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生徒会長、麻倉遥の依頼

 次の日の昼休み、俺は武者小路実篤の『真理先生』という文庫本を読んでいた。俺の隣の席で永瀬は昼食後ずっと『吾輩は猫である』を読んでいる。一度、クラス委員長の本田明日香が「ねえ永瀬さん、何読んでいるの?」と訊いてきた。

「夏目漱石の『吾輩は猫である』だよ。図書室で借りたの」と永瀬は答えた。

「ふーん」本田はそう言って、その場を離れた。彼女は数人の女子が集まっている自分の席にもどった。そして何かを話してチラッとこちらを見た。クラス委員長の取り巻きもこちらを見て、そして笑っている。韮崎の甲高い笑い声も聞こえた。永瀬は本田たちの視線に気づかないのか、彼女は読書に集中しているようだった。

「あの、ごめんね、永瀬さん」永瀬の右後ろから小さな声がした。

「ハイ?」永瀬が少し驚いて振り返ると、辻村が立っていた。

「あの・・・、『吾輩は猫である』を、もう読んでいるのね」女子図書委員は恥ずかしそうに言った。

「うん、昨日の夜から読んでいるよ」

「面白いかな?」

「うん、面白いよ。明治時代の雰囲気っていうのかな。それから登場人物がそれぞれユニークで猫ちゃんの指摘が鋭いしね」

「良かった」辻村は照れたように笑った。

「ありがとう、辻村さん、また面白い本を教えてね」永瀬は瞳を細めながら微笑んだ。

「うん、じゃあね」静かなクラスメートは自分の席に戻っていった。俺は読書に集中できなかった。

「山口君」永瀬は本を閉じて俺を見た。

「ん・・・」俺は隣の席のクラスメートを見たが、すぐ眼をそらした。

「山口君もこの本を進めてくれたよね。ありがとう」

「あっああ・・・、その、あのっ、それ、難しい漢字もあるだろ」俺は視線を宙に漂わせながらも彼女の机の上にある漢和辞典を見た。

「そうなの。でも難しい漢字は読みがなが、振ってあるから大丈夫。うーん、でも難しい漢字が続くと少し嫌になっちゃうかな。なんかニュアンスが分からないっていうか」永瀬は口を尖らせ瞼をすこし下ろして困った表情を浮かべた。

「あ、俺が教えようか?」俺は自分の言葉に驚いた。そして自分の語彙の少なさにも呆れた。

「エッ、いいの? ホント? 難しい漢字が続くと文章の意味が分かりにくいところがあって。山口君、教えてくれるの?」俺の方に近づいた永瀬の顔がパァーと明るくなった。俺はまた驚いた。何故か一瞬、本田が永瀬の机の上にある漢和辞典を見たことを思い出した。

「あっ、ああ、俺、暇だし」俺は小さく何度も頷いているようだった。

「確かに久志は暇人だ」背後からの拓海の声に俺は上体が反射的にビクッと伸び上がった。

「何だよ、なに、そんなに驚いてる?」拓海は少し意地悪く笑っている。

「いや、別に」俺はそう言った。

「永瀬、ちょっと、うちの生徒会長に会ってみない?」

「エッ、生徒会長って麻倉遥さん?」

「そう、廊下にいる。彼女、君に会いたいそうだ」永瀬は拓海を見上げて、そして俺を見た。

「行こうか」俺は言ってしまった。永瀬は頷くと席を立った。俺たち三人が廊下に出ると2-Bのクラス副委員長の木浪吾郎が麻倉に話しかけていた。麻倉は俺たちに気づくと、木浪に「ごめんね、その件はまた後で」と言って、肩まであるストレートヘアを揺らしながら俺たちに近づいてきた。麻倉に置いて行かれた木浪はその場所に佇み銀縁眼鏡を光らすように俺たちを見た。

