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高橋弥生は俺たちの秘密を知っている?

「今日は歩道橋、止めるわぁ」高校の正門を出たところで幸太郎はポツリと言った。俺は西の空を見上げた。限定された空の所どころに浮かんでいる低い雲は灰色で雨の気配がする。

「疲れたか?」

「ああっ・・・」幸太郎は首を前に垂れている。

「片田君、大丈夫?」永瀬は驚いて幸太郎の俯いた顔を見るために腰を屈めて歩いている。

「いやぁー、大丈夫ダイジョーブッ。たまーに、ちょっとだけぇ疲れが出るけどぅ。水希ちゃんが心配してくれたからぁ元気百倍ですぅ」

「そう?」永瀬はまだ心配そうだ。

「オーイィ! 待ってぇーっ」振り返るとポニーテールを揺らせている高橋が駆け寄ってきた。

「ハアハア、ハア。同じ方向だから一緒に帰ろ。ハァーッ」

「弥生ちゃん、ダイジョーブかぁ」

「うん、大丈夫。お医者さんからマラソンはまだダメだけど、ハア、短い距離は走っても大丈夫って言われているんだ。フゥー」

「そっかぁ、良かったなぁ」

「私と片田君はだいたい体育見学組だったからね。アッ、でも片田君は車椅子で結構授業に参加してたっけ?」

「まあーっ、俺はチャレンジャーだからなぁ。フッフッフッーッ」

「お前、先生が無理だって言うことをやたら『やりたい、やりたい、出来ます』って無茶言ってた」

「ふーん、そうなの?」永瀬は俺の右後ろから覗き込むように俺を見た。

「フフッ、永瀬さん。片田君が無茶できるのはねぇ、山口君がいるからだよ」

「エッ?」俺は驚いて高橋を見た。すると高橋は悪戯っぽく笑った。彼女の白い頬が少しピンクに染まっている。

「私は片田君山口君と小学、中学と一緒で、二人のことをまあまあ知っているつもり」

「オウ! 弥生ちゃんとはぁ、同じクラスもあったしなぁ」

「片田君、最初はお母さんと登校していたよね。えっと、お母さんが学校の付き添いを止めたのは小学四年生の時だったよね?」

「アーッ、そうだったかのぉ。弥生ちゃんはよく覚えているなぁーっ」

「エヘン、偉いでしょ。それでね、永瀬さん。どうして四年生の時から片田君のお母さんが付き添いを止めたか、分かるかな?」

「ハイ! それは僕ちんが自立したからですぅ」幸太郎は右手を勢いよく上げると車椅子は右に揺れたので、俺は右腕に力を込めた。

「まあ、それもあるかもしれないけど・・・。それよりも、もっと大きな理由があるの。さあ永瀬さん、分かる?」高橋は幸太郎に親しげな眼差しを送り、それから微笑みながら永瀬を見た。

