第五話:記憶の断片と暴君伯の正体
ガタン、ゴトン。
大きく煌びやかな、豪華な馬車の中で、私は辺境伯と向かい合っている。
従者たちは別の馬車で、後ろから追いかけている。
あれから辺境伯は私をさらうように屋敷を飛び出して、あっという間に馬車に乗り込んだ。
追いかけてくる者もいなかった。
それから、ずっと私と辺境伯の2人きり。
き、気まずい……!
私は沈黙に耐えかねて、口を開いた。
「それでその、辺境伯」
「なぜ名前で呼ばない?」
「……えーと」
メイドごときが名前を呼んだら、不敬罪で首をはねられても文句言えないもの……。
しかし、話そうとするとさっきからこの調子で返されてしまうので、私は諦めることにした。
「……ええ、では、アルバート様」
「うむ」
満足げな顔だわ。
「改めてお伝えしますが、私はクラウと申します」
「む?」
「クラウディア様のことは、名前だけ伺ってます。よく似てるかもしれませんが、他人の空似です」
「むう」
表情が険しくなってきた。
「だから……」
「俺のことが嫌いか」
「えっ!? そ、そんなわけありません!」
なんて突拍子もないことを。
つい慌てて、本気で首を横に振った。
「……」
しかしアルバート様は、じぃっとこちらを見て、ため息を吐いた。
「ならばなぜ、そんな嘘をつく」
「嘘じゃないんです」
「では話してくれ。
君がクラウディアではないという証明を」
真剣な面持ちのアルバート様。
私は深呼吸すると、これまでの半生を話した。
気づけば記憶喪失で、屋敷の前に捨てられていたこと。
マーサというメイド長が、私を立派なメイドになるよう育ててくれたこと。
私はずっとあの屋敷から出ずに、日々仕事をしていたこと。
カチュア様のこと。リビエラ様のこと。
領主様のことは……ほぼ顔を合わせていないからよくわからないこと。
「これが、今までの私です」
ひとしきり話し終えるが、アルバート様からの反応はない。
ただ顎に手を当てて、考えるようなしぐさで。
けれど表情は、苦いものを味わったような。
「……アルバート様?」
「……よくわかった」
それだけ言うと、アルバート様は深呼吸した。
そして……私を胸に抱き寄せた。
暖かな体温と、心臓の音。
「あ、あの」
「……我が領までまだかかる。疲れただろう」
「い、いえ、それより、この姿勢は……」
「しゃべるな」
それだけ言うと、憂いを帯びた目を閉じた。
よく見ると長いまつ毛に、きりっと切れ長の目。
瞳は透き通るような青色。
整えられた黒い髪。
……いけない。思わず見惚れてしまう。
「つらい生活だったんだな」
「でも、マーサや他の皆が助けてくれました」
ハルファスト家には他にも数人のメイドがいて、マーサ以外も仕事を教えてくれたし、よく愚痴を話し合ったりもした。
コックチームは美味しいまかないをくれて、たまにおやつを作ってくれたり、味見をさせてくれた。
執事さんは厳しい人だけど、庭にこっそりイチゴを植えていて、たまに分けてくれるお茶目なところもあった。
皆、優しかった。
もう会えなくなるなんて、実感がない。
「……君は、とても強いのだな。それでいて、謙虚だ」
「そんなことないです、本当に皆のおかげで」
「そうか。ならばこれからは俺を頼れ。つらいことは隠すな」
「は、はい……」
いまさらだけど、まるでプロポーズみたいな言葉。
しかもそれをほぼ耳元で囁かれて。
恥ずかしくないわけがない……!
「あ、あ、あの!」
「なんだ」
私はアルバート様を引き剥がすと、話題を探した。
「あ、えと、そう、アルバート様のことも、教えてくれませんか」
「俺の?」
アルバート様は、少し悲しそうな顔をした。
クラウディア様なら、知らないはずのないことを聞いてしまった。
少し申し訳なく思ったけど、アルバート様は気を取り直した様子で話し始めた。
「……俺は辺境伯の爵位を授かったフュージェネラル家の嫡男で、18代目にあたる。
世間では俺を暴君伯だとか呼んでいるようだな」
(知ってたのね……)
「両親は俺に家督を譲り隠居中だ。弟が1人いて、まだ小さいから両親と住んでいる」
「まあ、弟さんが」
「ああ、家族のことはそのうち紹介する。
……それと、何を話せばいいだろうか」
「好きな食べ物は何ですか?」
「……ふ、何だその子供のような質問は。
そうだな、ケーキとか……」
「甘いものがお好きなんですね」
「ああ。母が無類のケーキ好きでな。よくパティシエを家に呼んでいた」
アルバート様は、それからたくさん話してくれた。
小さい頃、農村部の畑に勝手に入って野菜を食べたら怒られたこと。
母が大事にしていたペットが亡くなり、2人で大泣きしたこと。
歳の離れた弟が生まれて、弟に何か教えてやりたいと思い恋愛学の勉強を始めたら、父に見栄を張るなと笑われたこと。
楽しそうに話すアルバート様は、まるで子供に戻ったような笑顔を携えていた。
私もいつの間にか、つられて笑っていた。
「しかし、いちばんの思い出は……」
「え?」
「君に、……クラウディアに初めて会った時のことだ」
「……」
何と言葉を返していいのか分からない。
けれど、呟いたアルバート様の表情は、今まででいちばん優しかった。