「ナイスミーチュー、ミズキ・ナガセ。マイネームイズハルカ・アサクラ」麻倉はそう言うと右手を永瀬も前にゆっくりと出した。

「オー、ナイスミーチューツゥー。ハルカ・アサクラ」永瀬は美しい生徒会長の右手を両手で包んだ。

「何か、アメリカのテレビドラマのワンシーンみたいだな」拓海は少し呆れている。

「ああ・・・」俺は自分が、麻倉と永瀬が俺のいる場所とは隔てられた遠いところにいるんじゃないかと感じた。

「永瀬さん、舞たちから聞いたけど、昨日は図書室に行ったのでしょう? どう、この高校に少しは慣れたかな?」

「ええ、だいぶ慣れました。図書室では山口君に勧められて『吾輩は猫である』を借りたんです」永瀬はチラッと俺を見た。

「ふーん、そうなの」麻倉が涼しい眼差しを俺に向けた。

「ふーん」拓海もわざとらしく俺を見た。

「なっ、何だよ、お前ら」俺は訳もなく動揺した。永瀬も俺を見てクスッと笑った。俺の脳の奥深いところが発熱した。

「ところで永瀬さん。よかったら生徒会室も覗きに来ない? 都合の良いときでいいけど」

「エッ、生徒会室?」

「永瀬さんの通っていたインターナショナル・ハイスクールも生徒会のような組織があったでしょう? それでそのインターナショナル・ハイスクールでは生徒会がどんな活動をしていたか、いろいろ教えてもらいたいなぁって。もちろん、あなたにとって役に立つ、この学校の情報も多少伝えられると思う」麻倉は悪戯っぽくそう言った。永瀬は生徒会長の美しく整った顔をまっすぐ見つめていた。



「オーイ、久志ィ。水希ちゃんと生徒会室、行くだろうぉ?」放課後、幸太郎は一人で2-B教室にやって来た。

「麻倉から聞いたのか」

「そうじゃ。僕と遥ちゃんはツーカーの仲だからにゃ」

「遥は、そつがないからな」いつの間にか拓海も俺の傍に来ていた。

「オウ、拓海ィ、それはどういう意味じゃ?」

「フフッ、別に」

「拓海、お前も生徒会室に行くのか?」

「いや、俺はバイト。金貯めねえとな」

「拓海ィ、また、あのうるさいギタァー、買うのかぁ」幸太郎は呆れたように言った。

「さあな。それよりも幸太郎。お前、ロックが分かると遥ともっと仲良くなれるぞ」

「ヘン! 知るかぁーッ。俺っちはアグネス様一筋じゃあ」幸太郎の返事に応えるように、拓海は右手を一瞬上げて教室から出て行った。永瀬は不思議そうに拓海を見ていた。

「じゃあ、行こうか」俺はアグネスのファンが座っている車椅子のグリップを握った。

「片田君、北川さんは?」

「ああ・・・、舞はぁ今日、パパと会う日なのよぅ」

「エッ・・・」

「あいつはお母ちゃんとぅ二人暮らしだよ。お母ちゃんは頑張り屋でしっかりしているけどぉ。まあ舞もたまにはぁ、お父ちゃんに会いたいんだろ。月に一回、会うみたいだぜぃ。」

「そうなの・・・」

「あーっ、水希ちゃん。そんなに気をぅ使わなくてもいいぜ。舞もああ見えて意外と考えているしぃ。俺っちも水希ちゃんだから話したんだぁ」

「うん」永瀬は小さく頷いた。

 俺たちは二階外廊下の東端にあるエレベーターの前に着いた。幸太郎はエレベーターの扉の横にある白いボタンを押した。何とも形容しがたい低音と共にエレベーターが上がって来る。灰色の頑丈な扉が開くと俺は車椅子のグリップを握りながら後ろ向きで歩いて、ゆっくりとエレベーターの中に入った。

