27.三年前の事件と癒やしのハグ
「この出会いは運命だよ」
「貴方の事が好きです。私を受け入れてくれるなら、この手を取ってください」
「私達、ずっと一緒にいようね。きっとだよ? そして、二人で幸せになろう」
そう言ってくれた女の子がいた。
黒髪のロングヘアがよく似合う、見た目の印象は清楚だけど、笑うと頬に笑窪が出来るチャーミングな子だった。
彼女とは、中学二年生に上がったばかりの頃に出会った。
きっかけは、彼女が学校で失くしていたハンカチを俺がたまたま拾って、名前の刺繍入りだったので、もしやと思い声を掛けてみた事だった。
そのハンカチは、誕生日に大好きな母親からもらった手作りのものだったらしく、涙ながらに喜んで感謝された。
それから彼女とは、学校でも私生活でも一緒に過ごす事が多くなり、数回のデートを重ねた後、彼女の方から付き合って欲しいと告白された。
そして、恋人同士になった俺達は、仲を深めながら約一年の時間を共に過ごし、三年生になった。
その時の俺は、未だ中学生ながら、彼女が誓ってくれたように、将来は二人で結婚して温かい家庭を築き、末永く幸せに暮らしていける──そう信じていた。
それなのに──。
§
それは、四月も終わりに近づいたある日。
街路樹として立ち並ぶハナミズキの白や薄ピンクの花が咲き、春から初夏への移ろいを告げているある休日の事だった。
その日は、俺が交際している彼女──明日香七星の誕生日で、俺と七星は二人きりのお祝いパーティを開く約束を交わしていて、そのためのプレゼントも用意していた。
けれど、その直前に、親戚に不幸があったとかで、そのお祝いパーティは後日に回される事になってしまった。
彼女のために時間をかけて用意していたプレゼントを当日に渡せなくて非常に残念だけど、そういうやむを得ない事情であれば仕方ない。
そう自分を納得させながら、休日を何をするでもなく怠惰に過ごしていた。
すると、午後三時を回って少し経った頃に、七星から、Rainのメッセージが届いた。
──『今葬儀が終わって家に帰ってきたところ。今日は約束守れなくてゴメンね』と。
俺はすぐに、『謝る必要はないよ。お祝いパーティを開く日が少し遅れるってだけなんだから』と返したが、暫く待っても既読は付かなかった。
スマホを置いてトイレにでもいったんだろうかとそのまま待とうとしたが、すぐに思い直した。
急いで家着から外いき用の服に着替え、彼女へのプレゼントを手に家を出る。
──やっぱりこの誕生日プレゼントだけは当日彼女に渡したい。サプライズで突然家を訪れてそうしたなら、きっと驚きつつ喜んでくれるはずだ。
ガラスドームアレンジされたドライフラワーボトル。
七星の誕生花ゼラニウムの赤い花。
花言葉は『君がいて幸福』──。
その花がボトルの中で綺麗な彩りを見せて、癒しと安らぎを与えてくれている。
ネット通販で手作りキットを購入して、手引書を見ながらコツコツと苦労して完成させたものだ。
俺は彼女が、頬に笑窪を作りつつ、とびきりの笑顔を作って喜んでくれているのを想像しながら、足早に彼女の家へと向かった。
その途中、彼女の家までもう少しまできたところで、ある小さな公園が目に入った。
──そう言えば、この公園の欅の木の下で、彼女に告白されたんだっけ······。
ふと足を止めて、忘れ難い懐かしい思い出に浸るように、その時の光景を思い浮かべる。
しかし、その脳裏に描いた光景に重なるようにして、公園の中央付近に立つ一本の欅の木の下で抱き合う男女の姿が──。
──あれは······七星!? それに、彼女と抱き合っているのは、陸じゃないか! なんで二人が······!?
