第十五話:クラウディアの記憶(前編)
「……クラウディアを、殺した?」
その言葉に一番ショックを受けたのは、領主様だった。
私たちも、息を呑んだ。
しかし、カチュア様は、周りの反応もかまわずに、話し始めた。
〜 〜 〜
それは、15年前のこと。
ハルファスト伯爵夫人、シャーロットは病気でこの世を去った。
まだ小さな娘、クラウディアを残して。
「うえええん……」
前伯爵夫人の死後、後妻として迎えられたカチュアと、クラウディアの初対面は、今もカチュアの記憶に強く残っている。
ベッドの上にうずくまり、涙を流し続ける小さな子。
痛ましい光景だった。
「シャーロット様が亡くなられて1ヶ月経ちますが、まだ傷が癒えていないようでして……」
オーギュストの執事は、悲しげに言った。
カチュアは微笑んだ。
「気持ちは分かりますから。私が代わりになれるか分かりませんが、あの子をいつか笑顔にします」
その時は、本気で思っていた。
「さあ、クラウディア。お外に出ましょう」
「……」
明日こそはきっと。
その時はまだ諦めるつもりはなかった。
「クラウディア! あなたの父が珍しいものを買ってきたそうよ」
「……今日は1人で、お勉強しますから」
来週こそ、必ず。
ほんの少し、頑張りすぎてしまっただけだった。
そうやっているうちに、気づけば数ヶ月も経過していた。
クラウディアは泣かなくなった。
しかしそれは元気になったのではなく、ただ涙が枯れているだけのようだった。
カチュアは、次第に苛立ちが高まっていった。
「いい加減にしてほしいわ! いつまで引きずってるのよ!」
「カチュア様は、十分頑張っておられますよ。このマーサが見ています。クラウディア様も、きっと少しずつ心を開いてますから」
「マーサ……ごめんなさい。取り乱したわ」
「お気になさらず」
「何か、あの子の好きなものはないかしら」
「そうですねえ……クラウディア様は、よく見張り塔に登って、星を見るのが好きでした。今日は満月ですから、2人で夜風を楽しむなんでどうです?」
「分かったわ、誘ってみる」
気を取り直して、クラウディアの部屋へ行ってみたが、誰もいなかった。
カチュアは見張り塔に1人で登ることにした。
すると。
「ぐすっ、ふぅぅ……」
クラウディアの声がした。
見張り塔に座り込み、月を見上げて泣いていた。
「お母様……お母様ぁ……帰ってきて……」
そう、タイミングが悪かっただけなのだ。
ぷつん、と何かが途切れた。
「クラウディア」
自分でもわかるほど冷たい声。
びくりと肩を震わせる姿。
ああ、なんと愛らしい。
それはもう、憎たらしいほどに。
「お母様に会いたい?」
クラウディアは、おそるおそる頷いた。
「そんなに恋しいなら、クラウディア。
お前の母親に会わせてあげましょう」
どす黒い感情が、止まらなくなっていく。
「人はね、死んでも消えるわけじゃない」
「……本当?」
「ええ、お空で見守ってくれてるの」
クラウディアの顔に、希望が灯った。
「だから会いたければ、空を飛べばいいのよ」
よくもまあ、残酷な台詞を言えたものだと、今のカチュアなら思う。
しかしクラウディアは立ち上がった。
ふらふらと、吸い込まれるように月へ近づいた。
「きっと背中に羽が生えて、会いに行けるんじゃないかしら」
クラウディアはもう5歳だ。
いい加減、人が飛べないことや羽が生えることなどないと理解しているはずだ。
すぐに、できもしないことに泣き喚くだろう。
いい加減叱ってやるつもりだった。
前を向け、と。
そんなカチュアの思惑も知らず。
クラウディアは、月に思いきり手を伸ばした。
その刹那。
風が、吹いた。
クラウディアの背中を押すように。
「あっ」
偶然が重なっても、奇跡だけは起きることなく。
「きゃあああぁぁ……」
「クラウディア!?」
悲鳴が、遠ざかっていった。
カチュアは慌てて下を覗いた。
月はこんなに明るいというのに、地面は暗くて何も見えない。
「……事故、よ」
気づけば、自分の口が動いていた。
確かに事故であることは間違いないだろう。
しかし、言ってしまったのが過ちだった。
娘の安否よりも先に、自らの無実を主張してしまったのだ。
カチュアは母親を諦めた。
〜 〜 〜
「……ウ! クラウ!!」
全ての感覚が、戻ってきた。
音も、色も、何もかも遠く感じていた気がする。
ただカチュア様の声が、やけに鮮明に残っている。
「アルバート、さ、ま?」
舌が上手く回らない。
なぜか息が上がってる。
私、いま確かにあの塔から落ちていた。
「大丈夫か」
気づけば私は床に座り込んでいて、後ろからアルバート様が支えてくれていた。
カチュア様が、悲しげにこちらを見ている。
ヴァシリーさんが、心配そうに歩み寄ってきた。
「無理しないで。話はもうこれで終わりでしょ?
カチュア夫人が、クラウディアを落下死させた張本人。
カチュア夫人を捕まえればこの話は……」
「…………いえ、まだです」
私は答えた。
頭にかかったもやが、もう少しで取れそうな気がする。
「続きが、あるんですよね」
カチュア様は、静かに頷いた。