第一話:ハルファスト家の健気なメイドと縁談の話
フォース王国、その東にあるハルファスト領。
名門貴族ハルファスト家が治める、豊かで平和な領地だ。
立派な屋敷に住む領主は、その昔美しい娘と結ばれ子を授かり、幸せに暮らしていたが、悲しき不幸が続いて2人とも亡くなってしまったらしい。
再婚した2人目の妻との間にできた子は、これまた美しい娘だったが、とてもとても意地悪で、領主の目を盗んでは屋敷で働く者たちをいじめる毎日だった。
「聞いているの! クラウ!」
「うっ!」
クラウ……私のことだ。
突然の大きな声にびっくりして、声が出てしまった。
「わたくしの話の途中でぼーっとするなんて、いい度胸ね。メイドのクセに」
「申し訳……ございません」
きつい目が私をにらみつける。
この人がリビエラ・ハルファスト。ハルファスト家の一人娘。
こうして私たちメイドや執事たちにいつも当たりがきついので、嫌われている。
とりわけ私はなぜか目をつけられていて、廊下ですれ違うだけでからまれてしまう……。
はあ、仕事がまだ終わってないのに。誰か助けてくれないかな。
そう思った時だった。
「その辺にしておきなさい、リビエラ」
私の後ろから声がして、思わず振り返った。
そこにいたのはリビエラの母、カチュア様。
「お母さま! だってこのメイドがまたサボっていたのよ! だから私が説教してあげてたの」
リビエラ様が、カチュア様へと駆け寄っていく。
まるで正しい行いを褒めてもらいたがる子供のように。
「そんなメイド放っておきなさい。それよりあなたの父が戻ったわ。食事にするわよ」
「分かったわ、お母さま!」
リビエラ様は、まるで私のことなどすっかり忘れたかのように、カチュア様についていった。
これでやっと掃除ができ……
「そうそう……、クラウ」
「はいっ」
カチュア様が振り返り、怖い目でこちらを見ている。
思わず背筋をピンと伸ばした。
「いつまでここを掃除しているつもり? もうすぐここを領主様が通るのよ。
ほこりを吸わせるつもりじゃないでしょうね」
「べ、別のところを掃除してきますっ」
私は掃除道具をひっつかんで、ダッシュで逃げた。
これ以上ここにいては何を言われるかわからないもの……。
それにしてもひどい言いがかりだわ。
リビエラ様に絡まれなければこの廊下の掃除はとっくに終わっていたし、旦那様が帰ってくるのはもう少し後だったはず。
「はあ……」
2人の影も見えなくなったところで、私は思わずため息をついた。
「災難だったね、クラ様」
「! マーサ、いつからそこに? それに、その呼び方やめてよ……恥ずかしいわ」
メイド長のマーサ。老齢だが天才的な技術力を持つメイドで、私の育ての親であり、師匠のような人だ。
私のいつもの訴えを、マーサは顔をしわくちゃにして笑った。
「私たちにとってのお姫様は、あんただからねえ、クラウ。
さ、あたしらもお茶にしよう。ビリーに新しいクッキーの試食を頼まれてるんだよ。
あいつ、あんたのことが好きだから、絶対食べてもらうんだって張り切ってたよ」
「で、でも、私まだ仕事が」
「後でいいんだよ、そんなもん。
奥様もお嬢様も、コックたちが食堂に閉じ込めてるうちあたしらの働きも見えやしないんだから」
聞かれれば怒られるどころではないようなことをあっけらかんと口にして、わははと笑いながら歩きだすマーサ。
私はこうして、お嬢様や奥様にいびられながらも、暖かい人たちに支えられた、それなりに幸せなメイド生活を送っていた。
☆ ☆ ☆
その頃、食堂では。
「縁談……?」
「ああ、リビエラ。お前に結婚の申し込みが来ている」
「本当に! うれしいわ、ねえお父さま、誰からなの?」
領主・オーギュストは一通の手紙を懐から取り出すと、そばに控えていた従者に手渡した。
従者が、内容を読み上げる。
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親愛なるハルファスト家 ご領主様
お約束通り、貴殿の嫡女を我が妻に迎えたく思います。
さぞ、美しい女性にお育ちになったことでしょう。
次の満月のころ、お迎えに上がります。
アルバート・フォン・フュージェネラル
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従者が読み終えた。
三者三様、異なる面持ち。
しかし沈黙を真っ先に破ったのは、不機嫌な表情を隠しもしないリビエラだ。
「フュージェネラルぅ? 絶対いやよ!!」
フュージェネラル家といえば、代々国境を守る役目を担ってきた名門3家の中で、一番悪名高いことで有名だ。
北方の海側に位置するフュージェネラル領は、守るべき国境が海沿いであり、隣国が攻めてくることは今までに一度もない。
つまり名門の中でも「来やしない敵を待ちぼうけ」しているお飾り貴族だと揶揄されている。
「そ、そうよ……! それに現当主・アルバートは、ひどい人だってうわさよ!」
娘の言葉を後押しするように、カチュアが青い顔で叫んだ。
現当主アルバートは、北方の厳しい寒さによって限られた物資を、領民から搾取するような領地経営を行っているのだとか。
城の者は満足に衣服も与えられず、寒さをしのぐために爪に火を点すような生活。
素行も乱暴で、手が付けられないなどといううわさも広がっており、ついたあだ名が「暴君伯」。
「おいおい、お前たち、よさないか……」
オーギュストは根も葉もないうわさに騒ぐ二人を見かねて、力なくなだめた。
「それで、お父様。次の満月っていつかしら?」
「ああ、そうだな、ええと……
明日、か?」
「明日ですって!?
断りの手紙を出すにも、時間がないじゃない!
どうしましょう、お母さま、私は暴君伯と結婚なんていやよ!」
「……大丈夫よ。わたくしにいい案があるわ」
「いい案?」
カチュアは、青白い顔に、それでも意地の悪い笑みを浮かべて、確かに言った。
「メイドのクラウを、代わりに出しましょう」