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高橋弥生は福岡一人を疑っている

 木曜の昼休み、俺は学生食堂でアジフライ定食を食べていると、左後方から「ここ良いかな?」と訊き慣れた声がした。俺は振り向くと白いトレーを持った麻倉と高橋がいた。

「あっ、ああ」俺が頷くと麻倉は俺の左隣の椅子、高橋は右隣の椅子に座った。周囲の女子や男子がチラチラと麻倉を見ている。

 麻倉は「いただきます」と丁寧に食前の合掌をした。そしてツルツルと天ぷらうどんの麺をすすり上げた。万能型の生徒会長は何をやっても絵になる。

「山口君、片田君の怪我は大したことなくて良かったね。私、あんなに血が出ているの見て驚いちゃったよ」高橋はチャーハンを乗せたレンゲにフーフーと息を吹きかけながら言った。

「舞が直ぐ介抱したしね」俺は左隣の麻倉が食事をしながらも上手に話が出来るのが不思議でたまらない。

「うん、だけど舞ちゃんが不思議がっていたよね。片田君、病み上がりなのに、どうして山口君や自分に車椅子の介助を頼まなかったのかって」

「うん・・・」生徒会長は食事をしながらも脳は高速回転しているようだった。高橋は麻倉を見て俺を見て周囲を見た。

「ねえ、山口君。階段から落ちた片田君を最初に発見したのは誰だと思う?」高橋は俺にだけ聞こえるように声をひそめた。

「いや、知らない」俺はアジフライの味が薄くなったように感じた。

「それが何と、福岡君なの。彼が『片田が落ちたーっ!』って大声を出したの・・・」

「エッ?」俺はアジフライが喉に詰まりそうになった。

「ねっ、変でしょう。福岡君は片田君のこと凄く嫌ってるのに」

「エッ、そうなのか?」俺そのことを初めて知った。

「ブッ! ケホッケホッ」高橋は気管支にチャーハンが入ったのか激しく咳き込んで涙目になった。そして慌ててグラスの水を飲み込んだ。

「どうした、大丈夫か?」

「プハァー、もう遥ぁ。山口君をどうにかしてよーっ」高橋の困惑した視線は俺の前を横切り麻倉に届いた。

「フフフッ。それが山口久志くんでしょう。弥生だってそこを信頼しているんじゃない?」麻倉は既に天ぷらうどんを食べ終えていた。

「そうだけど・・・もう超ド級の無関心さね」高橋は再びチャーハンを食べ始めた。俺も冷めた味噌汁を飲み、付け合わせのキャベツの千切りを食べた。俺がアジフライ定食を食べ終えると同じように高橋もチャーハンを食べ終えた。彼女は美味しそうにグラスの水を飲んだ。そして口元を白いハンカチで拭った。

「ねえ弥生、片田君も『どうして階段から落ちたのか分からない』と言っているのだから、いろいろと憶測をしない方がいいと思うのだけど」麻倉は左肘をついて生徒会活動の相棒に諭すように言った。

「だけどさ、福岡は日曜日のバスケの試合で負けて月曜日から文句タラタラだったのよ。チームメイトの悪口ばかり言って、苛立って機嫌悪いし」

「今回のバスケットボール部のチームは福岡君中心のチームだったからね。人より優れていると不満も募って言いたくもなるでしょう」

「でもさ、それだったら遥は、あいつなんかよりもっと凄いじゃない。でも遥は人の悪口なんて言ったことないよ。ねえ山口君、そう思わない?」

「あっ、ああ。そうだな・・・」

「弥生は私を誤解しているわ。私はみんなと同じ普通の人間よ。ねえ山口君?」

「あっ、ああ。そうだな・・・」

「ウッ、もうーっ、山口君はどっちの味方なの」高橋は左肩を俺の右腕に軽く当てた。

「いや、高橋さんの言ってることも正しいし、麻倉の言ってることも正しい」

「はあっ? 何、それ、どういう意味?」高橋は顔を少し落として俺を見上げるように見つめた。

「いや、あのっ」俺は困って左隣を見た。

「弥生は私を評価し過ぎよ。私がテストの成績が良いのは今の勉強の仕方がテストの点数を取ることに、たまたま合っているだけ。ピアノや生徒会も好きだから練習したり一生懸命取り組んだりしているだけ。私には特別なものはないよ」