陸──藤ヶ谷陸は、俺達の学校に通う同学年の生徒で、同じバスケ部でもある彼とは親友と呼んでもいい間柄だと俺は思っていた。
信じ難い事に、その陸と、俺と交際している彼女のはずの七星が、まるで恋人同士のようにして熱い抱擁を交わしている。
想像だにしなかった状況に遭遇し、俺は声を掛ける事さえ出来ずに、呆然と立ち尽くす。
すると、二人は互いの顔を見つめ合い、徐々にその距離を縮め、ついには唇を重ね合わせた。
それだけでは留まらず、互いに舌を入れて絡ませ合い、ディープキスまでしてしまう。
人気のない静かな公園に、ぴちゃちゅくと卑猥な音が小さく鳴る。
我慢の限界に達した俺は、強張る喉をなんとか震わせて、まだ中学生とは思えない淫らな行為に及んでいる二人に向かって声を荒らげた。
「おい、やめろ!」
その声を聞き、二人ははっとしてすぐに唇を離し抱擁を解いた。
「なんだ、蒼介かよ、驚かせんな」
「蒼介君······」
陸が苛ついたように顔を歪め、七星は後ろめたい気持ちがあるのか視線を合わせようとはしない。
「なんでお前らが、抱きしめ合って、き、キスなんて事までしてるんだ!」
──そんなやつとは思わなかった。陸の事は、ちょっと粗雑なところはあっても、頼りがいのあるやつで、何でも打ち明けられる気の置けない親友とも呼べる相手だと思っていたのに······。
これは明確な裏切り行為だ。
──『何か理由があるっていうのなら、それを話してみろ──』
言外にそういう意図を含めて俺が詰問するように厳しく問うと、陸は悪びれる素振りも見せずに切り返した。
「なぁ蒼介、七星はお前といて本当に幸せだったと思うか?」
「······どういう意味だ?」
その言葉の真意が分からない。
「ほら、七星、話してやれよ」
「······うん」
促された七星は、躊躇う素振りを見せながらも頷きを返し、意を決したようにして話し始めた。
「確かに蒼介君と一緒に過ごしていると、その優しさと穏やかさに触れて落ち着く事が出来たよ。でもね、それだけじゃ女の子って満足出来ないの。刺激が足りないんだよ」
まるで自分が女子達の代弁者だと言う様にして不満をぶつける。
「そんな風に、緩やかで心地いいけど、どこか退屈でもあった時に、陸君に付き合ってくれって告白されたんだ。陸君の事は、蒼介君とはまた違ったタイプのワイルドなイケメンで、嫌いじゃなかったけど、蒼介君に悪いと思って一度は断ったの。でも、『蒼介はヘタレだから、どうせキスもまだなんだろ? 俺の方がお前を気持ちよくさせてやれるぜ』って迫られて、強引にキスされちゃったんだ。その時に気付かされたの。『あぁ、私が求めていたのは、これなんだ』って」
何処までも自分本位な考え方だ。
俺の事を一度は慮ったように言いはしているけれど、強引に迫られただけで簡単に裏切ったというのが、その思いの浅さを物語っている。
「でも、蒼介君の優しくて穏やかなところが好きっていうのも本当だったから、色々と悩みはしたんだけど、蒼介君とは別れないまま、陸君とは身体だけの関係でいる事にしたの」
「そんなの······そんなのただの浮気じゃないか!」
俺は堪えきれずに七星を強く糾弾した。
「確かに世間体は悪いかもしれない。でも、これ以上自分の気持ちに嘘は吐きたくないの。それに、陸君はそれでいいって言って納得してくれたよ。だから、蒼介君にはバレないように、嘘で誤魔化しながら秘密の関係を続けていたんだけど······結局こうなっちゃったね」
自己正当化の言葉をつらつらと吐いた挙句、ただのちょっとした悪ふざけだとでも言うように、臆面もなく騙していた事を軽薄な態度で告げた。
「それでどうするんだ、七星? 俺との関係は止めにして、このまま蒼介との付き合いを続けるつもりか?」
「それは······」
