9、好奇心が殺すもの。
だだっ広い教室内に、カツカツと小気味よい音が響く。
「一口に魔法と言っても、いろいろあるけど、根源ともいえる魔力だって多岐にわたる」
白衣に眼鏡、あえてぼさぼさにした髪型の悪魔ルイは黒板をチョークで叩く。
「この魔力だが、単純にエネルギーと考えるには少し複雑で、キューコのように体内に蓄え放出する形で行使、それを物理的破壊力に変換する方法とは少し違う。キューコが魔法を使おうと思った場合、脂肪を精神エネルギーへと変換、つまり魔力に変換が必要となる。精神力をダイレクトに魔力として使うアプローチはスマートだがいささかミニマムだ。しかもそれだけでは無属性の純魔力。しかもそれに属性を付与しようとした場合、精霊等の契約が必須となるわけだ」
席についているキューコは、“様式美”の白いセーラー服姿で、必死にノートを取ってはいるが、目は点になっていた。
「もっと簡単に、かつスピーディーに使う方法が二つある。一つは量子の相互作用。 魔法の効果は微細な量子レベルでの相互作用に基づき、配置や状態を変更できる。これは通常の物理法則では捉えにくく、同時に即効性の魔法として効果をもたらすことができる。……例えば」
ルイが、チョークの先を天井に向けた。
「InfeRnO」
それは呪文と言うより、名を告げただけのような感じだった。
キューコがまたたく間に、赤と黒が混じったような、炎と認識できるが炎と呼んでいいのか、そんな魔力の産物が熱量を感じさせるよりも早く天井を消し去ってしまった。
半分も理解出来てはいなかったが、キューコにもそれがいかに凄まじい力なのかはわかる。
ルイは、もちろんキューコが理解できていないことを承知で笑っている。
キューコが天井のなくなった黒い空を見上げていると、さすがは夢の世界だ。
天井は薄ぼんやりと現れはじめ、直ぐに再生された。
「いいかい? キューコ」
「あ、はい」
「もう一つは、根源時空エネルギーの利用だ。このエネルギーは通常の物質やエネルギーとは異なる特性を持っていて、特殊なアイテムや呪文によってのみ根源時空へのアクセスが可能で、そこから取り出したエネルギーは既に属性をもっている。しかも通常の物理法則に従わず、魔法の効果を引き起こすことができる」
ルイはチョークを置き、パンパンと手を払った。
そして、ルイは背伸びするようにキューコの机に腰かけ、まだチョークの残る指先をキューコの鼻先に差し向けた。
「キューコ、キミじゃ理解できないから簡単に言うよ」
今までの長い説明は何だったんだろう、と思いつつもキューコは頷く。
「根源時空にあるエネルギーや情報を総じて“ワールドレコード”といい、それを取りだすためのカギが、特殊なアイテムであったり起動詠唱だったりする。ちなみに起動詠唱は言語の数だけ存在してるよ」
簡単に言うのではなかったのか、まだキューコには難しい。
これが意地悪だとしたら、さすがは悪魔なのかもしれないと、ルイの微笑みを一瞥、何かを察したキューコは腰にぶら下った刀を見下ろす。
「気が付いたかい? その“花一文字”も特殊なアイテムの一つ。君の蓄えた膨大なエネルギーと、ワールドレコードからの理が合わさることで、あの力が生まれるってわけさ」
「おかげで、この国を守ることができた……?」
「そう。けど守るだけじゃ解決にはならないんだよ」
ルイは気になったのか、キューコの僅かにずれたリボンタイの位置を直してやってから、その腕を組んで首を傾げた。
確かにイヴァール軍を退けることが出来たが、女神と対立関係であることは変わらない。
なぜ女神ウェヌースは、ムラクモ王国を生贄にしようと思ったのか根本的な理由も分かっていない。
「ルイ、じゃあ解決する方法はあるの?」
「今思い当たる勝ち筋なら三つ。イヴァール帝都にある女神ウェヌースの神殿の破壊。言わば信仰心剥がし」
「攻め込むってことだよね……。他は?」
「神殿を制圧。女神ウェヌースを説得する」
「結局、攻め込むってことだよね……あと一つは?」
「信者を殺す」
「それは……、神の力は信徒の数に比例するから、イヴァールを滅ぼして神自体の力を削いでしまうってことだよね……」
「そ。勉強できてるね。えらいえらい」
ルイがキューコの頭を撫でまわす。
頭に螺旋の動きを感じながら、キューコは難しい顔で、うーんと唸る。
無益な戦いは好きじゃないし、呵責に苛まれることもある。
だがキューコも降りかかる火の粉を払う覚悟はあり、現に手を血で染めて来た。
