その三
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ゆい「海に、釣りに、BBQ!そんで、この後は天体観測!今日さ、夏を満喫しすぎじゃない?」
彼女は焚き火台と網で作った簡易BBQセットを前に、テンションを上げている。
まさみ「夏の暑さは苦手ですが、こういった楽しみがあるのはいいところですよね」
ゆい「うん!」
彼女は嬉しそうに頷く。
ゆい「あー、これで表の道の有名なキャンプ場だったらなぁ」
まさみ「仕方ないじゃないですか、あれは高すぎますよ」
ゆい「えー?パーっと使っちゃおうよ、パーっと。旅もそろそろ終わりじゃん」
釣りをした後、早々に5つ目の”部品”を道すがら回収した私たちは、カルスト地形で有名な内陸の台地で一泊することにした。残す”部品”はあと一つ。マザーロード南端のバイク協会支部にて、副会長が管理している。
今は、表道と並行して伸びる裏道のキャンプ場にいる。表のコテージ付きのキャンプ場は流石に予算オーバーだ。
まさみ「ダメですよ、旅が終わった後も生活は続きますから」
ゆい「えー、この旅で二人、燃え尽きちゃおうよ〜」
肩に彼女がもたれかかってきて重い。
カチッ、カチッ…
集めた枯草を火口に、十徳ナイフについたファイヤースターターで火花を落とす。
ふぅー、ふぅー…
それを適度な強さで吹いて火を起こそうとしているのだが、これがなかなかうまくいかない。
ディスカ◯リーチャンネルでやり方を何度も見て勉強したはずなのだが・・・。
ゆい「マッチ使えば?」
まさみ「あるんですか?」
ゆい「私のはもう無くなったよ」
まさみ「私もです。買うのを忘れていました」
予備のやつがサイドのポケットにあるはずだったが、そっちは水で濡れてしまったので処分したのを忘れていた。
ゆい「管理人小屋に売ってるかな?買ってこようか?」
まさみ「管理人さんは、さっき薪を買った時に帰ってしまいました」
ゆい「そっかぁ、借りようにも人もいないもんね」
周りを見渡す。私たちのもの以外のテントは見当たらない。
駐車場にも、私たちのバイク以外に車はなかった。
ゆい「ま、普通、みんなあっちに泊まるよね。有名だし、コテージあるし、望遠鏡もあるし」
まさみ「む、そこまで言うなら、あっちに行けばいいじゃないですか」
ゆい「いやいや、歩いて行ける距離じゃないよ?それに、一緒がいいじゃん?」
まさみ「・・・”通”はですね、こういう穴場のキャンプ場を選ぶんですよ。なんてったって”通”ですから。それに、こっちの方が周りに明かりがなくて星は綺麗だし、望遠鏡もあるじゃないですか」
親指で、キャンプ場の端に設置された木組の高台と望遠鏡を指差す。
ゆい「・・・いや、あれ小銭入れたら数分だけ見れるやつじゃん。それに、望遠鏡じゃなくて双眼鏡だし」
カチッ、カチッ…
今度こそ、ふぅー、ふぅー…
・・・点かない。
ゆい「ちょっと貸して」
彼女に十徳ナイフを手渡す。
ゆい「うわ、なにこれ。薄暗くてよく見えてなかったけど」
まさみ「どうです?いろんな用途に使えて、便利なんですよ!」
ゆい「まーちゃん、そういうとこあるよね」
そういうところ・・・?便利なものをよく知っているところだろうか?
