86.拒絶からの告白、そして──
目的地の千葉県鋸南町に着き、怜愛の父方の実家を訪ねたが、彼女はきていないとの事だった。
これは、外したか──そう落胆しつつも、未だ分からないと自分を叱咤し、彼女の思い出にある場所の詳しい場所を教えてもらった。
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山を暫く登ったところにある、開けた小高い丘に、水仙が一面に群生している牧歌的な風景の場所があった。
『雪中花』とも呼ばれる水仙が無数に咲き誇り、甘い香りを漂わせながら、白や黄色の絨毯のように覆う姿は圧巻だ。
夕暮れ時の瑠璃色に染まる空からは、はらはらと雪が舞い落ちている。
そう言えば、今日はこの地方は冷え込むとネットニュースで言われていたなと思い出す。
その水仙に囲まれ、雪をその身に纏いながら
、怜愛がその光景に溶け入るようにして、ぽつんと一人侘びしげに立っているのを見つけた。
雪の妖精のようなその横顔は美しい。
ただ、その美しさの内には、深い悲しみが秘められている。
「こないで!」
久方ぶりに耳にした怜愛の第一声は、激しい拒絶だった。
「私はもう、君が憧れていたねーじゅとは違うんだ」
強い口調で突き放すように告げる。
「そんな事はない! 今でも君は、俺にとっての神作家だ!」
精一杯の想いを伝えようと、静寂を破るように、声を張り上げた。
「こんな地の底に落ちた作家の成れの果てに向かって、身に余るお言葉だね」
しかし、怜愛は、目一杯の皮肉を込めた言葉を返してくる。
まるで境界で隔てられた彼岸と此岸にいるような距離を感じた。
「君は罪を犯してなんかいない。その確かな証拠を掴んだんだ。君への疑いは直に晴れて、訴えも取り下げざるを得なくなる筈だ」
一旦クールダウンし、落ち着いた声を作って、幼子に優しく語り掛けるようにして諭した。
「もういいんだ。疲れたんだよ、何もかもに。私は作家を辞める」
彼女はその言葉を意に介さず、頑なに拒絶の態度を止めようとはしない。
「あの誇り高いねーじゅ先生ともあろう者が、冗談でも辞めるなんて言うなよ」
「冗談なんかじゃないよ。悪意って怖いね⋯⋯名前も顔も知らない人達から、罵られたり、蔑まれたり⋯⋯私、自分がこんなに脆いって事初めて知ったよ」
それらに怯えるように身を震わせながら呟く。 今の彼女は、赤子にさえ手折られそうな程に弱々しく萎れていた。
「俺が好きになったねーじゅさんは、どんな困難があっても、決して諦めたりはしない」
それでも俺は、彼女の説得を諦めたりはしない。
ここが、彼女を救えるかどうかのボーダーラインだ。
「どうせ君の好きは、大切な友人として──でしょ? そんなの──」
俺は彼女の言葉を待たずに、一息にその傍に駆け寄り、背中に手を回して抱きしめると、躊躇う事なく、その瑞々しく赤い唇に自分の唇を重ねた。
「んっ⋯⋯」
甘美な刺激に、全身が痺れる。
ファーストキスは、未だ誰にも犯されていない新雪を食んだような、仄かな冷たさを伴う柑橘系の味がした。
数瞬後、唇を離し、至近距離でその揺れる黒目がちなアーモンドアイを見つめる。
その瞳には、少しばかりの驚きと、大きな歓喜の色が宿っているようだった。
「言っただろ。君は俺にとってかけがえのない唯一だって」
「⋯⋯ずっと傍にいてくれる?」
その雪のような真っ白い頬を赤く染めつつ、上目遣いで窺うように希う。
「ああ、一生ずっと傍にいる、そう誓ったんだ。嫌だって言っても、二度と離さないからな」
その固い誓いの言葉を聞いた怜愛は、途端に表情をぱあっと明るくさせ、いつもの悪戯っぽい笑みを浮かべたかと思うと、
「今までのは、全部嘘! 君の本音を引き出すための演技だよ! ようやく陥落したね。ここにくるまで、ホント長かったよ」
俺から離れて、したり顔で宣言した。
「何だよ、それ⋯⋯俺がどれだけ心配したと思ってるんだ⋯⋯」
俺はがっくりと項垂れるしかない。
「ふふっ。私を散々焦らした罰だよ。甘んじてその報いを受けなさい」
さも楽しげに笑いを零す。
演技していたというのは、半分は嘘だろう。
彼女の悲しみは、それだけ真に迫るものがあった。
ネット上での心ない誹謗中傷というのは、それだけ心にクルものがあると経験のない俺でも分かる。
ただ、彼女がそういう事にしたいのであれば、それでいい。
笑い飛ばして終われるハッピーエンドの方が、俺好みだしな。
「あはははっ!」
降る雪と咲き誇る水仙に包まれた真っ白な世界で、巫女のように優雅に舞い踊る怜愛は、ただただ、美しかった。
そこに、悲しみはもう秘められてはいない。
§
俺が怜愛を連れて東京に戻ってきた頃には、状況は一変していた。
仁科の言葉を録音していたボイスレコーダーの音声がネット上に流れると、『ガセだ』『否、これは真実だ』と最初の内は意見が対立していた。
だが、さらにチャンネル登録者数を増やしたアリスが、『私もその場に同席して、自分の耳で犯人が罪を打ち明けるのを聞いていた』とSNSでコメントした事から、それが一気に拡散された。
その結果、ねーじゅ先生の無実を信じる意見が大半を占めるようになっていった。
