70.蒼銀の少女
「緋本! そろそろ風呂入りにいこうぜ!」
ホテルの部屋で寛いでいた俺に、朝倉が誘い掛けてきた。
そう。神様の悪ふざけか、林間学校、夏休み旅行に続き、またしても彼と同室になってしまったのだ。
この不運の連続に、俺のペシミズムも増すというもの。
「ああ。利用時間も限られてるしな。それじゃあ、準備して入りにいこうか」
けれど、その内なる感情を抑え、人当たりよく対応する。ペシミズムも増したが、コミュニケーションスキルも上昇したな。
着替えやタオルを持って、朝倉と一緒に、一階にある大浴場に向かう。
と、その大浴場の前に来たところで、丁度女湯の方から出て来た怜愛と新居、ついでに江南とばったり出くわした。
風呂上がりの怜愛は、その雪のように白い肌が上気してほんのり紅潮し、しっとりと水気を含んだ黒髪が、光を反射して艶々と煌めいている。
正直、新居には申し訳ないが(江南に遠慮する心などは持ち合わせていない)、怜愛の湯上がり姿が艶めかし過ぎて、彼女の事しか目に映らなかった。
「あー、ヒモっちっしょ~。おつ~」
「緋本氏、正面から堂々と覗きにくるなんて、度胸がありますね。ですが、時既に遅し。メインイベントのグラマラスなボクの入浴シーンは、先程あいにく終わりを迎えました。血涙を流して悔しみやがれください」
「蒼介君達は、今からお風呂? ここの温泉、源泉かけ流しでいいお湯だったよ」
新居、江南(間違った解釈に塗れたクソみたいなコメントだ)、怜愛の言葉だ。
「ああ、お疲れ。疲れがとれそうなお湯だな」
内心ドキドキしながらも、何も感じていない風を装う。
「いろっぺー三人だぜ! 湯上り美人ってやつだな!」
おい、朝倉。不用意な発言はよせ。白鳥に聞かれたら、好感度がマイナスのどん底まで落ち込むぞ。
「あははっ、ありがと~。ヒロちん」
「緋本氏、平然と振る舞っているように見せておいて、股間は熱く滾っているのでしょう? ボクには全て、まるっとお見通しですよ」
「それじゃあ、ゆっくり温まってきてね」
三人はそう言葉にしてその場を離れていき、俺と朝倉は、大浴場に入った。
§
脱衣所で服を脱いでいると、そこに鳴宮がやってきた。
「君達も今からお風呂かい? 僕もご一緒させてもらうよ」
「おう! 三人で裸の付き合いしようぜ!」
橘が見たら、号泣しながら歓喜しそうなシチュエーションだ。
先に服を脱いだ俺は、タオルを手に浴場に入った。
落ち着いた木目調の壁や床、石造りの浴槽で、和風モダンといったような和の雰囲気を演出している。
とてもリラックス出来る空間だ。
洗い場で身体をしっかりと洗い流し、かけ湯をしてから湯船へ。
「ふぅ⋯⋯」
自宅の小ぢんまりとしたユニットバスと違い、手足を思いっ切り伸ばす事が出来る自由さと、深いお湯に浸かれる満足感に、思わず吐息が零れる。
浴槽に注がれる湧き出たばかりの新鮮な温泉の香り、肌触り、成分をそのまま楽しんでいると、朝倉と鳴宮が身体を洗い流し終えて浴槽に入ってきた。
「うひょー、きんもちいいー!」
「身体の芯から温まるねぇ」
二人共心地良さげに湯船に身体を浸して顔を綻ばせている。
「それで大翔。今日一日の感触はどうだったんだい?」
「そうだなぁ⋯⋯新幹線じゃ向かい合って座ったけど、他のメンバーもいたし、二人だけで会話するって事もなかっただろ? 大阪城と海遊館を回った時も、姫は女子達と固まって動いてたから、あんまり喋ったりは出来なかったんだよな。イトマキエイの時は余計な事言って機嫌を悪くさせちまったし、初日はダブルスコアの惨敗って感じだな。全く、参っちまったぜ」
「それは残念な結果だったね」
俺は二人の会話に、窓外の眺めに目をやりながら黙って耳を傾けていた。
庭園は、常緑樹や開花した植物によって緑豊かに彩られている。
俺達の傍には誰もおらず、二人とも声を落として話しているので、秘密が漏れるという心配はないだろう。
「湊の方はどうだったんだよ。涼と上手くいってるのか?」
「こちらもさっぱりさ。彼女の周りには常に女子の誰かが付いていて、話し掛けるタイミングを得られなかったよ」
「そうか⋯⋯こんなんで、三日目の告白、成功すんのかな⋯⋯」
と朝倉が顔を曇らせる。こういう気落ちした彼を見るのは稀だ。
「焦りは禁物だよ。明日のUSJでは、班ごとに自由行動が出来るんだ。その時に、上手く誘い掛けて二人切りの時間を作ればいい」
