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94.オファー



「俺達がセンターをやっている『カグラ』のノンフィクション小説──その執筆を怜愛さん、君に頼みたい」


 鴻上が告げたのは、プロ作家としての怜愛への依頼だった。


 なんでも、アイドルのグループ『カグラ』のこれまでの軌跡を描いたノンフィクション小説の企画が立ち上がり、その執筆を怜愛──プロ作家ねーじゅ先生に依頼したいと言うのだ。


 どうせ鴻上がコネを活かして、その作者に怜愛を推したんだろう。事務所も、稼ぎ頭の彼からの頼みであれば、聞かざるを得ないだろうからな。


「どうかな? 俺と嫌々デートするよりも、そっちの方が君にとっても負担は少なく済むんじゃないか?」

「嫌だね。私は、自分がやりたいと思った依頼しか受けないって決めているんだ。私の筆はそんなに安くないよ」


 怜愛が毅然とした態度で断る。


「いいのか? その小説の企画を受け持つのは、君が所属している悠英社だぞ? 俺の所属する芸能事務所とも強い繋がりがある出版社だ。無下に断るなんて真似をするのはどうかと思うんだけどな」

「⋯⋯それ、本当なの?」


 訝しむように眉を顰めた。


「勿論。俺が君にそんな嘘を吐く訳がないだろ?」

「⋯⋯分かった。じゃあ、話を聞くだけはしてあげる。けれど、依頼を受けるかどうかは私の意向に一任させてもらう」


 苦渋をなめるようにしながら頷くと、一つ条件を出した。


「ああ、それでいい。交渉の席に出てくれればいいから。後は、受けるのも断るのも君の自由だ」

「多分、答えはノーだろうけどね」


 鴻上は、それには何も返さず、ご自慢のミディアムボブの前髪をふぁさっと払うと、


「後日事務所の方から正式に依頼の知らせが届く筈だ。それじゃあ、よろしくお願いするよ」



   §



「本当に受けて大丈夫なのか? 鴻上はあんな風に言っていたけれど、交渉の席で強引に依頼を受けさせようとしてくるかもしれないぞ?」

「流石に私も、上から頼まれたら突っぱねる事は出来ないよ。冬瑚さんに迷惑は掛けたくないしね」


 心配して問い掛ける俺に、怜愛が返す。その殊勝な心掛けがいじらしい。


 昼休みである今、俺達は例の如くフリースペースで昼食を食べながら話しているところだ。


「心配だなぁ⋯⋯芸能界は怖いところっていうのは、昔から言われてる事だしな」


 焼きそばパンを噛じりながら呟く。


 怜愛は、パック入りのミルクティーをストローで啜ってから、


「もし私が、強引に襲われるような事になったらどうする?」

「そんな事はさせない。俺が全力で阻止する」


 力強く言い切って宣言した。


「あははっ。頼もしいね。流石私のヒーロー。じゃあ、その時は、そうなる前に、あの夏祭りでそうしたように、君に助けを求める事にするね」


 怜愛が嬉しげに頼ってくる。


「任せろ。あの透かしたイケメンフェイスを、ファンが愛想をつかくらいにボコってぐちゃぐちゃにしてやる」


 拳を握りながら憎らしげに。


「過激だね。そんな君もワイルドで普段とのギャップがあって素敵だよ。何より、私をそれだけ想っての事だし」

「そうだ。その交渉の席に俺も付き添う事が出来ないか頼んでみるっていうのはどうだ? それなら相手も下手な事は出来なくなるだろ?」


 ふと思いついた事を提案してみた。


「うーん。一応聞いてみるけど、難しいかもね。そういう場に、出版社の人間でも保護者でもない未成年の高校生が同席するケースなんてほとんどないだろうし」


 下顎に指を当てて思案げにしながら、怜愛が答える。


「そうか⋯⋯」


 いいアイデアだと思ったんだが⋯⋯。


「そう憂わないで。私も十分に気をつけておくからさ」



   §



 夜の始まりを揺らすのは、Official髭男dismのボーカル藤原聡の透明感のあるハイトーンボイス。


 『Pretender』──。


 映画の主題歌ともなったその曲は、叶わない恋の切なさや、終わっていく関係のやるせなさを描いた美しくも切ないミディアムナンバーだ。


 その紡がれる『世界線』という言葉に、色々と気持ちを掻き立てられながら、俺は久しぶりに、茅野クォーター姉妹とRainでビデオ通話をしていた。


アリス『トウヤ? 誰、それ。知らない』

ブルー『まぁ君はそうだよな。アイドルになんて興味なさそうだし』

エリカ『私は知ってるっすよ。今若い女の子の間で大人気のアイドルグループ『カグラ』のセンターっすよね?』

ブルー『そう。これがまた、その爽やかなアイドル像とは似ても似つかない陰湿さでね。怜愛にしつこく迫ってくるし、俺は脅しを掛けられて無理やり怜愛のデート権を賭けて勝負させられるし、ホント困らされてるんだよ』

アリス『そう。可哀想。蒼介も、怜愛も』

エリカ『緋本さん、そのトウヤってアイドル、黒い噂が立ってるのって知ってるっすか?』

ブルー『ああ、何か事務所が枕営業してるとか、『カグラ』がそれに関わってるとか言われてるらしいな。でもそんなの、芸能界じゃよくある事だろ? 人気が高まる程に、アンチもそれだけ増える事になるからな』

エリカ『いえ、それがその噂、本当の事かもしれないんっすよ』

ブルー『どういう事だ?』

エリカ『これは私のネット上のフレンドから聞いた話なんっすけどね。そのフレンドの読者モデルをやっている高校生のお姉さんが、トウヤに妊娠させられたらしいんす』

ブルー『妊娠だって?』

エリカ『はいっす。本人は誰の子かは分からないって言ってるんっすけど、そのお姉さんとトウヤが関係を持っていたのは分かっているんで⋯⋯』

ブルー『その話が本当の事だとしたら、とんでもないゲス男だな。青黎に転校してきたのも、その女の子を妊娠させたという噂が立った事で、そこに居づらくなっての事かもしれない』

アリス『ねぇ。怜愛は、大丈夫、なの? その、トウヤっていう、アイドルに、危険な目に、遭わされない?』

ブルー『そんな事には、絶対にさせないから、心配は要らないぞ。もしそうなった時は、俺が身を挺してでも守ってみせるからな』

アリス『うん。蒼介、頑張って』

エリカ『私も、陰ながらエールを送ってるっす』



   §



 数日後、鴻上の所属しているアイドル事務所『アウロラプロモーション』から、怜愛の元に、

悠英社の上層部を通じて知らせが届いた。


 ノンフィクション小説の執筆を依頼したい事と、その為の交渉の席を設けるという旨が。


 その交渉の場となるのは、麻布にある高級フレンチレストラン『クローネ』。

 ミシュランで星付きに認定される程の名店らしい。


 俺がその席に同行する事については、怜愛が予想していた通り断られてしまった。


 その為怜愛は、一人じゃ心細いからと、その店まで同伴する事を俺に願った。


 ──その交渉の場に居合わせる事は出来ずとも、少しでもその近くにいれるなら⋯⋯。


 そう考え、俺は快くその願いを受け入れた。




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