その四
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まさみ「ゆいさん、遅かったですね」
ゆい「そうだね」
観測所の前、最高点を示す石碑付近に彼女はいた。
ゆい「どのくらい待った?」
まさみ「そんなにですよ、30分か1時間くらいですかね」
ゆい「そっか」
まさみ「寝坊しちゃったので、流石に負けたかと思ったんですが」
ゆい「んー、ざんねん。部品は?」
まさみ「ええ、観測所の中の人にもらいました。マッキーさんの知り合いらしいです」
ゆい「そうなんだ」
彼女は自身のバックパックから例の箱を取り出して、こちらに見せ、再び戻す。
まさみ「少し休憩しますか?」
ゆい「ううん、大丈夫」
まさみ「そうですか。では、お鉢巡りに行きませんか?」
ゆい「うん、行こっか」
彼女の登ってきたルートはこの峰の少し横にあるため、ぐるり8割程度、火口を一周することになる。私も下りは彼女のバイクがある登山口まで、こっちのルートで帰ることになるだろう。
峰を降りたところには万年雪が少し残っていて、少し行ったところには、小さな木製の鳥居や記念碑、何かのレリーフなどがポツポツと置かれている。見どころと言えるほどかはわからないが、列島で最も高いところという状況もあり、不思議な存在感を感じる。
前を行く彼女は特に何も話さない。私も特に何かを話したりはしない。それでも、不思議と居心地の悪さを感じたりすることはない気がする。
人付き合いは苦手だ。できないわけじゃないけど、誰かと一緒にいると、何かを話さなきゃいけない雰囲気だったり、微妙な居心地の悪さだったり、空気を読むことをいつも意識している感じがして、一人でいる方がいいなと思ってしまう。
でも、彼女は別だ。初めて会った時から、今まで旅を続けてきた間もずっと、自然体に近い感覚でいられたと思う。一人が好きな自分がもっと一緒に旅をしたいと思ってしまうほどに。
私が登ってきた方の頂上まで来た。お鉢巡りもそろそろ半分だ。
頂上の山小屋の前で彼女が口を開く。
まさみ「なにか食べますか?」
ゆい「ううん、いい。さっき食べてきたからね」
まさみ「そうですか、私もです。飲み物はどうですか?私はココアを頼もうかと思うのですが」
ゆい「うーん。じゃあ、同じのにしようかな」
まさみ「はい」
彼女は嬉しそうに頷く。
一杯ずつココアを購入し、外の木製の椅子に腰掛ける。
山頂価格でなかなかの出費だが、量はそれなりに多い。
まさみ「温まりますね」
ゆい「うん。夏なのに、山頂は全然寒いね」
まさみ「ええ、10度切ってるみたいですよ」
ゆい「ほんと?すごいね」
ココアは甘くて美味しい。ミルクたっぷりの優しい味だ。
まさみ「・・・私の勝ちですね」
ゆい「そうだね」
もとより、勝つつもりはない。
ゆい「もう命令は決めた?」
まさみ「まだ、考え中です」
ゆい「そっか、本当になんでも言うこと聞くよ」
いい感じにぬるくなったココアを流し込み、容器をゴミ箱に捨てる。
まさみ「ええ、下りるまでには考えておきます」
彼女も荷物を持って立ち上がる。
まさみ「じゃあ最後行きましょう」
ゆい「うん」
ここからは、もうさっき歩いた道だ。
山小屋、別ルートの頂上、神社、郵便局を通り、下山口へ向かう。木造の建物が、置かれている場所も相まって、いい味を出している。トイレでさえも風格を感じる。
下山口に着いた頃には、少し霧が出てきて、視界が狭まっていた。
まさみ「もう大丈夫ですか?」
ゆい「うん、なかなか満足したかな」
まさみ「そうですか、では下りましょうか・・・。隣のルートから下りませんか?こっちは険しいので」
ゆい「荷物とバイクは?」
まさみ「途中で合流できますよ」
