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18/23

永瀬水希は西に動いている太陽を悲しそうに見た

「どうして幸太郎は一人でトイレ行こうとしたのかな?」正門前の歩道橋の階段を上りながら北川は呟いた。乾燥した風が吹き北川のツインテールを僅かに揺らした。

「エッ?」永瀬はウエーブのかかった髪を押さえながら北川を見た。

「アイツさあ、病み上がりの時はだいたい山口に車椅子押すのを頼むんだよ。特に放課後は疲れてるから」

「そうなの」永瀬はスロープを上り切った俺を見た。

「片田君は自分で出来ることを増やしたいのかな」永瀬は七月の陽光が眩しいのか眼を細めている。

「うーん・・・」北川は左ハンドルの曲がった車椅子を見た。

「どうしたの、舞ちゃん?」

「何かさ、幸太郎が階段から落ちるなんて、変だよ。そう思わないか、山口?」

「・・・・・・」俺は無言でうなずいた。

「そうなの」永瀬は改めて何か納得したようだった。

 下りのスロープを下りるため俺は無人の車椅子を後ろ向きにさせた。

「ねえ、山口君。片田君の車椅子を押させてくれる。と言っても下りだけど」

「あっ、ああ、いいよ。左ハンドルが曲がってるから気をつけて」俺は意外とスムーズに答えることができた。

「ここがブレーキだよね」永瀬はハンドルを持つと「ハッ」と息を飲んだ。

「どうしたの、水希ちゃん」

「いや、あの、車椅子って意外と重いね」俺は永瀬の言葉に何か引っかかった。

「そうなよねぇ。鉄が多くて私たちか弱い女子高生には結構たいへん!」

「永瀬さん、ナップサック持つし」

「あっ、ありがとう。じゃあ、これ、お願いね」転校生は紺色のナップサックを俺に手渡した。

「ほぉー、久志君もちゃんと気が利くじゃない。どうした?」また北川は不思議な表情をしている。

「べ、別に・・・」

「えっと、このブレーキを少し効かせながら、ゆっくり下りるのね」永瀬は俺をチラッと見ながらスロープを下り始めた。彼女はゆっくりとだが、テンポよく車椅子と共にスロープを下りて行った。

「へぇーっ、水希ちゃん、うまーい。車椅子、押したことがあるの?」

「ううん、初めてだよ。舞ちゃんや山口君がこの車椅子を押しているのを見ているから、何となくイメージしやすかったの」永瀬は少し照れていた。

 永瀬は歩道橋を渡っても無人の車椅子を押していた。

「アレッ、真っ直ぐにいかないね」

「やっぱり左ハンドルが内側に歪んでいるから難しい。代わろうか」

「あっ、うん。もう少しだけ頑張る」

「分かった」俺は永瀬の熱心さに感心した。北川も同じように感じたと思う。

 歩道橋を渡って西の交差点まで永瀬は幸太郎の車椅子を押した。それから幸太郎の家まで俺が奴の車椅子を押したけど、主がいない車椅子はしっくりこない。いつもの車椅子と別物のような感覚を覚えた。

「車椅子もケガしちゃったね」永瀬は淋しそうに言った。

「ホントだよ」北川は怒ってるように答えた。

 幸太郎の家に着いた時、永瀬は西の空を見上げた。雲のない空は青く、太陽はまだ容赦ない光を放っていた。彼女は眼を細めて西に動いている太陽を悲しそうに眺めていた。俺は驚いて永瀬の顔を見た。俺の視線に気づいたクラスメイトは「暑いね」と言った。俺は永瀬が暑さのことではなくて、全く別のことを考えていると思った。

「こんにちはーっ。由美さーん、幸太郎は大丈夫でしたかーっ?」北川が遠慮なしに店の事務所に入った。

「あっ、舞ちゃん来てくれたの、ありがとう。それから山口君、車椅子を持ってきてくれたのね、ありがとう」幸太郎の姉は少し困ったような顔をした。

「由美さん、幸太郎はどうだった?」

「母が病院に行ったけど、まだ検査中なの。それほど大したことはないんじゃないかと先ほど電話で言っていたけど」由美さんはそう言いながら、俺の隣にいる永瀬に眼をとめた。