「山口君が片田君の付き添いをしたから?」

「ピンポーン! 大正解。さすが永瀬さん! あったま良いーっ」

「そうなんだ」また永瀬は俺の顔を覗き込んだ。俺の顔は急に熱っぽくなった。

「山口君は偉いと思うよ。そりゃあ仲が良いってことはあるけど・・・」高橋は何となく言い淀んでいる気がした。

「弥生ちゃーん、俺もいろんなことがぁ、出来るようになってきたでしょう? 久志ィにばっか頼ってはいられないからなぁ」

「エーッ、そうかなぁ? 片田君が出来ることが増えたのはねぇーっ。ウーン、ややこしいこととかエッチなことじゃない?」

「もーおぅ、弥生ちゃんまでそんなこと言うとはぁ。久志ィ、俺リハビリとか頑張ってるよなぁ」幸太郎は振り返り分厚い唇を鳥のように尖らせた。

「まあな」

「何だよぅ久志ィ、そのいい加減な返事はぁ」

「片田君はリハビリテーションも高校でしているの?」永瀬は少し驚いた。

「イエース、水希ちゃーん! 体育の授業の時とかにぃ、リハビリやってるよぉ。リハビリの梓先生が来るんだぁ」幸太郎は元気になっている。

「遥のおかげだけどね」

「オーッ、遥ちゃんはスゲエよなぁ」幸太郎は大きく首を上下させた。

「?」永瀬がまた首を捻った。

「あのね、去年生徒会で片田君のためにリハビリの先生がわが校に来るように要望したの。私も遥も一年の時から生徒会やってるけど、遥は凄いんだよ。片田君だけ体育の授業に参加できないのはおかしいって言って、署名活動までしたんだ」

「そうなの、麻倉さんは行動力あるのんだ」

「あーっ、俺はリハビリ出来るようになったけどぉ、弥生ちゃんは去年やっぱ体育、見学してたっけぇ?」

「うん、私、一年の時はまだあまり無理できなかったからね。でもバレーボールの採点係とか簡単な体操は出来てたから・・・まあ良かったの。それよりも片田君、エレベーターのことも永瀬さんに教えてあげたら」

「ああっ、あれかぁ。あの話はぁちょっと照れるなぁーっ」

「あれぇ、変なところで照れるんだぁ。フフッ、あの時は片田君のお母さんが大活躍だったからね。永瀬さん、このお喋りの片田君が地元の高校に入りたいってことで、相当話題になったのよ。テレビや新聞にも出たんだから」

「エッ、そうなの、片田君」永瀬は再び右側から幸太郎の顔を覗き込んだ。幸太郎は神妙な顔をしている。

「車椅子の人がうちの高校に在籍したことはなかったから、相当な議論があったのよ。トイレはどうするのか、階段の昇り降りはどうするのかってね、ほらうちの高校は一年が三階じゃない? それに段差もたくさんあって安全上も問題があるとか」

「でも、それって工夫や努力すればばどうにかなるのではないかな? 片田君サイドで考えればいいのでは」永瀬は不思議そうな表情を浮かべた。

「ほぉー、やっぱり永瀬さんは違うね。うん、今となっては、そういうことだけど、やはり前例がなかったから頭の硬い大人たちはビビるわけですよ。ほらケガをするのではないか、他の生徒や担任に負担がかかるのではないかとかね。そういう人たちは車椅子を押したことがないし。ねえ山口君」

「・・・っああ」俺はいきなり話が振られたのでドキッとした。

「アッ、それでね。私も山口君も片田君たちを応援していたけど、違う中学だった遥も応援してくれたの。遥は中学も生徒会長やっていて、その生徒会としても片田君を応援してくれたんだ。すごいでしょーっ!」

「オルガナイザー」永瀬が言った。

「んん?」永瀬を除く俺たち三人は首を捻った。

「アッ、オルガナイザーは催し物や企画を立ち上げる際に、人を惹きつけてまとめていく人って意味かな?」永瀬は恥ずかしそうに説明した。

「オーッ、アグネス様みたいなアイドルじゃのぉ」幸太郎は腕を組んで頷きながら感心している。

「エーッ、そうかなぁ。それは違うんじゃない」高橋は訝しげに幸太郎を見た。

「エーッ、遥ちゃんはアイドルだろう―っ」

「エーッ、違うよ」幸太郎と高橋は難しい顔でお互いを睨んだ。

「高橋さん、男性から見たら麻倉さんはアイドル的な存在かも」俺は永瀬の言葉に感心した。

「あ、なるほどねぇ。そうかもしれない。でもさ、遥は自分の中学をまとめただけじゃなくて他の中学の生徒会にも呼び掛けて仲間にしたんだよ。それにテレビや新聞のインタビューにもたびたび出たし。だからアグネス・チャンとは違うでしょ」