「えーっ、そうかなぁ。どう思う、山口君?」

「うーん、麻倉はぁ・・・」右側から問い詰めるような眼差しがあり、左側からはちょっとした好奇心の視線があった。

「結局・・・・・・」

「うん、何?」高橋の視線が更に圧力を増した。

「分からん」生徒会会計担当は頭をガクンと落とし、生徒会長は密かに微笑んだ。

「もぉー、ホントに君はぁーっ」高橋は呆れていたが怒ってはいなかった。

「高橋先輩、何をそんなに楽しんでいるのですか?」高橋の対面の椅子に一ノ瀬愛が座ろうとしていた。彼女は右手にはオレンジジュース入りの紙コップがあった。

「珍しい組み合わせッスねぇ。どうしたんッスか」俺の向かい側にはコーラ入りの紙コップを持った戸倉純二が座った。

「まあ、ちょっとね」高橋は少しだけ先輩面をした。

「あの山口先輩、片田さんのケガ、大変だったですねぇ。そんなに酷くはなかったのでしょう? あたしも階段から落ちたって聞いて、さすがに心配しました」一ノ瀬は真面目な顔で言った。

「俺もビックリしたッス。片田先輩、ドンくさいけど、そのぶん慎重だと思ってたから。だから今回のケガは意外な気がしたッス」丸眼鏡をかけた後輩は思案顔をした

「うん」俺は戸倉の言葉に同意した。

「ところで遥先輩、高橋先輩、あたし驚いちゃったんです。さっき用事があった生徒会室に戸倉君と行ったんです。そしたら福岡先輩と木浪先輩が深刻そうな顔で何か話していて。ねっ戸倉君」

「そうッス。福岡先輩は必要最低限しか生徒会室来ないのにどうしちゃったんスかね。それといつもと雰囲気が全然違うッス。福岡先輩、いつも軽薄というか明るいじゃないッスか。それがすっごく暗い感じで木浪先輩と真面目な話してたみたいな」

「ふーん、珍しいこともあるもんだ」高橋は眼を細め意地の悪い言い方をした。

「でも高橋先輩。福岡先輩はあたしたちが部屋に入ったら、話を止めて慌てて部屋を出て行ったんですよ。何か嫌な感じ」一ノ瀬は頬を膨らませ小さな口を尖らせた。

「あーっ、福岡先輩、バスケの試合に負けて、それから好きな女の子に振られて落ち込んだりとか?」

「それは違うと思うわ。逆にそうだといいけど、あんな奴」高橋は詰まらなそうに言った。俺は一年生コンビの会話の筋道がよく分からなくなった。

「あのですねぇ・・・」一ノ瀬が小柄な体を前のめりにして高橋の顔に近づいた。

「高橋先輩・・・昨日の事故、片田さんが階段から落ちたのは、片田さんがバランスを崩したんじゃなくて、実は誰かが車椅子ごと突き落としたって噂があるんですよ」小柄な女子高生はヒソヒソ声で話したが、俺も麻倉もその内容は明確に聴こえていた。

「誰が突き落としたの?」高橋は一ノ瀬と同じように前のめりになってヒソヒソ声で訊いた。

「高橋先輩や遥先輩はまだこの噂は流れてませんか?」一ノ瀬は麻倉を見て困った表情を浮かべた。

「ううん、私たちの周囲にはそんな噂は聞いていないけど」高橋は小さく左右に首を振った。

「えーっ、どうしようかなぁ、戸倉君?」一ノ瀬は困ったように戸倉を見た。

「そこまで言ったんだから、最後まで言いなさいよ」今日の高橋は少し怒りっぽい。

「エッ、エッ・・・」戸倉は言いにくそうに辺りをキョロキョロ見回した。

「片田君を突き落としたのは福岡君っていう噂でしょう」生徒会長はやはりクールだった。

「ほらね・・・」高橋は意地悪な微笑みを浮かべた。

「弥生」麻倉は厳しい眼差しを高橋に送ったので俺は驚いた。俺の対面に座っている一年生コンビも驚いていた。

「だって福岡は今朝、私に酷いこと言ったんだよ。最近あいつが怒りっぽいから日曜の試合、残念だったね、次の大会でまた頑張ればいいじゃないって慰めたのよ。そしたらあいつ何て言ったと思う?」高橋は話しながら怒気が増してきたみたいだ。ポニーテールが細かく揺れている。

