第五章:白い月の真ん中の黒い影(その一)
ざざーっ
どこまでも広がる視界は、2色の青で彩られている。
下半分は、油絵具で描かれたように濃く、上半分は、パステルで描かれたように淡い。
うーん、なかなか・・・。
パシャっ
まさみ「うわっ」
趣味の絵、といっても下手の横好きであるが、その構図を考えているところに、文字通り冷や水を浴びせられる。
まさみ「なにするんですか!」
ゆい「いやはや、夏はこうでないと」
“ゆい”は、少し透けた私のTシャツを眺めながら、ご満悦そうな表情を浮かべている。
持っていた箱型の水中眼鏡に、お返しとばかりにたっぷりの海水を汲み、彼女にかけてやる。
ゆい「どわっ!」
ばっしゃーん…
彼女は、スローモーションに浅瀬に倒れていく。
ゆい「うわぁ、ずぶ濡れだ」
まさみ「ご愁傷様です」
ゆい「ひどいよ!」
彼女はプンプンと怒った素振りを見せ、Tシャツの裾を絞っている。
黒なので透けてはいない。
ゆい「それにしても、あんまり人いなくていいね」
まさみ「そうですね」
広がる砂浜を見渡すと、わたしたちのほかに数グループだけ、ポツポツと人影が見える。
ゆい「水着持ってこればよかった〜」
まさみ「「泳げるんですか?」
ゆい「もちろん、これでも地元では”トビウオのゆい”って呼ばれたもんだよ」
まさみ「本当ですか?私は泳げないので羨ましいです」
ゆい「へ〜、まーちゃん泳げないんだ。じゃあ、もし溺れたら、私が助けてあげるね。熱いキッスで、ちゅ〜」
彼女は唇をタコのようにとがらせる。
まさみ「やめてください。てか、そもそも深いとこ行きませんから」
水中眼鏡で浅瀬を覗く。小さい魚やカニがいたり、綺麗な貝殻が落ちていたりして面白い。
ゆい「あ、ちょっと止まって」
まさみ「?」
彼女は私の手首を掴んで、水中眼鏡を固定する。
ゆい「おー、これはなかなか」
そう言って彼女は海水に手を突っ込み、白色の小さなガラスのようなものを拾い上げる。
まさみ「なんですか?それ」
ゆい「石英だよ、水晶の進化前みたいなやつ。持って帰って磨こうと思って」
彼女が拾い上げた石は、白みを帯びながら少し透き通っている。
まさみ「磨く?」
ゆい「うん。結構、綺麗になるんだよ」
まさみ「機械とか持ってるんですか?」
ゆい「いやいや。ああいう機械は目玉が飛び出るほど高いからね。耐水ペーパーでコツコツ手作業だよ」
まさみ「そんなことが・・・」
車体磨きぐらいにしか使っていなかった耐水ペーパーでそんな面白そうなことが・・・、私もやってみたい。
早速、水中眼鏡で海中を覗く。
意識して見てみると、様々な石が転がっていて驚く。
まさみ「どういうのがいいんですか?」
ゆい「ん、石のこと?基本、何でも大丈夫だよ。ダイヤモンドとかは流石に無理だけど、私たちが拾える石ぐらいなら、大体削れるから。耐水ペーパーの研磨剤にもよるけどね」
波に揺れる水中眼鏡を抑えながら、水底を探し、薄く緑がかった青色に透き通る石を拾い上げる。
まさみ「こ、これは・・・!エメラルドですか!?」
ゆい「んー、ガラスだね。残念」
まさみ「そんなぁ・・・」
ゆい「そうそう取れないよ、そんなブルジョワの石は」
誰かが踏むと危ないので、ガラスを砂浜に設置されたゴミ箱に捨てに行く。
ガラスは、どのゴミ箱に捨てれば・・・、燃えないゴミでいいのかな。
ゆい「あれ、捨てちゃうの?」
まさみ「え?」
ゆい「ガラスも磨けるよ」
まさみ「そうなんですか?」
ゆい「むしろ、見栄えだけで言えば、こういう不純物の少ない、元から綺麗な物質の方が綺麗に仕上がるよ」
まさみ「じゃあ、持っておきます」
