72.新居の気持ち
「えーっ! お前、告白成功したのかよ!」
ホテルの部屋に、朝倉の叫びが響く。
全員が風呂を済ませた今、甘粕が、今日のUSJでの自由行動の際に件の一つ結びくるりんぱ女子に告白した結果を報告したところだ。
俺は、スマホで小さく音楽を鳴らして聴きながら、その話しにも耳を傾けていた。
それにしても、まさか彼が受け入れられるとは⋯⋯。
普段暴言を浴びせられている腹いせに、無様に振られた結果を嘲笑ってやろうと思っていたのに⋯⋯。
やはり、嫌なやつ程良い目を見るという事なんだろうか。解せぬ。
「そうだよ。明日の京都散策では、二人で回ろうって約束もした」
「信じらんねー。なんでお前なんかが」
「そう言わずに、祝福してくれよ」
甘粕。そうして欲しいなら、君は普段の口の悪さを慎む事だ。
「いいなー。俺もあんな可愛い子と付き合ってイチャイチャしてみてー」
「そういや、緋本もUSJで、雪代さんと二人でアトラクションに乗ろうとしてるとこ見たぞ」
「お前もか。甘い空気ばっか漂わせやがって。砂糖吐くわ」
「情状酌量」
何!?
あの甘粕が、俺の事情を汲み取ってくれただと!?
罪に問われている点は以前のままのようだが、それでも、これは大きな変革と言える。
恋が彼を変えたんだろうか。
よく見ると、その目が昨日までよりも優しげになっているような⋯⋯。
「否、俺は許さんね。緋本、お前まで幸せになるのは納得がいかねー。俺がそこから何としてでも非モテの世界へと引き摺り落としてやる」
「俺、喉が渇いたから、ジュースでも買いにいってくるよ」
「あ、逃げんな、こら」
俺は、背後から投げ掛けられる制止の声を振り切り、そそくさと部屋を抜け出して、一階のロビーに向かった。
ロビーに置かれている自販機で、ホット珈琲を選んで購入すると、ソファのある休憩スペースに向かう。
すると、そこには先客がいた。
美作先生だ。
湯上がりらしく、頬は上気し、下ろされたミディアムヘアはしっとりとしている。
「君か」
俺の姿を見て、隣の席に座るよう視線で促す。
それに従い、そこに座った。
「修学旅行はどうだ? 楽しめているか?」
「いえ、全く。今も同部屋のやつらの騒々しさに嫌気が差して、逃げ出してきたところです」
溜息混じりに答えた。
「そんな事でどうする。いずれ社会に出た時に、上手く周りに適合出来なくなってしまうぞ」
お決まりのように、苦言を呈される。
「俺が社会に適合出来ないんじゃなくて、現実が俺に寄り添おうとしてくれないんですよ」
缶珈琲を両手で弄びながら不服そうに反駁した。温度が少し高めに設定されているのか、肌に少々熱く感じる。
「消えない痛みを知るからこその言葉か。風刺が利いているな」
少しばかりの歓心を得られたようだ。
「美作先生だって、その痛みを知る側の人間でしょう?」
亡き姉──俺の母さんを喪失した事を未だに受け入れられずにいるのだから。
「多かれ少なかれ、人は誰しも痛みを経験しているものだ。そう。例えば、天真爛漫に振る舞っているように見える白鳥でさえもな」
「彼女は例外に思えますけどね」
純粋無垢の権化のような彼女に、俺のような痛みは似合わない。
「いずれ君も、知る時がくるかもしれないな。君が、自分が考えている程に特別ではないという事を。勿論、君の境遇においての事でしかないが。能力の面では、君程特別な者はそうそういないだろう」
珍しく料理以外の事で褒められた。それも、過分に。
「自分を特別だなんて、そんな厨二臭い事思っちゃいませんよ。能力の面でもそうだし、境遇においても」
「そうか。それは、客観視が出来ていないな。今後の君の課題の一つだ」
課題は、怜愛からのものだけで十分なんだけどな⋯⋯。
「私はそろそろ部屋に戻るよ。湯冷めしてしまう」
ソファから立ち上がり、その場を離れていく美作先生。
それと入れ替わるように、ギャル風女子の新居がやってきた。
生徒の風呂の時間はもう過ぎているので、入浴は済ませてあるのだろうが、その毛先を巻いたゆるふわウェーブは、いつも通りの形を維持してい
る。どういう構造なのか気になるところだ。
「ヒモっち、ばんわ~」
「おう。新居は何しにきたんだ?」
「ちょっと部屋から離脱してきたっしょ~」
