その二
ことの始まりは少し前に遡る。
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ブロロロロ……
すでに朝日が顔を出し始めたころ、朝の配達を終えた私は、なるべく音を立てないように注意しながら帰宅する。
師匠「おかえり、朝の配達ご苦労様」
まさみ「すみません。起こしてしまいましたか」
師匠「いやいや、弟子が仕事を頑張って帰ってきたというのに、わたしだけすやすや眠っているわけにはいかないのでな」
師匠がベッドから体を起こしながら答える。
師匠というのは、幼い頃のひとりぼっちだった私を拾い、今日まで育て上げてくれた親のような存在、人生の師匠であり、私に二輪を教えてくれた師匠でもある。
まさみ「朝の支度をいたしますから、師匠はもう少しお休みになっていてください」
師匠「いや、私ももう起きるとしよう」
まさみ「そうですか、では肩をお貸しいたします」
かの”豊◯市大決戦”の後、体を自由に動かせなくなってしまった師匠を洗面所へと連れてゆく。
まさみ「一人で大丈夫ですか?」
師匠「ああ、心配ない」
まさみ「では、朝の支度をしていますので、何かあればお呼びください」
そう言い残し、台所へと向かう。
トースターに食パンをセットし、電気ケトルでお湯を沸かしている最中、あの時のことを思い出していた。
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〜数ヶ月前、豊◯市〜
職員「こちらが、我が社が新たに開発した最新鋭のコンパクトモビリティです。こちらは、法律上も・・・」
師匠「御託はいい、さっさと鍵をよこせ」
職員「百聞は一見にしかずです。一度お乗りになれば、その素晴らしさがわかるでしょう。ちなみに生体認証システムですので、鍵はありません」
師匠「・・・」
師匠「(ふん、便利、最新、快適、だからなんだというのだ。それがそのまま良いというわけではあるまい。夏は暑く、冬は寒い。それでいて不安定。すぐに疲れが溜まり、おまけに積載量も少ない、手段が目的と化したような乗り物。だからこそ肌に受ける風が、エンジンのかかる音が、全身に伝わる鼓動が、まっすぐ感じられるのだ)」
師匠「・・・」
師匠「(な、なんだこれは・・・!一定に保たれた車内温度、びくともしない安全性、いくら乗り続けても疲労しない乗車姿勢、多積載。それでいて、車内を循環する風が爽快感を生み出し、高透過で一切の邪魔を感じさせないフロントガラスは、フルフェイスやジェットヘルメットよりも開放感を感じさせる!まさに、バイク乗りを狙い撃ちしたかのような乗り物ではないか・・・!)」
最新鋭のコンパクトモビリティだというその乗り物を降りた師匠は、歩くのもやっとといった様子でこちらへ向かう。
まさみ「し、師匠・・・!」
すかさず師匠の元へ駆け寄り、体を支える。
職員「おやおや、我が社が試乗会の招待状を差し上げました際には、あれほど"くだらない"と豪語していらっしゃいましたが。その様子ですと、ふふふ・・・。お越しになったバイクでのお帰りは難しいようですね。帰りのお車を手配しましょう、もちろん自動運転のものを」
師匠「くっ・・・!」
職員は私の方を一瞥した後、再度口を開く。
職員「どうです?二人乗りの方もございますので、お家に一台。ディーラーの方でまたのお越しをお待ちしておりますよ。ふふふ・・・」
まるでこのことを予期していたかのように、中型の自動運転車が音もなく私たちの前に止まり、自動で扉が開く。
風前の灯であった二輪界隈の巨塔がT◯YOTAの最新鋭小型モビリティの前に片膝をついたという噂は瞬く間に広がり、界隈に衝撃を与えた。
あの決戦以降、師匠は未だバイクに跨ることができないままでいる。
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まさみ「ぐぬぬ、我が師が、あんな辱めを・・・」
師匠「おい、何もされてないからな?」
師匠がリビングに顔を出す。
まさみ「あ、師匠。まもなくトーストが焼き上がりますので、テーブルの方でお待ちください」
師匠「うむ、ありがとう」
まさみ「肩をお貸しいたしましょうか?」
師匠「いや、問題ない。最近、体の調子がだんだんと戻りつつあるのだ」
まさみ「そうですか、それはなによりです。飲み物はコーヒーにいたしますか?」
師匠「いや、紅茶にしておこう」
まさみ「かしこまりました」
トースターから焼き目のついた食パンを取り出し、ビーナッツバターとジャムを用意しテーブルに向かう。
今日は二人ともピーナッツバターを塗ることにした。