褒められて悪い気はしない。
まさみ「まぁ、褒められるほどのことではありませんよ」
ゆい「・・・」
カチッ、カチッ…
ふぅー…
彼女が火花を落とした火口を持ち上げ、優しく息を吹き込む。
ぼっ、と炎が燃え上がる。何かに祈りを捧げるような、そんな表情と姿勢に目を奪われてしまう。
ゆい「・・・点いた!これを薪のところに持って行って」
焚き火台に火のついた火口を置き、その上に放射状に薪を重ねる。
しばらくして薪に火が燃え移る。
ゆい「これでよし!」
まさみ「・・・経験者ですか?ボーイスカウトとか」
ゆい「いや?あ、でも、ディス◯バリーチャンネルのエドサバイバルよく見てたから」
まさみ「・・・腰蓑が素敵ですよね」
ゆい「あ、まーちゃん。そんなとこばっか見て〜、えっちぃんだ!」
まさみ「・・・」
返事はせず、焚き火台の上に、組み立てた網を被せる。
まさみ「では、不肖わたくしめが、BBQ奉行を務めさせていただきます」
ゆい「お願いします。”奉行”っていう硬い響き、バーベキューっていう横文字とあんまり合わないね」
彼女は楽しそうに答える。
失ったお株をここで取り返そう。
網にスーパーでもらった牛脂を塗る。
まさみ「では、まずカルビから」
ゆい「お、いきなり?」
まさみ「ええ、こういう脂の多いお肉を最初に焼くと、炭火の威力が高まりますから」
ゆい「おー、経験が出たね」
まさみ「ええ、まかせてください」
・・・・・・
・・・
・・・
ゆい「ごちそうさまでした。いっぱい食べたね」
まさみ「ええ、私も満足です」
キャンプ場では私たちに食材を保存する方法はない。
買った食材を全て食べたので、お腹は一杯だ。
後片付けを済ませ、組み立て式の椅子に座り、焚き火台の火を眺める。
手にはインスタントで淹れたコーヒーのマグカップ。なかなかに優雅な時間に、頭もぼーっとしてくる。
ゆい「あとでさあ、あの高台に行ってみない?」
まさみ「ええ、いいですね・・・。今日は雲もないですし、夏の大三角が綺麗に見えますよ。そういえば、ペルセウス座流星群が極大になるのもそろそろじゃないでしょうか?今日は満月なので、見える数は少なくなるかもしれませんが・・・」
見上げた夜の空には、丸い月が妖しく輝いている。
ゆい「へぇ、そうなんだ。星、詳しいの?」
まさみ「少し好きなだけで、専門的な知識はありません。星座などが好きで・・・、私の好きな射手座は、冬の星座ではありますが、夏でも南の空の低い位置に・・・」
もう一度、夜空を見ようと頭を動かした途端、空がどっちの方かわからなくなり、気づいた時には地面に横たわっていた。
立とうにも、体に力が入らない。薄く開かれた視界には芝生の影が入り込んでいる。
ゆい「・・・ん、・・・ちゃん!」
彼女が何かを叫んでいるが、聞こえにくい。聞こえにくいというよりは、理解ができない。
体を揺さぶられている気がするが、あまり感覚がない。頭がぼーっとしている。眠りに落ちる寸前のような感じで、いろんな感覚が弱まってきているのだと思う。
・・・あまり考えが回らない
少しだけ眠ろう。
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まさみ「食後のコーヒーはいかがですか?」
コーヒーかぁ、寝るにはまだ時間があるけど、大丈夫かな?
まあ、眠れないのはいつものことだし、いいか。
ゆい「うん、ありがとう」
“まさみ”は、マグカップにインスタントのスティックコーヒーの粉を入れ、コッヘルのお湯を注ぐ。
てっきり焚き火でお湯を沸かすものだと思っていたが、彼女は使い込まれた様子のアウトドアバーナーでお湯を沸かした。私の荷物の中にも同じものがある。が、まだまだ新しい。あまり使っていないのだ。
焚き火でお湯を沸かすと、底が焦げ付いて、片付けが大変なのだという。
この辺は経験の差が出るなぁ、と思う。
キャンプはあまりしたことがない。動画を見たり、旅に出る前に道具を買って色々と試し、一通り使えるようになってはいたが、所詮付け焼き刃の知識なのだ。テントも、北の端に着くまでには買おうと思っていたが、早々に彼女に出会って、必要がなくなってしまった。
おんぶに抱っこだな、とちょっと自分を情けなく思う。
ゆい「あとでさあ、あの高台に行ってみない?」
木で組まれた質素な高台は、以外と雰囲気があって良い。元々、こっちのキャンプ場がいいな、とは思っていたが、展望台もあるなんてラッキーだ。遠くの方まで見渡せるだろう。
まさみ「ええ、いいですね・・・」
焚き火台の熾火が、時々パキッという音を出す。1/fゆらぎとかいうやつだろうか、熾火にも当てはまるんだっけ?落ち着いた時間が流れる。
まさみ「・・・今日は雲もないですし、夏の大三角が綺麗に見えますよ。そういえば、ペルセウス座流星群が極大になるのもそろそろじゃないでしょうか?今日は満月なので、見える数は少なくなるかもしれませんが・・・」
先の返事から少し間を空けて、思い出したように彼女は呟いた。
聞き取れるか怪しいぐらいの声・・・、眠いのだろうか?