「片田君、一階のボタンを押していいかな?」

「オッケィ、水希ちゃーん」幸太郎は嬉しがっている。

 俺たちが一階に降りて目の前の廊下を歩くと、軽音楽部や吹奏楽部の部員たちが鳴らしている楽器の音が聴こえてきた。

「水希ちゃーん、ここが文化棟で拓海のケーオン部は三階だにゃ」幸太郎はゆっくりと左手を上げて左側の建物を指さした。

「軽音学部の他にも、邦楽部、合唱部、演劇部、ブラスバンド部があるのでしょう」

「ヒャーッ、水希ちゃん、よく知ってるねぇ。俺と久志ィは帰宅部だか部活にはキョーミないけど。なぁ久志ィ」

「ああ・・・」

「ふーん、山口君は読書家だから文芸部とかに入っているのかと思ったけど」

「プッ、水希ちゃーん、ブンゲー部は女子ばっかだから。恥ずかしがり屋の久志ィが入れるわけないよぅ」

「エエッ! そうなの? 山口君」永瀬は小首を傾げて俺を見た。

「いや、俺、そんなに本読んでないし」

「久志ィ、なにカッコつけてんだよぅ」

「フフッ。あっ、北川さんは何か部活しているの、片田君?」

「舞は俺たちと同じ帰宅部デース。あんなに騒がしくて勝手な奴はさぁチームの和を乱すだろぉ。まあ、お母ちゃんの店の手伝いも少しはしてるけどなぁ」

「北川さん、お店のお手伝いしているの、偉いねぇ」

「まあな・・・」幸太郎の口調に俺と永瀬は眼を見かわした。

「ここ、ここだよぅ、遥ちゃんのお城は」文化棟の横にある生徒会館一階に生徒会室はあった。アイボリーの引き戸のレールに沿って扇状の茶色の木片がはめ込まれている。永瀬が引き戸を軽くノックした。それから、ゆっくりとその引き戸を開けた。

「サンキュー、水希ちゃん」幸太郎はハンドリムを握っている手に力を込めて部屋の中に入った。「コンチワーッ!」奴の声は低くよく響く。

「こんにちは、片田君」楕円形のテーブル左側に座っている会計担当の高橋弥生が微笑みながら答えた。

「永瀬さん、いらっしゃい」テーブルの一番奥に座っている麻倉は何らかの資料を読んでいたが、顔を上げて嬉しそうに俺たちを見た。

「アーッ! この人が遥先輩が言ってたバイリンガールですか? あたし遥先輩の付き人の一ノ瀬愛です! 永瀬先輩、よろしくお願い致しまーす」小柄な一年生女子は生徒会長の熱烈なファンだ。彼女はスタスタと永瀬の前に着てペコリと頭を下げた。永瀬もそれにつられて頭を下げた。

「相変わらずぅ一ノ瀬は元気が良いというか騒がしいにゃ。お前、疲れというモノを知らないのかぁ」

「片田さんほどデカい声は出しませんけど。ところで片田さんは今日、何をしに来たのですか?」

「オーッ、僕は水希ちゃんの学校案内を仰せつかっておるのじゃーっ。どうだぁ参ったかぁ?」

「エーッ、片田さんがですかぁ。何か変なコト、永瀬先輩に教えていません? 心配だなぁ、ねっ遥先輩!」一ノ瀬は幸太郎を訝しげに見て、それから部屋の奥に座っている麻倉を見た。

「フフッ」麻倉は小さく笑って答えた。彼女から少し離れて座っている書記の木浪吾郎は無表情だった。

「遥ちゃんがそんなこと思うわけないだろーっ、こらチビッ子! 昨日も水希ちゃんを僕が、この不愛想男が務めておる図書室に案内したのだぁ。エライだろーっ」

「エッ、片田さん、図書室に行ったのですか? 山口先輩、迷惑だったでしょ?」一ノ瀬は心配そうに俺を見た。

「ああ・・・、いや」

「ほらっ山口先輩は困っていたんだわ。片田さんみたいにギャーギャーとうるさくって適当なこと言ってる人より、山口先輩のように落ち着いてる人に案内してもらった方がいいですよ、永瀬先輩」

「ふっふっふっ、やっぱりチビッ子一年生は何にも分かっていないにゃー、ねえ水希ちゃーん」幸太郎はニタニタ笑いながら隣に立っている永瀬を見た。

「何ですか、その気色悪い笑いは?」一年生はまた訝しげな眼差しを幸太郎に投げかけた。

「誰が気色悪い笑いじゃ。まあいいわ。ふふーん、よく聞くんじゃ一ノ瀬君。水希ちゃんは日本語、特に漢字を勉強したいということでぇ図書室に行ったんじゃ。外国生活が長かったからなぁ」

