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88.アイドル転校生



 悲しみと喜びという、感情スペクトルの両極端に位置するものの間でグラデーションが描かれ、連続的で虹のようだった冬休みを終え、新学期になった。


 朝のホームルームでは、教壇に立った美作先生の発言で、クラス中が揺れた。


「先ず最初に君達に知らせておかなければならない事がある。虚偽を申し立てて緋本を陥れようとした来栖だが、職員会議により、退学処分とする事が決定した。彼がこの教室で君達と共に過ごす事は二度とないだろう。それを悲しむ者もいるだろうが、これは彼自身の愚行が招いた結果だ。思い詰めて、後に引き摺る事のないように」


 感情を排し、淡々として告げると、


「次に、転校生を紹介する。鴻上、入ってきていいぞ」


 その言葉を受けて、ドアを開け、一人のすらっとした背の高い、顔立ちが非常に整った男子生徒が入ってきて、美作先生の隣に立った。


 その顔を見た瞬間、あちこちから、驚きと喜びの声が聞こえてきた。


「え、嘘⋯⋯もしかして、トウヤ⋯⋯?」

「マ!? 今売り出し中の人気アイドルグループ『カグラ』のセンターじゃん!」

「転校生って事は、これから一緒にこの教室で過ごせるって事? 何それ、最高かよ」

「ヤバイ、推しが目の前にいる。あ、分かった。私、未だ夢の中にいるんだ」


 その騒ぎを、美作先生が言葉で一喝する。


「静かに。それ以上騒いだ者には、清掃活動を命じる」


 その一言で、場はしんと静まり返った。


「よし。では、自己紹介を頼む」


 促され、その男子生徒が、その薄めで形のいい唇を動かした。


鴻上透也(こうがみとうや)です。両親の仕事の都合で、こちらに引っ越してきました。一応アイドルやっていますけれど、学校ではあくまで一生徒としてやっていきたいので、皆さん、気兼ねなく声をかけてくれると嬉しいです。よろしくお願いします」


 丁寧な挨拶をして、にこっと人好きのする笑顔を浮かべると、そのラフさと軽さ、そしてちょっとした色気を感じさせるミディアムボブヘアをふぁさっと片手で払って見せた。


 その一見すると気障にも思えるが、妙に嵌っている仕草に、女子達の一部が、黄色い悲鳴を上げる。



「なぁ、江南は、彼の事知ってるか? 何か有名なアイドルらしいけど」


 ホームルームが終わり、美作先生が教室を出ていったタイミングで、後ろを向き、ド変人江南に尋ねた。

 その鴻上は、彼に与えられた元は来栖が使っていた席で、周りを主に女子達に囲まれながら、愛想よく次々と投げ掛けられる質問に答えるなどしている。


「緋本氏。ストイックなボクが、アイドル風情に現を抜かすと思いますか?」


 嘲るような眼差しを向けながら返す。


「君は世俗に塗れまくっているだろうに⋯⋯」


 堕落し切った存在を前にして、嘆くように呟いた。


「ただ、彼については、全然、全く、これっぽっちも興味はありませんけど、世間一般に知られている程度の知識なら持っています」

「知ってるんじゃないか。そいつを聞かせてくれ」

「本名は鴻上透也で、芸名はその下の名前を片仮名にした"トウヤ"で活動している現役若手アイドルグループ『カグラ』のセンターですね。その『カグラ』は、今絶賛売り出し中の五人組で、その中でも一番人気のトウヤは、CMやドラマにも引っ張りだこで、そのSNSのフォロワー数は百万人超え。押しも押されもせぬトップアイドルですよ。まぁボクにとっては、ただのクソ雑魚ナメクジですけどね。一昨日来やがれ」


 最後に吐き捨てるように言い放ち、中指を突き立てた。


「その言動が、君の恐れを知らない傍若無人振りを表しているな。にしても、そんなに凄いアイドルなんだな。既にいなくなってしまったけれど、全盛期の来栖の人気を軽く超えるんじゃないか?」