そう言って、ガラスをポケットにしまう。
砂浜で縞模様の入ったものや、一色に染まったものなど、さまざまな石を拾い、荷物置きでくつろいでいた彼女に見せる。
ゆい「このシマシマのはメノウかな。こっちの一色のは、んー、ちょっと光を通してるから・・・なんだっけ?忘れちゃった。あんまり詳しくないんだよね」
そう言って、彼女は笑う。
まさみ「どれが綺麗になりそうですか?」
ゆい「メノウは、割ってから磨くと結構、宝石っぽくて綺麗なんだよね。このメノウは透過率が高いから、綺麗になると思うよ」
彼女は縞模様の石を持ち上げ、太陽にかざしている。
色鮮やかな光が、彼女の右の頬で揺れる。
まさみ「それが一番ですか?」
ゆい「一番は、ガラスかな」
まさみ「えー」
ガラスかぁ・・・。確かに、既に輝きを放っていて、形を整えれば、綺麗になるであろうことは容易に想像できる。でも人工物だしなぁ・・・。
ゆい「まーちゃんが考えてることはわかりやすいなぁ」
彼女は楽しそうに笑う。
ゆい「だったら、ガラスとか、他の石を練習台にして、上手くなったらメノウを磨けばいいんじゃない?」
まさみ「・・・そうですね、そうします。この石って、全部磨けるやつなんですか?」
ゆい「うん。私の持ってる耐水ペーパーの研磨剤、炭化ケイ素の修正モース硬度が13で、その石たちは大体7ぐらいだから、全然大丈夫だよ。はい、これ」
そう言って、彼女は、英単語帳のようにリングで綴られた耐水ペーパーを差し出す。
裏面に、彼女の言ったモース硬度なるものの解説が、イラスト付きで記されている。
まさみ「使っていいんですか?」
ゆい「いいよ。あ、やり方見せようか」
彼女は、一旦リングから耐水ペーパーを外し、粗い目のやすりの上にペットボトルから、数滴、水を垂らす。
ゆい「こうして、弱めの力で・・・」
コシコシと、彼女の拾った石英がやすりの上を往復し、角がとれていく。
ゆい「こうやって、徐々に細かい目のやすりに変えて、同じように・・・」
さらにコシコシと、石英がやすりの上を往復する。
ゆい「はい、これで一面完成っと」
彼女は磨いた面を軽く水で流し、こちらに向ける。
さっきより透明度が増し、白い波のような模様もはっきりと見えて美しい。
ゆい「しっかり形整える用のやすりは持ってきてないから、なんかいい感じに割りつつ、磨いていってね。あと、水しっかりつけとかないと、磨いてる途中で割れちゃったりするから気をつけてね」
まさみ「はい、わかりました」
彼女から耐水ペーパーをうけとり、早速、ガラスを磨いてみる。
ゴシゴシ、ガリガリと一面を磨いていく。
目の洗いやすりに変えていくのに合わせて、磨いた面の手触りも良くなっていく。
まさみ「できました」
ターコイズブルーに透き通る面を太陽にかざしてみる。
まさみ「あれ、あんまり・・・?」
ゆい「反対側も磨いてみるといいよ」
ガリガリ、ゴシゴシと、今度は反対側の面を磨く。
まさみ「あ、きれい・・・」
側面の磨かれていない不完全なプリズムが、鮮やかに彩られた光を地面に落とす。
ターコイズのような天然石でないのは残念だが、これはこれで綺麗だ。
ゆい「よかったね。他の面も磨くと、光が内部で反射して、さらに綺麗になるかもね。ほら、ダイヤモンドカットみたいな。まあ、あんなに綺麗にできないけどね」
まさみ「はい、後でやってみます」
手頃な布にガラスを包んで、小物入れにしまう。
シーケンサー、アコースティックギター、石磨き。日常の隙間が色々なもので埋まっていってなかなか心地がいい。
まさみ「じゃあ、行きましょうか」
ゆい「おっけー、用意するね」