「あっ、初めまして。私、永瀬水希です。転校してきて片田君と仲良くさせてもらって・・・。心配になって北川さんたちに付いてきました」

「あーっ、あなたが帰国子女の永瀬さんね。私はあのうるさい幸太郎の姉、由美です。よろしくね。ハハーン、なるほど」

「どうしたの、由美さん。変に納得して?」

「フフッ、最近弟がすっごい可愛い女の子が転校してきて、その子と仲良くなったってはしゃいでいたから」由美さんは少し呆れていた。

「アハハッ、幸太郎らしいけど。あのーっ由美さんは幸太郎のケガ、あまり心配してないの?」北川は遠慮なしに言うけど、ある意味俺は羨ましい。

「母からの電話と学校からの連絡でたぶん大丈夫だろうと思ったわ。舞ちゃんたちの雰囲気も深刻ではないしね。それにあの子はしょっちゅうケガしているし。ねぇ山口君」幸太郎の姉はそう言うと俺を見た。そして三個のグラスに麦茶をいれてくれた。

「まあ、確かに・・・」俺はグラスを受け取りながら答えた。

「でも由美さん。あたし、幸太郎のケガしたところに行って介抱したけど、かなり血が出てビックリしたよ。確かに意識もあってふざけたコト言ってたし骨とか折れてなさそうだったけど」北川は少しムッとしたようだ。

「あっ、舞ちゃんが介抱してくれたの。それで制服が汚れちゃったのね。ありがとう・・・」由美さんは少し悲しそうな諦めたような表情を浮かべた。

「あっ、いえいえ。こんなのは全然大したことないです!」北川も由美さんのトーンダウンに驚いたみたいだった。

「そうねぇ、家族として長く弟を見ていると悪いように慣れてしますところがあるかなぁ」

「あっ、あのっ、すいません、あたし、偉そうに言っちゃって」北川は恐縮していた。

「ううん、謝ることないわ、舞ちゃん。私たち家族よりも舞ちゃんや山口君の方が幸太郎のことを分かっているかもしれない」

「いえいえ、そんなことないです。あたしは幸太郎と喧嘩してばっかりだし」北川は頬が少し赤くなっていた。そして照れ隠しのように右手をブンブンと横に振っていた。その時事務所のプッシュフォンが鳴った。

「もしもし、あっお母さん。どうだった、うん、うん。そうなの。検査ではたぶん大丈夫なのね。あっ、そう、少し縫ったの。どう幸太郎は? 元気になって喧しいの。フフッ、相変わらず困った奴ねぇ。うん、もうすぐ帰るのね・・・。うん、分かった。あっ、山口君たちが心配して来てくれているの。うんうん、分かった。じゃあ気を付けてね」由美さんは弟とは似ていないつぶらな黒い瞳を、おどけたように見開いて俺たちに合図を送った。

「フーッ」舞は小さく息を吐いた。

「ごめんなさいね、みんな。弟は頭部を八針ほど縫ったけど、検査では問題ないそうよ。電話口でもギャーギャー言っていたし。舞ちゃんには服も汚させてしまって・・・」

「いえいえ、幸太郎が大丈夫ならいいです。あたしはあいつの頭から血がたくさん出たのを見てビックリしちゃったから、勝手に心配しただけです。なあ山口」

「あっ、ああ」俺は慌てて頷いた。

「でも、良かったですね、大事に至らなくて」永瀬は微笑みながら由美さんに語りかけた。

「うん、ありがとう、永瀬さん」幸太郎の姉は永瀬の笑顔に何かを感じたようだった。

「キッ!」という自転車のブレーキの音が聴こえた。事務所のすりガラスの向こうに二台の自転車から降りている高校生の姿があった。

「こんばんは、失礼します」引き戸がゆっくり開いて麻倉遥が入ってきた。俺は麻倉が入るといきなり爽やかな水色の風が吹いたような気がした。暑さなど全く感じていないような生徒会長の後ろから「すみませんね、由美さん。大勢押しかけちゃって」と拓海が挨拶した。

「あら、二人とも久しぶり。ゴメンね、うちのやんちゃな弟が心配かけて」由美さんはにこやかに挨拶した。

「由美さん、幸太郎君の検査はどうでしたか?」

「遥ちゃんの予想通り、大丈夫みたい。頭は八針縫ったけど、幸太郎にとっては良い薬よ」

「なかなか厳しいですね、由美さんは」拓海は人見知りしない。

「拓海君だって、幸太郎には振り回されているでしょう?」

「いや、僕には彼は遠慮しているのか、殆ど迷惑を被ったことはないですよ」

「ホント?」由美さんは久しぶりに麻倉と原に会ったのが嬉しいのか、リラックスして話している。

「オイ、山口。何でハルカは幸太郎が大したケガじゃないって分かったんだ?」俺の対面の応接椅子に座っている北川が顔を近づけて小声で訊いた。

「分からん」

「そっかぁ、そうだよな」北川は不思議そうに麦茶の入ったグラスに唇を付けた。

「あの、麻倉さんはこの部屋の雰囲気で片田君の無事を察したのではないかしら。それから麻倉さんは片田君の様子も知っていたし。ほら意識がちゃんとあって、冗談も言えるくらいだったから」永瀬も何故か小声で言った。

