エピローグ 比翼連理の丘
春休みに入った。
俺と怜愛は、窓外に、春の訪れを告げるピンク色が、地上に舞い降りた天女のように爛漫に咲き誇る様を眺めながら電車に揺られ、ある場所に向かった。
もう一度、思い出のあの場所へ──。
そうして、再び俺達は、その地に立った。
あの時咲き乱れていた水仙は、既に見頃を終えているが、その代わりに、冬から春へとリレーするように、菜の花や桜があちこちで見られ目を楽しませてくれる。
その穏やかで緩やかな空間の中で、俺達は互いに息がかかる程の距離で向き合い、見つめ合っていた。
怜愛の黒目がちなアーモンドアイが、雪花の輝きを帯びる。
「澄み切った彼方の空みたいな」
俺の手をその雪のように白い手で握り、
「茫漠と広がる海の底みたいな」
俺の顔を揺らぐ瞳で見つめ、
「お祭りの時に買った昔ながらの懐かしいラムネのボトルみたいな」
優しく包み込むような微笑みを向けながら、
「童話で貧しい兄妹が探した幸せの鳥みたいな」
その凛として澄み切った声で、
「誠実や慈愛、知恵なんかの豊かな石言葉を持つサファイアみたいな」
それぞれが印象的なものに例えた言葉を、宝石をペンダントにそうするように大事に繋いで、紡いで、
「そんな”蒼”である君と、この私、真っ白な”雪”が巡り合った」
最後にそう締め括った。
「前に君が求めている自分の本当の気持ちを、この胸の奥に預かったって言ったよね?」
続けて、念を押すように告げる。
「私と君が、ねーじゅとブルーとして、初めて繋がりを持った時の事。君は、私の短編小説『白雪の舞う季節に』を読んで、こう感想欄にコメントしてくれたね。『貴女はまるで、降り積もったばかりで、未だ誰の手にも触れられていない、真っ白で美しい処女雪のようですね』って」
「あれは、つい気持ちが昂ぶってしまって、衝動に突き動かされて、恥ずかしい言葉を羅列してしまったんだ。俺の数ある黒歴史の中でも上位に位置する羞恥だよ」
そう恥ずかしげに頬を指で掻く俺を見て、怜愛はクスリと小さく笑いを零すと、
「あの時、私は君のかけがえのないもの欠片を預かった。そして次は、雪代怜愛と緋本蒼介として出会い、共に過ごしていく中で、何度も、何度も、新しいかけがえのないものの欠片を渡された」
そこで一呼吸置くように、その白雪のような掌を、そっと俺の左胸に当てる。
「そこにもう、答えは出ていたよ。君は”模倣”じゃない”オリジナル”をずっと探していた。私はその欠片を幾つも受け取り、繋ぎ合わせて、原型を復元させた。それを、私が自分の想いを添えて今から君に返すよ」
これまで過去に彼女から告げられた意味深な言葉の数々──そこに込められていた彼女の真意が紐解かれる。
難関な定理をついに解き明かした数理学者のような晴れやかな気分だった。
その内に秘められていた想いを、彼女の言葉により、自分ではっきりと自覚できるようになった。
──嗚呼、俺が求めていたのは、これだったんだな⋯⋯。
そんな爽快な気持ちで満たされている俺の首に、怜愛がゆっくりと手を回す。
時間は彼方に追いやられ、その瞬間が永遠にまで引き延ばされる。
これまでの彼女との軌跡が、次々と脳裏に甦ってきた。
予想の斜め上をいっていた出会い。
不敵な笑みと共に告げられた企て。
次々と課される波乱に満ちていたミッション。
彼女の柔らかく温かい、甘い匂いを伴った膝上の感触。
瞬く間に過ぎ去っていった茜色の夕日の下で、彼女の頬を流れた一筋の雫。
深い失意に沈む彼女を立ち直らせた、この地での逢瀬で、辺り一面真っ白な世界に包まれながら、そこに溶け込む真っ白な彼女と交わした口づけ。
それらを思い浮かべている内に、いつしか唇を重ねられていた。
やがて、ゆっくりと優しいキスを終えると、
「これで、私と君は心を繋げたね。素敵な物語の主人公君。誰よりも愛しい君に、私の魂を捧げるよ」
いつもの悪戯っぽい笑みを向けながら、少々重い言葉を告げる。
けれど、不思議とその言葉は、抵抗なく素直に受け入れられた。
そして、衒いなく心からの言葉を返す。
「ああ、俺の心の居場所は、君の傍以外あり得ない」
その想いを聞いた怜愛は、嬉しげに処女雪のような笑みを浮かべると、両手を広げながら、雪の妖精が舞うように、ふわりと軽やかで幻想的にくるくるとその場で回ってみせた。
「あはははっ!」
Radioheadの『Lift』──そのフレーズが頭を過ぎる。
This is the place.
ここが君の居場所さ。
It won't hurt ever again.
もう傷付く事はないよ。
同じRadioheadの『Creep』を聴いた、いつかの孤独を抱えていたあの時とは違い、今の俺には、心が帰る居場所がある。
──中々寄り添ってはくれないでいた現実も、ようやく俺に靡いてくれるようになってきたかな。
彼は気まぐれだから油断は出来ないが、怜愛と二人でなら、なんとかやっていけるだろう。
”蒼”を優しく包み込んでくれる”雪”が楽しげに舞うのを微笑みを浮かべて眺めつつ、その先にある未来を見据えて、そこに広がる幸福に思いを馳せた。
了