鳴宮が、そう諭しながら励ます。
「そうだよな。まだ終わった訳じゃない。諦めたら、そこで試合終了だぜ」
迷いを吹っ切るようにバシャリとお湯を顔に浴びせた。
「その意気だよ。緋本君も協力してくれるね?」
水を向けられ、視線を窓外の景色から、二人へと移す。
「ああ。君達の計画は、怜愛も知るところだから、彼女にも協力してもらって、それとなくそういう状況を作り出せるように誘導するつもりだ」
「そう。ありがとう。苦労を掛けてしまうけど、よろしく頼むよ」
「頼りにしてるぜ、相棒」
この二人も今となっては知らない仲でもないし、それぐらいの労力なら厭わない。
彼らには、告白を成功させて、今後も楽しいアオハルってやつを謳歌してもらった方が、クラスの雰囲気も良くなるだろうし、その分俺も過ごし易くなるだろう。
ただ、一点だけ気に掛かった事がある。
朝倉。断じて俺は君の相棒じゃない。
§
風呂から上がった後は、部屋に戻り、スマホで読書に耽っていた。
他のメンバーはというと、UNOで最下位になった者が、この修学旅行中に好きな女子に告白するという程度の低い賭けに興じている。
「ウノ! はい、上がりー。最下位は、甘粕な」
なにぃ、甘粕だとぅ? そう言えば、何の因果か、彼もいたんだったな。
いい気味だ。日頃の行いが悪いせいだぞ。告白して、見事に散ってくれ。
「えー、俺ー?」
「今更逃げるなんて許されないからな。ちゃんと修旅中に告白しろよ」
「別にいいけど。じゃあ、三日目に京都で一緒に回れるように、明日USJで告白するよ。同じ班だし」
「同じ班? お前、橘さんが好きだったんじゃねぇの? 林間学校の時そう言ってたじゃん」
何だって? あの時は特に気に留めずに聞き流していたが、君がそうだったのか。
腐臭のする彼女に好意を抱くなんて、流石に過激な発言を公然とするだけあって、肝っ玉だけは太いみたいだな。
「彼女は観賞用みたいなものだよ。腐ってるところも嫌いじゃないけど、本命は別にいる」
「誰だよ、その本命って?」
「遊佐さんだよ」
遊佐⋯⋯? 誰だろう。聞き覚えがないな。
「あの歌ウマなくるりんぱか!」
歌が上手いくるりんぱ⋯⋯ああ、あの球技大会の祝勝会で、トップバッターとして美声を披露してくれた彼女か!
「彼女の歌を聴いてると、何だか幸せな気持ちになれるんだよ」
趣味は悪くないと思うが、それで、何故ジャイアンな歌声の橘にも懸想してしまったのか⋯⋯。おそらく、彼の業の深さがそうさせたんだろう。
「じゃあ、その遊佐さんに告白するって事で」
「それって、成功すると思うか?」
「さぁ? 彼女、結構人気上位だから、望み薄じゃね?」
「振られたら、俺達が慰めてやるよ」
「それじゃあ、決着も付いた事だし、俺、ちょっと疲れたから休憩させてもらうわ」
一人がそう伝えて、カードゲームの輪から外れた。
「仕方ねーなー。緋本ー、お前も偶には一緒にやらね?」
朝倉が誘い掛けてくる。最近馴れ馴れしさが増している気がする。
「賭けのペナルティが今のままなら、加わる気はない」
スマホに視線を預けたまま、素気なく突っぱねた。
「じゃあ、菓子と飲み物も減ってきた事だし、今度は、負けたやつが外に買い出しにいくことにしようぜ。それならいいだろ」
強引な朝倉により、なし崩し的に勝負に加えさせられてしまう羽目に。
その結果──。
俺は今、彼らに頼まれた菓子や飲物を買う為に、ホテルを出て、寒風吹きすさぶ中近くのコンビニへと歩いている。
──ちくしょう。この世はやっぱり不幸な事ばかりだ。
俺のペシミズムが加速した。
§
「ありあっしたー」
店員の気怠げな挨拶を背に受けつつ、買い物を終えてコンビニの自動ドアを潜る。
「うぅ、寒くて死ねる⋯⋯」
途端、凍り付くような冷気に晒され、身体がぶるりと震えた。
この時期の夜の外気は、肌に刺すように冷たい。
それは、東京であっても、大阪であっても変わらない。
しかも、折り悪く、予報では今日の夜から近畿地方には寒波が襲ってくると報じられていた。
不遇なマッチ売りの少女のように凍え死んでしまわない為に、早く暖房の効いたホテルの部屋に逃げ帰ろうと、足を踏み出そうとした時──。
「ねぇ、貴方」
若い女性の声で話し掛けられた。朝露のように清らかで澄み切った、それでいて少し掠れたハスキーな声色。
