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76.焦る来栖


 朝倉と鳴宮の告白が一応の成功を収めて、彼らと喜びを分かち合った後、俺は宿に戻ってきた。


 彼らは、カップル同士それぞれ二人切りになって残りの時間を過ごすそうだ。


 俺は、ロビーに置かれていた椅子に座りながら、これからどうするか思案していた。


 ──未だ残り一時間程あるな。けど今からまた外出するのもなんだし、この宿の中庭でも見にいってみるか。


 壁に掛けられた時計を見ながらそう考えた俺は、立ち上がり、廊下を歩いてその中庭へと向かった。


 綺麗に整えられた庭園は、その葉を色付かせた木々がライトアップされ、映える景観が演出されていた。

 先程訪れた高台寺程ではないが、これはこれで風情があっていい。


 けれど、その雅な空間で、夜の静謐を破る叫びが木霊した。


「どうして俺じゃ駄目なんだ!」


 荒らげられたその声は、来栖のものだ。


「離して!」


 続けて、怜愛の悲鳴にも似た声が。


 危ぶんだ俺は、急いで広縁(ひろえん)に用意されていた雪駄を履いてその声が聞こえてきた方へと向かった。


 すると、そこには、来栖と怜愛がいた。

 怜愛は来栖に腕を掴まれて、必死に振り解こうともがいている。


「止めて! 美作先生に言い付けるよ!」

「君は未だ自分の気持ちに素直になれてないだけだ! 俺には分かってる!」

「はぁ? なに頓珍漢な事言ってるの? 貴方は私の事をこれっぽっちも理解出来ていないよ!」

「そんな事はない! 俺はずっと君だけを見てきた! 君しかいないんだ! 愛してる! 他の誰よりも!」


 来栖は半ば狂気じみたようにして独りよがりな愛の告白をすると、抵抗する怜愛の身を強引に引き寄せて、ガバリと抱き締めた。


 その蛮行を見せられた俺は、


「来栖!」


 制止を呼び掛けながら、二人の元へと駆け寄った。


「それは、駄目だ」


 俺が、声を低くして咎めると、来栖は、渋々と言ったようにして、怜愛の背中に回していた手を解いた。


 拘束から解放された怜愛が、助けを求めてすぐさま俺の元へと駆け寄ってくる。


「⋯⋯緋本⋯⋯また、お前か⋯⋯」


 正気を欠いたように憎々しげに歪めた顔で、来栖が呪詛のように呟く。


「冷静になれ、来栖。君は本来、優しくて誠実な人柄だろ? 怜愛への想いが強すぎる余り、諦め切れずに執着してしまっているだけだ」

「怜愛、お前は緋本に騙されているんだ」


 俺の言葉は無視して、彼を睨み付けている怜愛に、事実無根の言い掛かりを投げ掛ける。


「ふん! 蒼介君はあなみたいな獣と違って、真摯で誠実、そして、誰よりも優しい私の大切な人だよ」


 怜愛はそれには取り合わず、来栖を罵倒しつつ、俺を擁護する。


「今に分かる⋯⋯」


 そう含むような言葉を残すと、来栖は、その場を離れていった。


「災難だったな」


 来栖に掴まれた腕を忌々しげに擦っている怜愛を慮る。


「油断したよ。A組の和久井さんに、大事な話があるから中庭で待っていて、って言われて、疑いもせずにノコノコここにきた私が馬鹿だった。あの子、A組じゃ人当たりがよくて慕われてるみたいだから、騙すような事はしないと思ってたんだけど⋯⋯あいつとグルだったんだね」