ゆい「そうなんだ、じゃあそうしよっか」
両方のルートをいいとこ取りしたルートを下りに使うということになるのかな。
確か、そういうルートがあった気がする。
彼女の後ろに続き、適度な傾斜の砂利道を下ってゆく。
ゆい「・・・」
まさみ「・・・」
霧が強くなってきたのと、小雨が降り出したのもあって、二人の間に会話はない。
・・・最後がこうなってしまうのは少し残念だ。
私はここで旅を終えるつもりでいる。彼女を誘導して、”ここでサイドカーを下りる”という命令にしてもらおうと考えている。ずるいのはわかっているけど、優しくて、意外と察しのいい彼女のことだから、多分そうしてくれると思う。
もちろん、その命令とは別で、本当になんでも一つ言うことは聞く。
旅を終えるという選択をしたのは少し前、ビジネスホテルに泊まった日のことだ。
それより前からなんとなくそんな気はしていたけど、きっかけとなったのはあの日だ。
作曲を始めたのは、高校に入ってから。入学時にアコースティックギターを買ってもらって、そこからエレキギター、宅録と進んで、DTMを始めた。初めて一曲完成させたのは大学に入ってからだったかな。完璧主義なところがあって、かなり時間がかかってしまった。それでもクオリティはそんなに高くなかったけど。初めての曲ができた後は、感覚を掴んだのか、割とすんなり曲を作れるようになって、それなりのペースで数曲作って、ネットに上げたりはしたけど、特に評価されることもなく・・・。それで少し、DAW(作曲ソフト)を開くのが億劫になって、QY70シーケンサーを買ったんだっけ。それでまたゲーム感覚で音楽が作れるようになって・・・。周りが就職活動を本格的に始めるごろくらいになって、またちょっと離れたっていうかペースが遅くなって・・・。そこからだらだら、今に至るって感じだったっけ。
正直、作ることにこだわらなければ音楽関係の仕事に就くことはできていたと思う。でも、なぜか応募しなかったんだよね。わからないけど、もう音楽も別に好きじゃなくなっちゃったのかもね。思い返せば、いつの頃からか、音楽を”作りたい”っていうのが、”作らなきゃ”に変わってた気がする。
それであの日、ついにシーケンサーを彼女に渡してしまった。曲も書きかけのまま。消してから渡したんだっけ?どっちにしろ、ついに自分で自分に見切りをつけたということだ。結局、曲も進まないし、自分が持っているよりかは彼女が持っていた方が、幾分かシーケンサーも幸せだろう。ギターも、最近は手癖で弾くぐらいしかやってないし。初めて買ってもらったやつで、そこからずっと一緒だったことを考えると少し寂しいけど、彼女にならあげてもいいかなと思っている。シーケンサーとギターは置いていこう、ついでにノートも。
あの後、彼女に、”自分もバイク始めてみようかな”って聞いたのも最悪だ。
誰に言われるまでもない、本当にその通りだ。
自分探しの旅に出て、最後に少しだけ残っていた”自分”も失ってしまうとは、なんとも皮肉で、自分でも少し笑ってしまう。もう旅を続ける意味はない。
吹き抜ける風に混じって、消えてしまいたい。
下なら暑いけど、標高の高いここの風は涼しくてきもちいい。
帰ったら何をしよう。別にもうやりたいこともない。
昔やった発掘の短期バイトに、また申し込んでみようかな。あの、ひたすら穴を掘るやつ。あれは結構楽しかった気がする。ただただシャベルで地面を掘って・・・、夕方ごろ、汗をかいた体に吹き抜ける風が気持ちいいんだよね。
意外とそういうのがやりたい仕事なのかもしれない。社会にも貢献できる仕事で・・・。よかった、これで自分探しの旅も終了だ。
これ以上、彼女の時間を奪ってしまいたくない。
