第十話:敵襲
それからクラウとセドリックは、休憩を終えて城へと戻ってきた。
セドリックはその足でアルバートの執務室へと向かった。
セドリックは、アルバートに頼まれていたことが二つあったのだ。
一つは、クラウの心の状態を見守ることだった。
アルバートから見れば、クラウはよく笑うが、ふとした時に不安げな顔を見せる。
それを取り去ってやるにはどうしたらよいかを、この一か月ずっと模索していた。
結論を言えば、この心配は時間が解決してくれるだろう。
先ほど果物屋の夫婦と親しくするクラウの様子を見て、セドリックはそう報告した。
もともと明るく優しい、それでいて謙虚な女性だ。
領民とはすぐ打ち解けると思っていた。
心配なのは、もう一つの問題だ。
「ご報告は以上です、アルバート様」
「ご苦労だった、セドリック」
セドリックは、ハルファスト家に起きた15年前の事件の真相を調べていた。
そして、その報告を今終えたところだった。
2人の間に流れる空気は重かった。
それもそのはず、これまでセドリックの話した報告とは、ハルファスト家の闇ともいうべき部分だ。
「まさか小さな貴族の屋敷で、こんな事件が起きていたとはな」
「はい。領主オーギュスト様も、事件の悲しみをずっと引きずっておられるご様子です。
それに……」
セドリックは、その言葉の先を言えなかった。
悲しい事件の裏に潜む、おぞましい事実を。
「だからって、あんな躾のなってない娘を放っておくほうがどうかしているが」
「それ以上はいけません、アルバート様」
アルバートは返事代わりに、無言で腕を組んだ。
諌めるセドリックだが、アルバートの苛立ちも、もっともではある。
アルバートは自分が失礼なことをされたというよりも、代わりに無礼を受けたセドリックのために怒っているのだろう。
「問題は彼女にどう話したものか」
「僭越ながら、もう少し様子を見てはいかがでしょう」
「いや、しかし黙っているのは……」
「もう少しクラウ様の心を休ませましょう。
……この真実を今のクラウ様に話してしまったら、彼女の心が限界を迎えてしまいます」
クラウはあの屋敷で、散々な扱いを受けていた。
本人はなるべくカチュアとリビエラを悪く言わないように気を遣っていたが。
実際に受けた扱いは、本人から聞くよりひどいものであった。
「……そう、だが……」
セドリックの言うことは最もだが、アルバートは嫌な予感を覚えていた。
うまく言えないが、これから何か悪いことが起きるような。
「セドリック、兵に準備をさせてくれ」
「いったい何を?」
「戦うわけじゃない。見せられればいい」
「……なるほど、承知いたしました」
備えあれば憂いなし。
ハルファスト家の真実も、悪いことが起きる予感も、今はクラウには黙っておこう。
しかし、この選択が後にフュージェネラル領の行く末を決めることになる。
この時は誰も知らなかった。
☆ ☆ ☆
それから1週間後。
カンカンカンカンカン!!!!!
「クラウ様! クラウ様が無事ですか!?」
けたたましい鐘の音。
マリーの焦るノック音。
ぐっすり眠っていた私はすぐに飛び起きた。
「マリー? これはいったい……」
「説明は後です! 早く避難してください!」
「避難……!?」
じゃあこの鐘の音は、非常事態の?
鐘の音は、領土の至る所に鳴り続けている。
私は着替えず、マリーと共に部屋を飛び出した。
「アルバート様の執務室へ案内します。こちらへ!」
「分かったわ!」
私たちは、城の長い廊下を駆けた。
廊下の窓から差し込む陽は白んでいて、まだ明け方なのだと分かった。
廊下にいた兵士が、こちらに気づいて手を振る。
「クラウ様! マリー! こちらに!」
兵士が扉を開けた先に飛び込むと。
「クラウ。大丈夫か?」
アルバート様だ。
すでに着替えを済ませ、さらに鎧を着ている。
私は走って乱れた息を整えた。
「はあ……はあ……アルバート様……いったい何が起きたんですか?」
「海の方から、所属不明の船が見えた。しかも相手は大砲を積んでいる。領民を避難させるため、警報を出した」
大砲? つまり戦艦ということ?
隣国が攻めてきたということだろうか。
だとすればなぜこの領を? そして何のために?
「不安そうだな」
「だ、だって……」
「大丈夫だ、安心して俺の帰りを待っててくれ」
アルバート様は不敵に笑う。
かと思えばその表情は、今まで見た事ないほど、真剣な顔つきに変わった。
「全兵士、城壁装置と迎撃砲台を用意」
「はっ!」
兵士が揃って敬礼すると、素早く部屋を出ていく。
「クラウは、マリーといっしょに避難を……」
「あ、あの、私も一緒に行ってはダメですか?」
「一緒に? いったいどうして……」
あれ、私。
なんでこんなことを頼んでるんだろう?
疑問を言いかけたアルバート様。
いつの間にかそばに来て、私の手を握った。
気づくと、両手が震えていた。
「大丈夫だ、俺は死なない」
優しく言い聞かせるようなアルバート様の声。
そうか、私はきっと。
身近な人に置いていかれるのが怖いんだ。
それがなぜかは分からない、けど。
アルバート様は私を優しく抱きしめた。
冷たい鎧の奥に、暖かな体温。
これから戦場に赴く者の、力強い心臓の音。
「わかった、君も連れていく」
「ごめんなさい、やっぱりお邪魔じゃ……」
「安心してくれ、君には傷ひとつつけさせない」
そう言うと、アルバート様は出会った時のように、私の前にかしずく。
そして、私の手を取って……手の甲に唇を添えた。
「君を守り、領民も1人残らず守り抜く。約束だ」