その四
まさみ「昔、テレビに出ていた芸能人の方が、”なりたくてなる仕事じゃなくて、選ばれてなる仕事だから”と言っていたのを聞いたことがあります。それを聞いた時、子供ながらに悲しくなりまして・・・。私には、全く縁のない世界・・・、到底手の届かないような世界があるんだなぁ、って。よく言うじゃないですか、”特別”じゃなくて”唯一”って。でも、私みたいに、何にでも替えがきくような”唯一”に、価値ってあるんでしょうか」
ゆい「・・・」
彼女は何かを言おうとしてやめた。
まさみ「一度、師匠に聞いてみたことがあるんですよ。生きることに意味ってあるんですか、って・・・。さすがに、”私が”とは言いませんでしたけど・・・。心配かけたりはしたくありませんでしたから。あくまで、”思春期特有の”を装って聞いてみました。すると、師匠は、”そんなものはない”って、バッサリ言い切りました。自分には結構な衝撃で、よく覚えています。いつもなら、”どうしてそんなことを聞くんだ”とか、聞き返されていましたので・・・。師匠が、”そんなものはない”って言い切った理由、わかりますか?」
ゆい「・・・どうして?」
まさみ「師匠は、”人は皆、自分以外の誰かの意思によって、気づいたらそこに存在する。だから、そこに各人にとって、絶対的な意味や理由は存在しない”って、言っていました」
ゆい「・・・難しいね」
まさみ「はい、まったくです」
私も、彼女がしたように空を仰ぐ。
一面を分厚い雲が覆っている。
まさみ「師匠の言ったことを自分なりに考えた結果、思ったことがあるんですよ。もしかしたら、”すべては、流れの中にあるんじゃないか”、って」
ゆい「それも、難しいよ」
まさみ「はい、私も、なんとなく思っただけです」
ゆい「・・・”すべて”って?」
まさみ「”すべて”、はそのまま、全部です。世界とか、宇宙とか・・・、人生とか。全部です」
ゆい「じゃあ、”流れ”っていうのは?」
まさみ「時間とか、時代とか・・・、あるいは、倫理の授業で習った”世界精神”とかいうやつかもしれませんね。とにかく、到底変えることのできないような、想像すらできないような大きな流れがあって、私たちは、その中の水の分子、あるいはそれを構成する原子の一つにすぎないような、そんな気がするんです」
ゆい「・・・じゃあさ、私たちは、ただ流されることしかできないのかな。抗うことは、できないのかな・・・」
まさみ「どうでしょう・・・。もしかしたら、淀みを見つけて、留まることぐらいはできるかもしれませんね。でも、私は、流れていきたいと思っています。流されるのではなく、いろいろな景色を見て、それを楽しみながら・・・。だって、そうしないと腐っちゃうじゃないですか。もしかしたら、この旅も、そういうものの一つなのかもしれません」
ゆい「・・・」
彼女は俯いて、私の言ったことを考えている。
自分の心の内を、こんなに赤裸々に話したのは初めてで、少し恥ずかしい。
まさみ「ゆいさん。私、ここに連れ戻しに来たわけじゃないんですよ
ゆい「・・・じゃあ、どうして?」
彼女が問いかける。
まさみ「私ですね・・・、この旅の終わりに何もなくても、ゴールすらできなくても、別にいいんですよ」
ゆい「え、でも、バイクは・・・?」
まさみ「はい、目的はそれだったんですけど、実は、ただ遠出するための口実です。目的とか、ゴールとか・・・、そういうものは、あってないようなもんなんですよ。だって、バイクってそういうものじゃないですか。常に乗るための口実を探していて、走っていること自体に意味があって・・・、って。移動のための乗り物のくせに、不思議ですよね」
バイクを置いてきた駐車場の方を振り返る。
ここからでは見えないが、先ほどよりも、少しだけ、霧は晴れている。
まさみ「私がここに戻ってきたのは、確かめるためです」
ゆい「・・・何を?」
まさみ「一人で始めた旅のはずなのに、どうして一人で終わらせることを迷っているのか。その答えをです」
ゆい「・・・」
彼女の方を見る。
まさみ「特別じゃないこと、選ばれた存在じゃないこと・・・、今はもう悲しくないんですよ」
ゆい「・・・どうして?」
まさみ「それは多分、選ばれることより、選ぶことの方が、ずっと意味があるからですよ。少なくとも、私にとっては。私は、ここにあなたを選びに来たんだと思います。・・・ゆいさん、私たち、結婚しませんか?」
ゆい「・・・は!?」
彼女は驚いた表情でこちらを見る。
まさみ「これからどうすればいいとか、何をすれば人生うまくいくのか、とか、そういったことでは力になれないと思うんですけど、少なくとも”居場所”にはなれると思うんです。ずっと隣にいてください。サイドカーを降りたあとも」
