末尾の刻印
通信札から届いた声が途切れた直後、魔導走砲の切替盤が沈黙した。
照準板の赤い光も消える。
止まったのではない。
装置が、別の命令を受け取ったのだ。
白い灯りがすべて消えた室内で、古代炉の脈動だけが残っている。
低く、重い。
遠くの地下で、巨大な心臓が一度だけ跳ねたような音だった。
「通信経路を探します」
セリアが通信石を取り出した。
彼女の指が石の表面をなぞる。通常なら、受信した魔力の向きと中継地点が淡い線で浮かび上がる。
しかし、石は黒く濁った。
「返ってこない。こちらの照合を、向こうが先に切っている」
「つまり、声だけを届けて、位置は見せない?」
ガウェインが訊いた。
「それだけではないわ。送信元の記録が、研究都市の中にあるのに、どの中継器も使っていない」
フィーナが、魔導走砲の背面へ回った。
装置の影に、細い黒線が一本伸びている。
線は床を這い、古代炉の壁へ消えていた。
「炉そのものを、通信札として使った?」
ルカの顔が青くなる。
「古代炉は通信装置じゃありません。出力の中継に使えば、都市中の魔力管へ声を流せる。でも、そんな操作権限は第零局の局長にしか……」
ルカは言葉を止めた。
誰が声を送ったのか。
名前を口にしなくても、答えの形は見えていた。
僕は通信札を見下ろした。
『取引先を知りたいか、ユーリ・クロムウェル』
声は、僕の名前を知っていた。
それだけなら、輸送記録を読めば分かる。
けれど、その後に続いた言葉は違った。
特務の犬。
現世の僕を知る人間が、そんな呼び方をする理由はない。
ガウェインが、魔導灯を一つだけ点けた。
弱い光が、古代炉の壁を照らす。
壁には何もない。
だが、装置の背面にある保守扉の隙間から、黒い板の端が見えていた。
フィーナが鑑定具を差し込む。
扉の封印は三重だった。第零技術局の承認印、帝国軍の保守印、そして見たことのない細い線。
最後の線は、文字ではない。
人の指が、何度も同じ場所を押した跡だった。
「開けられます」
フィーナが言った。
「でも、開けた者の魔力が局長権限として記録される」
「僕たちが開けたと記録される?」
「いいえ。封印を開けた人間ではなく、内側から許可を出した人間の権限が記録される」
誰かが、中から扉を開けさせている。
僕は、扉の前へ立った。
「開けてください」
ルカが振り返る。
「ユーリ、局長の権限が記録されれば、ここにいる全員が共犯として扱われます」
「記録を残すためです」
僕は、帳簿の切れ端を握った。
「相手が何者でも、古代炉を使って現在の命令を出した証拠が必要です」
フィーナとガウェインが短く目を合わせた。
ガウェインが扉の脇へ立つ。
「開けるなら、全員が見たものを記録する」
「はい」
「一人で判断するな」
その言葉が胸へ刺さった。
僕は、反論しなかった。
ルカが技術員証を封印へ当てる。
黒い線が一つほどけ、次に帝国軍の保守印が消えた。
最後の細い線だけが、しばらく残った。
フィーナが鑑定鏡を覗く。
「この線は、指でなぞったものではない。魔力を持つ刻印具で、同じ文を何度も書き直している」
「文?」
「内側へ文字がある」
フィーナが指を止めた。
その瞬間、扉の向こうから金属を削る音がした。
かり。
かり、かり。
乾いた音が、暗い保守室へ響く。
僕の呼吸が止まった。
白い灯りの下。
硬い金属板。
誰かが、作戦報告の隅へ文字を刻んでいる。
敵を倒した数でも、救助した人数でもない。
失敗した隊員を嘲るための言葉。
特務の犬。
刻印具の先が、紙ではなく金属へ食い込む感触。
僕は、その手を見ようとした。
だが、白い光が強くなり、指先の輪郭だけが消えた。
次に浮かんだのは、崩れていく建物の振動だった。
床が傾く。
背中の留め具が、誰かの手に掴まれる。
僕は、手を振りほどこうとしている。
その直前で、記憶が切れた。
「ユーリ?」
フィーナの声で、現在へ戻る。
僕は扉を見た。
「中に、暗号板があります」
「見えたの?」
「音だけです」
嘘ではない。
過去の光景を見たとは、言えなかった。
現世の扉の向こうに、前世の記憶があるように思わせる。けれど、記憶は証拠ではない。
フィーナなら、そう判断する。
だから僕は、扉と記録板の関係だけを見た。
ルカが最後の印へ手を当てる。
扉が内側へ開いた。
小さな保守室の中央に、黒い板が立てられている。
表面には、深く刻まれた文字があった。
崩壊するビルで爆死した特務の犬。
誰かが、僕の前世の死に際をそのまま書いている。
僕の足元から、熱が引いた。
暗号板の縁には、古代炉の魔力が薄く付着している。文字が刻まれたのは遠い昔ではない。魔力の層は新しく、少なくともこの研究都市の運用期間内に作られたものだった。
フィーナが鑑定鏡を当てる。
「文字の刻印は現在のもの。古い板を再利用したわけではない」
「誰が書いたか分かるか」
ガウェインが訊く。
「刻印具の魔力は、第零技術局の局長承認に一致している。ただし、本人の波長そのものかは、まだ照合できない」
ルカが板の裏へ回った。
裏面には、細い銀色の線が円を描いている。
「これは封印回路です。局長権限がなければ、表の文字を読めないようにするためのものだ」
ルカが指先を近づける。
銀色の線が、黒い光へ変わった。
板の下に、短い記録が浮かび上がる。
書き手は、第零技術局長。
目的は、対象の確認。
対象は、ユーリ・クロムウェル。
僕の名が、現在の記録として表示された。
「僕が、対象?」
ガウェインが魔導具を構えた。
「身を低く」
保守室の天井から、細い魔力線が降りてくる。
攻撃ではない。
板の文字を読み取った者の魔力を、外部へ送るための線だ。
セリアが通信石を投げた。
石が床へ当たり、短い妨害の波を広げる。
「三十秒だけ、外への送信を切ります!」
フィーナが暗号板の表面へ薄い紙を押し当てた。
「文字を写すわ。原板は動かさないで」
ガウェインが、外の通路を確認する。
「誰か来る」
足音が近づいていた。
兵士ではない。
靴音が一つ。ゆっくりで、迷いがない。
暗号板の裏側から、通信札が再び震えた。
先ほどの男の声が届く。
『やっと見つけたな、特務の犬』
白い灯りが、保守室の奥で一つ点いた。
その光の中に、誰かの影が立つ。
顔は見えない。
ただ、影の手元だけが、金属板へ何かを刻む仕草をしていた。
刻印具が板を擦るたび、細かな金属粉が床へ落ちる。僕は粉の向きと、刻み始めた位置を目で追った。
刻印具は線の端で一度止まり、力の向きを変えた。僕が危険物の固定具を外す時と同じ動きだった。
研究都市の外周で、警報が鳴り始めた。
古代炉の三本の出力管が、同時に黒く染まった。
都市封鎖が始まる。