答えながら、さっきまで美作先生が座っていた席に「んしょ」と腰を下ろす。
「離脱? 嫌な事でもあったのか?」
彼女はクラスメイトに慕われているし、諍いとかを起こしたりはないと思うが。
「ちょびっとね~。恋バナになって、好きピな人を言う流れになったんだけど、あーしそーいうの人に話すのマジ無理ってゆーか」
途中よく分からない『すきぴ』? とかいうギャル語が含まれてはいたが、とにかく嫌だったという事だけは伝わってきた。
「そうか。それは災難だったな」
とりあえず、適当に相槌を打って、話を合わせておく。
見事な受け流しのコミュニケーションスキル。陰キャでもやれば出来るんだ。自分を褒めてやりたい。
「だって、そーいうのは、ちゃんと好きピな人に直接言いたいし~。だから、丁度会えて良かったっしょ~。ヒモっち、あーしの話聞いてくれる?」
ん⋯⋯? なんか、気付けば雲行きが怪しくなってきたような⋯⋯。
「ああ。話があるってんなら、聞くけど」
一応、先を促してみる。彼女に限って、誰かさん達のように、突拍子もない事を言い出したりはしないだろう。
「うん。じゃあ、言うね~。あーし、ヒモっちの事、好きピなんだけど~」
その『すきぴ』って一体どういう意味の言葉なんだ?
「悪い。ギャル語には精通していないんだ。俺にも分かる言葉で話してくれ」
「え~、分かんないの~。なんてーか、合うってゆーか、エモいってゆーか、メロいってゆーか、端的に言うと、貴方の事が好きって意味」
「え⋯⋯?」
驚愕の事実。
俺、ギャルに好かれてました、まる。
⋯⋯いやいやいや、ちょっと待て!
俺と彼女の間に、そう思うに至るまでの何かがあったか? ないだろ!
ギャル語が多く含まれていたから判然としないが、その”好き”って、犬猫に対してのそれとかと同義なんじゃないか?
それか、友達として──とか。
「ヒモっち、それで、答えは?」
涙袋のある目で、じっと窺うように見つめてくる。
真剣っぽいな。誤魔化しはきかなそうだ。
「あー、念のため聞いておくけど、その好きっていうのは──」
「もち、恋愛的な意味っしょ~」
食い気味に答えられた。
ですよねー。知ってました。
人気ランキング三位と聞いた時から、この修学旅行中に何らかのハプニングが起きるのではと危惧していたが、まさか、それがギャル風女子の新居だったとは。
しかし、困ったな。
事前のシミュレートなしにこの状況は、ちと厳しい。
フレキシブルに対応しようにも、切れる手札が一枚もない。
俺がどう答えたものかと逡巡していると、
「やっぱり、怜愛ちゃんの事が気になってる⋯⋯?」
警戒網を掻い潜ってきたステルス爆撃機に、不意を突いて爆撃されたように、その言葉はクリティカルだった。
夕方に、アトラクションのボートに二人で乗っていた時に、その怜愛から投げ掛けられた言葉の数々が脳裏に浮かぶ。
彼女の頬を伝った、一筋の雫──。
その意味を知る事が出来ない内は、俺は彼女に本当の意味で──本物の自分として向き合う事は叶わないだろう。
だとしても、彼女以外に、俺の”心の居場所”を預ける気は、さらさらない。
だから、俺の答えは、最初から決まっている。
「新居、悪いけど、俺は君を、友人以上には見れそうにない」
「そっか」
新居はその言葉で納得したのか、はにかみながら立ち上がると、
「ホントは、答えを聞く前から分かってたっしょ~。ただ、告白して、自分の気持ちを整理したかっただけってゆーか、ね?」
後腐れのない、さっぱりとした顔で告げた。
「そうか」
「そういう事だから、これからもあーしとズッ友でいて欲しいなーって、いいよね~?」
「ああ。友達でいて欲しいって事だよな?」
「そうそう。そんな感じ~。約束だよ~」
彼女とコミュニケーションを取るのは、そのギャル語が邪魔をして多少難しくもあるが、友人が増えるのは純粋に嬉しい。
胸に忘れる事の出来ない痛みを覚えながら、思う。
彼女との友情が、宮沢賢治『銀河鉄道の夜』に登場するジョバンニとカムパネルラのように、言葉を超えた深い絆で結ばれる事も、ないとは言い切れないな──。
そんな、幻想にも似た気持ちを抱いた。
彼女が、『ほんとうのさいわい』を見つけられますように、と願いつつ。