 見た目だけで言えば、校内一と言える程に端正に整っているからな。


「『緋本氏のライバル現る!』の巻ですね。どうぞ、勝手に競い合っていてください。ボクはそんな厄介事に巻き込まれるのは御免ですので、我関せず、スルー推奨案件です」


 掌をひらひらと振りながら、さも鬱陶しげに。


「トップアイドルが、一介の高校生でしかない俺の事を相手にする訳ないだろ。話は終わりだ。情報を提供してくれた事には、一応礼を言っておくよ」



   §



 始業式のあった日の翌日。


 昨夜は連載中の『ふるリア』が、ジャンル別ランキングで月間三十位以内に入った事で気を良くして、夜更かししながらエピソードを一気に三話も書き溜めてしまった。

 おかげで、今日の授業は欠伸を噛み殺しながら受ける事に。


 そんな午前中の授業を終えた昼休み。


 二学期までにしていたように、怜愛が瑞希さんに作ってもらった弁当を手に、俺の席へとやってきた。

 すると、その後を追うようにして、アイドル転校生の鴻上も近付いてきて、


「よかったら、昼食を一緒に食べないか?」


 そう誘い掛けてきた。

 勿論、怜愛に対してだけだろう。俺の事など視界に入ってもいないようにして、彼女の顔ばかりを見つめている。


「悪いけど、蒼介君と一緒に食べる約束してるから、遠慮してくれる?」


 相手はトップアイドルだというのに、怜愛は冷たい態度であしらった。

 ついと、彼女が『雪氷の美姫』という事を思い出させる。


「蒼介君⋯⋯? それは、誰の事なんだ?」


 君の目の前にいるよ、トップアイドルさん。目が腐ってやしないか。


「彼だよ」


 怜愛が、視線で示して見せる。


「ふぅん⋯⋯」


 鴻上は、俺を見定めるようにじっと見つめると、


「君達は、もしかして付き合っているのか?」

「そうだよ、何か問題でもある?」


 一連のやり取りを興味深げに見守っていたクラスメイト達。

 怜愛が毅然とした態度でそう言い放つのを聞いて、一瞬で騒然となった。


「何だとぅ! 緋本、てめぇ、抜け抜けしやがって!」

「青黎祭でチークキスしてた時点で、こうなる事は分かり切ってたけどねー」

「イケメンと美少女でお似合いのカップルだね。祝福させてもらうよ」

「牛裂きの刑に処す?」


 男子には妬む者も多いが、女子の方からは応援してくれる声が多く聞こえてくる。


 それにしても、遊佐と恋人同士になった事で一時は柔らかくなっていた筈の甘粕だが、またいつの間にか、以前の過激さが戻ってきている。

 否、むしろ悪化してないか?

 それって、極悪人に対する残虐極まりない刑罰だぞ?

