その二
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ゆい「どう?なんか来た?」
まさみ「んー、全然ですね」
軽く上下させた竿は、青い空と流れる雲を指している。
ゆい「あ、また来た」
彼女の竿が、青い海と押しては返す波の合間を指すようにしなる。
ゆい「いぇーい、また一匹」
彼女はぴちぴち、と騒ぐ魚を器用に針から外す。
銀色の鱗が陽光を反射し、キラキラと輝いている。
まさみ「すみません。やっぱりそっちの竿、返してもらってもいいですか?」
ゆい「竿じゃ変わんないって〜」
糸を巻いて、彼女と自分の竿を再び取り替える。
彼女のバケツにはすでに魚が何匹か泳いでいる。私のバケツには海藻と革靴と、あと変な何か。
このままじゃ、今日のお昼ご飯は、海藻のスープと皮靴のステーキになってしまう。
ゆい「心配しなくても、私の魚分けてあげるって」
まさみ「馴れ合いは御免です。お互い、漁業権はそれぞれで買ったのですから、手出し無用ですよ」
ゆい「変なプライド。そんなこと言ってると、お昼抜きになっちゃうよ?あ、また来た、ラッキー!もう元とったかもね」
彼女は竿のリールをテンポよく巻いていく。
まさみ「私だって!」
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ゆい「・・・」
まさみ「・・・」
穏やかな波の音。
ゆったりとした時間が流れている。
ゆい「やっぱり、潮風はぺたぺたするねー」
彼女は服をパタパタしながら、そう呟く。
すでに竿はあげている。
“食べる分だけ”、そう言ってレンタルした釣り用具を片付けてしまった。
ゆい「ねぇ、まーちゃん。もう潮の動きが止まっちゃったから、あんまり釣れないと思うよ?」
まさみ「ムムム・・・」
水に垂らした糸はぴくりとも動かない。
バケツの中には海藻と革靴と空き缶と、あと変な何か。
彼女のバケツでは、数匹の魚がお互いを避けながら器用に泳いでいる。
まさみ「なんでそんなに上手いんですか・・・」
ゆい「小さい頃にちょっとね。地元では”太公望”の生まれ変わりとして知られたもんだよ」
まさみ「なんですかそれ・・・。太公望って、釣りじゃなくて賢さで評価されたんじゃないんですか」
ゆい「はっ!もしかしたら、そうかもしれない。釣り好きでしかも、切れモノでもあった私を皆、敬って・・・」
まさみ「はいはい」
彼女の軽口に適当に返事をしながら、竿をゆする。
ゆい「まーちゃんは、釣りとかあんまりしなかった?私は小さい頃、よくおじいちゃんに連れて行ってもらってたんだけど」
彼女は私の後ろに周り、竿に手を添える。
まさみ「さぁ、どうでしょう。師匠と数回、釣り堀に行ったぐらいでしょうか。師匠に拾ってもらう以前の、小さい頃の記憶はありませんので」
ゆい「え、マジ!?って、あ、来た!」
彼女の手が竿をグッと持ち上げ、つられて私の手が持ち上がる。
ゆい「ほら、まーちゃん!巻いて巻いて!」
まさみ「は、はい!」
一心不乱にリールを巻いていく。かなり重い。
ゆい「あんまり強引に行くと、切れちゃうかもだから、慎重に」
竿の角度やしなり具合を調整しながら、慎重にリールを巻いていく。
しばらくすると、銀色の魚影が水面に浮かんでくる。
ゆい「そのまま、そのまま・・・」
すこしずつ近づきつつある魚影に彼女が網をのばす。
ゆい「よい・・・しょっと!」
彼女は重そうに網を持ち上げる。なかなかの大物だ。
打ち上げられた魚は鱗に光を反射しながら、網の上でピチピチと跳ねている。
足元に竿を置き、その動きを片腕で押さえながら、もう片方の腕で口から針を外す。
すごい力が腕の中で暴れていて、うまく外せない。
ゆい「やろうか?」
まさみ「いえ、自分で・・・」
しばらくの格闘の末、なんとか針を外し、海水を組んだバケツに押し込む。
まさみ「は〜、疲れました」
ゆい「お疲れさん」
バケツの中を覗く。
大きい・・・、不思議な達成感が心の中に湧き上がる。
ゆい「よかったね。これで皮靴ステーキとわかめご飯と変なアレに、一品、まともなおかずがつけられるじゃん」
まさみ「靴は食べませんよ」
上機嫌に笑って答える。
ゆい「変なやつ食べるの!?」
まさみ「冗談ですよ」
ゆい「まーちゃんの冗談は、冗談に聞こえないよ」
レンタルした釣具を返した後、釣った魚は2枚におろし、片側を焼いて、反対側はお刺身にして、ワカメっぽい海藻ご飯と共にいただいた。
採れたての新鮮なお魚はとてもおいしかった。
革靴と空き缶と変なアレは指定のゴミ箱に捨てた。
彼女は、1匹を近付いてきた猫にあげた後、残りを調理して、自分の紙皿に載せ、大きめとはいえ一匹しか釣れなかった私のお皿にも、少し分けてくれた。