「俺様には勝利の二文字しかないって言ったンスか?」戸倉は何故か楽しそうに答えた。

「そんな可愛いこと言うわけないでしょ! あいつは『運痴、つまり運動音痴には俺の気持ちが分かるはずがない。ちょっとした病気で辛い練習から逃げているお前なんかとは住んでいる世界が違うのだ』って蔑むように言ったのよ。どう思う? もうホントに失礼極まりない男だわ」高橋の頬は真っ赤になっていた。

「それは酷いですね」一ノ瀬は呆れていた。

「でも高橋先輩、黙っていたわけじゃないでしょ?」戸倉は相変わらず楽しそうだ。

「そうよ。だから私はあいつに言ってやったのよ。人の気持ちが分からないあなたに、チームが勝てるわけないでしょ。どうせバスケ部は負け続けるのだから、生徒会の活動に参加したほうがまだ有意義じゃない? まあ福岡君は内申書が少しでも良くなるようにアリバイ的に生徒会やってるだけって、みんな知ってるけどねって。フン!」

「うわぁぁーっ、言っちゃいましたねぇ、高橋先輩」一ノ瀬は驚きつつも少し笑っていた。

「それで福岡先輩、落ち込んでさっき木浪先輩と話してたのかなぁ?」戸倉は自分の言葉に自信ないようだった。

「あいつが私の言ったことで落ち込むなんてあり得ないわ!」

「弥生、これでも飲んで落ち着いたら」麻倉はいつ持ってきたのか、アイスコーヒー入りの紙コップを高橋の目の前に置いた。そして彼女の右隣に椅子に座った。高橋は言われるままにアイスコーヒーを一口飲んだ。そして「フーッ」と息を吐き出した。

「アリガト、遥。それから、ゴメン・・・」俺は高橋の怒りの熱量が急速に下がっていくのを感じた。

「高橋先輩、そんなこと言われたらあたしだってプンプン怒っちゃいますよ」

「ウンウン」戸倉はすかさず同意した。

「でも、どうして福岡君はハンデがあっても頑張っている人を認めないのかな? どう思う、山口君?」麻倉は白い左手を高橋の右手に重ねながら俺を見て言った。

「・・・俺さ、まれに階段近くを幸太郎の車椅子押してるときに、もしこの車椅子を突き落としたらどうなるかなって思うときがある」

「エッ!」

「ホントッスか?」麻倉を除く三人はビックリしたみたいだ。

「だけど、そんなことしたら死ぬまで凄く後悔するから、やらない」

「うん・・・」右隣の高橋が俺をじっと見つめている。

「やってはいけないことをやりたいってのが、俺にも福岡にもあるかもしれない。そして・・・うーん・・・」俺は自分の胸にある冷ややかさに寒気がした。

「彼はその暴力性とか破壊衝動が他の人よりも強いのかもしれないわね」麻倉は俺の言いたいことを代弁してくれた。

「うん・・・。でも、幸太郎がどうして階段から落ちたのか・・・分からないって言ってるから、それでいいと思う」

「そうだよねぇ。片田君がそう言うのなら、そうかもねぇ」高橋は自分を納得させるように言った。

「あ、あのさ・・・、幸太郎も俺も、高橋さんは凄く頑張ってると思って・・・尊敬してる」俺は何故かそう言ってしまった。

「エッ、エッ、何っ、何言ってるの、山口君は・・・」ポニーテールの少女は俺の右肩を一回軽く叩いた。そして俺を上目遣いで見た。その黒い瞳から涙がポロポロ溢れ出た。

「ハイ、これ」麻倉は高橋にベージュ色のハンカチを手渡した。高橋はしばらくベージュ色のハンカチで目頭を押さえていた。俺は涙で濡れている高橋の横顔を見ていると麻倉と眼が合った。その紫の瞳は優しさを湛えていたが、悲しみの色も含んでいるように俺は感じてしまうのだ。


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