 ──和久井⋯⋯? どこかで聞いた名前だな⋯⋯ああ、そうか。林間学校の時、夜に朝倉達が話してたな。朝倉に告白したA組の一番人気の女子だとかなんとか。


 今度は来栖に乗り換えたらしい。


「私、気分が悪いから、もう部屋に戻って寝る事にするね。助けにきてくれてありがと。やっぱり君は私にとってのヒーローだよ」


 怜愛はそう感謝しながら称えると、中庭から館内へと戻っていった。


 それから、俺が中庭の景観を暫く眺めていると、


 ──ザッ。


 不意に、誰かが砂利を踏み締める音が鳴り、そちらへと顔を向けた。


 少し離れたところの、大きな灯籠の陰から、一人の少女が姿を現す。


 橘だった。


「橘、君もいたんだな」

「来栖君がここに来るのが見えたから、なにか嫌な予感がしてね。それは当たっちゃったんだけど、私が助けを呼びにいく前に、緋本君がきてきれてよかったよ」

「偶々だったけど、俺はどうやら悪運が強いらしい」

「君、悪事なんて働かないでしょ? 私と違って」

「表向きはな。心の中は汚れ切ってる。君と大差はない」

「⋯⋯ねぇ少し話したい事があるんだけど、付き合ってくれる?」


 そう頼む彼女の顔は、普段の戯けたものと違って、真剣そのものだった。


   §



「私が来栖君の事好きなのは知ってるでしょ」


 中庭に設けられていた小さな四阿(あずまや)に腰を下ろした俺の隣に座る橘が、徐に話し始めた。


「彼とは、去年も同じクラスだったの。腐って浮いている私に、分け隔てなく接してくれて、それまで男子の事は、妄想のネタとしてしか見てなかったのに、すぐに好きになっちゃった」

「そうか。あいつ、いいやつだったんだな」


 橘の思いを汲みながら、静かに相槌を打つ。


「うん。でも、最近の彼は、怜愛の事を想う余り、焦って可怪しな行動を取ってるみたいだね」

「ああ、ちょっと過激だとも思えるようになってきているな」

「そうだね。さっきのあれは、私でさえ流石にないと思うよ。怜愛の気持ちを完全に無視して、自分勝手な言い分を押し付けようとしてる」

「俺も、怜愛が可哀想に思えたな」


 俺がそう返すと、橘は、眩しいものを見るように目を細めながら、


「でも、どうしても、嫌いにはなれないんだよなぁ。私にとっての初恋だからね。三次元の男子では」

「君の二次元への愛は相当だからな。歪んではいるけれど」


 それで何度気を揉まされた事か。


「腐ってない私は、私じゃないじゃらね。緋本君が、皆に認められて人気者になっても、普段は慎ましく陰に潜んでるみたいに」

「お互いに、変わったアイデンティティを持ってるよな」

「そうだね。でもそれって、特別っていう風にも言い換えられるでしょう?」


 ものは言いようだが、悪くない解釈だ。


「確かに、他人とは違うって意味ではそうだよな」

「怜愛もそうだよね。周りに媚びない孤高の存在──『雪氷の美姫』。緋本君と関わるようになってから、彼女もだいぶ人当たりが柔らかくなってきたけど、その存在感だけは別格なまま」


 同感だ。日常的に関わるようになった今でさえ、時折、彼女が幻想の存在なんじゃないかと疑う事がある。


「神様に愛されてるからな、彼女。色んな優れたものを与えられている」

「緋本君も負けてないと私思うよ。君達、結構お似合いだと思う」

「彼女と並べて語られるのは烏滸がましいけれど、そう言われるのは素直に嬉しいよ。俺にとって、大切な友人だからな」


 とその怜愛を思いながら。今頃はもう布団の中だろうか。


「今はそれでもいいかもね。まぁゆっくりやっていきなよ。私は既に一度恋に破れてるけど、君達は、未だこれからだからさ」


 橘はそう励ましの言葉を投げ掛けると、


「そろそろ、戻ろうか。身体が冷え切っちゃったから、早くお風呂に入って温まりたい」


 立ち上がり、そう促した。


「ああ、そうしよう」


 答えて、二人で館内へと戻った。


 想いを成就する者。


 焦燥に駆られて暴挙に出る者。


 破れた恋を忘れられずにいる者。


 色んな想いが混じり合った、玉虫色に染まる──そんな夜だった。


 それらは、いつか夏の夜にそうした一輪挿しの思い出と並べて、理想と死を併せ持つ綺麗な蝶の標本のように胸の奥に飾られ、俺の心を彩ってくれるんだろう。




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