「へぇーっ、さすがは医者の娘だな、ハルカは」

「麻倉さんのお父さんはお医者さんですか」

「うん、お母さんも医者。麻倉医院って小児科だけど、すっごく評判良くって、いわゆるあれだな、名医ってやつ? あたしも病気したらいつもハルカのとこ行ってた」

「じゃあ舞ちゃんは麻倉さんのことを小さく頃から知っていたの?」

「ううん、ハルカを知ったのは、ほら幸太郎がうちらの高校に行きたいって言いだして注目されたとき。ハルカが他の中学の生徒会長をしていて、幸太郎たちを応援してたじゃん。その時、ハルカを知って高校で同じクラスになって、こういう関係になったんだ」北川が麻倉をチラッと見た。すると麻倉は北川の視線に気づき、こちらにやって来た。そして北川の右隣の応接椅子に静かに座った。

「舞、お疲れさん。片田君の怪我、大事に至らないようで一安心だね」麻倉は白い手で北川の右肩をトントンと叩いた。

「うん、そうだなぁ。あたし、身近であんなに血が出てる人、見たことなかったから・・・、それも幸太郎だろう。もうパニックになっちゃって」

「でもちゃんと片田君を介抱したでしょう。偉いよ、舞は」

「いやいや、そんな。エへへヘッ。まあみんなも居てくれたし」北川はチラッチラッと俺と永瀬を見た。

「でも今度の土曜日の集まりは延期ね。片田君もしばらくは大人しく過ごしたほうがいいし。久しぶりにみんなで楽しく遊べると思ったけど。ごめんね、舞」麻倉が首を少し右に傾げると、彼女の艶やかな黒髪がサラサラと流れるように落ちた。

「アーッ、やっぱりあたしのこと、気にかけてくれたんだ。ありがとうハルカ。ううん、いいよ。テスト明けで、またみんなと遊ぼう。でも残念だなぁーっ。金曜日に例の件であたしが落ち込んで、火曜日には水希ちゃんの傘が無くなって、そして今日は幸太郎が階段から落ちちゃっただろ。良くないこと続きだからパァーッと遊びたかったことは事実なんだ」北川は少し厚い唇を尖らせた。

「エッ、永瀬さんの傘がなくなったの?」クールな生徒会長が珍しく驚いた。

「あっ、ハイ、昨日の放課後、傘立てに置いてあったはずなのに見あたらなくて・・・」永瀬は何故か言いにくそうだった。

「水希ちゃんの傘はエッフェル塔と凱旋門が描かれたカッコいいやつでさ。あの傘は絶対取り間違いしないよ。事務のミッチャンも言ってたけど、盗む奴もいるんだって」北川は少しだけ声をひそめた。

「盗まれた可能性が非常に高いってことね」

「何か気持ちが悪いよな、人のお気に入りモノを盗むなんて。ねえ水希ちゃん」

「ええ、まあ」永瀬は遠慮がちに答えた。

「自分のモノを取られたのなら、遥も盗まれたことあるだろ?」拓海は俺たちと離れた場所からそう言った。

「もう・・・」麻倉は悩まし気な表情を浮かべ一瞬拓海を見た。

「エーッ、ハルカも傘、盗まれたことあるのか?」

「盗まれたかどうかは分からないは。普通の折り畳みの傘がなくなっただけだから」

「でもその傘にはちゃんと名前が記させていただろ」麻倉の幼馴染はあまり遠慮しない。

「へぇーっ、ハルカや水希ちゃんは大変だなぁ。あたしなんか、そんな心配したことないから気楽なもんだ」北川は両腕を組みツインテールを揺らしながら納得している。

「アラッ、舞だって分からないわよ。そのうちにお気に入りのものが無くなったりするかもしれないわよ」

「エッ、そうかな?」北川は何故か嬉しがっている。

「フフフッ」永瀬も小さく笑った。俺には理解不能な会話だ。

 俺は女子たちの会話にはついていけず、事務所のすりガラスから外を見た。すりガラスは上半分から透明で、そこからの見える外の景色は夕陽で赤く染まり、俺は思い出したくない光景が脳裏に現れた。その夕焼けの紅色は俺の眼を捕まえて放さない。

「山口君、疲れたの?」俺の右肩に心地良い指先の感覚があった。

「ああ少し・・・」俺は呪縛が解けたように外の景色から眼を放した。そして心配そうな顔をした少女にそう答えることができた。 



 幸太郎が家に帰ってきたのは街に薄闇が忍び込んできた頃だった。俺たちは奴が思いのほか元気だったので拍子抜けするほどだった。だから俺たちは幸太郎と少し話をして、それぞれの帰路についた。


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