唖然とする彼女に、思っていることを素直に言う。
意外と恥ずかしくなかったのが不思議だ。
ゆい「え、で、でも・・・、なんで・・・?」
まさみ「言葉にするのは難しいですけど、一緒にいて、楽しくて・・・、あと、嬉しくて・・・。ずっと一緒にいたくて・・・。”あなたが”あなた”だから、じゃ答えになりませんか?”ゆいさん”が”ゆいさん”だから、好きです。結婚してほしいです」
固まっている彼女に声をかける。
まさみ「いつかの”約束”の時、ゆいさんが勝ったら、”バイクを降りて、結婚する”って言ってたじゃないですか?」
ゆい「あ、あれは、私が勝ったら、って話だったじゃん・・・」
まさみ「はい、だから、今回は、ゆいさんの方が先に着いていましたので。標高が半分ぐらいなので、”バイクを降りる”というのは無しにして、結婚だけするのはいかがでしょうか」
今になって恥ずかしくなってきて、なんだか自分でもよくわからないことを言ってしまった。
ゆい「・・・こ、後悔しない?」
まさみ「はい。後悔させません、と胸を張って言えるほどできた人間ではありませんが、二人でする後悔なら、それはそれで楽しいんじゃないかと思うんですよ」
当ても、計画もなく家を出て、雨風に打たれて、後悔して・・・。でもそれがちょっと楽しくて。そんなささやかな幸せの中に、彼女もいてほしい。そう心の底から思う。
まさみ「実は、ちゃんと色々持ってきたんですよ」
持ってきた荷物の中をガサゴソ漁り、小物入れとシーケンサーを取り出す。
まさみ「これ、結婚指輪・・・、ではありませんが、その代わりになればと思って」
小物入れからピカピカに磨いたメノウを取り出し、彼女に差し出す。
残念ながら日は出ていないが、雲を通して降り注いだ光が、頑張って磨いたメノウをキラキラと輝かせ、透き通った縞模様は十二分に美しい。我ながら力作だ。
彼女は、おそるおそるそれを受け取り、自分の手のひらに載せる。
まさみ「それだけじゃないですよ」
シーケンサーの電源を入れ、彼女に見せる。
まさみ「こっちも、ついに完成しました。・・・あまり、自信はないですが」
彼女は、少しだけ固まってから、シーケンサーの画面を見る。
まさみ「カノン進行っていうので作ったんです。あのノートに書いてた・・・。ほら、カノンって結婚式とかによく使われるやつですよね?だから、合っているかと思って・・・」
シーケンサーを彼女の空いている方の手に載せる。
彼女がイヤホンを耳につけて、再生ボタンを押す。
俯いているせいで、髪が垂れて、表情が見えない。
・・・胸がドキドキする。作った曲を誰かに聴いてもらうのって、こんなに緊張するものなのか。今は電子音だけだけど、歌詞とかもつけてたら、もっと緊張するのかな。
少しして、彼女の肩が震えているのに気づく。
そっと彼女との距離を詰め、その肩を抱きしめる。
あまり見られたくないだろうから・・・。
ゆい「・・・私でいいの?」
涙声で彼女が問いかける。
まさみ「ええ。私を選んでくれたら、嬉しいです」
ゆい「・・・うん」
頷く彼女をもっとつよく抱きしめる。
心臓がドキドキしているのがバレそうでちょっと恥ずかしい。
それでも、もう離したくなくて、しばらくそうしてしまった。
・・・・・・
・・・
・・・
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ゆい「・・・」
まさみ「・・・」
ゆい「ねぇ、これってさ、あれだよね・・・。”友達と登って、恋人と下りてきた”ってやつ」
まさみ「いいムードが台無しですよ」
ゆい「・・・ごめん」
まさみ「・・・いいですよ」
二人して、ふふっ、っと吹き出す。
ある程度下りてきた頃にはもう、霧はすっかり晴れていて、辺りがよく見えるようになっていた。
それでも、空は曇り模様のままだったが・・・。
ゆい「実はさ、逃げた理由、そんなに大したことじゃなくて・・・。まだ帰りたくなかっただけなんだよね」
まさみ「?」
ゆい「ほら、もうちょっと、まーちゃんと一緒にいたくて。だからさ、来てくれた時、嬉しかった」
あまりのいじらしさと可愛らしさに、つい押し倒しそうになってしまったけど、やめておいた。危ないし。
まさみ「それなら、よかったですよ」
ゆい「うん。ありがとう」
まさみ「どういたしまして」
駐車場には、来た時と変わらず、サイドカー付きのバイクが一台停まっていた。
本当なら、今日、最後の目的地まで辿り着く予定だったが、あのバイクを見ていると、少し寄り道したい気分になってくる。
一日、二日、帰るのが遅くなっても、師匠は許してくれるだろう。
私にバイクを教えてくれたのは師匠なのだから。