「それは分かりますよ」

「まあ僕ちんが水希ちゃんを図書室に案内したのでぇ、彼女はとっても素敵な本を借りることができたのじゃ。ソーセキの『吾輩は猫である』をね、水希ちゃん?」

「ええ、そうですねぇ」永瀬はクスクス笑っていた。

「エーッ、片田さんがホントに『吾輩は猫である』を紹介したんですか?」

「何だよぅ、どーいう意味じゃ」幸太郎は少し動揺した。

「片田さんが読んでるのは、どうせエッチな本とか漫画でしょ。その本を紹介したのは山口先輩じゃないですか、永瀬先輩?」

「水希ちゃん、シーシー」幸太郎は右人差し指を口元に立てて、永瀬の方を見た。

「ププッ」麻倉の右隣りに座っている高橋が吹き出した。彼女の黒いポニーテールがユラユラと揺れている。永瀬もまだクスクス笑っている。

「一ノ瀬さん、片田君、いつもの漫才はもういいかな?」

「あっ、遥先輩、すみません」一ノ瀬は慌てて自分の席に戻った。

「永瀬さんたちも空いている席に座ってね」

「アレー! 福岡がまたいないじゃん!」幸太郎は一ノ瀬の右横に車椅子を移動させながら叫ぶように言った。

「副会長はバスケの練習があるって」高橋の返答は諦念を含んでいた。

「部活と生徒会と両立させるって福岡先輩言ってたのにひどいです。ちょっとばかり女子に人気があるので副会長なったけど全然仕事しないし。もーぉ」一ノ瀬は赤い頬を膨らませた。

「彼はバスケットボール部のレギュラーだから仕方がない面はあるわ。福岡副会長には私や高橋さんから重要なことは、その都度知らせてはいるし。学園祭が近づけば、福岡君もそれなりに仕事をしてくれるでしょう」

「まあ前向きに考えるってことね」会計担当は右手で黒いボールペンをクルクル回している。

「ハイ、そうですね。頑張りましょう!」一年生の声に麻倉と高橋は微笑んだ。

「あのさ、俺達、ここに居ていいのか? 永瀬さんに用があるんだろ」俺は先ほどから気になっていたことを何とか言った。

「ええ、山口君たちもここに居てもらった方がいいかなって思っていたけど。その方が永瀬さんも安心するんじゃないかなって。勿論あなたたちに何か他にすることがあるのなら退席してもらってもいいけど」

「いや、特にない」

「じゃあ、一緒にいてもらったらいいんじゃないの」高橋が俺を見た。

「そうですよ、片田さんが変なコトをギャーギャー言ったら困りますが」

「何じゃ、チビッ子」幸太郎はわざとらしく左席の後輩を睨んだ。

「木浪君も問題ないでしょ」

「ああ・・・」俯き気味の木浪は生徒会長の言葉に一瞬反応するように、銀縁眼鏡の奥の眼を生徒会長の方に動かした。

「それじゃあ、簡単に生徒会の活動を永瀬さんに伝えるわね。まず役員を紹介します。生徒会長が私、麻倉遥。それから副会長が今日は来ていないけど、2ーAの福岡一人君。会計担当は高橋弥生さん。彼女も2-Aです」

「永瀬さん、よろしくね」高橋は永瀬に向かってニッコリと笑った。

「ことらこそ。よろしく」永瀬は少し眩しそうな表情を浮かべた。

「僕もよろしくねぇ、弥生ちゃーん」幸太郎は首を下げ左向きに捻って猫撫で声を出した。

「片田さんに言ってるんじゃないですよ、高橋先輩は。それに気色悪い声出さないでください」一ノ瀬は隣の剽軽な男子高校生に冷たく言い放った。

「ニャー」幸太郎は悲しそうに鳴いた。

「ププッ」高橋が吹き出した。

「紹介を続けるので・・・。書記は永瀬さんのクラスメートの木浪君、それから庶務は一年生の一ノ瀬愛さんと戸倉純二君にお願いしています。戸倉君はまだ来ていないけど」

「遥先輩、戸倉君はまた担任の先生に呼び出されてるみたいです。彼、宿題をしょっちゅう忘れるから」一ノ瀬が答えた瞬間、入り口の引き戸が開いた。

「遅くなりましたぁ!」息をハアハアさせながら小柄な男子生徒が入ってきた。

「アレッ、片田先輩、また来てるんですかぁ? 山口先輩も大変っスね。アッ、この方が噂の帰国子女、永瀬先輩っスか? 俺は一年D組の戸倉純二です。永瀬先輩、よろしくっス」クセ毛の黒髪と丸い黒縁メガネをかけた少年は永瀬の横でペコペコ頭を下げた。

