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その三


・・・・・・

・・・

・・・


時は流れ、9回裏終了後。


工場長「みんな、よく頑張ってくれた。9回終わって、5対5。万全のメンバーじゃない中で、これは頑張った方や」

高橋「すんません。自分タイミーなんで、ここまでっす」

工場長「あ、高橋くんも今日はありがとう。そこのQR読み込んで、勤怠のチェックつけといて」

高橋「了解っす」

工場長「完投、とはいかんかったけど、9回投げ切って、さらに5打点。さすがやね」

高橋「恐縮っす」

まさみ「流石です」

ゆい「やっぱりタイミーすごすぎるって」


高橋さんが帰ってしまったら、こちらは8人。しかもピッチャーができる人材もいない。


工場長「んー、ここまでみたいやな。残念」

まさみ「そんな・・・」


・・・諦めのムードがチームに漂う。

その時、じっとベンチで”その時”を待っていた男が声を出す。


ケン「おい、俺を忘れてもらっちゃ困るぜ」

メンバー「ケンさん!」


ケン「俺がショートをやる。おい、そこの若いの。ピッチャーをやれい!」

ゆい「わ、わたし!?」

“連投のケン”の人差し指はまっすぐ自分に向けられていた。


ケン「お前さん、球は速くはないが、コントロールはいい。送球見てりゃわかる」

工場長「確かに、スジはええと思とった。よし、それで行こう。ええか?」

ゆい「みんながいいなら・・・」

工場長「よっしゃ。配球はコースだけ”でんせつのさっちゃん”が決めて、球種は自分で決めたらええ。サインも決まってないからな」

さっちゃん「コースは任せてね」

キャッチャー装備をつけた優しそうな女性が、ぽんと、ミットを叩く。


ゆい「”でんせつ”っていうのは・・・?」

工場長「ああ、”電気設備”担当のさっちゃんや」

ゆい「そんなことだろうと思った!」


はぁ、とため息をついてから、気持ちを切り替えるように、ぱん、とミットを叩く。

まさみ「ゆいさん、頑張ってください」

ゆい「うん、任せて」


・・・・・・

・・・

・・・


審判「プレイボール!」


夕暮れ、顔に帽子の影を落とす日差しは、昼に比べすこし柔らかく、マウンドに涼をもたらす風が少量の土を巻き上げ、攫ってゆく。


バッターは左打席。

キャッチャー、電設のさっちゃんは外角高めにミットを構えている。


振りかぶって、投げる。

ゆい「・・・ッ」


全力ではない、コントロール重視のストレート。

仕方ないことではあるが、軌道はやまなりだ。80kmも出ていないだろう。


ブンッ!

審判「ストライク!」


ゾーンからボール一つ分ほど外にずれてしまった。

スイングスピードからみて、少しでも甘いコースに入ってしまったら、私の軽い球では、ひとたまりもないことだろう。


女子にしては肩は強い方だと思う。

高校時代には、体力テストのソフトボール投げで、ソフトボール部の女子と同じくらいの記録を出している。

さっきの感じからして、全力で投げて90kmでるか、といったぐらいだろう。


成人男性、それも日頃から草野球に勤しんでいるバッターには通用しそうにない。


今度は、内角低めにミットが構えられている。

先ほどとは真逆の位置。


初級はストレートを投げた。バッターに向かうカーブで、緩急をつけようか。

変化球はスライダー、カーブ、チェンジアップの3種。握り方で投げられる基本的な3つだ。


振りかぶって、投げる!

審判「ストライーッ!」


内角低め、ゾーンいっぱいのストライク。審判によってはボールと判定されてもおかしくない位置。

緊急登板もあって、おまけしてくれたのだろうか。


何はともあれ、2球で追い込んだ。

1球外してもいいが、緩いストレートからの遅いカーブでお膳立てしたのだ。ここは多少甘いコースでも全力のストレートに賭けるべきだ。


ミットは真ん中高めの釣り球指定。

全力でっ!


カッキーン!!


