49.雪女と蝶々ちゃん
三連休が明けた火曜日の朝。
俺が、一緒に登校する為、いつものように怜愛の家にいこうとすると、Rainのメッセージが届いた。
スマホ画面を見ると、『今日は先に一人で登校するから』──そう書かれていた。
──一昨日の夜も様子が可怪しかったし、何かあったのか⋯⋯?
思い当たる節と言えば、先日怜愛の家に空き巣が侵入した事くらいだが、特に何も盗まれはしなかったと言っていたし⋯⋯むぅ。分からん。
そんな風に頭を悩ませながら登校した。
教室に入ると、メッセージ通り怜愛は先にきていたものの、スマホを眺めるばかりで、いつものように声を掛けてくる様子はない。
──機嫌が悪そうに見えるな⋯⋯女の子の日とかだろうか⋯⋯。
触らぬ神に祟りなし。
俺は、怜愛の機嫌が自然に直るのを期待して、今はスルーさせてもらう事にした。
§
怜愛と一言も口を利かないまま、昼休みになった。
いつもなら、怜愛と例のフリースペースにいくのだが、今日はそれも叶いそうない。
仕方なく、俺が一人でそこへ向かおうとしていたところ──。
「緋本先輩!」
先週の日曜に初めて聞いた声が、俺の耳朶を揺らした。
公園で遊んでいる少女が楽しげに上げる歓声のような軽やかで元気一杯な声。
「誰だ、あのサイドポニーの可愛い子?」
「リボンの色が赤って事は、一年生か。それにしても、また緋本かよ。なんであいつには美少女ばかりが寄ってくるんだ?」
「くそぅ! 俺にも紹介してくれよ!」
「打ち首に処す?」
女子との付き合い飢えている男子達が、一斉にざわめく。
甘粕は、知らない内に言葉遣いの過激さがパワーアップしてやがる。
斬首って⋯⋯どれだけ君の中で、美少女と付き合いのある俺は罪深いんだよ。
「揚羽。俺に会いにきたのか?」
「はい! 緋本先輩と昼食を一緒に食べようと思って!」
するとそこに、その凄腕の人形師が描いたような柳眉を、今は苦々しく逆立てた怜愛がやってきた。
機嫌は直るどころか、すこぶる悪くなっているみたいだ。
「⋯⋯あの、私何か気に障るような事しましたか⋯⋯?」
怜愛に睨むような視線を向けられ、揚羽が若干怯えたようにしてご機嫌を窺う。
「怜愛、彼女怖がってるだろ。犬猫じゃあるまいし、視線だけで威嚇しようとするなよ。揚羽はいい子なんだから、仲良くしてやってくれ」
見兼ねた俺が、間に入って取り持つ。何で喧嘩腰なんだ。初対面だろうに。
「揚羽、彼女が、一昨日の夜にRainのトークで伝えた、雪代怜愛だ。そして、プロ作家のねーじゅ先生でもある」
「あ、貴女がねーじゅ先生でしたか! 本当に雪の妖精みたいに真っ白で綺麗な人ですねっ!」
揚羽は、彼女がねーじゅ先生だと分かると、態度を改め、持ち前の人懐っこさで距離を縮めようとした。
けれど、怜愛はその小型犬のようにすり寄ろうとする揚羽を、にべもなく突き放した。
「ふん。権威に媚びを売ろうとする卑しい”蝶々ちゃん”には、褒められる謂れなんてないね」
「⋯⋯媚びを売るなんて⋯⋯それに、なんですか、その蝶々ちゃんって?」
さしもの揚羽も、馬鹿にするような口調で告げられ、好意的な態度を崩して警戒態勢を取る。
「君の渾名だよ。揚羽っていうんでしょう? だから蝶々ちゃん。可愛いくていいじゃない」
「なっ!? 蝶々は綺麗で好きですけど、貴女に言われると、何か馬鹿にされてるような気になります! 私には、両親に付けてもらった揚羽光っていう立派な名前があるんです! 揚羽か光って呼んでください!」
貶められたと感じた揚羽が、憤って強く訂正を求める。
「嫌だね。そう呼んで欲しければ、私と肩を並べるくらいの存在になってもらわないと。趣味でサークル活動してるアマチュアなんかじゃあまだまだ」
だが、それに対する怜愛は、歯牙にも掛けないようにしてそれを拒み、尚も見下して蔑む。
「ぐぬぬ⋯⋯言わせておけば⋯⋯この雪女!」
その挑発に乗って、揚羽まで敵意をむき出しにして蔑称で叫ぶ。
売り言葉に買い言葉とはこの事である。嘆かわしい。
「む⋯⋯? この私をそんな風に呼ぶなんてね。その度胸だけは認めてやってもいいよ、蝶々ちゃん」
罵り合いを始めた二人を前に、俺はどうしたものかと頭を抱えた。
けれど、巻き込まれたくはないので、仲裁に入る気はこれっぽっちもない。
「分かりました。そっちがそういうつもりだったら、実力で認めさせてやろうじゃないですか」
不敵に宣言する揚羽。