確かに生存競争ではあるが、殺しに行くとなると覚悟は揺らぐかもしれない。
だが、ずっと防戦もそれはそれで避けたい。
起死回生の一手なら妥協するべきなのかと、キューコは悩みが尽きなかった。
「でもね、全部現実的ではないんだよね」
「え、なぜ?」
「君が、遠征には向かないからだよ」
「あ、確かに」
ほとんどの時間を食べて寝ることに費やしている以上、その通りだ。
イヴァール領内に入って、何らかの方法で食糧補給を断たれれば、一発で終わってしまう。
「それに、キミはまだまだ未完成だからね」
「未完成?」
「その話は後にしようか。まもなくススム君が来るだろ?」
「あ、もうそんな時間か」
「さぁキューコ。教えた通り、“横柄”にふるまっておいで」
「はい」
――サーロとヨーコが、王族だとススムが知ったのは祝勝会の時だった。
サーロとヨーコの口添えもあり、ススムはキューコの起床を待って面会する約束を取り付ける。
女神ウェヌースを信頼できなくなったススムは珍しく大胆ではあるが、自分の目と耳で、真実を知るためにやって来たのだ。
面会の場所は、神の失せた神殿。
台座だけが残った神殿でススムは待っていた。
すると大扉が開く。
そしてキューコが何人もの男に担がれた神輿に乗ってやってきた。
神輿は神殿の上座へと降された。
そして男たちは一礼、神殿の中から出て行く。
「待たせたな。もぐもぐ」
毒々しい色のカップケーキを両手に持って食べながら、神輿の上からキューコが言った。
キューコのステータスは、軒並み15程度で村人以下だ。
この姫がイヴァールの英雄を倒したなんて、ススムにはにわかに信じがたい。
悪魔憑きの姫か……痩せれば可愛い典型かもな。
と、ススムは思ったが口に出す訳もなく、変な顔をしていないか心配になって、おほん、と咳ばらいを一つしてごまかした。
しかし何から聞いたものか、少しだけ妙な間が空いた。
「女神ウェヌースが信用できないんだろう? 勇者ススム」
短刀が直入するように、キューコよりもう少し奥から声がした。
ススムが視線を向けると、それは最初からそこにいたかのように、主のいない正面の台座に、我が物顔で座っている姿だった。
可愛らしくもあるが、ススムはそれが悪魔だと本能的に理解した。
その悪魔のステータスは全て『????』と表記されていた。
悟られない程の僅かな機微で、ススムはいつでも抜けるよう背中のバスターソードを確認する。
「女神ウェヌースが何を考えているのか、ボクにも分からないけど、キミの魂に誓って言うよ。魔物を放ったのはウェヌースだよ。いや放ったっていうよりは“設定”してあったというべきか」
設定の意味がススムには、何となく分かる。
ゲームのように再出現するように設定してあったという意味だろう。
むしろ15日周期で現れる魔物だからしっくりくる。
「悪魔の言葉を信じろと?」
「別に信じなくてもいいけど。じゃあなんのためにここへ来たのって話にはなるかな」
悪魔とススムの声と、カップケーキが吸い込まれていく音だけが響いている。
「俺は、酷い悪魔を倒せるように、強くなれと言われた」
「ボクは理不尽な女神が、ムラクモの民を生贄にしようとしたのを邪魔した酷ぉい悪魔だよ」
「生贄だって?」
「そう生贄。神って奴らが、手っ取り早く力を溜める方法」
そもそも悪い悪魔を討伐するための戦争だったとススムは思っていた。
だが実際はどうだ、イヴァールが戦争を吹っ掛けた結果、悪魔が現れたのだ。
食い違う話と女神の行動。
女神の行動に対する違和感は、村にいる時から感じていたことだ。
魔物をけしかけ村人を殺す女神。
むしろ国を守った悪魔の方が、真っ当に思えてくる。
ススムは何を言うべきか、語彙が見当たらず黙った。
すると悪魔が台座から降りて、ススムの前まで踊るように弾んだ。
そして見上げながら問いかける。
「キミは、見えないものが見えてるんだろう? 女神に与えられた恩恵で」
「あ、ああ」
それはステータスの事だとすぐ分かった。
「名前が見えるのは、女神が作ったモノだけだよ」
悪魔の言葉が、ススムの中にストンと落ちていく。
だからサーベラスを含め、見える魔物と見えない魔物がいたのだ。
魔物は、イヴァールの森にもたくさんいた。
つまり自国の民すら、生贄にしてきたということになる。
信心深い民と、そうでない民をふるいにかけているのだろうか。
とすれば、名前の見えた人間は……?