・・・おー、飛んだ飛んだ。

打ち返された白球は、オレンジ色に染まる暖かい空に消えていく。


ぽちゃんっ。


どうやら、向日葵畑の向こうの川に落ちたようだ。


ぼーっと、ボールが飛んでいった方の空を眺める。文句なしのホームランだ。

工場長がマウンドに近寄り、私の肩に手を置く。


工場長「大丈夫や、気にすんな!」

ゆい「キャプテン・・・!」


工場長「あとで拾とく」

ゆい「そっちかい」


気持ちを切り替え、替えのボールを固く握りしめる。

もしかしたら、工場長は緊張をほぐそうとしてくれたのかもしれない。


工場長「意外と高いからな・・・」ブツブツ

やっぱり勘違いかもしれない。


まさみ「切り替えていこー!」

メンバー一同「おー!」



・・・・・・

・・・

・・・



工場長「ターイム!!集合!」

メンバーみんながベンチ前に集まる。


工場長「1アウト、ランナー2,3塁。下位打線やが、満塁策でいこか」

さっちゃん「それがいいと思います」

工場長「内野はゲッツーシフト、外野は前進守備で行こう」

各々、了解の意味を込めた頷きを返す。


工場長「嬢ちゃんはようやっとる。皆で守り抜くで!」

メンバー一同「おー!」


ゆっくり、時間をかけながらマウンドに戻る。


キャッチャーのミットはストライクゾーンを大きく離れた位置に構えられている。

軽く、肩の調子を確かめるような感じで4球、打者の動きに注意しながら投げる。


審判「ボールフォア!」


バッターがサポーターを外し、一塁に向かう。

ネクストバッターサークルから新しいバッターが打席に入ってくる。


これで満塁。

タイブレークのないこの試合で、これ以上の点は渡せない。


ゆい「・・・暑い」

暑いのは西から差す夕日のせいか、この状況のせいか・・・。


ミットの位置は真ん中高め。

ストライクゾーンを少し外れたあたり。

初球から全力で行く。


スパンッ!

…ブンッ!


カッ…


ゆい「・・・ふぅ」


コロコロとマウンドに転がってくる打球を熟練の果物農家の様な落ち着いた手捌きでセカンドに送る。

続いて、セカンドがファーストに送球する。

これでゲッツー。


審判「3アウト!チェンジ!」


坂道でまばらに観戦している、おじさんやおじいさんの侘しい拍手を受けながら、メンバー全員、自チームのベンチに集合する。


工場長「よう1点に抑えてくれた。これで首の皮1枚繋がったな」

まさみ「ケンさん、私、ゆいさん。こちらも下位打線ですが、なんとか1点、あわよくば2点もぎ取って見せますよ」

ゆい「ケンさん。とりあえず、出塁お願いします」

打席に入る”連投のケン”の背に声をかける。


ケン「・・・」

雰囲気はバッチリ、硬派なスラッガーのようだ。


工場長「・・・あかん、ケンはもう体力切れや」

ゆい「ネコネコ生放送ばっか見てるからですよ・・・」


・・・・・・

・・・

・・・


審判「ストライクッ!バッターアウト」

とぼとぼと、肩を落とした雰囲気スラッガーがベンチに戻る。


工場長「あれでも、企画部との1試合目は活躍したんや」

ゆい「・・・」


まさみ「まあまあ、私に任せてくださいよ」

ゆい「今日、無安打じゃん」

まさみ「この打席のため、ですよ。見せ場は残しておきました」

ゆい「頑張ってね」

まさみ「ええ」


まさみは打席に入り、素振りをする。


ブンッ、ブンッ


・・・フォームの良し悪しはわからないが、小柄な彼女にしては、遠心力のかかっていそうなスイングをしており、当たればそれなりに飛びそうだ。

“今までの打席では、隠していた”という彼女の言葉は嘘ではなさそうだ。


相手のキャッチャーのミットは、少しストライクゾーンからズレたところに構えられている。

今までとは違うバッターの姿に、1球、様子見をするらしい。


振りかぶって、投げる。

ストライクゾーンを少し高めに外れ・・・


コンッ・・・


“まさみ”はこれまた、一生懸命と言ったフォームで1塁を駆け抜ける。

3塁方向に力無くこぼれたボールに、相手チームは一瞬呆気に取られ、送球は間に合わない。


塁審「セーフ!」


まさみ「秘技”セーフティバント”です」


メンバー一同「おお!」

工場長「よっしゃ、同点のランナーや!」

自チームのベンチに活気が戻る。


次は、私の番。

ホームランとはいかずとも、なんとか安打で、アウトを取られずにランナーを進めたいところ。

送りバントも考えたが、同点にしたところで、次の回を抑えられる自信はない。


打席に入り、バットの握りを確かめる。

ゆい「よし・・・」


ゲッツーだけは避けなければ・・・、ボールは選んでいこう。


ピッチャーが振りかぶる。


スパンっ!