「アグネス様もぅ、雑誌のインタビュー受けたりぃ、サイン会で人を集めたりしちょるぞぅ。やっぱり遥ちゃんもアグネス様と同じでアイドルじゃぁーっ」

「そういうコトじゃないと思うけどーっ」高橋は不満そうな視線を幸太郎に注いだ。幸太郎は「フン!」と言ってその視線を跳ね退けた。

「アッ! アイドルと言えば、遥がヒデキのファンだってこと知ってた?」突然高橋は何かが閃いたように叫んだ。

「うっそう! 遥ちゃんがヒデキのファンかぁー。ホントかぁ弥生ちゃん?」幸太郎は腫れぼったい眼を大きく広げていた。俺もかなり驚いたが何故か少し安心した。

「ホントだよ。私、遥の家に遊びに行ったとき、彼女の部屋の壁にヒデキのポスターが貼ってあってビックリしたもん」

「へぇー、遥ちゃんも俺っちと一緒かぁー」

「そこだけはねぇ。でもさすがに君たちもこのことは知らなかったんだね」

「ああっ、遥ちゃんは自分のことぉ、あんま喋らないよなぁーっ。久志ィ」幸太郎が振り返ったので俺は頷いた。

「ねえ山口君、ヒデキって誰かな?」永瀬は不思議そうに訊いた。

「えっと、ヒデキは西城秀樹というアイドル歌手で・・・」俺はそこで言葉に詰まってしまった。

「アーッ、水希ちゃん。ヒデキはテレビのカレーのコマーシャルでぇ『ヒデキ、感激ぃーっ』って言う奴だよぅ」幸太郎は右手で頭をポンポン叩いた。

「あと歌はねぇ『ヤングマン』とか『傷だらけのローラ』とか歌っているよ」高橋の説明にも永瀬はポカンとしていた。

「永瀬さんはあまりテレビ観ないの?」

「ウーン、少しは観るけど、レコードを聴いている方が多いかなぁ」俺と同じみたいだ。

「どうしたの、山口君。嬉しそうだけど?」高橋は勘が鋭いので俺は内心動揺した。

「いや、別に・・・」俺は声があまり出ない。

「フーン」 ポニーテールの少女は黒い瞳を細めて俺を見て永瀬を見た。

「ねえ、永瀬さん。永瀬さんはどんなジャンルのレコードを聴いているの? やっぱりアメリカのポップスとかかな」

「そうね、洋楽が多いかな。ロックも聴くけど、実はジャズが・・・一番好きなの」永瀬は恥ずかしそうに答えた。

「じゃずぅー?」幸太郎は低いダミ声で唸った。

「片田君はジャズ、聴いたことないでしょ? アグネスだけじゃない? 君が聴くのは」

「フフーン、弥生ちゃん、甘いにゃー。俺っちはアグネス様だけじゃなくぅ百恵ちゃんや淳子ちゃんも聴いちょるのじゃーっ」

「何よ結局アイドルじゃない! それでアグネスとか百恵ちゃんはジャズを歌うの?」

「さあー?」幸太郎は首をグリグリ動かして高橋の追求をごまかした。

「もうーっ、いいわ。あっ、山口君はロックとかいろんな音楽聴いてる感じだけど、ジャズは知っているの?」

「ウーン、レコード店にジョン・コルトレーンとマイルス・デイヴィスだったかな。ポスター貼ってあった。それとマイルス・デイヴィスはトランペット吹くだろ?」俺は無意識に永瀬を見てしまった。