「戸倉君、ここ」木浪は呆れたように自分の左横の椅子を指差した。戸倉は慌てて指定された椅子に座った。そして背負っていた紺色のナップサックからスヌーピーが描かれたアルミ製の筆箱とノートを取り出してテーブルの上に置いた。それから左隣の俺に向かって「山口先輩、どもっス」と右手を挙げた。俺は反射的に「おっ、おう」と答えていた。

「戸倉君も来てくれたし、それじゃあ学園祭のことを簡単に説明します。今年の学園祭は十月十五・十六日に開催します。生徒会主催という形ではなくて学園祭実行委員会を立ち上げて、その実行委員会が企画・運営します。もちろん生徒会も全面的にバックアップしますが、あくまで実行委員会が主体となって行っていきます。企画の内容としてはクラスの出し物と文科系クラブの発表が中心となります。具体的な内容に関しては、このファイルに昨年のプログラムパンフレット、それから写真集を見てもらえれば大体雰囲気が分かると思います。一ノ瀬さん、この資料を永瀬さんのところへ」

「ハイ!」一ノ瀬は素早く立ち上がり麻倉の前にあった黄色いファイルと分厚く赤い写真用アルバムを取った。そして永瀬の座っているテーブルの前にそれらをそっと置いた。

「永瀬先輩、このアルバムには遥先輩の素敵な写真がありますよ。すぐ分かると思いますから」

「おう、遥ちゃんは安寿と厨子王のお母ちゃんの役だったよねーっ」

「片田さん、お母ちゃんじゃなくて遥先輩の役はお母様ですよ。落ちぶれても、とっても品のあるお母様です。あたし、当日ちゃんと戸倉君と一緒に舞台を観てました! あたしたちの中学でも遥先輩は憧れの的でしたから」戸倉がウンウンと大きく頷いている。

「そういえば片田君もお芝居に出ていたね」高橋は笑いをかみ殺していた。

「アーッ、そうでした。片田さん、人買いの子分の役でしたね」

「一ノ瀬君、よく覚えてるニャー。僕がカッコ良かったからだろぅ?」

「全然違いますよ、片田さんはホント悪党似合ってましたよ。地でいけたんじゃないですか? 遥先輩にからんだ時の柄の悪さとか」

「にゃにおー」

「おまけに片田先輩、車椅子から、すっ転んだッスよね」戸倉がニタニタ笑っている。

「あの時はごめんね、片田君」麻倉が申し訳なさそうな顔をした。

「いやいやいやーっ遥ちゃん、あれは僕ちんが悪かったのよぅ。いつもより力が入ってしまったから、バランスを崩しちゃったんだよぅ」

「でも麻倉先輩は片田先輩がコケそうになるの防ごうとしたッスよ。結局、コケちゃいましたけど」戸倉は少し意地悪な笑みを浮かべた。

「あれは片田さんが重かったから仕方なかったのよ。遥先輩は一生懸命防ごうとしたから、片田さんはケガしなかったと思うわ」

「片田先輩、意外とデブなんッスね、車椅子乗っているから分かんなけど。それにドンくさいッス」

「コラァ―ッ! お前らぁ、先輩を尊敬しないのかぁ」

「エーッ、一つ上の先輩だから尊敬しろと言われてもーっ」一ノ瀬は幸太郎を見て麻倉を見た。

「そうッスねぇ」戸倉も同じように幸太郎を見て麻倉を見た。

「クククッ」高橋が右手で口を覆っている。

「弥生ちゃん、笑い過ぎじやぁーっ」

「あっ、ごめんなさい。だってあの時、片田君のカツラがとれたでしょ。それ思い出しちゃって・・・ウップッ」

「そうそう、あの時は会場大爆笑だったですよ。片田さん、ひっくり返ったヒキガエルみたいで」

「片田先輩、大うけだったから、よかったじゃないッスか」

「フン、誰がヒキガエルじゃ」幸太郎はそう言ったが、満更でもなさそうだった。

「コホッ」木浪が故意に咳をした。一ノ瀬が少しバツの悪い表情を浮かべた。

「・・・永瀬さん、体育館のステージでは今話題になったようにクラスの出し物、演劇とか合唱とかの発表もあります。あとプラグラムに載ってあるようにクラスの教室で喫茶店やお化け屋敷みたいな企画もあります。文科系クラブの展示も教室で行われたりします。どう、少しは雰囲気が分かったかな?」