下山道は緩やかなつづら折りの斜面が続いている。
雨は小雨だけど、霧は濃くなっていて、伸ばした手の先が見えない。
・・・・・・
・・・
・・・
まさみ「ゆいさん、休憩は大丈夫ですか?」
ゆい「うん、全然平気だよ」
まさみ「そうですか。霧が濃くなってきたので、あまり離れないで行きましょう」
ゆい「そうだね」
道幅は十分にあるため、彼女と並んで歩くことにする。
まさみ「ゆいさん、私、お願い事決めましたよ」
ゆい「何にしたの?」
まさみ「とりあえず、戻ったらバイクの洗車と点検のお手伝いをしてもらおうかと考えてます」
欲がなさすぎて、少し笑ってしまう。底抜けのお人良しだ。
ゆい「そんなのでいいの?それぐらいなら命令されなくても全然手伝うよ?」
まさみ「そうですか・・・。では、ちゃんと最後まで付いてきてくださいね。ゴールまで、一緒に」
ゆい「・・・え?」
まさみ「いえ、その、気のせいだったら申し訳ないんですけど、なんか、いなくなっちゃいそうな気がして。この勝負を持ちかけられた時から」
どうしよう・・・、頭が真っ白になる。
ゆい「え、あ・・・。うん、そっか。で、でもギターとかシーケンサーとか、ノートとかだったら全然置いて行くよ?なんならあげてもいいし、それがお願いでも・・・いいよ」
返答が尻すぼみになってしまう。できるだけ明るく振る舞いたいのに。
まさみ「いえ、そういう話ではなく・・・。隣にいてほしいんです、最後まで」
ゆい「な、なんで・・・?」
まさみ「なんで、と言われると、そうして欲しいからとしか答えようがないんですけど・・・。一緒にいて楽しくなかったですか?」
ゆい「い、いや、そんなことない!」
彼女と居た時間は、大切な、数少ない宝物の一つだ。
まさみ「そうですか、それならいいんですが・・・。じゃあ、お願い聞いてくれますか?」
ゆい「う、うん・・・。でも私、もう何にもないよ・・・?」
心の中の誰にも見せない部分。そこから言葉がこぼれ落ちてしまった。
まさみ「そんなことありませんよ」
彼女は道端の手頃な岩に腰掛ける。
同じように、隣に腰を下ろす。
まさみ「ゆいさんは、意外と寂しがり屋ですよね」
ゆい「え?」
そんなことを言われたのは初めてだ。むしろ、”一人が好きそう”と言われることの方が多い。
ゆい「・・・どうして、そう思うの?」
まさみ「うーん、カセットテープに入ってた曲の感じとか、あとは上手く言えないんですけどシーケンサーでデモを聴いた時とか。あ、あと、隠しトラックの選曲とかも。そういうのを聴いてた時になんとなくそう思いました」
ゆい「隠しトラック・・・。そっか」
B面、自分は裏面って呼んでるけど、表面の曲のインストが入ってて、間隔を開けて最後数分、好きな曲のカバーを入れてたんだっけ。自分ですら忘れていた。そのために入れる曲数ちょっと減らしたりもしたんだっけ、懐かしい。
ゆい「よく気づいたね」
まさみ「ええ、何回か聴き返してるうちに。ずいぶん早く切るんだなあと思って、試しに早送りしてみたら流れてきて」
ゆい「そっか。それなりに古い曲だけど」
まさみ「ええ、うちの師匠が古い物好きなので、その影響で」
ゆい「そっか・・・」
声が震えてしまいそうで、それ以上の言葉は継げない。
自分でも忘れていた”隠しトラック”を見つけてくれたっていうのもそうだけど、裏面、インストまで、それも一回だけじゃなく何回も聴いてくれていたことが、それ以上に嬉しい。
まさみ「では、水分補給して、行きましょうか」
ゆい「うん・・・」
彼女は、水分補給をして立ち上がる。
小雨が降り、霧も濃い。
前を行く彼女がすぐに見えなくなる。
まさみ「ゆいさん、付いてきてますか?」
ゆい「うん、ちゃんと付いていくよ」