審判「ストライクっ!」


真ん中高め。際どい部分だし、当たっても飛びはしない。

これでいい。


足を踏み直し、ピッチャーの方を睨む。

ピッチャーが振りかぶって、投げる。


ボムッ

審判「ボール」


真ん中低めに落ちるボール。

ぎりぎりストライクゾーンを外れた。

振らせようとしているのがわかる。


追い込まれるまでは、際どいコースは見逃そう。

ただただ、打てる球をじっくり待つ。


続く2球はストライクゾーンを外れ、3ボール1ストライク。

・・・ここだ、ここを狙う。


ピッチャーが振りかぶって、投げる。


ゆい「・・・きた!」

外角の甘い球。


全力でスイングを・・・

ゆい「あっ・・・」


コンッ。

バットが手の中で滑り、打ち損じる。

ボールが軽く打ち上がる。


キャッチャーがそれを捕球した。

審判「アウト!」


サポーターを外して、ベンチに戻る。


ゆい「すいません」

工場長「しゃーない。延長でピッチャーもやったから、グリップ力が弱ってたんやろ。でも、ようやってくれた。時間使うてくれたおかげで、間に合ったわ」

工場長の後ろから、背の高い男性が歩み出る。


工場長が審判に声をかける。

工場長「代打や!ほな、頼めるか」


高橋「はい。自分タイミーなんで、大丈夫っす」



・・・・・・

・・・

・・・



一同「ありがとうございました」


試合終了の挨拶を終え、各々散会する。


工場長「っしゃ!優勝や!」

メンバー一同「うおおお!」

製造部一同、優勝の喜びを共有し合う。


工場長「ありがとうな。今日は助かったわ」

工場長が私たちに声をかける

まさみ「いえいえ、お役に立てて何よりです」


工場長「このあと打ち上げあるけど、一緒に来るか?」

ゆい「どうする?」

まさみ「んー、遠慮しておきます。泊まる場所もまだ決めてないですしね」

工場長「そうか。お礼もできんで、すまんな」

まさみ「大丈夫ですよ」

勝利の喜びを共有するのもほどほどに、静かにその場を後にしようとしたところに、高橋がやってくる。


高橋「すいません。自分タイミーなんで、この辺で」

工場長「ああ、高橋くん!今回もありがとうな。すごかったなぁ。最後の最後に駆けつけて、一発、カキーンと。また頼むわ」

高橋「ええ、毎度おおきにです」

工場長「しっかし、今日は9回投げて、7打点。大活躍やな」

高橋「ええ、自分タイミーっすから」

ゆい「いや、タイミー関係なく高橋さんがすごすぎるだけでしょ!」

高橋「いえいえ、ここまで調子が良くなったのは、タイミーズに来てからですよ。自分ピッチャーじゃないんで、点は結構取られちゃいましたけど。バッティング練習が自分に合ってたんですかね」


ゆい「タイミーってバッティング練習とかあるの!?」

まさみ「・・・ゆいさん。もしかして、タイミーをご存知じゃないんですか?」

ゆい「え?タイミーは知ってるよ。ほら、あの”隙間時間でバイト”ってやつでしょ?」

まさみ「ああ、そっちじゃないですよ」

まさみはくすくす、と笑う


まさみ「タイミーっていうのは、”阪神タイミーズ”のことです。こっちの地域で、人材派遣を行いながら、野球の独立リーグのチームもやっている組織ですよ。選手1人1人が”派遣のタイミーさん”としても働いているんですよ」

ゆい「阪神タイミーズ!?」

高橋「自分、タイミーなんで。今日は派遣ですけど、一応選手ですから、活躍できてよかったです」

“阪神タイミーズ”っていう名前で野球は色々と問題があるだろ、というツッコミは心の中に留めておく。今日はもう疲れた。


高橋「それにしても、マイナーな独立リーグのことよくご存知ですね」

まさみ「あ、私ですか?ええ、”阪神タイミーズ”いつも応援してます」

高橋「ああ、それは、どうもです!」

まさみ「バイク不況で、仮面◯イダーが契約放送の深夜枠に変更になってから、たまにタイミーズの試合の延長で延期になったりしたじゃないですか?そこから興味を持って、見始めました!」

高橋「その節はご迷惑をおかけしました」

まさみ「いえいえ、今ではすっかりタイミーズファンですよ」

ゆい「どないやねん」


その後、高橋さんは、”自分、次の現場があるんで”と足早に帰って行った。

二足の草鞋も楽じゃなさそうだ。


まさみ「私たちも行きますよ」

ゆい「うん」

駐車場に戻り、サイドカーに乗り込む。

”まさみ”がエンジンをかける。


まさみ「野球、どうでしたか?」

まさみの問いに、一呼吸おいて答える。


ゆい「野球はもう、こりごりだ〜!とほほ・・・」


まさみ「なんですか、それ・・・」

ゆい「いや、今日はなんかツッコミ役が多かったから」


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