問われて、七星が逡巡するように思案げに目を伏せる。
「別に俺はそれでもかまわないぜ。お前の処女はもういただいちまったし、そうなったらまた新しい遊び相手を探せばいいだけだからな」
「······嫌······陸君とは離れたくない······逞しい貴方に強引に強引に迫られた時の、あの全身が痺れるような快感が今でも忘れられずにいるの·····これからも、私を激しく求めてくれる······?」
甘えるように肩にしなだれながら、潤んだ瞳で顔を見上げつつ乞い願う。
「ああ、いいぜ。お前は俺の女だ。って事だから、悪いな、蒼介。七星は俺がもらっていくわ」
「ごめんね、蒼介君。そういう事だから、私達の関係はこれで終わりって事にして。じゃあね」
陸が七星の肩に腕を回し、その場を離れようと俺の横を二人で通り過ぎようとする。
「待ってくれ、七星!」
このまま終わりというのはどうしても納得がいかず、何とか引き留めようと追い縋り、一縷の望みを賭けて必死に七星の腕を掴んだ。
だが、その手は邪魔者を扱うように、強い力で振り払われ、
「一度失ったものは二度と戻ってはこないよ。執着するのは貴方らしくない。もう私の事は忘れて」
にべもなく、見下すような視線とともに突き放された。
七星が──俺の最愛だったはずの彼女が、他のゲスな本性を現した男に肩を抱かれながら次第に遠ざかっていく。
その後ろ姿を、ただ眺めている事しか出来なかった。
その手から、綺麗にラッピングされたドライフラワーボトルがぽろりと零れ落ちる。
そして、地面に当たり、衝撃で音を立てながら割れて砕け散った。
つい先刻まで澄んだ青を広げていたはずの空が、燃え尽きた後の虚無感と希望のない状態を象徴するような灰を一面に撒いたように、厚い雲で覆われていた。
その曇天の空をつんざくような、俺の慟哭が響き渡った。
§
翌日は、無視出来ない程の深い心の傷を負いながらも、家族に心配を掛けたくないからと、何とか重い足を動かして学校に登校した。
しかし、俺を取り巻く状況は先週までとは大きく変わっていた。
遠巻きに冷ややかな視線を向けつつ、まるで俺に聞かせる様にして憚る事なくクラスメイトが話しているのが嫌でも耳に入ってくる。
いつの間にか俺が七星に無理やり身体を求め、逆らうと暴力を振るっていたという耳を疑うような内容に事実が改変されていた。
しかも、俺から七星を寝取ったゲス男な陸については、その横暴な俺が七星に襲い掛かろうとしていたのを救った勇敢な人という美談にされていた。
事実無根の誹謗中傷ではある。
だが、皆がそうだと信じているものを、事件の加害者とされている俺が、どれだけ口で弁解したとしても覆すのは不可能に近い。
二人がその噂を流したのか、それとも俺と七星が別れたという話に尾ひれがついて回ったのか──
それは分からない。
どちらにしろ、二人はその噂を否定しようとはしなかった。
むしろ、浮気をしていた引け目を感じる必要がなくなり、その罪が咎められる事なく、ヒーローと悲劇のヒロインになれる──その状況に酔っているみたいだった。
そういう経緯で、俺は信用出来る近しい人達以外には、心を閉ざすようになってしまい、付き纏う柵をデリートしようと、高校は地元から離れた青黎を選んだのだ。
§
「──法事の後、家族だけで開いた食事会の席で、間が悪い事に、窓の外の通りで、その二人が肩を並べて楽しげに会話しながら歩いてるのが見えたんだ。それで過去のトラウマがフラッシュバックしてきて、ショックの余り一時的な過呼吸に陥って、意識を失ってしまう事になってしまった」
「そっか」
俺が途中、過去の痛みに言葉を途切らせつつも、ゆっくりと時間を掛けて全てを語り終えると、雪代は、一言、理解した事を端的な相槌を打つ事で示した。
「ごめんな。嫌な気持ちにさせて。重い話だっただろ」
