92.バレンタインデー
今は学年末考査に向けてのテスト週間中。
けれど、そんな中、男子達は朝からなんとなくそわそわして、勉強にも身が入っていないみたいだ。
その前に、あるイベントを控えているせいだ。それが今日行われる。
そうなる状況と言えば、大方予想がつくだろう。
そう。言わずと知れたバレンタインデーだ。
今年はその日が土曜にあたる為、前日の今日、代わりにチョコレートを渡す女子生徒が大半を占めるようだ。
朝のホームルーム前の教室では、女子達によるチョコレートを渡すという、人によっては神聖とも言える儀式が行われていた。
「大翔ー、はい、これ」
「おぉ、バレンタインチョコだな!」
朝倉が喜び勇んで、その白鳥が差し出した綺麗にラッピングされた箱を受け取る。
「まぁ、義理だけどね」
「なっ!? そんな⋯⋯」
その言葉に、上げられた状態から一気に落とされ、愕然とする朝倉。
「嘘嘘、勿論本命で手作りだよ。ちゃんと、『姫ちゃん、マジ半端ねー。神』って思いながら、よく味わって食べるんだよ」
「そ、そうか⋯⋯マジ焦ったわ⋯⋯けど、おぅ! 姫の愛情を噛み締めるぜ!」
「うん、良き良き」
朝倉と白鳥がそんなやり取りをする傍らでは、
「み、湊、これ⋯⋯」
涼葉が、照れながらおずおずと鳴宮にチョコを差し出す。
「ありがとう。市販のものとは違うようだけど、もしかして手作りかい?」
「え、ええ。姫と一緒に作ったの⋯⋯要らなければ、処分してもらってもかまわないわ」
「そんな事する訳ないじゃないか。大事に食べさせてもらうよ」
などと、甘い空間が醸成されていた。
「トウヤくーん、はい、これ! ガチの本命だよ!」
「私もー! 愛情がたっぷり入ってるからね!」
「いつも画面越しだった推しに手渡し出来るなんて⋯⋯生きてて良かった!」
アイドル転校生鴻上も、相変わらずのモテっぷりだ。
皆、彼の本性を知らないだろうからな。トップアイドルとしての見映えの良さにまんまと騙されている。
「怜愛さん。君からのチョコも喜んで受け取らせてもらうよ」
口憚る事なく、怜愛に催促した。図々しいにも程がある。
「そこら辺に生えてる雑草でも食べてれば?」
けれど、怜愛は刺々しく毒のある言葉を返すばかり。いいぞ。さすれい。
そして、俺の状況はと言えば──。
「緋本君、はい、チョコあげるー! ナンパから助けてくれた時のお礼も含めてだから、手作りの気合いが入ってたやつ!」
「ってそれ、明らかに俺のより大きいじゃねーか!」
白鳥が、朝倉に突っ込まれながら。
「蒼介、貴方とは勉学におけるライバルだけど、林間学校の時に助けてもらった恩は忘れてないわ。だからこれ、そのお礼よ。特にそれ以上の意味はないわ。決して勘違いしないように」
涼葉がツンデレ気味に。
「緋本君、私のはハート型だよ。アサ✕ヒモって入ってるから、大翔に攻められてると思いながら、美味しくいただいてね」
橘が腐り成分を多分に含ませたチョコを。
「緋村君、青黎祭の時は助かったよ。これ、その時のお礼も兼ねて。義理だけどね」
秋里さんが、ショートポニーを揺らしつつ。
「ヒモっち、これ、あーしから~。ヒモっちとあーしはズッ友だから、友チョコね~」
新居がいつもの緩い感じで。
「緋本先輩! 私が頑張って作ったチョコ、受け取ってくださいっ!」
揚羽が元気一杯に。
「緋本君、あの時は疑うような事言ってごねんね。これお詫びのチョコ」
遊佐が申し訳なさそうに(甘粕からの「水責めに処す?」という言葉を添えられて)。
「日の光を浴びたモグラの緋本君、あの名演は私の心に刻み込まれているよ」
桐谷が、貶しているのか称えているのかよく分からない言い回しで。
「はい、緋本君。クラスに色々と貢献してくれてありがと。私、イベントごと好きだから、盛り上げてくれて感謝してるんだ」
田辺がお団子ヘアをくしくしと手で弄びながら。
「緋本氏、どうぞ。五個の内、四個に大量のワサビが入ったボク特製のロシアンルーレットチョコです。心してお召し上がりやがれください」
ド変人江南が、人を舐め腐った態度で。