「ハイ、そうですねぇ。やはり私が通っていたインターナショナル・ハイスクールとはかなり違う印象があるかな」

「うん、どういうところが違うかな」

「インターナショナル・ハイスクールはいろんな国から生徒が通っています、だから学園祭では、それぞれの国・地域の文化を紹介するものが多いですね。例えば食べ物とか。簡単なカフェや小さなレストラン? みたいなスペースを作ってワイワイ楽しんでいました。この高校では、そういうことは難しいとは思いますが」

「なるほど、食べ物を通じて国の理解や交流を深めるってことね」

「エーッ、いいなあ。じゃあ永瀬先輩はいろんな国の美味しいものを食べる機会があったってことですねぇ」

「そうですね」永瀬は一ノ瀬を優しく見つめた。

「ちょっとそのような企画はこの高校では難しいねぇ、会長。面白そうだけど」高橋が首を右に傾げて麻倉を見た。

「そうね。でもそういうことを知るということだけでも勉強になるわ。永瀬さん、あと他に感じることはあったかな?」

「あと、ちょっと違うかなっと思ったのは、インターナショナル・ハイスクールでは周囲の人に来てもらえるようにアピールします。例えば近所に住んでいる家族連れのお客さんにいろんなものを買ってもらったり食べてもらったりしますね」

「なるほど、地域に開かれた考え方ね」生徒会長は静かに深く考えているようだった。

「確かに学園祭って身内感があるねぇ」高橋の言葉に永瀬は首を少し捻った。

「身内感って自分たちだけでやっている感じだと思う」俺は左隣に座っている永瀬に囁くように言った。永瀬は軽く頷いて微笑みながら俺を見た。

「近所の人っていうか地域の人って高校の中身って、あまり知らないんじゃないか」木浪は長髪を軽く掻きながら発言した。

「確かに高校って閉じられた空間かもしれないわね」高橋は何かを思い浮かべているように難しい表情をした。

「まあ学校という場所はある種の閉鎖性は必要かもしれないけどね。学校は外部から独立した空間で教育活動や学習を行う場所といえるでしょう。でも永瀬さんが教えてくれたように、ある程度の開放性もこれからは必要になるかもしれない。地域の人が身近に感じられる高校は学習・教育の面でも面白い取り組みができるかもしれないし」

「ほぉーっ」幸太郎は感心したように溜息をつくと、一年生二人も同じような表情を浮かべていた。

「ガラガラガラ!」出入り口の引き戸が勢いよく開き、長身の男子が入ってきた。

「よう、ご苦労さん。アッ、君が帰国子女の永瀬さん? アレッ、片田ぁ、また来てんの。君ら暇だねぇ。部活しろよ、部活!」長めのスポーツ刈り、太い眉毛、大きな目をしたライトブルーのジャージを着た男は「ピシャ!」と引き戸を閉めた。そして大股で生徒会長の左隣の席に歩いていき、骨太の体を重力に任せてその椅子に預けた。

「福岡君! 片田君は永瀬さんを生徒会室に案内してくれたのよ。そんな言い方はないんじゃない」高橋はムッと不満そうに言った。

「エーッ、だって帰宅部の奴らって暇でしょ」

「福岡先輩! 福岡先輩はバスケ部と生徒会と掛け持ちで忙しいでしょうけど、放課後に何をするかはその人の自由だと思います。それに片田さんは生徒会の活動によく協力してくれてますよ」一ノ瀬は頬を赤くして長身のバスケットボール部員を見た。幸太郎はニタニタ笑っている。

「おー、コワッ。やはり女子は真面目だねーっ。なあ木浪、お前は俺の辛い立場を分かってくれるよなぁ。ほら、今は大会の予選を戦って俺のチームは勝ち上がっているだろう。俺はポイントゲッターだから、このスーパースターがいないとチームはダメなんだよ。なあ、木浪は男だから俺の辛い気持ち厳しい立場が分かるだろ?」福岡は左腕で痩身の木浪を抱きかかえるように体を密着させた。

