閉じた街から
研究都市の魔力管が、一本ずつ黒く染まっていく。
街路の下で、古い導路が閉じる音がした。
魔力で動く門が停止し、避難標識の光が消える。建物の中に残された人々が、出口を求めて廊下へ出てきた。
けれど、廊下の先にあるはずの白い案内線は、すでに黒い壁へ変わっている。
「あれは、兵器を起動するだけじゃない」
僕は魔導鏡を見ながら言った。
「都市そのものを、閉じた荷物に変えている」
「人間を中へ詰めて、封をするということ?」
フィーナが訊いた。
「そうです。外へ出る道をなくせば、都市の中にいる人間は、誰かが開けるまで動けない」
遠くで、扉を叩く音が重なった。
通信石へ、複数の声が飛び込んでくる。
『研究区画の西棟です。子供が三人、地下倉庫に残っています』
『南側の診療所から、患者を運び出せません』
『輸送局の門が黒くなった。受領印が通らない』
どの声にも、同じ恐怖があった。
何が起きているのか分からないまま、出口だけが減っている。
僕は、全員の顔を見た。
僕は中央へ向かうために一歩踏み出した。足が、最短の危険路を選びかける。
その先に受け取り場所がないことに気づき、止まった。
僕はルカの隣へ立った。
「僕が中央へ行きます」
ルカが言った。
「魔導走砲の導路を逆流させれば、起動を遅らせられる」
「一人では行かせない」
僕は即座に答えた。
ルカが驚いたように目を瞬く。
「中央へ行く役割は必要です。でも、誰か一人が危険区域へ入る作戦にはしない」
僕は、魔導鏡の上へ指を置いた。
「ガウェインは、王国袋を受領台の脇へ置き、未受領票だけを通行札へ重ねてください。袋を先に通せば、黒曜の網へ行き先を渡します」
『袋は台へ載せない。未受領票だけを通す』
通信石の向こうで、ガウェインが答えた。
「フィーナは、秘密保管庫の封印を維持してください。黒曜契約の原本がどこへ移されたとしても、保管庫の権限が完全に消えれば、敵の予測網が修復される」
「封印が破られれば、黒曜の網が別の経路を作るわね」
「その前に、ここを固定する」
フィーナは鑑定鏡を握り直した。
「分かったわ。あなたは、絶対に一人で奥へ入らないで」
「セリアは、未受領の記録が立った後で、黒曜の天秤へ流れている中継だけを切る。こちらの連絡路は残してください」
「切れば、こっちからの連絡も減るよ」
「分かった。黒曜の線だけを落とす。救護と避難の連絡は、順番を変えて残す」
セリアが一度だけ息を呑み、頷いた。
「分かった。通信を一本にまとめない」
イリスは、研究都市に残る避難民の名札を集めた。
「私は西棟へ行く。家族の記録がある人を、地下倉庫から出す」
「危険なら、戻ってください」
「戻る場所は、先に決めておく」
イリスは、白い布片を細く裂いた。
「西棟、診療所、旧工廠。閉じた場所に人を留めない。開いた場所へ、名札を持って移す」
その言葉の「戻る場所」に、胸の奥が反応した。昔、制御核だけを抱えて戻り、受け取り手のいない廊下に立った記憶がある。誰を待たせたのかは、まだ思い出せない。
「ユーリ、中央の導路が動く」
フィーナの声で、僕は現在へ戻った。
地下倉庫へ通じる石扉が、黒い光に押しつぶされようとしている。
先にガウェインが、正規受領所へ向かった。
彼が未受領票を立てるまで、フィーナは保管庫の封印を維持する。セリアとイリスは、開いた道へ避難民を移す準備をした。
通信石が、短く一度だけ鳴った。
『袋はまだ受領台へ載せていない。未受領票を通行札へ重ねた。門だけが開き、行き先は確定していない』
ガウェインの声を確認してから、僕とルカは中央の魔力管へ向かった。
レヴィがいないことに気づいたのは、その時だった。
彼は国境都市の救護隊とともに、別の避難路を確保しているはずだった。
僕は通信石を取り出したが、黒い魔力が信号を押し返した。
連絡は取れない。
「心配ですか」
ルカが訊いた。
「心配です。でも、心配だからといって、役割を捨てる理由にはしません」
僕たちは地下へ降りた。
階段の壁には、古い救護路の印が残っている。
黒曜の線が、その上から何度も塗り潰していた。
ルカが導路へ魔力を流す。
黒い管が反発し、階段全体が傾いた。
僕は床の亀裂を見た。
中央へ続く道は、一本ではない。
使用されていない荷物用の細い昇降路が、壁の向こうにある。古い配達員なら知っている、記録から削られた裏道だ。
「ルカ、左の壁を三歩分だけ開ける」
「崩れます」
「全部は開けない。人が一人ずつ通れる幅で止める」
ルカが術式を組み、石壁に細い光が走る。
その奥から、子供の泣き声が聞こえた。
僕たちは、黒曜の予測にない裏道へ入った。
けれど、裏道の先にも黒い光が待っていた。
敵は、道をすべて知っているのではない。
人が道を必要とすることを知っている。
僕は子供たちを先に通し、ルカへ別の出口を探させた。
一人で危険区域へ入らない。
誰かを残して戻らない。
その二つを守りながら、僕たちは封鎖都市の外縁へ近づいた。
通信石の一つが、短く光った。
『西棟の避難民を出した。正規受領所の門も、ほんの一時だけ反応している』
セリアの声だった。
「一時だけ?」
『ガウェインが未受領の理由を通行札へ重ねた。黒曜の網が行き先を確定する前に、二十人を通した』
別の石から、フィーナの声が重なる。
『保管庫の封印は維持している。でも、封印の外側から別の権限が押し込まれているわ。長くは持たない』
誰かが、それぞれの場所で時間を作っている。
その時間を無駄にしないために、僕たちは足を速めた。
避難民の中にいた少年が、僕の袖を掴んだ。
「お兄ちゃん、グラキエスへ行ける?」
僕は、すぐに大丈夫とは言えなかった。
都市の白い道は、ほとんど黒く塗られている。診療所へ向かう道が残っていると、約束できる状況ではない。
「行ける道を探す」
僕は言った。
「見つけたら、先に君たちを通す」
「お兄ちゃんは?」
「最後に行く」
少年が不安そうに僕を見る。
「戻ってくる?」
胸の奥で、前世の警告音がまた鳴った。
以前の僕なら、戻ると答えた。そして、戻るための場所を決めないまま、危険な場所へ入った。
「戻る場所を、みんなで決めてから行く」
僕は少年の目を見た。
「だから、君も勝手に一人で走らない」
少年はしばらく黙り、それから小さく頷いた。
約束ではない。
逃げ道を確保するための、手順だった。
それでも、今の僕にはその方がいい。
誰か一人の勇気に、全員の命を預けないために。
最後の扉が開いた。
外の冷たい風が、地下の熱を押し返す。
その先に、誰かが立っていた。
煤けた外套。
傷だらけの肩。
そして、見慣れた赤い目。
レヴィが、僕を見た。
「遅いぞ、ユーリ」
僕は制服の内側から、布に包んだ柄を取り出した。王都を出る朝から、返す機会を失ったまま持ち歩いていたものだ。
「返す」
レヴィは無言で受け取り、折れた刃の根元へ差し込んだ。赤い魔力が一瞬だけ走り、柄と刃が噛み合う。
折れた魔導長剣が、レヴィの手へ戻った。
国境都市の白い救護布が、刃の根元に結ばれていた。
彼の背後で、研究都市の魔力管がまた一つ黒く閉じた。