雪代はその謝罪の言葉には何も返さず、代わりに、機敏な所作でソファから立ち上がると、バッと両腕を身体の前で広げて見せた。
「ん!」
「······何してるんだ?」
その突飛な行動に思わず眉を顰める。彼女の意図が掴めない。
「癒しのハグだよ」
「癒しのハグ?」
聞き慣れない言葉な為、反射的にオウム返しに聞き返していた。
「そ。傷つけられた君の心を、私が抱きしめて慰めてあげる」
「は?」
思わず、間抜けな声が出る。
「さあ、遠慮せずに、どーんと私の豊満な胸に飛び込んできて」
「い、否、でも、それは······君みたいな美少女って言われているような女の子とハグするなんて、陰キャにはハードルが高すぎるというか······」
相手は、かの有名な『雪氷の美姫』だぞ。幾ら気心の知れた仲になったとはいえ、彼女が高嶺の花という事実は変わらない。
「いいから早く。この態勢維持するのも楽じゃないんだから」
せっつかれて、俺は仕方なくおずおずとベッドから離れて、両腕を広げて待ち構える雪代の前に立った。
その俺の背中に雪代が広げていた両腕を回し、繊細なガラス細工を包むように、やんわりと抱き締める。
「······優しいってだけじゃ駄目だったのかな?」
「ううん。優しさは得難い美徳だよ」
「······俺なりに頑張ったんだよ。彼女を幸せしようって」
「うん。君は真摯で誠実、そして、努力家だ」
「······俺が間違ってたのかな?」
「ううん。君はいつだって正しい選択をした。間違いを犯したのは、その心ないやつらだ」
「······う、ぐすっ······」
「君は三年間も一人で抱え込んで耐えてきたんでしょう? もう我慢しなくてもいいんだよ。私の前ではその心の内側を晒して」
耳元で労りながら優しく撫でるように囁かれた俺は、奥底から込み上げてくる感情を抑える事が出来ず、
「うわぁあああああ、ぁあああああああっ!」
彼女の柔らかい胸に顔を埋めながら、三年分溜め込んでいた涙を流し、声を上げて泣きじゃくった。
§
「胸を貸してくれて、ありがとう。おかげで少し気持ちが楽になったよ」
非常に照れくさい気持ちを誤魔化すように、紅潮しているだろう頬を指で掻く。
けれど、色々と溜まっていたものを吐き出したおかげで、気持ちは随分楽になっていた。
暫くは羞恥に悶える日々が続くだろうが。
「私に感謝してるって言うなら、お返しにお礼をしてもらおうかな」
「ああ。俺に出来る事なら何でも。けど、出来れば、難易度ノーマルくらいで頼む」
「そう構えなくてもいいよ。難易度はイージーだから」
「それを聞いて安心したよ」
ホッと胸を撫で下ろす。
「じゃあ言うね。七月二十九日が私の十七歳の誕生日なんだけど、その日にデートしてもらいます」
「全く安心出来なかった······」
上げてすぐに落とされた俺が、嘆き呟く。
「どうして? 美少女と二人きりのデートだよ? 健全な男子高校生なら、喜びこそすれ、拒むなんてあり得ないでしょ」
「俺は不健全だからな。一般的な男子高校生と一緒にされても困る」
「シャーラップ! これは決定事項です。つべこべ言ってないで、その日は私を紳士的にエスコート出来るように努めなさい!」
反論は封殺され、強い口調で命じられた。
「えぇ······そんな、横暴な······」
全く理不尽だ。
「楽しみにしてるからね。デートプランは君が考えてよ? じゃないと楽しみ減っちゃうし」
「どうしよう······俺はそのXデーに、この世から儚く消えてしまうかもしれない······この世は夢幻泡影だ······」
「相変わらず大げさに悲劇を紡ぐね。君が透明人間にでもならない限り、消えたりなんかしないよ」
「完全にキャパオーバーなんだよ! 陰キャ嘗めんな!」
憤りを叫ぶも、雪代はどこ吹く風と涼しい顔をしていた。