「ああ、まあ」木浪は体を強張らせながら頷いた。

「それで、帰国子女から良い話、聞けた?」福岡はあっけからんとした調子で誰とはなく訊いた。その言葉に高橋はピンクの唇を噛みしめ福岡を睨んだ。

「そうね、福岡君。永瀬さんからはインターナショナル・ハイスクールの学園祭の特徴を伺ったわ。永瀬さんの話だと彼女が通っていた高校では地域の人たちが参加しやすいように企画されているようです。近所の人たちが気軽に参加できる、開放的な雰囲気があるみたい」

「ふーん、去年の学祭では俺のバンドのカッコよさで近所の高校生とか中坊が来てたぜ。そういうこと?」

「福岡先輩、そういうことじゃないです。地域の人たちってこの高校の周囲の人たちですよ。子どもたちからその親、お年寄までいろんな人たちです。みんなが参加しやすい学園祭企画はどうかなぁって話し合っていたんです」一ノ瀬は口先を尖らせながら早口で言った。

「エーッ、何か面倒くさいことないかぁ、なあ木浪? 戸倉もそう思わない?」

「福岡先輩、俺はこの高校がご近所さんに理解してもらうってことは良いと思うッスけど」戸倉はキョロキョロと周囲を見回しながら答えた。

「そうかぁ、近所のおじさんおばさん、ガキンチョが来ても盛り上がらないぜ。ほらっ俺たちのバンドが去年ライブやったときは他校の女子もキャーキャー叫んでスゲエ盛り上がってただろ。ああいうのが学園祭っぽいじゃない?」

「あれは原君のギターが凄かったからでしょ」高橋はクールに言い放った。

「確かに原と俺のフロントは最強だったな。おい、山口、今年も原に俺と組んでくれるようにお前からも頼んでくれよ。アッ、時間だ! じゃあ皆さんあとはよろしく! 片田は早く帰れよ。じゃあ」副会長はそれだけ言うとサッと部屋から出て行った。

「何じゃ、アイツはぁ?」幸太郎は呆気にとられていた。

「もぉーホントに福岡君は・・・。ゴメンね、片田君。何でアイツが生徒会の副会長やってんの!」高橋はかなり怒っていた。

「ホント、そうですよ。福岡先輩は生徒会やらずにバスケ部に専念したらいいのに」一ノ瀬も福岡が座っていた椅子を睨んでいた。

「内申書の為だろう」木浪がポロっと言った。

「なるほどーっ、木浪先輩さすがッスねぇ」

「戸倉君! 何を感心しているの。まさかあなたも内申書の為に生徒会やっているわけじゃないよね?」

「いやいやいや、一ノ瀬さん。そんなことはないです、ないです」戸倉は慌てて手を横にブンブン横に振った。

「まあ彼も今の大会が終われば生徒会や学園祭のことに関わってくれでしょう」生徒会長は不服そうな女子二人を宥めるように言った。

「そうかなぁ」高橋のボールペンを回すスピードが上がっていた。

「彼のように部活動を一生懸命やっている人の意見もある意味大切かもしれないでしょう。私たちとは違う視点で考えているから。ただ配慮の欠ける発言がなかなか治らないのは困ったものだけど。片田君、山口君申し訳ないわね」麻倉の紫の瞳は俺と幸太郎を捉えていた。

「そりゃあ片田さんはニブイからいいけど、山口先輩まで帰宅部はヒマだなんて言われるのは酷くないですか?」

「オイ、コラッ、一ノ瀬君。それはぁ、どーいう意味じゃ」

「ソーいう意味です」小柄な一年生は澄まして答えた。

「コホッ」木浪がまた咳をした。部屋は一瞬静かになった。

「ハイ、みんな、もっと永瀬さんに訊きたいことはない? 良い機会だからいろいろ訊いちゃいましょう」麻倉遥の口調に少しだけ悪戯っぽさが含まれていた。それに呼応するかのように生徒会の役員達は様々な質問を永瀬に投げかけた。中には幸太郎の「水希ちゃんは向こうではぁ、彼氏はいたんのかにゃ?」というトンチンカンな質問も含まれていた。当然、一ノ瀬に批判され幸太郎のその質問は却下された。