「へぇ、どうやって?」
「来月の文化祭で、このクラスは、貴女と緋本先輩が共作した脚本で、オリジナルの演劇をやると聞きました。そして、偶然私達のクラスも、私が書いた脚本でオリジナルの演劇をする事になっているんです」
「なるほどね。その舞台の評価によって、勝敗を決めようって訳だ」
「そうです。共作とはいえ、大筋のストーリーは貴女が考えたと聞いていますから、特に支障はないはずです。それとも、共作だったという事を負けた時の言い訳にしますか?」
「はん! そんな見苦しい真似、仮にもプロ作家の私がすると思う? 言っとくけど、手加減は一切しないからね。そっちこそ、負けてキャストの演技力が足りなかったとか言い出さないでよね」
「はぁ!?」
「あぁ!?」
ますますヒートアップしていく女同士の互いのプライドを賭けた熾烈な言い争い。
──俺は今日昼飯にありつけるんだろうか⋯⋯。
それだけが、切実な願いだった。
§
「君の方が年長者だろ? 大人げないとは思わないのか?」
下校中に俺は怜愛に苦言を呈した。
昼休みにひとしきり発散して、機嫌はある程度持ち直したらしく、一緒に帰る事を拒まれはしなかった。
「彼女の肩を持つんだね」
怜愛が不服そうに口を尖らせる。
「俺はただ、君達に仲良くしてもらいたいだけだ。同じ才能に溢れた者同士気が合うと思っていたのに、なんでこんな状況に⋯⋯」
嘆くしかない悲惨さ。
「君が私よりも、あの蝶々ちゃんを選ぶような真似をするからだよ」
まるで俺に非があるような言い方だ。
「そんなつもりは更々ない。君は今でも俺の中では、オンリーワンの存在だよ。ただ、彼女も、今の時点では君に劣っていたとしても、将来は大化けするかもしれない可能性を秘めてると思っているだけだ」
心外だと反駁する。
「それって、暗にあの蝶々ちゃんが、私を将来追い抜かすって言ってない?」
揚げ足を取ろうとする怜愛。
「そうは言ってない。けれど、未来は確定してる訳じゃないからな」
「ほら、やっぱり彼女にそうなって欲しいって期待してる。もう私は過去の女でしかないのね⋯⋯。ぐすん」
とわざとらしく泣き真似をして見せる。
「誤解を招くような言い方は止めてくれ。それじゃあ、俺が君を弄んだクズ男みたいじゃないか」
君とはこれまで誠実に接してきたつもりだが。
「私の心を傷付けたのは確かだよ。お詫びに君には、これから文化祭までの間、毎日私の演技の練習に付き合ってもらいます」
「毎日? 学校でも放課後には練習があるはずだろ?」
「それが終わってからだよ。お母さんには、帰りが遅くなるって言ってあるから、夜の九時ぐらいまでなら、君がたまにバスケしてるあの公園で練習出来るよ」
「でも、俺なんかが相手じゃ練習にならないだろ。そもそも、台詞覚えてないし」
「それは台本持ちながらでも構わないよ」
「そうは言われてもなぁ⋯⋯そもそも、なんでそこまでするんだ? 揚羽に勝負を吹っ掛けられたからか?」
ふと疑問に思い、尋ねてみた。
「勿論、それもあるけど、何より手は抜きたくないの。観客の多くは、プロ作家ねーじゅ目当てに見にくるだろうからね。その名前だけは辱める訳にはいかない」
「そうか⋯⋯分かった。そういう事なら練習に付き合うよ。でも、人並み以上の演技は期待しないでくれよ。こっちは木の役以来なんだからな」
「どんな下手くそな演技でも、あの来栖とかいう男よりはましだよ」
と吐き捨てる。
「ついに君付けでもなくなったか。彼、そんなに酷い演技なのか?」
「演技の良し悪しなんて関係ないよ! だってあいつ、ここぞとばかりにボディタッチしてくるんだもん! 舞台を成功させたいって事を免罪符にすれば、何でもまかり通るわけじゃないっての! 最初の内は、周りの目を気にしてか未だ遠慮があったけど、最近じゃだんだんエスカレートしてきて、今日の放課後の練習で太腿に触れられた時は、思わず、『このエロ猿!』って頬を引っ叩きそうになったよ! それは寸でのところで思い留まったけど、あんなのが相手役じゃ、まともな練習にならないって」
一気にまくし立てた。相当フラストレーションが溜まっていたと見える。
「あいつも、結局イケメンの皮を被った獣だったって事か」
「そういう訳だから、明日からよろしくね」
にっこりと笑み、パンと俺の背中を叩く。
彼女にはいつも振り回されっ放しだが、機嫌は直してくれたみたいだし、まぁこれで良しとしておくか。