ゆい「へぇ、そうなんだ。星、詳しいの?」
まさみ「少し好きなだけで、専門的な知識はありません。星座などが好きで・・・、私の好きな射手座は、冬の星座ではありますが、夏でも南の空の低い位置に・・・」
そう言って、彼女が首を動かしたのと同時に、彼女の体がゆっくりと倒れていった。
あまりに唐突で、一瞬、眠ってしまったのか?などと考えてしまった。
すぐに彼女の元に駆け寄り、体を揺する。
ゆい「・・・まーちゃん?・・・まーちゃん!」
ゆっくりと彼女の瞼が閉じていく。え、なにこれ?怪我?病気?寝てるだけ?
想定していなかった事態に、頭が混乱する。
近くで見て、彼女の頬が紅潮していることに気づく。
そっと、彼女のおでこに手を当ててみる。
ゆい「熱い・・・」
自分のおでこと比較しても、明らかに熱い。
あれ、こういう時ってどうすればいいんだっけ。
真っ白になりそうな頭を、必死に落ち着かせる。
とりあえず、呼吸と脈を確認する。
どちらも少し早いが、正常の範囲内だと思う。
衣服を緩め、楽な姿勢になるように彼女を動かす。
もしかして・・・。
昔のことを思い出す。中学生の頃、一日中外で部活動を行い、帰ってきた日の夜。
いきなり、なんの予兆もなく眩暈がして、倒れたことがあった。
軽い熱中症だった。
多分、あれと同じ。
テント内からミネラルウォーターのペットボトルを持ってきて、抱き抱えた彼女の口につける。
とりあえずは水分補給が必要だ。仮に熱中症じゃなかったとしても、脱水症状などの可能性なども考えられる。
どちらも夏に起きやすい。
彼女の顔が動いたのを確認し、水を飲ませる。無理に飲ませて、気道に入ってしまうことがないように慎重に。
中学の保健体育の授業を真面目に受けていてよかった。あの授業が高校の時だったら危なかった。
残った水は彼女の体にかける。血管が収束している部位を中心に。
氷があればなお良かったのだが、残念ながらここにはない。辺りに自販機は見当たらず、スーパーで買っておいた飲み物類も、すでにぬるくなっている。
できるだけの応急処置はやった、と思う。とにかく、救急車を呼ぼう。
彼女のスマホはどこだ。
彼女の服の中にはなかった。
テントの中か?