頬を濡らす雨と、伸ばした手の先が見えないほどの霧が、今は少しだけ嬉しい。
少し歩みを早めて、彼女の隣を歩く。
ゆい「・・・まーちゃん、ありがとう」
まさみ「どういたしまして」
そろそろ半分くらいまで来ただろうか。いや、とうに半分を過ぎているかもしれない。
彼女の隣にいると、時間が経つのが早いから。
時間は刻一刻と過ぎ去っていって、戻ってはこない。
こうしている余裕が自分にあるのかはわからないけど、もう少しだけ旅を続けたい。・・・いやちょっと嘘をついた。
もう少しだけ長く、彼女の隣にいたい。
そう思ってしまう。
それ以外のことは、あんまり好きじゃないから・・・。
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國見「ほう、まーちゃんが勝ったか」
まさみ「ええ」
ゆい「負けちゃいました」
國見永久師範代は気分上々といった表情をうかべている。
國見「して、なんでも一つ言うことを聞く、という約束だったと思うが、それはもう決めたのか?」
まさみ「ええ。バイクの洗車と点検を手伝ってもらうのと、あともう一つは内緒です」
國見「二つじゃないか」
まさみ「あ、そうですね」
チラッと隣を伺うと、”ゆい”は少しばつの悪そうな、あるいは照れたような、そんな表情を浮かべている。
國見「そうか、しっかり約束は守るんだぞ。それで、”アレ”はちゃんと手に入ったか?」
まさみ「ええ。お友達も元気そうでしたよ」
國見「それは何よりだ」
国見永久師範代は満足げに頷く。
國見「部品は今いくつだ?」
まさみ「えーと、3つ、ですかね」
國見「ほう、では半分といったところか」
國見永久師範代は”ゆい”の方を見た後、遠くの方向へ目を向ける。
國見「マザーロードを走り切った者には、マザーロードの”軌跡”が授けられる」
ゆい「”奇跡”ですか?」
國見「・・・ああそうだ。奇跡でもある」
ゆい「・・・國見永久師範代には、何か奇跡が起きたんですか?」
國見「ああ、もちろんだ。こうして今、ここにいること、お前たちと出会えたこと、その全てが奇跡だ。あいつらもな」
國見永久師範代は、物陰に隠れている門下生たちを指差す。
“ゆい”は少しだけ何かを考え、口を開く。
ゆい「やっぱり、バイク乗りっていうのは変な人ばっかりだね」
まさみ「ゆ、ゆいさん!」
ゆい「・・・でも、かっこいいよ」
かっこいい・・・、いい響きである。
國見「かっこいい・・・、いい響きだな。我々はそのために生きている」
國見永久師範代はまたも満足そうに大きく頷く。
國見「さあ、もういけ。私も、あいつらに喝を入れねばならん」
まさみ「はい、ありがとうございました」
ゆい「お世話になりました」
國見「ああ。それと、次会った時はぜひ”マッキー”と呼んでくれ。では、またな」
そう言って、國見永久師範代は門下生たちの方へ歩いて行き、大きな声で檄を飛ばしている。
毎年夏に行われる、でっかいアレでの即売会のためにラストスパートをかけるのだろう。
まさみ「ゆいさん、行きますよ」
ゆい「あ、うん」
“ゆい”がサイドカーに座ったのを確認し、エンジンをかける。
ゆい「いい人だったね」
まさみ「ええ、みんないい人ですよ」
ゆい「そうだね」
ブロロロロ…と、それなりの速度でバイクを走らせる。
サイドカーに深く腰を預けた彼女は、安らかな寝顔ですぅすぅと寝息を立てている。
ずっと、よく眠れていなさそうだったので少し安心だ。
起こさないように、少しだけスピードを下げる。
とかく生き急ぎがちな私たちには、このぐらいの速度がちょうどいいのだ。
部品集めの旅もこれで半分。もう少しだけ長く、一緒にいられますようにと、マザーロードの奇跡とやらに願いをかけた。