「え⋯⋯?」
その声に瞬きの内に惹きつけられてしまい、そちらに顔を向ける。
幻想から抜け出してきたような少女が一人、そこに佇んでいた。
美しい白銀の光沢を持つ純度の高いプラチナルチルクォーツような鮮やかな銀髪と、昔ながらのラムネの瓶を溶かして作った硝子細工みたいに繊細な蒼眼の持ち主──。
「私が、修学旅行で、泊まってるホテル、知らない?」
余り抑揚のない、囁くような吐息混じりの平坦な口調で、言葉を短く区切りながら聞く。
「⋯⋯俺が、今初めて会ったばかりの君の泊まっているホテルを知ってる訳ないだろ?」
心が射止められながらも、警戒を怠らずに言葉を慎重に選びつつ返す。
「そう」
幻想の少女は小さく相槌を打つと、手にしたスマホに視線を落とした。
「スマホを持っているんだから、一緒に泊まってる友人に連絡を取ればいいじゃないか」
「連絡先、知らない」
「え? 一人も登録されてないのか?」
それが本当だとしたら、俺以上のぼっちだ。こんな浮世離れした容姿だから、周りも近寄り難いのだろうか。
「よく、分からないけど、スマホ使った事、ない」
さて、どうしたものか。
こんな時間に一人で出歩いている少女という存在は怪しげではあるものの、悪い人間には見えない。
その容姿も含めて世間から浮いている感があるし、要領が悪く、本当に不慣れな地で迷ってしまっただけなのかもしれない。
無下に放っておく事も躊躇われ、仕方なく力を貸す事にした。
「君、学校は? 流石にそれが分からないなんて事はないだろ?」
「星愛女子、高等学校」
なんだ星愛女子か。青黎から割と近いところの都内にある中高一貫の私立女子高だな。
俺はスマホを使って、今聞いたその学校名と修学旅行というワードを合わせて検索してみた。
すると、運が良いことに、その星愛女子の生徒が、今泊まっているホテルの部屋で遊んでいる様子を写した画像を、コメントを添えてIsostaに上げていた。
ホテル名も併せて記されている。
「星愛女子が宿泊しているホテルの名前が分かった。ここだ」
俺が、そのIsostaの画面を見せると、彼女は小首を傾げながら、
「戻り方、分からない」
それもそうだ。道に迷って、見ず知らずの俺を頼ってきたんだから。
「仕方ない。乗り掛かった船だ。俺がそこまで連れていってやるよ」
「そう。貴方、優しいね」
「そりゃどうも」
俺はスマホの地図アプリで、そのホテルまでの道程を確かめながら、彼女を連れて歩いた。
§
「ありがとう。助かった」
暖房の効いたホテルのロビーで、彼女に礼を伝えられた。
つい今しがた、彼女の泊まっているホテルまで無事に辿り着く事が出来て、一安心したところだ。
「どういたしまして。もう迷わないようにしろよ。じゃあ、俺はこれで」
「待って」
立ち去ろうとする俺を、彼女が呼び止める。
「なんだ?」
「連絡先、交換したい。Rainの」
「Rain? 君、スマホは使えないんだろう?」
そういう話だったから、俺が手を貸した訳だが。
「覚える。貴方と、また話したい、から」
その魅力的な青い瞳で見つめられれば、断るのも躊躇われる。
「分かったよ。じゃあ、俺が君のスマホにアプリをインストールして初期設定を済ませてやる」
「うん、そうして」
俺は彼女からスマホを受け取り、それらの操作を行った。
「そう言えば、未だお互いに名乗ってなかったな。俺は、緋本蒼介。Rain上でのハンドルネームは、ブルー。君の名前は?」
「茅野、アリス」
「アリスね。見た感じもそうだけど、ハーフかクォーターだったりするのか?」
「お祖父ちゃんが、スウェーデンの人」
「じゃあ、クォーターか。アリスは片仮名でいいのか?」
「うん」
「じゃあ、その名前で登録しておくよ」
全ての行程を終えて、彼女──茅野アリスに、スマホを返す。
茅野は、受け取ったスマホを大事そうに胸の前で持ちながら、
「貴方とは、また、どこかで、会える気が、する」
スピリチュアルな予言者のように、そう信じ切っているというような純粋な輝きを、その蒼眼に宿しつつ告げた。
一人になって、ホテルへの道を歩きながら、
「迷っていた事といい、その名前といい、不思議の国からやってきたみたいな子だったな⋯⋯」
どこか後ろ髪を引かれるような思いを抱きつつ、ポロリと口からそんな独り言を零れ落とさせていた。