彼女の料理は、私と似たような感じで調理をしたにも関わらず、何かおしゃれな味がして美味しかった。
調味料に秘密があったのかもしれない。例えば、この、朝の情報番組の箸休めとして設けられた料理コーナーで、爽やかなお兄さんがよく使っていたオリーブオイルとかいうやつ。サラダ油とは何が違うんだろう。
他にも、荷物からよくわからない瓶を取り出して、振りかけていた。もしかすると、”魔法”かもしれない。
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ゆい「ねぇ、そういえば聞きそびれたんだけど、小さい頃の記憶がないって、あれどういうこと?」
食後の休憩中、砂浜に戻り、ぼーっと海を眺めていると、隣に座った彼女が思い出したように質問をしてくる。
まさみ「え?あぁ、あれですか。大したことはないですよ。私は・・・、おそらく10歳か、そこらで師匠に拾ってもらったのですが、それ以前の記憶が全くないのですよ。気づいたら師匠の家のベッドで寝ていて・・・」
ゆい「大したこと大アリじゃん!元の家族とか、戸籍とか・・・考えるだけで問題、山積みだけど!?」
まさみ「その辺は、バイク協会の会長がなんとかしてくれました。私としても、師匠と暮らすのは嫌ではなかったので。そんな感じで、まあ適当に、今までやってきました」
彼女は絶句している。確かに、言葉にすると中々なことではあるが、当の本人としては、それほど騒ぐようなことでもなかったのだ。本当に、気づいたらそこにいて、成り行きでここまで来た。ただそれだけなのだ。
ゆい「えぇ・・・会長さんすごすぎない?いや、あの会長なら・・・。いや、そもそも、まーちゃんも、まーちゃんの師匠も・・・」
彼女はブツブツと何か呟いている。
ゆい「自分が誰なのか知りたい、とかは思わないの・・・?」
彼女は、少しだけ言いづらそうに質問する。
別に何を聞かれても、いわゆる”地雷”などはないのだが。
まさみ「んー、どうでしょう。まぁ、わかるなら教えて欲しい、とは思いますが。一応、時々、行方不明者の情報提供を呼びかけるサイトなどに、自分の情報が載っていないかを調べたりもするのですが、そんな気配は微塵もありませんしね」
師匠は何かを知っているようではあるが、話さないということは、まあ知らなくてもいいことなのだろう。
ゆい「そうなんだ・・・」
彼女は、なにか、ああでもない、こうでもないと、考えてはやめて、また考え直しているようであった。
まさみ「どうかしましたか?」
ゆい「うん、あのね。知り合って、しばらく寝食を共にした友人の破天荒すぎる過去に驚いてる」
まさみ「まあ、この広い海に比べたら、そんなのは些細なことですよ」
そう言って水平線を眺め、今度は砂浜に背中を預ける。
しまった、寝そべってから”この広い空”にした方が、よりキマったかもしれない。
ゆい「ええ・・・。でも、自分にとっては限りなく大きいことじゃん」
まさみ「ふむ、”小宇宙”というやつですか。ゆいさんも、なかなかロマンチストですね。・・・ですが、やはり、自分にとって、過去のことは、それほど大きなことではないように思えてしまうんですよ」
ゆい「どうして?」
彼女は座ったまま、こちらを見下ろすように顔を向ける。
どうして・・・か、・・・どうしてだろう。
今の生活に満足しているから?
自分自身にあまり興味がないから?
色々考えてはみるが、なかなかしっくりした答えが浮かばない。
まさみ「む、難しい質問ですね・・・」
ゆい「思ったままでいいよ、教えて?」
彼女が顔を近づけてくる。
まさみ「え、え?今日はやけにグイグイきますね?」
ゆい「ほら」
彼女の顔がさらに近づいてくる。
まさみ「え、ええ!?・・・ま、前を向いていないと危ないから!でしょうか。ほ、ほら運転中とか・・・」
ゆい「・・・」
彼女は動かない。
まさみ「あ、あと、景色も見れないじゃないですか!後ろばかり見ていると!」
彼女の顔がそっと離れ、定位置に戻る。どうやら、私の答えはお気に召さなかったらしい。
ぱさっと、彼女も地面に倒れ込む。
ゆい「そっか、そうだよね。前見てないと、大変だもんね」
なにかわからないが、彼女はひとりでに納得したらしい。
彼女は海の家で購入した麦わら帽子を深くかぶり直し、顔が見えなくなる。
うーん、と頭をひねる。
どう答えるのが良かったのだろう?
とりあえず、一旦保留にして、また答えが出たら彼女に伝えよう。
それにしても、顔と頭が熱い。慣れないことを考えたのと、夏の暑さのせいでやられてしまったようだ。
冷たいものでも食べたいなぁ・・・。夏に考えることって、それぐらいだ。