ススムの背筋に冷たいものが流れた。
イヴァールの地でも、見える人間と見えない人間がいた。
むしろ、管理職の人間の名前のほうが見えていた気もする……。
「そんなススム君に聞いていいかな?」
笑む悪魔の翡翠のような瞳がススムを見上げる。
そんな悪魔が首を、カクリ、と傾けた瞬間、ススムは内側を覗き込まれたような感覚を覚えた。
「あ? ……あぁ」
「ふふ。これからどうするんだい? もし女神の元に帰るというなら殺すけど」
情報を持ち帰ればムラクモ王国が不利になるのだから当然の言い分だ。
ススムは、ここで初めて殺気めいたものを感じた。
その殺気は可愛げな見た目の悪魔からではなく、美味そうに食い続けるキューコからだ。
「殺す? 悪魔憑きの姫が俺を?」
「そう。帰るというなら、そのキューコが君を殺す」
悪魔はキューコに背を向けたまま、親指で丸々とした少女を指し示す。
脅しに聞こえるが、キューコのステータスは二桁だ。
何かしらの魔法を使ったとしても、ススムにははねのける自信はある。
女神の元へは既に戻る気はなかったが、相手は悪魔だ。
(悪魔が悪さをしないとも限らない、ここで力を見せつけてみるか?)
そうすれば何かしら術にかかっていると仮定して、キューコも助けられるかもしれない。
ススムは脳内で算段をつける。
だがススムがそう考えることが、既に悪魔の巧妙な罠だったのかもしれない。
ススムは慎重派だ。
なのに大胆に、ススムはバスターソードの柄に手を滑り込ませていた。
「ねぇススム君。好奇心は猫をも殺すよ?」
言葉は返さない。
ススムは威嚇するかのように、ゆっくり鞘からバスターソードを引き抜いていく。
カップケーキを平らげたキューコが神輿の上でのっそり立ち上がる。
そして鞘にキューコの丸い手が置かれた瞬間、ススムは目を見開く。
「7万……8万……9万……????」
ステータスが跳ね上がるなんてもんじゃない。
容易く“振り切って”いる。
ススムを恐怖が支配する。
息が詰まるほど空気が重い。
そしてキューコが鞘から、刃をほんの僅かに引き抜いただけで、ススムの意識が刈り取られそうになった。
「ねぇススム君。生きてるってことはさゲームじゃないんだ。数字なんかで値踏みしない方がいい。特に人間はね」
悪魔の声の後、かちん、と鞘に収まる音が聞こえた。
瞬間、ススムに生きた心地が戻って来る。
今思えば、何でバスターソードに手を置こうと思ったのか。
ススムははっとした。
「そう仕向けたか、悪魔め」
ススムが独白を零した。
「あは、ススム君、しってる? 『好奇心は猫をも殺す』ってイギリスのことわざはね、続きがあるんだよ」
「イギリスなんて久しぶりに聞いたが、どんな続きだ?」
「好奇心が猫を殺し、真実がそれを蘇らせる」
今までススムの視界の端にあった数字の羅列は消えていた。
「……なるほど。悪魔に“祓われる”とはね」
憑きものが落ちたようだ。
ススムはそんな言葉を思い出す。
「そういう事もあるさ」
そうススムを眺めるように悪魔は笑い、姿がふっと消えた。
そしてキューコは神輿に腰を下ろして息をはく。
――悪魔が言うのもなんだけど、これからの彼の人生に幸あれ。