」
俺は叫んだ。
「なんだテメェ。関係ねぇだろ。どっか行ってろ」
「やめろって言ってんだよ! その人、い、嫌がってんだろ!」
金髪の顔がみるみるうちに苛立つのがわかった。細い目で俺を睨みつける。
俺と金髪が向かい合う。その距離はおよそ4メートルほど。
ちなみに俺は格闘技経験は全く無いし、腕力も運動神経も平均的な高校生男子。喧嘩になったら勝ち目は薄いだろう。そんなことは自分でも分かってる。
でも、目の前で人が危ない目に遭っているのを、黙って見過ごせるわけない。
一応さっき警察は呼んでおいた。あとは時間を稼げば……。
「ちっ。なんだこいつ。正義の味方かよ……おいヤス、この女捕まえとけ」
金髪に呼ばれたパーカー男は「うっす」と言って少女を羽交い絞めにする。なすがまま両腕を背後から押さえられた少女。
そして金髪はポケットから光る何かを取り出した。
ナイフだ。
やばい。俺はとっさに身構えたが、足が震えているのが自分でもわかる。
金髪はナイフを右手に構え、近づいてきた。
やられる――そう思った瞬間、少女が口を開いた。
「見ていられないな」
パンっ、という音がした。
金髪の手からナイフが弾け飛ぶ。
「ぐあああッ!! いてええッ! なんだ畜生ッ!」
うめき声を上げる金髪。
右手首があらぬ方向へ曲がっている。
一体何が起きたんだ?
「マサさん! 大丈ぶっ……な、うわあああっ!」
金髪に気を取られ締めが緩んだ一瞬、その隙をついて少女がパーカー男の腕を取り、そのままぶん投げた。
「マジかよ……」
少女が大の大人を投げ飛ばす、にわかには信じがたい光景。
いや、例えば少女が柔道の段位保有者で相手が素人だとしたら、あり得ないことじゃないだろう。「柔能く剛を制す」という言葉もある。
――にしてもあのパーカー男、一瞬3メートルくらい浮いていた気がするが。
アスファルトに叩きつけられ気を失ったパーカー男を見て激昂したのか、金髪が残った左手でナイフを拾い、少女に襲いかかる。
「ぶっ殺す!」
凶刃。しかしそれを少女はいとも簡単にいなし、そのまま金髪の懐に潜り込むと、踏み込みと同時に肘で突いた。流れるような無駄のない動きだ。
「ぐぶっ」という声を上げて倒れる金髪。
今の動き……そういえば、初めから何か引っかかっていた。
この少女は何故もっと抵抗しなかったのだろう。
無理やり連れ去られるなんて時は普通暴れたり大声を出して抵抗するはずだ。
俺が聞いたのも誰かに助けを求めるような悲鳴ではなく、ただ単にちょっと驚いたから上げた声に近い気がする。
そしてなにより、この状況でも落ち着き払って対処できるなんて……。
もしかしたらこの子、めちゃくちゃ強いんじゃないか?
そんな疑問と脳内格闘していると、いつのまにか少女が目の前にいた。
身長は俺より少し低いくらい。綺麗な黒髪につり上がった大きな目。赤い瞳が印象的だ。同い年くらいに見えるが、どこか気品漂う御淑やかなお嬢様のような大人びた雰囲気がある。
「……えっと、だ、大丈夫か?」
「問題ない。君のその勇敢な行為には感謝する。ありがとう」
少女はせせらぎのような澄んだ声で言った。
「勇敢な行為って、俺は何もしてないけどな。ていうか、結果的に助けられたのは俺の方だし」
「確かにそうだな」
「しかしあの金髪のナイフ……何が起こったのか見てなかったんだが」
「それは……」
と少女は言うと、突然その場にがくっと膝をついた。
「おい、どうしたんだ? どこか怪我を?」
と思って駆け寄る俺。しかし聞こえてきたのはぐぎゅるるるるという――腹の音。
「君……すまないが何か食べ物を……」
「腹ペコかい!」
「うううう……もうダメだ……倒れる……」
「しょうがないな。じゃあうち来るか? ちょうど晩飯の買い物したところだし」
少女はこくりと頷くと、かすかに微笑んだ。
なんだ、結構可愛いじゃないか。
と思っていると、色黒の女性が車から出てきた。倒れている金髪に駆け寄る。
「きゃあああああ! マサくん大丈夫!?」
やばい。まだ居たんだった。
そして騒ぎを聞きつけて人が集まりだす。そういや俺、警察も呼んでいたんだっけ。
「とっ、とりあえず行くぞ!」
俺は彼女の手をとって走り出した。