 遊佐との関係が上手くいっていないんだろうか⋯⋯。


「え? 俺達ってもう付き合ってたのか?」


 初耳だった。

 そりゃあ、あの怜愛の思い出の地での一件で、以前よりも関係は深まったとは思うが、はっきりとそう口にした訳でもない。

 まぁ、一生傍にいるとか言ってる時点で、何言ってんだって話だが⋯⋯。


「何言ってるの。あんな情熱的なキスまでしておいて」


 その不用意な発言で、今度は発狂する者まで出てくる始末だ。


「きぃえええええっ!」

「きゃあ、素敵!」

「そこまで関係が進んでいたとは⋯⋯ヘタレだと思っていたのに、緋本も侮れないな」

「俺の『雪氷の美姫』のファーストキスがあああぁっ!」


 どうするんだ、これ? このままじゃ、収集が付かないぞ。


「君、名前は何て言うんだ?」


 クラスメイト達の様々な声が乱れ飛ぶ中、鴻上が怜愛に尋ねた。


「生憎だけど、貴方みたいな人に名乗る名前は持ち合わせていないね」

「──ッ! ⋯⋯まぁいいさ。今は未だそれでも」


 怜愛に素気なく拒まれた鴻上は、そう言い残すと大人しく自分の席に戻っていった。




   §



 放課後、学校から出た俺は、久しぶりに魚を食べたい気分だったので、夕食にサワラの幽庵焼きを作ろうと、途中に寄ったスーパーで食材を買って帰った。



 デイパックを置き、手を洗って早速キッチンに立つ。


 先ず魚の下処理を丁寧に行う。


 次に、料理バットに漬けダレを用意して、魚の切り身を漬け込む。

 よく脂ののった魚なので、一時間程度だろう。



 そうして、下ごしらえを終えた後

 時間がくるまで暇だったので、例のアイドル転校生鴻上──芸名はトウヤがセンターを務めているというグループ『カグラ』の事を、ネットで少し調べてみる事にした。


 アイドルグループ『カグラ』の所属メンバーは五人。

 センターのトウヤを筆頭に、他の四人もそれぞれに役割が与えられていた。


 グループの『顔』。容姿端麗なビジュアル担当のヒジリ。

 メンバーの纏め役を務める年長者のリーダーショウマ。

 末っ子メンバーで、愛嬌や親しみ易さを担当するマンネのカケル。

 グループの雰囲気を明るくするお笑い担当でムードメーカーのユウゴ。


 歌、踊り、演技など、様々なパフォーマンスでファンを魅了し、結成から僅か一年弱で、既にその人気を盤石なものとしているらしい。


 他、トウヤのSNSも覗いてみた。

 Isostaには、メンバー以外にも、マネージャーの御影という男性と一緒に写っている画像が何枚か投稿されていた。

 イケメン過ぎるマネージャーとしてファンの間では密かに人気なんだとか。


 他にも色々と調べはしてみたが、どれも『カグラ』を持ち上げるばかりで、特に何かが得られる訳でもなかった。

 一部、真偽が定かではない黒い噂も立っていたりするようだが、それは有名税みたいなものだろう。

 アイドルグループにはよくある事だと、以前何かの記事で読んだ記憶がある。


 うん。分かってはいたけれど、心底どうでもいい情報だったな。


 無駄に時間を浪費してしまったと悔やみつつ、そろそろ時間かとサワラの幽庵焼きの調理を再開した。



   §



 完成させたサワラの幽庵焼きで舌鼓を打った後は、Rainで怜愛とトークをした。


 バックミュージックとして、鼓膜を心地良く揺さぶるのは、『蒼銀の歌姫(ディーヴァ)』──Aliceがその澄み切っていて透明感のある、けれど少し掠れたハスキーな声で歌う、彼女が作詞した『蒼との邂逅』──。


 静かなアコースティックサウンドで始まり、途中で分厚いバンドサウンドに移行する、静と動が感じられるナンバー。

 『私は蒼と出会い、蒼を知った』──そう初めに紡がれる歌詞は、彼女の叙情性を遺憾無く発揮したもので、五感にビンビンと響いてくる。


 そんな曲を聴きながら、怜愛の愚痴に付き合っていた。


ねーじゅ『ホント、アイツ、トップアイドルだとか騒がれてるくせに、見境ないんだから』

ブルー『俺、彼に目を付けられたんじゃなかろうか⋯⋯』

ねーじゅ『あいつ、あの芋男と同じ匂いがするんだよね。芋男がいなくなって、せっかくこれで君と甘い高校生活が始まるって喜んでいたのに⋯⋯これじゃ元の木阿弥だよ』

ブルー『イケメンって、皆ああなのかな。そう言えば、その彼のマネージャーも、イケメンだって騒がれてたな。Isostaにツーショット写真が投稿されていたのを見たよ」

ねーじゅ『どーでもいいよ、そんな事。あいつに関する情報なんて仕入れても、触れる事なく腐っていくだけだからね』

ブルー『怜愛はあいつの事が心底嫌いみたいだな。でも、彼ビジュアルの面では来栖以上だぞ?』

ねーじゅ『あっちが芋男なら、あいつは腐ったキャベツだね。周りの女子達には騒がれてるみたいだけど、私にとっては、君の方が何倍も魅力的に映っているよ』

ブルー『それはどうも。トップアイドルより陰キャな俺を選んでくれる物好きな君には、今度特別に好きな料理を何でも一品作ってあげる権利を与えよう』

ねーじゅ『ホント! 嬉しい! じゃあね──』



 この程度の事で機嫌を直してくれるなら、安いもんだ。

 彼氏として、彼女にはいつでも笑顔でいて欲しいからな。


 怜愛に目を付けているらしいアイドル転校生という、新しく生まれた不安の芽──。


 それが成長して大きな脅威となる前に、この手で摘み取っておきたかった。




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