テントに飛び込み、彼女の荷物をあさる。
ゆい「あった!」
急いでボタンを押すが、反応しない。
ゆい「え、え?」
焦って何度もボタンを押す。数回押したのち、画面に充電切れの赤いマークが浮かび上がる。
真っ白になる頭を振って、無理やり回す。
充電!再度、彼女の荷物をあさってモバイルバッテリーを探す。
使っているところは見たことがないが、さすがに持っているだろう。
ゆい「・・・」
充電ケーブルらしきものが目に入り、一気に引っ張ったものの、その先には何もついていなかった。
荷物をひっくり返しても、モバイルバッテリーはない。
まずい・・・、打つ手がない。夜間外来をやっている病院があるが、担いで行くには距離がありすぎる。
“マザーロードガイドブック”に載っているマップを見る限り、他に向かえそうな病院は見当たらない。
誰かに送ってもらおうにも、表の道に比べて、この裏道は車通りもなく、駐車場には先ほどと変わらず、私たちのバイク以外に車はない。
ゆい「・・・そっか、鍵!」
彼女の元に駆け戻り、もう一度、呼吸と脈に問題がないことを確認する。
彼女の衣服のポケットからバイクの鍵を取り出す。
ゆい「・・・よし」
水、充電の切れたスマホと充電器、財布、ライトなど、とりあえず必要そうなものをひっくり返した荷物に埋もれていたエコバッグに詰め込む。
焚き火台に水をかけて消化し、彼女を抱き抱えて、駐車場に向かう。
重い。彼女は成人にしては小柄で、体重も軽い。私も、女性にしては力はある方だ。
なのに、重い。力の抜けた人の体って、こんなに重いのか。
やっとの思いで駐車場に辿りつき、エコバッグをサイドカーの足元に放り込む。
次は彼女だ。お姫様抱っこの形でなんとか彼女をサイドカーに乗せる。
ムードのかけらもない。
月明かりだけがその場を飾っている。
彼女をサイドカーに深く座らせて、シートベルトで固定する。
だらり、と力無く座っているが、落ちることはないだろう。足元のエコバッグから水を引っ張り出し、彼女に少し飲ませた後、自分も飲む。自分まで倒れてしまっては元も子もない。
彼女の足元から、今度はヘルメットを取り出し、被る。
彼女のヘルメットはどうしよう、積載の中だろうか?
いや、そもそも、頭部に熱がこもるのはまずいんじゃ・・・。
悩んだ末、彼女にヘルメットは被せないことにした。
脳細胞は42度を超えると死滅する、と聞いたことがある。
ただでさえ熱があるのに、ヘルメットまで被せてしまうと・・・、考えただけでもぞっとする。
助かっても後遺症などが残ってしまうかもしれない。
震える指でバイクに鍵を刺し、跨る。
バイクのハンドルを握るのは、今回が初めてではない。
“ギターや作曲を教わる代わりに、バイクならいつでも教えてあげる”という、いつかの言葉通り、ライダーズハウスの庭などで、許可をもらった時に少しだけ練習をさせてもらった。操作方法は、なんとなくは覚えている。
・・・怖い。たまらなく怖い。
この席に跨った途端に、視界が狭く感じる。ヘルメットのせいだ。
ジェットヘルメットとはいえ、普段の視界よりかなり狭く感じる。
サイドカーにいる時は気にならなかったのに。
モタモタしている時間はない。が、この視界の狭さはどうにも耐え難い。
ヘルメットを脱ぎ、サイドカーの足元に押しこむ。
ゆい「窮屈でごめんね」
一言ことわってから、運転席に戻る。
・・・それでも怖い。が、先ほどよりはマシだ。
ヘッドライトをつけ、駐車場の出口までバイクを押していく。
目の前には満点の星空が広がっている。
月明かりのおかげで、幾分か見通しもいい。
キックペダルに足をかける。
ガチャン…ガチャン!......ブルンッ
何回か繰り返し、エンジンがかかる。
次のバイクは、ボタンで動くやつにしてもらおう。
ウインカーを出し、左右を確認してから、クラッチを切り、シフトペダルを踏み込んで1速に入れる。
もう一度、左右を確認し、音を聞きながらゆっくりスロットルを回し、クラッチを戻していく。
この辺はもう感覚でやっている。
ゆい「う、動いた!」
ゆっくりとしたスピードでバイクが動き出す。
MT車で免許をとっておいてよかった!
取得してから、マウントを取られない(それすらも今はほとんどない)ということ以外、一度も活躍することのなかったMT免許が、ここで活きてくるとは思わなかった。
教習所の営業さん、ありがとう!