師匠「いいか、まさみ。バイク乗りというのはだな、バイクに乗るからバイク乗りなのではない。バイク乗りとは、心だ。バイクに乗る乗らないに関わらず、二輪を真に愛する心を持つ。それすなわち、バイク乗りであるのだ」
まさみ「バイクに乗らないバイク乗りって、どうなんですか?」
ピーナッツバタートーストを頬張りながら適当に返事をする。
師匠「・・・。ええい、口答えをするな。まったく、これだから今時の若いものは。いいか、よく聞け。今でこそ二輪にとっての障壁は排気税の追加ぐらいだがな、私の若い頃は・・・」
まさみ「ああ、もう、その話は何度も聞きましたから。それに若い頃って言いますけど、まだそんなに歳いってないじゃないですか」
プルルルルル
懲りもせず、毎度お馴染みのやり取りをしていると師匠の携帯が鳴った。
師匠「すまない、電話だ」
そういうと、師匠は自身のらくらくスマートフォンをタップし耳に当てる。
師匠「はい、私ですが。ええ、ええ、そうですか、やはり。はい、では後ほど、一度失礼いたします」
師匠はスマートフォンを机に置き、こちらに向き直る。
師匠「今年のキャノンボールは中止だそうだ」
思わず啜っていた紅茶を吹き出す。
ある程度予想はしていたものの、やはり驚きを隠さずにはいられなかった。
“マザーロード・キャノンボール”
バイクの衰退が加速度的に進む中、新たに再編されたバイク協会が打ち出したこの一大イベントは“無事故・無違反・マナー厳守・モラル徹底”で、国を縦断するマザーロードを完走するという非常にシンプルなものであった。小規模ながら中継や各地での応援も行われた。
キャノンボールとは言うもののレースではなく、その目的は長距離ツーリングおよび長旅を楽しむことにあった。
マザーロードの各所には二輪の名所、名物店、ライダーズハウス、聖地などなどが二輪を愛する同志の協力により点在し、イベントの盛り上げに貢献した。
資金、時間等、様々な要因からイベントに参加できる者はそう多くなかったが、今、この瞬間、マザーロードのどこかを駆け抜けるライダーが存在するという実感は、絶滅の危機に瀕するライダーにとって大きな心の拠り所となっていた。
まさみ「やはり・・・?」
師匠「ああ、開催資金が目標に達しなかったそうだ。ただでさえお金のかかる乗り物だ。去年開催できたのも奇跡と言っていい。みんな頑張ってくれたさ」
師匠が顔に飛び散った紅茶を拭きながらそう答える。
まさみ「そうですね・・・」
当然、このご時世、スポンサーのつくようなイベントではない上に、去年もクラウドファンディングをぎりぎりで達成し、やっとの思いで開催されたようなイベントである。
やりきれない思いではあったが、仕方のないことだった。
しかしながら、やはりニ輪の未来を考えると途端に目の前が真っ暗になるようだった。
プルルルルル
師匠「すまない、また電話だ」
師匠「はい、私です。はい・・・はい。確かに、そうですね。では、うちのものを行かせましょう。では、また」
師匠は電話を切ると、真剣な面持ちでこちらに向き直る。
師匠「まさみ、大切な話だ。心して聞いてくれ」
まさみ「は、はい」ゴクリ
師匠「最後のキャノンボールを、お前に託したい」
まさみ「どういうことでしょうか?」
師匠「いいか、よく聞け。マザーロードとそこから枝分かれした道の各地に、かつて分割して保管する取り決めがなされた伝説の二輪の部品が保管されている。お前には、その各地を周りすべての部品を回収してもらいたい」
師匠に告げられたことを受け止めるのに時間がかかっていると、それを待たずして話が続けられる。
師匠「このままキャノンボールが終わってしまえば、いよいよ、二輪の未来は閉ざされてしまうだろう。だが、あの伝説の二輪が再び完成したならば、可能性はある。今でもまだ二輪に乗り続けている者とともに緩やかに終わっていく・・・。それも一つの答えだろう。それが時代の流れというものだ。それでも、私は後世に残したいのだ、この感動、自由を」
全く話はわかっていなかったが、私もバイク乗りである。こういう雰囲気には弱い。バイク乗りは雰囲気の生き物なのだ。
まさみ「私に務まるでしょうか・・・?」
師「ああ、お前なら大丈夫だ。私が保証する」
まさみ「師匠は大丈夫ですか?」
師「ああ、心配するな。ここでお前の帰りを待っている」
まさみ「かしこまりました」
師「よし。明日、夜明けと共に出発だ。少なくて申し訳ないが、精一杯の餞をわたしておこう」
まさみ「いえ、それには及びません。私にもいくらか貯金はありますから。それに帰ってきた時、家がなくなっているようでは困りますから」
師「ふっ、言うようになったではないか。では、頼んだぞ」
まさみ「お任せください!」
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