訴訟を起こした原告の仁科も、これでは訴えを取り下げるしかないだろう。
近々その旨の通知が、被告となっていた怜愛の元に届く筈だ。
そして、これはもう少し後になってからの事だが、仁科がカキヨミで活動する為に使って最果のアカウントも、ひっそりと削除されていた。
その事により、証拠の信憑性が増す事になって、世論は完全にあらぬ冤罪を掛けられたねーじゅ先生に同情する声で溢れるようになった。
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かすみん『ねーじゅ先生の無実が証明されて、本当に良かったデスねー』
ラブ液『私、お股を濡らしながら、ずっと信じておりましたわ』
はなフル『ん。ねーじゅ先生の勝利。私も嬉しい』
ルミナ『失意のどん底に沈んで二度と浮上しないと思っていましたけど、流石にず太いですね』
その日の夜、『ライターズシエスタ』の皆が、Rainでお祝いの言葉を投げ掛けてくれた。
ブルー『皆さんには色々と心配をお掛けしてしまって、本当に申し訳ないです』
ねーじゅ「別に蒼介君が迷惑掛けた訳じゃないんだから、もっと堂々としてなよ」
ブルー『君はもっと慎ましくなれ。なんで心配してもらっていた君の方がそんなに態度がでかいんだ』
かすみん『あははっ。いいんデスよ。怜愛さんが無事だったというだけで。これで、明後日の冬コミにも心置きなく招待出来マスからね』
ブルー『えっ? 「ライターズシエスタ」で参戦するんですか?』
はなフル『違う。今回は私が個人的にはなフルとして書いた『物書きのアルカヌム』の同人誌コミックを頒布する。架純達はそれを売り子として手伝ってくれる役目。ただサークル参加の人数は三人までだから、今回愛奈は辞退すると言っている』
ラブ液『年末は実家に戻らないといけませんの。おかげで熱く滾る同人誌を直にこの目で見定める事が出来なくて口惜しいですわ』
ブルー『純岡さんは、残念でしたね。それにしても、はなフルさんの同人誌ですか。しかも、イラストを担当した『ものアル』の同人誌コミックなんて、ファンとして、それはぜひゲットしたいですね』
はなフル『ん。私のイラストの良さが分かる君のために、特別に取り置きしておいてあげる』
ブルー『ありがとうございます! 怜愛も勿論一緒にいくよな?』
ねーじゅ『そうだね。楽しそうだし、そうしようかな』
『ライターズシエスタ』の皆とそんな会話をした後は、クラスメイトの白鳥からグルチャへの招待を受けた。
姫『怜愛が無事で良かったー。私、気になって夜しか眠れなかったよー』
ヒロ『ちゃんとぐっすり眠れてるじゃねぇか』
涼『よく戻ってきてくれたわね、怜愛。疑いが晴れたみたいで何よりだわ』
湊『僕は最初から何も心配してなかったけどね。怜愛の方に正義がある事は分かり切っていたから』
MOE:Re『今回は女同士の対立だったから、私の出番はなかったよ。これが男同士だったら、色んな腐展開に持っていけるんだけど』
ねーじゅ『皆私を信じていてくれありがとう』
ブルー『一部ただの私欲に塗れた意見もあったけどな』
姫『あ、そうだ! 二人に話したい事があったんだった! ねぇ、元旦の朝から、皆で神社に初詣にいく予定立ててるんだけど、二人も一緒にいかない?』
ねーじゅ『初詣かぁ。久しぶりにいってみたい気もするね』
ブルー『俺も去年はいかなかったな』
姫『じゃあ、一緒にいこう! 私、振袖着てみたいんだ!』
白鳥達と、そんな約束を交わした後は、和咲からメッセージが届いた。
咲き誇る時『ねーじゅ先生の権威がこれ以上貶められる事がなくなって、本当に喜ばしい限りですね。冤罪をかけようとした不届き者には、私がこの手で引導を渡してやりたいくらいです』
ねーじゅ『ありがとね。私が立ち直れたのも、和咲ちゃんみたいなファンがいてくれたおかげだよ』
ブルー『そう言えば和咲。君、元旦は空いてるか? クラスメイト達と一緒に朝から初詣にいこうって約束してるんだけど、良ければ誘おうかと思ってな』
咲き誇る時『何言ってるんですか。誘われるまでもなく、大晦日は蒼兄さんのところに泊まりにいくつもりですよ』
ブルー『また俺の都合が無視されてる⋯⋯』
そう和咲にお泊まりを強要された後は、アリスとエリカの茅野クォーター姉妹とグルチャした。
今回もアリスの希望でビデオ通話だ。
アリス『蒼介、よく頑張った。怜愛、お帰り』
エリカ『ねーじゅ先生、初めましてっす。お姉ちゃんの妹のエリカっす。今回はねーじゅ先生に掛けられた冤罪を晴らす為に、微力を尽くしたっす』
ねーじゅ『二人ともありがとう。エリカちゃんは、アリスが推すように、本当に可愛いね。っす口調もキャラが立っていて、作品にそのまま登場させたいくらい』
アリス『怜愛は、よく分かってる。エリカの、可愛いさは、世界一』
エリカ『えへへ。そこまで褒められると、何か照れるっすよ』
ブルー『ところでアリス。元旦の朝なんだが──』
一緒に初詣にどうかという誘いを、アリスとエリカも快く受けてくれた。
こうして、ねーじゅ先生の一連の盗作騒ぎは、皆からの祝福をもって結びとなった。