 永瀬はみんなの質問に一つひとつ丁寧に答えていた。俺は永瀬が質問に答えるたびに、彼女の話した物事や場所が鮮明にイメージされるのに驚いた。彼女の話す日本語はとても正確で分かりやすい。主語、述語、目的語が明確で余分な言葉がないが、何故か柔らかい。そして何故か俺の貧困な想像力を刺激してくれる。おそらく他の奴らもそうだったのだろう。永瀬に対して質問ということではなくなり、親しい友人に対する興味関心のある問いかけを含んだ会話になっていた。

 下校を促す牧歌的なチャイムが鳴っても生徒会室では話は尽きなかった。

「五時半になりました。まだまだ訊き足りないこと話したりないこと、あると思うけど今日はここまでです。永瀬さん、片田君、山口君、どうもありがとう。今日話したことを木浪君、まとめてくれる?」

「・・・ン」冷静なふりをしている書記担当は少しだけ頷いた。

「永瀬さん、今日は本当にありがとう。あなたのお話は学園祭の企画を考える上で、とても参考になったわ。みんなは、まだまだあなたの話を訊きたいと思っているみたい。またこのような機会を設けるかもしれないけど、その時はよろしくね」生徒会長の言葉に木浪を除いた他の役員はウンウンと頷いている。

「私も今日はたくさん話ができて嬉しかったです。日本に戻って来て新しい環境になかなか慣れなくて話すことに遠慮していたけど、今日は何故かリラックスできて、とても楽しかったです」俺は左隣の永瀬の横顔が白く輝いているように見えた。

「水希ちゃーん、それは僕ちんがぁ、場を和ますユーモアセンス溢れるぅ話をしたからかにゃ?」

「片田さんは場を混乱させるトンチンカンことしか言わなかったでしょ」一ノ瀬は眼を細めて低い声で言った。すると俺の右隣りの戸倉が大きく首を縦に振った。

「にゃにおー! シャー!」幸太郎は両手を爪立てて、猫の声音を発し左隣の一年生女子を睨んだ。

「プッ!」

「弥生ちゃんまでーっ、酷いにゃー」

「ごめんごめん。確かに片田君は場を和ませてくれたわ。でもさ、永瀬さんが普段緊張してなかなか自由に話せないってこと、私は分かるよ」笑っていた高橋が急に真面目になった。

「私もね、高校一年生までは小さいころからの心臓の病気の為に体育はだいたい見学だったの。今はかなり良くなって二年生から体育の授業も概ね参加できるようになったけどね。でも以前はちゃんとした理由があるのに、『アイツはしんどい授業をサボっている。大した病気じゃないくせに』とか言われたり、何か異分子を見るような目で見られたりしたの。まあそういうことをするのは一部の子だけどね」高橋は永瀬を見て話していた。

「だから永瀬さんは帰国子女ということで、あなたを色眼鏡で見ている人が残念だけど居ると思う。それと私は良い意味で感じているけど、永瀬さんって何か日本人離れしている雰囲気があるでしょ」会計担当の顔がやわらいだ。

「ハイ、私も永瀬先輩に外国人っぽい素敵なオーラを感じました」一ノ瀬が元気よく右手を挙げた。

「アメリカ人っぽくないッスか、永瀬先輩は?」戸倉は永瀬を見て一ノ瀬を見た。永瀬は(どうかしら?)という感じで首を少し捻った。

「そういう個性的な面も文句言う人が意外と多いのよねぇ」高橋はため息をついた。

「弥生の言っていることは残念ながら当たっているけど、永瀬さんもだんだんこの高校に馴染んでいくのではないかな。今日もここでリラックスできたって言ってくれたしね。また気軽に生徒会室に来てね」生徒会長は上手く話を締めた。

「ええ、またお邪魔します」と永瀬は嬉しそうに答えた。俺は高橋や麻倉が言った異分子排除の雰囲気みたいなものはよく分からなかった。

「おう、久志ィ、水希ちゃん、帰ろうぜぇ!」幸太郎のうるさい声が合図になったように、生徒会室にいた人間はバタバタと帰り支度を始めた。




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