ゆっくりとスロットルを回し、エンジンの回転数を上げていく。
音をよく聞きながら、シフトペダルの下に足を潜り込ませ、スロットルを戻し、クラッチを切り、ニュートラルを経由し、2速にあげる。
ゆい「よ、よし」
続いて、3速、4速、と少しづつギアを上げていく。
あまりスピードは出せない。かといって、ノロノロ走っていて、間に合わなくなってしまっては本末転倒だ。
隣を見る。
彼女は座席に深く腰を預け、眠っている。
腰に悪そうな姿勢をしていること以外に、問題はないと思う。
二人ともヘルメットはつけていない。
警察に見つかると、一発で捕まってしまうような・・・。いや、むしろ見つかって、パトカーで彼女を病院まで送ってもらって方が・・・。
考えても仕方がない、祈ることしかできない。
バイクの神様、無免許で運転してすみません、
“どうか無事に病院まで辿り着けますように。”
心の中で祈りながら、前を向き直す。
道なりに進んでいくと、病院の看板が見えた。
まだしばらくかかる。だけど確実に近づいている。
病院は、山を下ったところにある。
視界に広がる雄大な山肌は、今はむしろ忌々しくさえある。
曲がりくねった道のせいで速度も出しづらい。
看板からしばらく、急カーブに差し掛かる。
クラッチを切り、ブレーキをかけつつ速度を落とす。
カーブに入る前にギアを下げよう・・・。
ゆい「しまっ・・・!」
ガタン!ガタッ、ガタッ!
変則に失敗し、バイクが激しく振動しながら止まる。
サイドカーがなければ絶対倒れていた。それどころか、今頃は、この眼下に見える崖下に投げ出されていたかもしれない。
はぁはぁ、と荒ぶる呼吸をなんとか鎮めると同時に、サイドカーに座る彼女の安否を確認する。
彼女は、うーん、と唸りながら、首の位置を変える。
汗で前髪がおでこに張り付いている。
ゆい「ごめんね・・・」
そっと彼女の頬に触れ、顔にかかった髪をかき分ける。
折れそうになっている心をなんとか繋ぎ止め、バイクを押して、向きを整える。
ギアをニュートラルに戻して、再びキックペダルに足をかける。
ガチャン…ガチャン……
ガチャン…ガチャン……。
何度やってもエンジンはかからない。
視界が滲む。シャツの裾で両の目を擦り。
もう一度、キックペダルを踏み直す。
ガチャン…ガチャン……。
折れそうになっていた心は、もう折れていた。
今、この体を動かしているのは、多分”気持ち”とかそういうものだと思う。
ガチャン…ガチャン!......ブルンッ
ゆい「・・・」
先ほどと同じ要領で、ゆっくりとバイクを動かし始める。
クラッチレバーを握り、2速へとギアを上げる。
急カーブを2速で走り切る。
スピードを上げて、ギアを変えていかなければならないのに・・・。
不安と焦りで、視界が滲んでいく。
涙なんて、もう何年も枯れてしまっていたのに、どうして、今になって・・・。
そう思っていると、突然、後方から光が差し込んできた。
車?だとしたら最悪のタイミングだ、と思ったが、その光はヘッドライトよりずっと淡く、曲線的で、私たちの体とバイクを包むようにして広がっていった。
ハンドルを握る手を光が包み込む。誰かに、そっと手を添えられているような、そんな感覚がある。
自分の手や足が、光に優しく導かれるように自然と動き、3速、4速とギアを上げていく。
ゆい「え?え!?」
それだけで十分、衝撃的すぎる光景だったが、さらに驚くことに、私たちの体はバイクごとふわりと宙に浮き始めた。
ゆい「う、浮いてる!?」
ふわふわと浮かびゆく体には、不思議と安定感があった。隣に座る彼女も、私と同様に、月明かりにも似た淡い光に包まれながら宙に浮いている。
心なしか、寝顔も穏やかに見える。
私たちはそのまま、まんまるに輝く月を横目に、夜空を飛んでいった。
現実離れした、夢のような光景で・・・。
あまりよくおぼえていないが、なぜかすごく安心したことはおぼえている。
バイクの運転という慣れないことから解放されたからか、あるいは、無免許で運転したことを許されたような気がしたからか、それはわからない。
ただ、なぜか、”彼女が助かってよかった”と思った。
それだけで、そのどうにも受け止め難い現実を、そのまま受け止めることができるように感じていた。
あの光がなんなのかはわかっていなかったけど、私たちを助けてくれる存在であることを示すような温かさと、ある種の懐かしさのようなものを感じていた。