「うん、そうだよ」永瀬が微笑みながら頷いた。

「何かのロックコンサートでそのマイルス・デイヴィスがトランペット吹いてたのを聴いた気がする。FMのロック番組だったかな? 違うかもしれないけど」

「アッ、それはマイルスだよ。フィルモア・イーストだったかな。マイルスは一九七〇年くらいからロックに接近していったんだよ」永瀬は急に嬉しそうに言葉を紡いだ。

「オーッ、久志ィ、やるじゃん!」幸太郎は振り返ろうとしたが、首が半分しか回らなくて右向きになってしまった。

「永瀬さん、急にノッて、お話してる。ジャズが好きだって最初はえらく遠慮してたけど・・・。フーン、何かあったんでしょ?」高橋の黒い瞳が探るような光を放った。

「あっ、うん・・・」珍しく永瀬は言い淀んだ。

「あのさ、以前私のクラスで好きな音楽が話題になったの。日本のアイドルとか、それからベイシティローラーズやクイーンがどうだこうだとかね。それで私は誰が好きなのって訊かれたから私はモーツァルトとベートーヴェンって答えたら、場が急にしらけちゃって。なんかそんな変なこと言うなよって雰囲気があったんだよ」高橋は不満そうに言った。

「あの、私も・・・」永瀬は困ったように俺を見て高橋を見た。

「水希ちゃん、困ったことがあったらぁ、俺たちに言ったほうがいいぜぇ。俺たち、あんまし他の奴らのこと気にしないしぃ」

「プッ、確かに」高橋は何か思い出したのか少し吹き出した。

「私がこの高校に転向してきて二日目のことだったかな。クラスの人たちが外国での私の暮らしのことをいろいろ訊いてくるのだけど。ワシントンDCの街の風景とかパリでの食事のこととかは興味深く聞いてくれたの。だけど私の音楽の趣味のことを訊かれたのでジャズ・ボーカルが好きって答えたの。私の大好きなエラ・フィツジラルドやカーメン・マクレアのことを話すと急に静かになっちゃって。それから話があまり続かなくて」

「あの子たちはねぇ! 自分たちとかなり違うとそれを認めようとしないのよ、もぉー」高橋が怒り出した。

「おおっ、弥生ちゃん。どーした、そんなに怒ってぇ。ひょっとしてあの日かぁ?」

「違います、何言ってんの、片田君は! あのね、君たちは鈍いというか図太いというか、他の人のことって興味ないでしょ?」

「オイ、久志ィ。君たちって誰だぁ?」幸太郎は今度は何とか振り返り俺を見上げながら不思議そうに言った。

「俺と幸太郎だろ?」

「ふーん」幸太郎はまだ同じ表情をしている。「フフッ」と永瀬が小さく笑った。

「でもさぁ、弥生ちゃん。他人のことを気にしないって奴だったらぁ、福岡なんかもぉ、そうじゃないかぁ?」

「チッチッチッチー、甘いなぁ、片田君は」高橋は幸太郎に向かって、右人差し指を突き出して左右に振りながら得意顔で言った。

「あの子はねぇ、自分勝手だけど、すっごーく他人の眼を気にしているのよ。どうやったら自分が気に入られるか、カッコよく見えるか、そんなことばかり考えているんだから」

「へぇー、そうなのかぁ。分かるかぁ、久志ィ」幸太郎が前を見ながらそう言った。俺は「分からん」と答えた。

「ホントに君たちはいいわね。だから福岡君みたいなタイプは、君たちを苦手としてるっていうか・・・怖がっているかもね、フフッ、」

「俺たちがぁ怖いぃ? あーっ、確かに久志ィは目つきがわるいよなぁ、水希ちゃーん? いつもぅ険しい眼をして怒っているみたいだからなぁ」

「えっ、そうかな?」永瀬は微笑んで俺を見て幸太郎を見た。

「幸太郎、お前だって人相悪いだろ?」俺は少し納得がいかなかった。

「にゃにゃにゃにおー!」幸太郎は太い眉を眉間に寄せて口を歪め二人の女子高校生を交互に睨んだ。

「プッ、ハハハハァーッ、片田君、そういうことじゃないけどーっ、ハアーもう」高橋は笑いながら左手でポンポンと永瀬の右肩を叩いた。すると永瀬は高橋弥生の細い腰を右手でそっと引き寄せた。



 翌日の土曜日、北川は学校に来なかった。


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