そのチョコレートフィーバーは、美作先生が教室に入ってくるまで続いた。
§
お目当ての女子から、チョコをもらえたり、もらえなかったり──。
お菓子業界に踊らされた者たちによる、そんな悲喜こもごもがあった日の翌日。
本当のバレンタインデーとなる今日、俺は怜愛宅にお呼ばれしていた。
「はい、蒼介君。私からのバレンタインチョコです。勿論、愛情がたっぷりこもった手作りですよ」
瑞希さんに直接チョコレートを手渡され、「ありがとうございます」と受け取った。
「いつも俺の事を気に掛けてもらってすいません」
瑞希さんには恐縮するばかりだ。
彼女と接していると、亡き母さんの事を思い出してしまう。
慈愛に満ちた、料理が得意な優しい眼差しの人だった。
「ふふっ。蒼介君には、可愛い怜愛ちゃんを何度も救ってもらっていますからね。まだまだ足りないくらいです」
「蒼介君、私は部屋で渡すから、一緒にきて」
怜愛に促され、その後について二階に上がった。
「はい。私からのチョコ。お母さんに手伝ってもらったから、味は保証するよ」
怜愛の部屋で、彼女に青いリボンで閉じられた箱を受け取った。
「ありがとう。和咲から宅配便で届けられた分も合わせると、これで十二個目か。零個だった去年と比べれば、大収穫だな」
その事実だけ見れば、完全にリア充だ。俺ともあろうものが、孤独に寄り添う事を忘れて、甘い奸計に惑わされるなど⋯⋯とか心中では宣いつつも、感慨深げにしてるんだけどな。
「モテモテだねぇ。誰からもらったの?」
「全部義理だけどな。白鳥、涼葉、橘、秋里さん、新居、揚羽に、後何故か遊佐と桐谷、田辺にももらったな」
「江南さんは? 彼女が君に渡すところを見たんだけど」
「彼女のは劇物入りのロシアンルーレットチョコ──しかも、その的中率が80%っていう、迷惑極まりない代物だから、バレンタインチョコとしてはカウントしていない」
苦々しげに否定する。
「彼女らしい遊び心だね。他クラスとか別学年の女子からは? 君、人気ランキング三位でしょ?」
「君との交際が知れ渡っているからか、一個ももらってないな。『雪氷の美姫』の彼氏に近付こうとするのは、義理でも恐れ多いんじゃないか?」
「私って、そんなに怖がられてるの?」
心外だというように、目を丸くする。
「あの青黎祭での一件以来、以前よりも畏怖されるようになったって、秋里さんが話してたぞ」
「ああ、君とのチークキスが原因か」
恥じらいもなく、平然としてその事実を挙げてみせる。
「直接的な表現は控えてくれ。せっかく俺が言葉を濁したってのに」
少しは俺のナイーブな心を慮って欲しい。
「唇同士のキスも済ませたのに、相変わらず恥ずかしがり屋さんだね」
揶揄うように含んだ笑みを向けながら。
「衆目に晒されての方がキツイ。そんな事は早く忘れてくれ。それより、ホワイトデーにはどんなお返しがいい?」
逃げるように話題を変えた。
「それなら、私とデートしてよ」
「え、デート⋯⋯?」
軽い気持ちで尋ねたら、その何倍も重い答えが返ってきた。
「だって、私の誕生日に一度水族館デートした切りなんだよ? 私達付き合ってるのに、あんまりじゃない?」
不満げに口を尖らせる。
「分かったよ。じゃあ、学年末考査が終わったら、デートプランを考える事にする。今年のホワイトデーは、土曜日で休日らしいから、デートには丁度いいだろうし」
キャパを超えて溢れ出しそうだってだけで、俺だって怜愛との時間は大切にしているんだ。
デートの一つや二つ、気合いで乗り切ってみせよう。
「やったあ! 今度は私も一緒にデートプランを考えるね。ふふん、どこにしようかなー? 映画館? 動物園? あ、それか遊園地っていうのも捨てがたいよね」
嬉しそうに鼻歌交じりにいき先を挙げていく。
自宅に戻って食べた、怜愛が瑞希さんに教わりながら手作りしたというトリュフチョコ──。
それは、ふわふわの甘い口溶けで、子供の頃に、母さんと一緒にいったお祭りで買ってもらって食べた綿あめを思い起こさせた。




