63.ライターズハイ
怜愛と揚羽の女のプライドを賭けた、俺とねーじゅ先生がタッグを組んだネージュブルと、文芸サークル『ライターズシエスタ』との対決──。
その舞台となる展示即売会──もじの広場の開催が、八日後にまで迫ってきていた。
表紙と挿絵のイラストを依頼していた江南は、著者の怜愛と相談しながら、この短期間の内に、フルカラーの表紙と口絵一枚に挿絵五枚を描いてくれた。
どれも物語に上手く寄り添い、その魅力を十分に引き出している素敵なイラストだった。
幼稚園の頃から描いている生粋の絵描き──そう自分で豪語するだけあって、絵は素人目にも、いつ商業からお呼びがかかっても可怪しくない程に卓越しているし、かなりの速筆でもあるらしい。
これで、本人が真面な性格であれば、もっと尊敬出来るのだが。
怜愛の執筆状況は、途中のシーンでやや時間を使い過ぎてしまい、ラストシーンに取り掛かるのが予定より少し遅れてしまったらい。し
だが、二日後の印刷所への入稿締め切りにはギリギリ間に合わせるとの事だった。
期末考査の勉強と同時進行なため、流石の彼女も掛かる負担は大きいらしい。
もし締め切りを破ったとしても、一日二日であれば、追加料金を支払いさえすれば入稿を受け付けてくれるらしいが、それでは信頼も失うし、納期に間に合わなくなるケースもあると聞くからな。
まぁこれまで彼女が締め切りを破った事はないはずなので、今回もなんだかんだで間に合わせるだろう。
そう、楽観的に考えていた矢先に起こった出来事だった。
「──それで、右手の人差し指を捻挫したって訳か⋯⋯」
ローテーブルを挟んで対面に座る怜愛の話を聞いた俺は、その事実に思わず頭を抱えた。
彼女の利き腕──右手の人差し指には、痛々しく包帯が巻かれている。
昨夜から、休日となる今日の朝まで、夜通し締め切りが迫った文芸同人誌制作の追い込みをしていた。
そうして、ラストシーンの手前まで書き上げたところで一旦中断し、疲れた脳をリフレッシュさせるために仮眠を取る事にした。
けれど、寝る前にリビングで一杯水を飲もうと、二階にある自室を出て、徹夜明けで強い眠気に襲われたまま階段を下りようとした際、誤って転倒し、支えにしようと咄嗟に床に手をつこうとしたら過度に力が掛かり──という経緯だったらしい。
「うん。私とした事が、需要のないドジを踏んじゃったよ」
申し訳なさげな怜愛。いつも自信に溢れている彼女も、今ばかりは気を落として萎れている。
「それで執筆の方だけど、その手じゃノートのキーを打つのはどう考えても無理だよな」
「うん。診てもらった先生には、一週間は右手を使ったら駄目だって」
「作品の進捗状況はどんな感じなんだ? 後どれくらい残ってる?」
「後は、ヒロインに攻略対象者達が同時に告白するラストシーンと、それから数年後のエピローグだけだから、分量にすると二十頁前後ってところだね」
「印刷所への入稿締め切りは、明日日曜日の午後四時迄。Web入稿だから、ギリギリまで執筆に使えるとしても、今が土曜日の午後一時だから、一日と数時間しか猶予が残されていない事になるな」
「私が万全の状態なら、話の流れはもう出来上がっているんだし、それ程難しくはないんだけど⋯⋯」
「よし、分かった。俺が代わりになって、キーを打つよ。君は口頭で思い付いた文章を伝えてくれるだけでいい」
そうするしか、手は残されていないだろう。
「それは助かるけど、それじゃあ、夜は執筆が滞っちゃう事になるよ? いくらうちの親が私に甘いからって、流石に高校生でお泊まりは許してくれないはずだし」
「そうなんだよなぁ⋯⋯明日も日曜で休みだし、俺は一日ぐらいの徹夜であれば、なんて事ないんだけど⋯⋯」
俺がどうしたものかと頭を悩ませていると、怜愛が突然、とんでもない事を言い出した。
「これはあれだね。今回の第九ミッションに於ける緊急クエストだ。後は、蒼介君が一人で書くしかないね」
「は⋯⋯?」
その発言の余りの突拍子のなさに、思わず言葉を失い唖然としてしまった。
「これもいい機会だよ。君のスキルアップにも繋がるだろうし、私の力を借りず、一人で頑張ってみて」
「ちょ! 待ってくれよ! 俺にプロ作家である君の代わりが務まる訳ないだろ!」
何とか再起動した俺は、必死に反駁した。
緊急事態ではあるが、ここは強く拒ませてもらう。
一介のアマチュアWeb作家なんかが、神作家ねーじゅ先生の代役を務めようなど、烏滸がましいにも程がある。
例え本人がそれを許したとしても、俺もそうだし、その文芸同人誌を買う事になる読者達も、到底許してはくれないだろう。
「大丈夫だよ。何も、まっさらな状態から書き始めろって訳じゃない。ストーリーのアウトラインは既に出来上がっているんだから、後はそれを文章にして落とし込むだけ。この際、書き手が変わる事で多少文体がブレてしまう事には目を瞑ろう」
それなら、ギリギリ許容範囲内か⋯⋯? 否、しかし⋯⋯。
「そうは言っても、それだけでも、俺には荷が重過ぎるよ⋯⋯」
どうしても、踏ん切りがつかない。自分が代筆する事で、酷評される未来が頭を過ぎる。
「もっと自信をもって。君の文章力は、このプロ作家ねーじゅ先生にも劣ってないから。ただ、これまで私が書いた文章との違和感が多少生まれてしまうのは仕方ないとしても、ラストシーンの山場なんかで突然そうなっちゃうのは興醒めになっていただけないから、残りは丸々君が書いてね。それじゃあ、私は自宅で療養しながら、君がどんな言葉で物語を締め括ってくれるのか、楽しみに待たせてもらう事にするよ」
そして、俺の返答を待たずに、最後に彼女はある言葉を告げて、玄関を出て帰っていった。
§
『君は私に、唯一嫉妬を自覚させた稀有な作家だよ』──。
自分にとっての、創作という分野に於ける神だと信じているねーじゅ先生こと怜愛からの、勿体ない程の称揚──。
その、胸の深奥まで響くような言葉を浴びせられた俺は、ゾーンに入ったような状態で、一心不乱にノートパソコンのキーを打っていた。
キャラクター達が勝手に動き出し、物語が悩む事なく自然に展開されていく。
鮮明な描写──。
心に響く表現──。
アイデアや言葉が次々と湧き出てくるインスピレーションの奔流。
物語やキャラクター達への強い共感や興奮が、自らの高揚感へと繋がっていく。
──ライターズハイ。一種の創造的な狂気だ。
創作活動に於いて、常にこんな箍が外れたような状態で執筆を続けていたら、廃人コースへとまっしぐらだろう。
だが、今ばかりは、この多幸感に身を委ねていたかった。




